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「天と地をつなぐ者」 から 4)



「天と地をつなぐ者」から☆

天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることも、その時はっきり認識した。一真実行がついに百知を超えて、自己の本体を直接把握し得たのである。
天に昇ったということは自己の内奥深く入っていった、ということと同一なのである。

人間は全く大神の個別的現われなのである。輝きわたる一つ一つの星のような存在である。

地上界に写し出されている人間たちが、写し出されているそのままの姿で、自己の任務に一心を集中していれば、人類は苦しみも悩みもなく、地上天国の実現をみることができるであるが、
写し出された投影である人間が、天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて、自他の利害を区別し、天かくる光(内奥から発光する光)を遮断し、おおってしまいつつあるのである。

人間という者が、日常自己だと思っている肉体的自己は、実はしっかりした本体をもたない泡沫のような、想念の波であり諸行無常的、砂上の楼閣的存在なのである。


人間内奥に輝く本体の光、天に輝く真我(直霊)の光を直接地上に輝かせなければ地上天国はできあがらない。
そこで私は本体の光を輝かせながら、五感にみえる業因縁的存在はすべて消えてゆく姿なのですよ、と説きつづけているのである。

一日も早く肉体が業因縁的想念の器でなく、光の器、真我(神)の器となることが、自己も救われ、人類も救われるということを、はっきり一般の人に認識させることが私の天命なのである。


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我即神也   私達は本来、神 大神の個別的現われ
だから完璧、欠けたるものなく、大成就している。
でも、人類は天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて
、本来の任務である地上天国創造をしてこなかった。
神性を忘れた肉体的自己は砂上の楼閣のようなもの。 肉体的自己の想いが真我からくる光を遮ってしまい人類は業因縁の器になっている。
業想念の器のままでは救われない。地上天国は創造されない。

人間の真の姿を知り(我即神也)、祈り、言霊を発し、印を組み、光の器になる。

神性復活=神性顕現。 本来の自己を取り戻し、光の器として働く時。

我即神也 人類即神也


by mppoe-light | 2016-12-13 21:26 | 真理について思ったこと