「私」の世界を成立させる☆

地球上の現象、出来事、常識、価値観、それが全部 人類の創造の産物。
その創造の基準は、
目に見える形のあるものが全てで、時間は過去、現在、未来と流れ、
正・負、善・悪で物事は判断され、評価される  というもの。

こんな基準、判断で、小さな地球から宇宙を眺めてみても、きっとそれは間違った宇宙像なんだろうな。。。なんて思いました。

「私」が、宇宙を大きく創造し発展させるために宇宙神から分かれた光の一筋の存在なのだから、私は自分を受け入れ、自分の価値を認めて行かなければならない と思いました。

自分自身を認め、愛してこそ、自分の真の世界が成立する気がします。私が認めたものが存在するのだから。 
自分の価値を認めず、愛さないと、心は“横取り”をし始めます。

自分の存在を、外部の評価、判断で委ねてしまい、自分自身の内側はどんどん空白になってしまう。空白になれば更に不安になり、ますます外側に自分を委ねてしまう。。。

自己否定をしてはいけない!  

否定すれば、自分の存在がなくなり、自分本来の真の世界もなくなり、ずっと因縁因果の回転の中に居続けることになってしまう。

無条件で自分を愛すること。無条件で自分の存在価値を認めること。 
それが「私」という意識を持っている者の本来の姿。

自分の世界を成立させ、広げていくために、
神性復活 をする。

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# by mppoe-light | 2016-11-23 21:20 | 真理について思ったこと

なくそうとするのではない。変容させる。


『戦争、紛争、闘争をなくすことが目的ではない。』(09-10)

『我々の真の目的は、ただ戦争をこの世からなくすことではない。ただ飢餓を解決することではない。ただ病気を治すことでもない。ただ政治や経済の発展に寄与することでもない。ただ天変地異を防ぐことでもない。ただ人類の苦しみや痛み、そして差別や対立を正すことでもない。ただ宗教間や人種・民族間の反目を調整することでもない。ただ一つの宗教理念、哲学、倫理を促すことでもない。』(09-11)

 『現在、引き起こされている戦争や紛争、テロや飢餓、貧困、差別、災害、疫病をなくすことには意味がない。表面的にこの状態を止めても全く無意味である。』(07-12)


真理はしばしば逆説的である。現象の世界を「消えてゆく姿」と見送ったところに、真理はある。その真理を現象界に呼び出そうとするのが真理の祈りである。
現象は真理を覆い隠す。されど、覆い隠すものをなくそうとすることは目的ではない。真理の祈りは神性と平和を現象界に呼び出そうとする。しかし、現象界のものをなくそうとはしない。
なくそうとはしないのだが、「消えてゆく姿」と見送ることによって、それは自ずと消えてゆく。


 何であれ、現われた物事を「消えてゆく姿」と見送ることは、その物事をなくそうとすることとは異なる。
「消えてゆく姿」と見送るとき、神性を信じている。なくそうとするとき、現象を信じている。
内なる神性を信じる者は、内なる神性を体験する。これは果因説の人生である。
現象を信じる者は、再び似たような現象を体験する。これは輪廻の人生である。
 

 果因説の人生の目的は内なる神性の顕現と世界平和の成就である。内なる世界では、それはもう成就している。成就しているから、「我即神也」「人類即神也」と宣言される。

我々がなすべきことは現実世界の創造である。創造は選択―決断・決定・決行によってなされる。
創造は何かをなくすこととは異なる。創造は個々人によってなされる。社会的なものも、国家的なものも、国際的のものも、地球規模のものすべては個々人によって創造されたものである。

果因説の創造は、因縁因果によって出来上がった何かをなくすことではない。当然のことだが、果因説の創造は、因縁因果によって将来起こり得ることを変容させてしまう。大難は小難に、小難は無難に、大難すら無難にしてしまう。

