この春の出来事③無限なる健康

無限なる健康

この言葉が、長い間受け入れられませんでした。

持病で、毎日 薬を服用している自分が、果因説と言われても、無限なる健康とは思えませんでした。

究極の真理 我即神也を理解しているつもりでも、 

光明の言葉として、 「無限なる健康!」と、宣言しながらも、心のどこかでは、 私は健康ではない・・・と、受け入れていませんでした。



今回、子宮がんと言われ、全摘すると決まった時、(ステージ1でも全摘なのね。。。(^_^;))

私は、自分の肉体と真正面から向き合うことになりました。



肉体は、形の世界で生きるための器。「私」は肉体を借りてここで活動している。

と、同時に肉体の奥には、霊体、本体があり、 それらを統一しているのは「私」。



今、目に見えている肉体は、現象界で活動するための仮の住まい。

私の肉体の奥には、完璧な、大成就の姿があり 私が今、どんな病気であろうと、そんなこととは関係なく、今、この瞬間、私は無限なる健康 なのである。



肉体に感謝しつつ、肉体を超えた自分の奥の神性を認め、信じ続ける。

また一つ、扉が開いて宝物を呼び戻した♪・・・今、そんな気持ちでいます。



祈れること、印が組めることに、改めて感謝しているところです。


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# by mppoe-light | 2018-05-01 23:14 | どってことない話☆

この春の出来事☆☆2

手術は全摘になる・・・と言われ、 

子宮さんに申し訳ないことをした・・・と思い、謝りました。

「子宮さん、ごめんなさい。。。」(>_<) 


私の為に働いてくれていたのに、全摘という事態になって申し訳ないです。

そして、がん細胞さんにも謝りました。

細胞だって決してガンになりたい訳じゃないはずです。


がん細胞になるために生まれてきた訳じゃない。

私の中の何らかの理由があって、仕方なくがん細胞に変化してしまった。。。



肉体というのは、黙って静かにもくもくと働いてくれています。

主である私のために、法則に則って役目をはたしてくれます。

そして、肉体があるから私は地上で活動、働くことができるのです。
肉体さん、ありがとうございます。


こんな風に、肉体に感謝しながらも、気持ちは次第に

入院、手術……という、今後、直面する現実の方に傾いていきました。

摘出手術・・・

つまり生まれた時から、体に備わっていたものを無くすということに、

気持ちが揺れました。 
本来、体の中に在るべきものが、無くなって大丈夫なのかな。。。

胃下垂、内臓下垂なので、さらに臓器に負担がかかるんじゃないかな。。。

などなど、、、不安になると、次から次へと取り越し苦労が始まります。


いったい、この不安はなんなんだ!


究極の真理を学びながらも、私はなぜこんな風に肉体に(つまりは健康ということに)とらわれ、怖がってしまうのだ!



ここにきて、改めて「私」と肉体との関係に、真正面から向き合うことになりました。

それは、
肉体だけの問題ではなく、同時に形の世界=現象界についても真正面から向き合う・・・と言うことになりました。


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# by mppoe-light | 2018-04-15 21:57 | どってことない話☆

この春の出来事☆

この春、乳ガン(7ミリです)の手術を終えてから まる五年。 

おかげさまで再発することもなく無事に治療を卒業することになりました。祝! 自分でも再発は無い!と思ってたけれど、それでもやっぱり

おめでとう私~♪です。

………
この同じ日に、子宮がん検診MRIの検査も受けた私。

当初は婦人科の先生も私自身も、まぁ大丈夫だろうけど確認の為に・・・という軽い?気持ちでしたが、

MRI画像を見た先生の声が・・・・重い…………(;一_)



なんと

乳がん治療を卒業した同じ日に、バトンタッチするかのように、今度は

子宮がん患者に(まだ確定ではなかったけど)なった私。。。



検査のため、3月の講師錬成会もキャンセル。

手術ということで、SOPPも行けなくなりました。(T_T) ショック!



