赦せないものはない

なぜ赦すことが出来るのか、なぜ消えてゆく姿だと思えるのか。

それは、

本物の姿ではないから。 自分の本当の姿を忘れたために描いてしまった自己像だから。 
本物の姿=神性

神性を信じているから赦すことが出来る。


「消えてゆく姿であるから」、、とその場は 先ずネガティブな出来事またはネガティブな相手の姿を受け入れ、

そして次は、そのことに対して捉われず、相手の神性を信じ、ネガティブな出来事は進化のプロセスであると信じる。



究極の真理を信じるからこそ、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛することができる。自分や相手の神性を信じるのなら、何でも赦し愛せるはず。

何でも赦す、赦せないものはない。なぜなら、本来はみな我即神也だから。



消えてゆく姿や赦すこと とは、カルマの世界(因縁因果の世界)の中だけで行う作業ではない。それは究極の真理、神性があってこそ成り立つもの。

なぜ、多くの人たちは浄めることばかりに気を取られるのだろうか。。。

浄めることで神性が与えられるのではないのに。

人間は本来神の分霊であって業性ではなく・・・(人間と真実の生き方)

信じて認めることで神性意識は復活するのに。。。



神聖復活目覚めの印 を組み続けることはすごいことだと思います。

印は、媒体である肉体と神性の「私」を一直線につなぎ、自分の神性を地上に顕現し、人類の神性を認めている姿だから。

因縁因果の世界を越えた姿、神の姿だから。


by mppoe-light | 2018-12-23 22:08