一気に真理の極みから臨んでいく
一気に真理の極みから臨んでいく 祈りと印で
因縁因果の法則で生じた問題、有限の形の世界で生じた問題(個人・人類の)を、同じ法則の思考のまま、同じ世界観の思考のままに祈り印を組んでも真の解決にはならないということ。
真の解決とは、因縁因果を超えた真の創造、 神の創造を
現わすこと。
それは、生じている問題を解決をするという想いを一旦退け、
自己意識を上げ、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 という原点から生きること、創造すること。
今回、この↓白光ノートを読んで、自分の「大成就」の認識が甘かったことに気づかされました。祈りの言霊として繰り返し宣言していても、信じきっていないことに改めて気づかされました。
16~17年と2年続けて新年の指針の内容は 「成就」についてでした。
指針の受け取り方が甘かったようです。反省☆
※問題が世界各国の事であろうと、個人の事であろうと同じことである。神人は、問題解決のため祈り、印を組むことはしない。
これがどういう事なのか・・・、 多くの神人の方に読んで気が付いてほしいです。
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白光ノートから
< 問題を解決するために祈らない、印を組まない>
『祈りや印を、その都度の問題解決策とのみ考えるならば、自らの意識レベルが、未だその問題そのものに把われ、集中したままであるので、なかなかそれ以上の高次元レベルには到達しない。』(04-02)
問題がある国、地域を見つけて、その解決のために祈る。それは立派な行為のように見える。当然、他者からもそのように評価されたいものだ。少なくとも自己の満足は得られる。
しかし、神意識という高次元レベルに入るには、そのような祈りや印は邪魔なのである。問題が世界各国の事であろうと、個人の事であろうと同じことである。
神人は、問題解決のため祈り、印を組むことはしない。
『一気に真理の極みから臨んでゆくことである。今自分に生じている不幸や困難に対して、100パーセントの意識を集中し、その解決に向け奔走するのを一旦止めるのである。そして、自分の意識を高い真理にまで引き上げ、そこから自分を導いてゆくことである。』(01-11)
ここで言う「真理の極み」「高い真理」とは神意識の真理である。人間意識にとって真理と想われる真理ではない。
「我即神也」「人類即神也」の宣言文は、自分自身も人類そのものをも
『崇高なるものとして扱っている』(04-02)。
「神意識の祈りや印は」、 『自らを輝かし、自らを尊び、敬い、愛し、慈しみ、また自らに感謝するための方法なのである』(04-02)。
自分の本来の姿、人類の本来の姿。それは神そのものである。無限なる叡智、幸せ、平和、健康に満たされている。平和そのものである。
現象ではなく、その原点から事を始めるのである。
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by mppoe-light | 2018-01-03 21:37 | ピタゴラスさん啓示録から