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疑う気持ちを消えてゆく姿にして

「私」という意識が、ポツンと空間で漂っていたら、 ずいぶんと物足りず、創造する意欲も湧かなかったかも。
でも、空間には、地球が在り、そして大地、空気、水が与えられ、 そこで活動できるよう肉体も与えてもらいました。
「私」 には、すべてが与えられている。 始めっから与えられています。

神の子としての完全性、完璧、欠けたるものなし は、いつも「私」と共にあって、
いつも 今、ここに届いているはずなのに、カルマの私がその顕現を遮っている。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就  これは私の本心、我即神也の言葉。
それを少しでも疑い、否定する想いは消えてゆく姿。
宣言しながら、心のどこかでは100%の確信が持てず、

「宣言しても、やっぱり私には無理かも?。。。
だって、今までそうだったから。 本当に大成就が私に起こること、あるかな・・・? 」

と、思っていても それは消えてゆく姿 の想い。 

誰かが(神様が)大成就を起こしてくれるから安心、だから私は祈っていい子でいれば大丈夫・・・なんて、
未熟な発想。 それを「おまかせ」と言う人もいるけど、、、、本当のおまかせは もっと命がけ。
命を神様に預けてしまうこと。

私の成就をここに顕すのは、私しかいない。 私だけ。 
それほど、一人一人は尊い存在、偉大な存在 ということだと思います。

宣言しているのは私の本心、我即神也なのだから、法則の通り成就するはず。 だから、
宣言した言霊によって、本心「私」は光を形に顕す創造を開始しているに違いない。
そう思って、少しずつ確信が高まるよう、 疑う気持ちを消えてゆく姿にして、何度も繰り返すものだと思います。

一度に神様に命を預けることは、今の現象世界で生活する上で大変だけど、
疑う気持ちを消えてゆく姿にして、なんども宣言、神行を繰り返せば、
意識は徐々にカルマ私から、我即神也を選んでいくに違いない・・・
そう信じて続けています。

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by mppoe-light | 2014-03-16 21:57 | 真理について思ったこと