今のとこ、手術は全摘。 う~ん。。。悩むなぁ・・

おかげで、

自分と自分の肉体について、
さらには、

自分と形の世界について、

真正面から向き合う機会を得ることになりました。 

 つづく☆


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# by mppoe-light | 2018-04-10 21:15 | どってことない話☆

無条件で崇高で尊い”いのち”

私が想いを巡らし、たとえば、、過去の出来事を思い起こしている時、私は肉体にいない。
その時私がいるのは過去。私は過去に生き、否定的な感情を作りだし、否定的で限定された世界を創造している。


「今」に生きるとは、きっと「私」という意識がピッタリと肉体に納まり、

一致している状態。神性の私と統一している状態・・・

それは祈りの状態。我即神也。 いのちが素直に動こうとしている状態。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 ということ。



たとえその時、自分がどんなに厳しい状況下にあろうと、どんな環境に置かれていても、

我即神也を信じ、神性を信じ、すべては完璧、大成就を信じることができれば、

私は、神に繋がる「今」を生きているということになる。

きっとその時、いのちが光り輝き、私は本来の生き方をしている

肉体を通して、究極の真理を顕現している。



私達人類には、皆、生きる意味がある。目的がある。

“いのち”そのものを見れば、すべての人類が尊く、崇高な目的を持ち存在している。誰一人欠けることななく。

肉体を通して神性復活し、顕現するという崇高な目的。

一人一人の「私」という存在は、無条件で(この世的に何かを為し遂げたとか、人類の為にこれだけ尽くしたとか・・・、そういう判断、評価とは関係なく)崇高で尊い。

一人一人の“いのち”には大いなる意味がある。

「私」がここにいる・・・と言うことは、無条件で崇高で尊い。



今月、個人的に厳しいことがありましたが、そんな中、、

こんなことを考えておりました。


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# by mppoe-light | 2018-03-29 22:08 | 真理について思ったこと

今月の由佳先生の法話から

今月の由佳先生の法話から



ラダーシップとは、いかに自分を大きくし自我を満たしていくことではなく、自分を限りなく透明にしていく。そして必要な所に動き、陰となってどんな役目にも必要に応じて自分を変えていける。ラダーシップとはエゴの真逆で、自分を滅していき奉仕の精神で人のために働きつづける。

自分がなくなればなくなるほど、その中に人への愛と奉仕の精神が溢れてくる。

自我ではなく本来の自分――神性が満足し、一層輝いて行くあり方

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自分を限りなく透明にしていく。 
自我を空しくしていくことで、自動的に真我と繋がり、必然的にいのちそのまま光り輝き、無限なる愛が溢れてくる。

「私」という個は、そのまま全体を内包している。

そこに、自他と言う区別はなく、光そのもの一元の世界。

“奉仕”という言葉を聞くと、なんだか道徳的な固さ?を感じてしまうけど、

自分自身が、全体を内側に包み込んでいるのだから 「私」=全体

だから、必要な所に働き、陰となってどんな役目にも応じて自分を変えて行ける。

そう思いました。

”自分を限りなく透明にしていく”・・・素敵な言葉だな と思いました。


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# by mppoe-light | 2018-03-13 21:19 | 真理について思ったこと

自分を見つめるべき。。

外側の変化を期待する前に、自分の内側を見つめた方がいい。

外側で体験すること、現われることは、自分の内面の反映だから。

良い現われや良い体験を求めるなら、まず自分を見つめるべき。



いつも思います。世界平和を顕すのなら、

自分自身もおろそかにしてはいけないと。



自分を赦し、自分を愛する。我即神也に意識を向ける。

外側の日常から、一旦自分を切り離し、「私」を取り戻す。



なぜみんな、自分を見詰めて行こうとしないのか、自分を掘り下げようとしないのか、私は不思議でなりません。



今の瞬間、「私」を取り戻すとき、胸の扉が開いて心は広がり、軽くなります。

きっとそれは真理の扉。私はきっと宇宙とつながっている。

そう思うと、喜びがあふれてきます。存在することの感謝が湧いてきます。



世界の平和と個人の平和はつながっている。だから私の心と世界はつながっているのだと思います。



すべては完璧、欠けたるものなし、大成就


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# by mppoe-light | 2018-02-21 21:08 | 真理について思ったこと