「白光ノート」 冷蔵菩薩 から

私達がなすべきことは 奥の根本的な解決。神性意識による方法。究極の方法。
それは、因縁因果で出来上がった現在の状況に手を加え修正していくのではないし、
因果説で出来上がった今の混乱している世界の仕組みを、おなじ因果説の思考で修正していくのではないはずです。そもそもそれらは本物ではないのだから。色即是空の「空」なのだから。

戦争や紛争、テロや飢餓、貧困、差別、災害、疫病をなくそうと努力しても因果説の思考のままでは、根本の解決にはならないし、一旦解決したかのように見えても、また元のように戦争や紛争、テロや飢餓、貧困、差別、災害、疫病を創り上げてしまう と思います。 

私たちが人類を真に救う為には、この世の苦悩は消えてゆく姿として処理し、
因果説を超えた、まったく新しいものを創造していく。
果因説の創造を地上に降ろす。
そのために個々人の意識を神性意識に上昇させていく。
そして
因縁因果によって将来起こり得ることを変容させて いく。
大難は小難に、小難は無難に、大難すら無難に

きっと、因縁因果の思考からすれば、”変容“は、奇跡に映るかも。
過去が変えられたように映るかもしれない。
神性はつねに完璧、欠けたるものなし、大成就。
よって過去はなく、カルマもないから。 

私はずいぶん前から、昌美先生が説かれる“変容”の意味が理解できませんでした。
 今回、この記事を読み、やっと理解できるようになりました。


この世の様々な厳しい現状を見ていると、辛く悲しく苦しいことがあります。でも、どんな人も本体は神界にあります。 
どんな人も神です。本体は燦然と光り輝き、すべて完璧、大成就されています。 
表面的な姿、様相だけを見て、感情的になってはいけないと思います。(私も気を付けます。(^_^;) 奥の本体を見逃すからです。 
可哀想だ、哀れだ・・・、という感情が度を過ぎると、その方の神性を否定していることになると思います。その方の奥には厳然と無限なる能力があるからです。
厳しく悲しい状況に生きることを選択したその方の魂の強さ、尊さの方を私は見つめていきたいと思います。

世界人類が平和でありますように 日本が平和でありますように
日本人即神也

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# by mppoe-light | 2016-09-28 17:27 | ピタゴラスさん啓示録から

私は何にでもなれるのかもしれない

 
本来、私は何にでもなれるのかもしれない。何にでもなっていくのかもしれない。

置かれた場に応じて、さまざまな「私」になれたらいいな、、と思いました。
大切なのは、その場が調和していて、美しい場になること。
究極の私の存在目的は、置かれた場を神聖な場にすること。(あくまでも究極の私ね(^_^;)
だから、突然上座に行く必要があるなら上座に、その直後、必要があるなら速やかに下座にも行く。

たとえば、
調和、平和と言う種を蒔き、それを育てるために、私は水になったり、太陽の日差しになったり、風にもなったり、雨にもなったり、
時には嫌な事、苦手な事にぶち当たって、エゴが不満を言うかもしれないけれど、
それは消えてゆく姿として処理し、
やがて調和、平和と言う果実が実ったら、みんなで分かち合い、みんな笑顔いっぱいで喜び合って祝福しあって・・・・(*^_^*)

故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、神の存在そのものなり。

今、疲れていても、悩んでいても、本来の私=我即神也はそんなこととは一切関係なく、
今ここに在る神性=私は、疲れることもなく悩むこともなく、ただただ神の扉を開放しつつ、無限なるものを地上へ降ろすことを願っている。
扉はいつも開いている。



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2016.8.長崎
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# by mppoe-light | 2016-09-13 21:11 | 真理について思ったこと

私という生命。

私という生命はいつもここに在ります。
だから安心して。私は光り輝く生命にいつも繋がっている。
私はいつも無限なるものに繋がっているから。 
生命は高貴で偉大で美しい。生命は宇宙神と繋がっていて、いつもいつも愛され、祝福されている。

