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「私」というい生命(いのち)

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この図をみて、なるほど・・・と思いました。



私達はもともと宇宙神から放たれた光、放たれたいのち。

命=意識「私」は、常に宇宙神と繋がっている。

一度も、片時も切り離されたことはない。

それなのに、

私たちの心、想いは、自分の本来の姿を忘れ、

「人間は神に非ず」。。。という錯覚・誤解 から現在の幻覚の世界を築いてしまいました。

その世界は、二元対立の有限な世界。因縁因果の世界。

私達は自分たちが本来は神の子であり、そして宇宙神とは常に繋がっている存在であり、

本来は、すべて完璧、大成就の能力を内に納めた存在であることを

すっかり忘れ果て、有限の世界で他から横取りしながら生きてきた。。。



長い間、神性を思い出さないまま、因果の世界をぐるぐる転生していた。


いつも過去に支配されていた。



過去は、自分が神性を忘れていたため創り上げてしまった産物。

本来の我即神也には関わりのないもの。 


だから、それを五井先生は「消えてゆく姿」といわれた。昌美先生はさらにストレートに 「過去はない」といわれた。



想いのクセは手強いです。人間は本来 神の分霊 と教えて頂いても、

リアルな現実のできごとに心は揺さぶられ、不安、不幸、悲しみ、憎しみの詰まった因果の世界をそのまま生きてしまいます。

けれど、

世界平和の祈りは、神様の御心と一つになること。因果を超えて、

自分の本体と、宇宙神と一気につながること。

だから、消えてゆく姿で世界平和の祈りを続けることで、曇った心や想いは光によって徐々に洗われ、より真理へと心が向き易くなる。 

また、因縁因果をこえた存在である守護の神霊へ意識を向けることで、自動的に想いは因果の横の世界から、本来の宇宙神と繋がる縦へと向かいやすくなっている。



そして、我即神也の登場。


本来、私たちはすべてに充たされ、抱擁され、祝福された神の子。

完璧で、欠けたるもののない存在。

その真実が知らされ、 ついに神性復活まで辿りつきました。



因果の(過去⇒現在と時間が横に流れる)世界を脱し、神性復活したことで縦につながることが出来るようになった。

縦とは宇宙神とのつながり。自分の本体も同じ。
命は無限であり、現象界で肉体という乗り物を脱ぎ捨てることがあっても、それで本来の命が終わるわけではない。

無限なる生命



また神性復活によって、

私たちは自由意志、選択・決定、自己責任で自由に使うことができる。。

無限なる可能性 無限なる能力



五井先生の時代から昌美先生の時代へ。 

消えてゆく姿で世界平和の祈りから、

五井先生が本当に伝えたかった真理、究極の真理、我即神也・人類即神也へ。


さらに、昌美先生によって大きく広がる神性復活・顕現



「神と人間」に載っていた この二つの図を見ていて、

地球、人類を蘇らせるための、神々の導き、計画の大きさに圧倒され、

私達は宇宙規模の壮大なうねりの中にいるのだ..............
そう感じました。

無限なる感謝





by mppoe-light | 2017-08-24 13:41 | 真理について思ったこと