目覚めの印のマニュアル解説から

以前から腑に落ちないのです。。。印マニュアル解説に書かれてあることが。

斜め前に両手(5本指)を開いていく

「天に神聖を求めてゆく」

円を描き、その球をやさしく支えるように受ける

「天から降りてきた神聖を受け取る」



マニュアルでは、「 」の意味をよく読んで理解して組むように、と指示してあります。



マニュアル通りにこの意味を理解すると、印を組む自分と本体の自分が分離しているような気がしてなりません。

私は本来、神の分御霊です。 私は私と言う意識があり、ここに存在している以上、私は常に本体と繋がっています。神性と一体です。

それを外側に求める、天に求める(天から降りてきた神聖を受け取る)・・・という解説が分かりません。

マニュアルに書かれた通り理解して印を組むと、自分自身と内なる神性が離れてしまい、凡夫の自分が天上界に神性を求めているような気がしてしまいます。



神聖は外側に求めるものではないはず。もともと備わっているものです。

本来、すべての人類が、我即神也、人類即神也なのだから。

今ここに70億の命があるのだから。


神聖を復活させるとは、意識を復活させること、本来の自分を思い出し、取り戻すこと。 

誰かが 私の神性を認めてくれるのではない、

私が自分で認めるもの、それが我即神也 



神聖復活目覚めの印は、私にとっては、前半が我即神也、後半が人類即神也です。 


両手を斜め前に上げ、丹田の前で球体を作る・・・とは、命を頂きここにいる私は神であるという自己宣言

その後、人類に神聖を放射する動きは、人類即神也であるという宣言



私は私流の理解で、神聖復活目覚めの印を組んでいきます。



すべては完璧、欠けたるものなし、大成就!


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# by mppoe-light | 2018-02-05 17:25 | 真理について思ったこと

二つの世界 二重の生活


目に入る現象世界は本物ではない世界。
それは、人間とは非神性だと信じて創り上げた、消えてゆく姿の世界。
有限の世界。因果の世界。



世界は、実は消えてゆく姿、色即是空で、だから空っぽなのだ・・・と思いながら、それを見ている私の心は「我即神也」を求め、向かっている。

私は、宇宙神とつながり、大成就の世界につながっている。



私と言う存在は、二つの世界に同時に存在しているようなものだな。。と感じました。

非神性の意識が創造した、社会のルール、世の中の常識の中に肉体を置きながら、

心は神性と通じている。

私は同時に二つの世界にいるのだと思います。

二重生活です。

 

究極の真理とはかけ離れた周囲の人々の会話や感情想念に関わっていると、

多くの人々の心が充たされず、荒んでいるのが感じられます。

みな自己評価が低く、無意味なこだわりや、不満を抱えながら、競い合っています。

みな心は重く辛そうに見えます。



みんなが自分の本質を知ったら、自分が本当は神聖なる存在であると知ったら、

あっという間に光り輝く笑顔を取り戻せるのに・・

心は充たされ、癒されるのに・・・



二つの世界に同時に住みながら、一足先に神聖復活しつつある私が、

次には神性を顕現して、 多くの人々を究極の真理へと導くのが私の仕事。


私の自己意識が上昇すればするほど、私と繋がる縁ある人が増え、

また私自身が増々光り輝き、それが人々の目覚めのベルを鳴らす。


私はこれから、二つの世界に同時に身を置きながら、肉体を媒体にして真理の光を放って生きていくのだな・・・と思いました。


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# by mppoe-light | 2018-01-19 22:14 | 真理について思ったこと

新年の指針から


祈り、印を組む際には、なるべく


“今、神性の「私」と繋がっている、統一している


と、思うように心掛けています。

出来れば、「今」に集中するように心掛けます。



ずいぶん前のことですが、

夕食をすませ、食器を洗って台所を片付けようと立ち上がった瞬間、

「私はこんなちっぽけな存在ではない」 という言葉が心に飛び込んできたことがありました。 
なんで突然に、それも食器を洗わなくちゃ。。と立ち上がった瞬間なのか・・・分かりませんが。。(^_^;)