私はすべてに満たされ、愛され、祝福され、燦然と輝く宇宙神とまったく一つに融け合う。

私が光り輝くと、世界も光輝いて見える。私が愛され祝福されていると信じると、世界も愛いっぱいであるんだ、、と思う。

本心の私は、地球上のすべての人を赦し愛してるはず。 私は本来、神の分霊だから。我即神也 だから。私は私の内奥で、すべての人を受け入れ、愛しているはず。

だから、置かれた場では、光り輝くような気持ちで物事にあたりたい。創造したい。
そう努力してやってみよう・・・と思いました。

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# by mppoe-light | 2016-08-22 17:05 | 真理について思ったこと

20%の中に飛び込む


私の目は、意識は、想いは、何を摑んでいるのか。。。
批判、非難、評価をしている時、私の意識は肉体人間側の観念に偏っている時。

本体の、神性の私は消えてゆく姿を理解しているので、相手の、どのような様相を見ても、
相手の神性を認め、人類即神也を顕すためのプロセスとして受け入れます。

批判、非難、評価をするとき、私は私を愛していません。 私を信じていません。
それは自分の神性を疑っている時。光を見落としているとき。

心して、自分を磨き高め上げること。 
つまり、自分の内に神性があること、自分はもともと我即神也。宇宙神の光の子であると自覚すること。 
宇宙神の直系であることを認め、信じること。 
五井先生の言われる20%の中に飛び込むこと。

五井先生は人間は誕生した時から運命は80%決まっている。
あとの20%で運命を変えていく、と説いておられます。

その20%といのはどういうことかというと、20%の未知の世界がある、これから作り上げていく世界がある、というわけです。

 80%まっくらだけど、20%光がさすところがある。それを窓口として、跳躍台として、無限に自由自在の世界に出る、ということなのです。つまり、自分の生命体が自由自在になる、そういう窓口が20%開いていて、あとの80%はもう決まっているのだ、というわけです。その窓口から出ていけば、自由自在の世界に出られるのです。

因縁因果をこえた人というのは、因縁とはなんの関係もなく、自由自在に生命を生かしていける。そういう人間になる道が20%の光の道としてあるわけです。20%の自由性がある。

 その因縁因果の波をこえた自由性の20%のところにつながれば、悪い運命であったとしても、それをこえて自由自在の世界に出られるんだ、ということなのです。
「悠々とした生き方」より

五井先生は因縁因果のカルマを浄めて自由自在なる・・・とは仰っていません。
因縁因果をこえる・・・と言われています。

20%へむかって、祈りで飛び込む。 
そして、光の窓口が見つかり開いてきたので、
次はいよいよその窓口を使って、天から光を降ろす。
それは神性を顕現すること、因縁因果の過去を超えた、新しい世界、神性世界を地上に創造すること。

光を通すことで、どんどんそれは広がる。 どんどん強い光が降りる。
光の道をつかみさえすれば、過去もない、カルマもない。

五井先生、昌美先生 ありがとうございます。
我即神也 人類即神也


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# by mppoe-light | 2016-08-20 17:00 | 真理について思ったこと

初心に帰って・・・ 我即光也☆

このごろ、、神性顕現へのモチベーションが低い。。。。
なぜもっと本気になって取り組まないんだろうか。。。
神性を復活させ、顕現していくことが天命であり、生きる目的なのに。
私ときたら、何を寝ぼけているんだろう。(+_+)
我即神也 我即光也!

