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”神の確率”  ”量子力学と宗教”

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  神の確率

 量子力学的に言えば、あらゆる現象は確率的に起こる。
あらゆる素粒子は確率的に存在している。素粒子は観察されている世界とは別の世界に、同時に存在する。
 あらゆる運命も確率的に起こる。どんな人の自我も、現在観察されている世界とは別の世界に、同時に存在する。

 三次元世界の因果律を遡ると、物事は必然的に起こるように見える。しかし、因果の現象化は確率的に様々に分布する多世界の中の一つに過ぎない。
三次元世界だけを見ると、必然的に物事が起こるように見える。しかし、四次元世界を見ると、別の選択肢が残されている。
三次元世界は因果の世界である。そのため、過去・現在・未来の時間軸が必要になる。
四次元世界は因果を超えた果因説の世界である。そのため時間軸は必要ない。

 90%の確率の因果が仮にあるとする。しかし、自己意識には神たる確率が必ず含まれている。神の確率を消すことは誰にもできない。逆に、神以外の自己意識の確率は必ず消える。

 どんな状況でも、人は自由意志と自己責任の領域おいて、『我即神也』に意識をフォーカスことができる。そうするや、『我即神也』に呼応する素粒子が集められ、『我即神也』に呼応する現象も集められる。現象があなたを求めて飛び込んでくる。これが2008年の神事で訓練していることだ。

 ブラックホールからは光りでさえ抜け出せないと言われる。そのブラックホールから脱出する素粒子の確率は在る。実際、いくつかの素粒子は脱出して来る。カボチャを現している素粒子には、金の馬車を顕わす確率がある。実際に、シンデレラはそれをやってのけた(注1)。因果律から抜け出せそうにない凡夫を現す自我にも、神を顕わす確率がある。どんな人でも厳然と、神界では神として存在している。しかも、神性こそが自我の本来性である。神とは隔たって見える人が神を顕現する。これを可能にするのが印であり、神事である。印と神事の原理は四次元の原理であり、トンネル効果であり、観察効果である。

 『神はサイコロを振らない。』(注2)ではなく、現象界では神自身が確率的に存在している。無論、そのように『確率的に存在する』と言うのは客観的な見方ではない。数学的な記述に過ぎない。実在する神の確率は100%である。そのように知る者だけが神を顕現する。印を組み、神事に取り組む者はそのように知る者である。
 「因果律を操作する」とは、四次元軸(自己意識軸)を使って必然性を確率の一つにしてしまい、確率の低いように見える神性の確率を必然にしてしまうことである。再び言うのだが、これを可能にするのが印であり、神事である。印を組み、神事を行う者は神のみを知るものである。
注1 ラムサより『シンデレラは実話である。』
注2 アインシュタインの言葉      2008/12/14



  量子力学と宗教


 量子力学では、量子の可能性はすべて可能性として同時に並存していると説かれる。電子の存在位置を確定することは不可能で、確率の雲のように分布している。
多世界解釈では、可能性の分だけパラレルワールドがある。複数の世界が同時に並存している。観察者が(電子等を)観察をして初めて、存在位置が確定される。その時、確率の波は一瞬で崩壊(波束収縮)し粒子として観察される。

 量子力学以前のニュートン力学は因果律を追求する。因果律の決定論は唯物論につながる。量子力学の世界では因果律は通用しない。観察者が結果を選択することになる。これは果因説につながる。

 先ず、自己意識のレベルで様々な自己意識がそれぞれの確率を持って分布している。自己意識には、肉体人間・凡夫等、、、、から神と種々様々ある。どんな人にも神という自己意識つまり「我即神也」の確率がある。自己意識とは観察者のことである。
 言葉のレベルでも同様の分布がある。一人の人の使う言葉の使用頻度はその人の自己意識の分布を反映している。
 細胞内及び生活環境内の量子のレベルでも確率分布がある。
 人間は自己意識に正確に対応している多世界に同時に並存している。

 物質界(現象界)・肉体界は観察された世界である。この世界では多くの存在確率の中でも確率の高い状態が選択されて体験される。つまり観察される。
その時、波束は収縮する、つまり崩壊している。波動エネルギーが崩壊し粒子となったわけである。
それは「消えてゆく姿」を意味する。神の自己意識(我即神也)、神の波動エネルギーが崩壊し粒子化すると、それは「神性顕現」とか「成就」と言われる。

 現在の状態が何であろうと、意識のレベルで自己意識を神にチューニングすることは可能である。それを「統一」と言う。言葉のレベルで、神の言葉の世界に入っていくこと、これを「祈り」と言う。
真の祈りでは、言葉が祈る人の意識レベルを引き上げる。「印」を組む人は、神の意識で神の呼吸と神の動作を行う。つまり、それは「顕現、成就」の行為である。

 物質界で努力を重ねて、自己を神に変えてゆくことは宗教の本質ではない。それは修養である。無限の努力を要する。やめた方がいい。
神人は自分を変えるのではない。なすべきは真理を知ることである。つまり、意識レベルで自分が神となることである。神なる自分の姿を想像しつづけることである。

注1  量子力学についての参照文献
    「量子論の基本と仕組み」竹内薫著  秀和システム
    「量子力学の世界」椎木一夫著   日本実業出版社
    「ラムサの教え」 星雲社
2008/12/29


mixi ピタゴラスさん 啓示録から


さかのぼって読み直していて、、、
面白かった、復習にもなった☆ (^-^)

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by mppoe-light | 2012-10-02 08:16 | ピタゴラスさん啓示録から