無条件で崇高で尊い”いのち”

私が想いを巡らし、たとえば、、過去の出来事を思い起こしている時、私は肉体にいない。
その時私がいるのは過去。私は過去に生き、否定的な感情を作りだし、否定的で限定された世界を創造している。


「今」に生きるとは、きっと「私」という意識がピッタリと肉体に納まり、

一致している状態。神性の私と統一している状態・・・

それは祈りの状態。我即神也。 いのちが素直に動こうとしている状態。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 ということ。



たとえその時、自分がどんなに厳しい状況下にあろうと、どんな環境に置かれていても、

我即神也を信じ、神性を信じ、すべては完璧、大成就を信じることができれば、

私は、神に繋がる「今」を生きているということになる。

きっとその時、いのちが光り輝き、私は本来の生き方をしている

肉体を通して、究極の真理を顕現している。



私達人類には、皆、生きる意味がある。目的がある。

“いのち”そのものを見れば、すべての人類が尊く、崇高な目的を持ち存在している。誰一人欠けることななく。

肉体を通して神性復活し、顕現するという崇高な目的。

一人一人の「私」という存在は、無条件で(この世的に何かを為し遂げたとか、人類の為にこれだけ尽くしたとか・・・、そういう判断、評価とは関係なく)崇高で尊い。

一人一人の“いのち”には大いなる意味がある。

「私」がここにいる・・・と言うことは、無条件で崇高で尊い。



今月、個人的に厳しいことがありましたが、そんな中、、

こんなことを考えておりました。


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by mppoe-light | 2018-03-29 22:08 | 真理について思ったこと