ちっぽけな存在 とは、身長162㎝の肉体の私のこと。
現象界の出来事に一喜一憂するような、肉体世界がすべてだと思う私のことです。

でも、本来の私は決してそんなものではない。



私は本来 神の分御霊。

宇宙神につながる存在。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 した、大きな大きな存在。



私は、柔和で穏やかで平安で優しく、幸せで愛に充たされている。

私は、皆から愛され慕われ尊敬されている。

私の言動は、人々に幸せと平安と喜びをもたらしている。

私は常に美しく、輝かしく愛に満ちた神そのものである。

来る日も来る日も 神である私には幸せのみ、喜びのみ、平安のみ

輝ける生命そのもののみが顕れる。

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指針の中の

肉体界にいると同時に、神界、霊界で働いている・・・

この言葉が、私の神性復活・顕現を 支え、導いてくれるような気がします。

我即神也・人類即神也


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# by mppoe-light | 2018-01-06 14:12 | 真理について思ったこと

一気に真理の極みから臨んでいく 

一気に真理の極みから臨んでいく 祈りと印で


因縁因果の法則で生じた問題、有限の形の世界で生じた問題(個人・人類の)を、同じ法則の思考のまま、同じ世界観の思考のままに祈り印を組んでも真の解決にはならないということ。

真の解決とは、因縁因果を超えた真の創造、 神の創造を

現わすこと。 

それは、生じている問題を解決をするという想いを一旦退け、

自己意識を上げ、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 という原点から生きること、創造すること。

今回、この↓白光ノートを読んで、自分の「大成就」の認識が甘かったことに気づかされました。祈りの言霊として繰り返し宣言していても、信じきっていないことに改めて気づかされました。

16~17年と2年続けて新年の指針の内容は 「成就」についてでした。

指針の受け取り方が甘かったようです。反省☆

問題が世界各国の事であろうと、個人の事であろうと同じことである。神人は、問題解決のため祈り、印を組むことはしない。



これがどういう事なのか・・・、 多くの神人の方に読んで気が付いてほしいです。



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白光ノートから

  < 問題を解決するために祈らない、印を組まない>



『祈りや印を、その都度の問題解決策とのみ考えるならば、自らの意識レベルが、未だその問題そのものに把われ、集中したままであるので、なかなかそれ以上の高次元レベルには到達しない。』(04-02)

 問題がある国、地域を見つけて、その解決のために祈る。それは立派な行為のように見える。当然、他者からもそのように評価されたいものだ。少なくとも自己の満足は得られる。
しかし、神意識という高次元レベルに入るには、そのような祈りや印は邪魔なのである。問題が世界各国の事であろうと、個人の事であろうと同じことである。
神人は、問題解決のため祈り、印を組むことはしない。

『一気に真理の極みから臨んでゆくことである。今自分に生じている不幸や困難に対して、100パーセントの意識を集中し、その解決に向け奔走するのを一旦止めるのである。そして、自分の意識を高い真理にまで引き上げ、そこから自分を導いてゆくことである。』(01-11)

ここで言う「真理の極み」「高い真理」とは神意識の真理である。人間意識にとって真理と想われる真理ではない。
「我即神也」「人類即神也」の宣言文は、自分自身も人類そのものをも
『崇高なるものとして扱っている』(04-02)
「神意識の祈りや印は」、 『自らを輝かし、自らを尊び、敬い、愛し、慈しみ、また自らに感謝するための方法なのである』(04-02)

自分の本来の姿、人類の本来の姿。それは神そのものである。無限なる叡智、幸せ、平和、健康に満たされている。平和そのものである。
現象ではなく、その原点から事を始めるのである。

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# by mppoe-light | 2018-01-03 21:37 | ピタゴラスさん啓示録から