今 響く法話
もう読まれた方も多いと思いますが、
白光ノートで紹介された昌美先生の法話が素晴らしく、
そのまま全文を2回載せることにしました。
昌美先生の法話、10年20年前のものが、今、心に強く響きます。
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白光ノートから
神意識を顕現する方法
“「我即神也」の真理を顕現するために”という法話(95-08)では我即神也の真理を顕現する三つの方法が説かれる。第一は想像力を使う。
『まず初めに、それ(我即神也)はあなたの中に既に現実のものとして存在しているのだと、想像しなければなりません。現在の不完全なる自分自身はさておき、想像の中で、自分が光り輝く神そのものになっていると想うのです。
繰り返し、繰り返し神そのもののような姿を顕している自分を想像しつづけるのです。』
我即神也に関わる想像ほど重要なことはない。
果因説の核心は想像力とも言われる。
その妨げになるのが現象・過去への捉われである。
現象・過去から生じる感情に振り回される限り、ポジティブな想像力は働かない。
現象・過去から自由になった心がポジティブな想像力を稼働させる。
そのために「消えてゆく姿」「過去はない」の真理が説かれているのである。
この方法は“意識的に生きる”ことでもある。
業生の生活では、無意識のうちに、感情想念を垂れ流し、ネガティブな想像力が自動的に稼働しているようなものである。
第二は言霊の力である。つまり、「我即神也」という真理の言葉を『心の中で、あるいは声に出して』繰り返し唱えることとである。『自分の意志で“我即神也”の言葉を正確に繰り返し唱えてゆくうちに、“我即神也”の真理の想像力と重なって、“我即神也”の真理が現実に顕われるのです』。
真理の言葉を繰り返し唱えることによって、肉体細胞の一つ一つに反響して、
『肉体そのものが神そのものになろうとする意識にまで高め上げられる』からである。
第三は、『素直に我即神也の真理を実行に移すことです。そして正確に、かつ全身全霊をもって印を降ろすことです』。
いきなり真理の実行とは容易ではない。だが、真剣に印を組みつづけることは出来る。印は人類共通のサブリミナル言語である。
「我即神也」の言霊と同様の効果を発揮する。肉体が組む印が、自己や人類の肉体細胞に顕在意識では判別できないが、深い意識では明瞭なメッセージと目覚めるのに必要なエネルギーを放つのである。
祈りは声を出さなければ、ポジティブな想像力を発揮する力である。そして、発生が伴えば言霊の力である。祈りは本来、宇宙神の形なき理念に形を与える想像力であり、かつ宇宙神の真理を物質世界に現実化させる言霊である。
この理を、五井先生は「祈りとは生命の宣言である」と説かれていた。
『“私の生命は神と一つである。神の生命なのである”という宣言が祈りなのです。 自分の肉体頭脳が祈るのではなく、宇宙神にむかって、直霊分霊が“私はあなたと一つです”と宣言するのが祈りなのです。』(生命光り輝け p136)
今日の白光の言葉で言えば「我即神也」のことを本来の祈りとして説かれていたのである。
何かの問題解決を外なる神に頼む祈りは、肉体頭脳の祈りである。二元論の祈りである。しかし、肉体頭脳が受け入れない真理を唱えつづけることには無理がある。肉体頭脳が「我即神也、人類即神也」を受け入れるまで、五井先生は気長に世界平和の祈りを人々にさせたのであった。今日、人類が真理に目覚めるまで、神人は気長に印を組みつづけるのである。
by mppoe-light | 2017-12-24 19:33 | ピタゴラスさん啓示録から