私という命は、いつも、今までもこれからも、常に光り輝き、愛そのもの、真理そのもの、神の存在そのもの。いつも私はここに居るのに、見過ごしてしまう。

講師養成でお友達になったTさん、そのTさんのお友達に(もちろんお祈りの法友です)
霊的な方がおられるそうです。 (統一している時、お浄めしている時などに、何か見えたり、メッセージが伝わってくるのかなぁ・・・。 詳しいことは聞いていないけれど)、

何やらその方もお役目があってそういう能力?立場?に置かれているようです。
一般の法友さんの知らないところで、浄めの役目を持って働いておられるのだと思います。
まぁ、会員さんの中には様々な役目を持った方がおられ、
人に知られることもなく、こつこつと、ご自分の任された働きをなさっておられるのだと思います。

で、お友達になったTさんと、その霊的な法友の方とお二人で、私のことをお祈りしてお浄めして下さったそうです。(*^_^*)
その時、お浄めして下さった法友の方からのメッセージを、先日、Tさんが電話で伝えて下さいました。

その内容は、、、「自信を持って下さいね」 でした。
今、もう少しで越えることができる状態だそうで、 講師養成が終わるころには、残された薄皮一枚ほどのバリアー?(たぶん、捉われのこと)を越えることが出来るとか・・・。
講師養成が始ってから、徐々に変わってきているはず。
だから、自信を持って進んで下さい  という内容でした。

なんだか新年の指針のような・・・(●^o^●) もしかして、
守護霊、守護神さまのメッセージかも♪ 

とうことで、 講師養成も半分は終わりました。
最近ちょっと中だるみしていたかも?。(反省)。。。
メッセージが後押しになりました。 そのためのTさんとの出会いでもあったのかも?

初心に帰って、自分をもっと注意して見つめて行こうと思います。

我即神也 我即光也 我即光明也!

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# by mppoe-light | 2016-08-11 22:35

人類即神也の宣言文

人類即神也の宣言文を読み、終わりの部分を読みながら思いました。
これって、創造する事を宣言しているのだな…と。

いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず

なぜなら、それらはすべて消えてゆく姿だから。だから関知しない、認めない。
それらは本物の姿ではない、実在ではない。

創造力を持つ私たちの意識は、消えてゆく姿を掴んではいけない、本物と認めてはいけない。
認めるべきは、我即神也、人類即神也
そうすれば、私たちの意識は、神性顕現へと創造力を使っていることになる

人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組み続けるのである

それは地上天国のための創造、浄めてカルマを一掃してから地上天国がやって来るのではなく、
カルマは消えてゆく姿として処理し、私たちは天から頂き直す。
神の世界を地上に創造する。

そう思って宣言文を読みました。

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# by mppoe-light | 2016-07-23 21:21 | 真理について思ったこと

本来の生き方

今まで、私達は偽の自分を生きていて、偽物の人生を生きながら、偽物の世界を創り上げてきました。
それがこの世界のすべてだと思い込んで。
偽物の世界で生きることが最も重要だと思い込んでいるから、心はいつも現象世界の動きにとらわれる。
いつも過去、未来へ流れていく。

でも、真実は、今の世界は色即是空 ということ。 
実は、本物ではなく、偽物の世界であって、
本当に私たちが“生きること” とは、
今の現実は幻だと気づき、そこから目覚めること。
そして自分が何者であるのかを正しく認識すること。 
そして認識したら、本来の生き方に修正すること。
本来の生き方は、空即是色 の生き方。
神性復活、神性顕現の生き方。

先日の富士の行事で5次元が開いたとのこと。
神性復活からいよいよ神性顕現の道が本格的に開かれた・・・それが、5次元が開いた、ということなのか。。。。 まだ私達にはわからないけれど、
いよいよ人類の、地上天国への扉が開いたんだ ・・・と思いました。
人類即神也


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# by mppoe-light | 2016-07-06 15:40 | 真理について思ったこと

好き♪富士聖地♪LOVE

今年は富士に7回通います。 今月で3回目が終わりました。
そう、
講師養成コースです。

これまで まったく、ぜんぜん、ちっとも講師になろうなど思ったことはありませんでした。
再三、現講師の方からすすめられていましたが、 申し訳なかったけれど、いつもお断りしていました。 
ところが!  その気持ちは突然やってくるっ!
昨年、5月のSOPPから帰って、しばらくすると、
「富士に行きたいっ! また行きたい!」
と強く思うようになりました。

