余計なものは捨てて、新しくつかむ☆
究極の真理は 人を無口にするんでしょうか・・・
ブログに書くことがなくなってきた。。。?(^_^;) あとは実生活で練習するのみ。
我即神也に想いを向ける練習を生活の中で続ける・・・
私は何者か。 なぜここに居るのか。 生きることとは何なのか。その繰り返し。 それこそをコツコツ繰り返していかなくては・・・と思う。究極の真理を意識して思い出す。それを心掛ける。
祈ることは生きること。 印を組むのも生きること。
和顔、愛語で生きる。(そして、下座に・・・)
私は自分の神性を認めます、信じる。
もっともっと信じれるよう、何度も自分に言い聞かせる。我即神也 すべては完璧、欠けたるものなし、大成就
自分の神性を認めるから、人類の神性も認めることができる。
人類即神也
暗い表情や、屈折した心の歪んだ表情の人。そんな表情の人も 本来は人類即神也
どんな人も真理を知れば(認めれば)、顔は一変して、輝かしい姿になるはず。
濁りの無い、影の無い、純粋で、美しく、光り輝く顔。
みんながそんな姿になったら、この世界は とても美しく、軽やかで、清々しい場になるんだろうな・・・。
想念が描く幻想は、とってもリアルで、心を揺さぶるから、
時には、幻想(カルマの)の想いの内容が、
真理のひとつの顕れ、自分の何かの役目・・・ように思えてみたり、(笑)・・・うっかり錯覚をしてしまう。
はぁ~ (;一_一)
良いことに思えても、想いが滞るなら それは消えてゆく姿の状態。
真理はいつも「今」 「私」は毎瞬、新しい。「私」は毎瞬、完璧。
余計な想いを捨てて 心は前へ前へ。
余計なものは捨てて、新しくつかむ。 我即神也 完璧、大調和
と、こんなこと考えてました☆
by mppoe-light | 2013-11-23 19:43 | どってことない話☆