富士に7回通うことで自分をきちんと見つめ直したい。
そして何か得られるものがあるかも・・・ そう期待し、今年養成コースを受講することにしました。(●^o^●)

毎回行くのが楽しみです。 講座そのものが楽しいという訳ではないけど、
とにかく私は富士に行くのが好きみたいです。私だけじゃなく、みなさんそうだと思います。 

毎回、到着すると、お天気が良ければ、野外会場やピラミッドに行っては、印を組みます。
本館道場でも定時のお祈りや印が行われていますが、 外に出たいなぁ・・・と思って、野外会場やピラミッドまで上がります。

一回目から友達ができました。
九州の方で、地震の際は 私も気になってお電話して様子をうかがいました。 
まだ揺れが収まらず落ち着かれていない状況でしたが、生活に大切な水、電気は大丈夫とのこと。さすが祈りのメンバーです。(*^_^*)
しかし家庭のこと、そして交通機関のマヒで2回目は仕方なくお休み(>_<) されました。
そして養成コース3回目、 
3日前にメールがあり、今回から出席できるとのお知らせを下さいました。 
よかった よかった♪
養成コース当日は、富士聖地を往復するバスの中で、二人で、ずーーーーーーーーーーーっと おしゃべりしてました。(笑)

毎回 わくわくしながら富士に通っているのですが、これも12月で終了です。
来年は通えないのは寂しいなぁ。。。。 
ということで、
来年からは、SOPPだけじゃなく、その他の行事にも積極的に参加して行こうと思っています。

好き♪富士聖地♪LOVE


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# by mppoe-light | 2016-06-25 16:52 | どってことない話☆

相手の奥を観る

因果律の思考ってやっかいなものだなぁ・・・と思いました。
どうしても二元対立の視方になってしまうからです。
正しいと間違い 正か負か 上か下か 善か悪か・・・☆

消えてゆく姿で世界平和の祈り とは、“消えてゆく姿”という方法で、二元対立の因縁世界を抜け出して、果因説の神様の世界に心を投入する・・・と思っています。
そこは光一元の世界

因果律の思考では、物事の表面だけを見て判断しがちになります。相手の振る舞い、発言、行動を二元対立で判断し、評価する。すると それがまた因となり縁を作り、同じ場をぐるぐる回転しているだけになってしまいます。

果因説で世界を観ることとは、消えてゆく姿が大前提のような気がします。 つまり 本物とは我即神也 人類即神也 それ以外は消えてゆく姿 ということ。
それは、
眼に入る様相ではなく、その奥を見る。 相手の奥に内在する神性を認めること。

たとえ相手が、神とは程遠い消えてゆく姿を現わしていたとしても、真実は相手も神。

たとえ 相手(法友)が、世界平和を祈り、印を組んでいながら、それ以外で神とは思えない姿を現わしていても、祈り、印を組むその行為があるのだから、それは素晴らしいことではないか、
それを認めるべきではないか。 それ以外は消えてゆく姿なのだから、大した問題ではないのではないか。 
相手は、祈りや印で命を生かしているのだから。

今月の五井先生の 詩 「小さな魂 大きな魂」  から

小さな魂も大きな魂も
今はもう全く一つになって
世界平和の祈りの白光波動を
世界中にひゞかせているのである

人間にとって大切なのは、生命を生かしているのかどうか。
そう思うと、相手の(法友の)批判、非難、評価したくなる姿など、大したことではないのだな・・・と思うようになってきました。
五井先生、昌美先生が見ておられるのは、人が生命を生かしているかどうか。
どんなに未熟な人で至らない人でも、祈り、印を組む姿は素晴らしいことなんだ・・・と思うようになりました。






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# by mppoe-light | 2016-06-24 01:01 | 真理について思ったこと