私という生命。

私という生命はいつもここに在ります。
だから安心して。私は光り輝く生命にいつも繋がっている。
私はいつも無限なるものに繋がっているから。 
生命は高貴で偉大で美しい。生命は宇宙神と繋がっていて、いつもいつも愛され、祝福されている。

私はすべてに満たされ、愛され、祝福され、燦然と輝く宇宙神とまったく一つに融け合う。

私が光り輝くと、世界も光輝いて見える。私が愛され祝福されていると信じると、世界も愛いっぱいであるんだ、、と思う。

本心の私は、地球上のすべての人を赦し愛してるはず。 私は本来、神の分霊だから。我即神也 だから。私は私の内奥で、すべての人を受け入れ、愛しているはず。

だから、置かれた場では、光り輝くような気持ちで物事にあたりたい。創造したい。
そう努力してやってみよう・・・と思いました。

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# by mppoe-light | 2016-08-22 17:05 | 真理について思ったこと

20%の中に飛び込む


私の目は、意識は、想いは、何を摑んでいるのか。。。
批判、非難、評価をしている時、私の意識は肉体人間側の観念に偏っている時。

本体の、神性の私は消えてゆく姿を理解しているので、相手の、どのような様相を見ても、
相手の神性を認め、人類即神也を顕すためのプロセスとして受け入れます。

批判、非難、評価をするとき、私は私を愛していません。 私を信じていません。
それは自分の神性を疑っている時。光を見落としているとき。

心して、自分を磨き高め上げること。 
つまり、自分の内に神性があること、自分はもともと我即神也。宇宙神の光の子であると自覚すること。 
宇宙神の直系であることを認め、信じること。 
五井先生の言われる20%の中に飛び込むこと。

五井先生は人間は誕生した時から運命は80%決まっている。
あとの20%で運命を変えていく、と説いておられます。

その20%といのはどういうことかというと、20%の未知の世界がある、これから作り上げていく世界がある、というわけです。

 80%まっくらだけど、20%光がさすところがある。それを窓口として、跳躍台として、無限に自由自在の世界に出る、ということなのです。つまり、自分の生命体が自由自在になる、そういう窓口が20%開いていて、あとの80%はもう決まっているのだ、というわけです。その窓口から出ていけば、自由自在の世界に出られるのです。

因縁因果をこえた人というのは、因縁とはなんの関係もなく、自由自在に生命を生かしていける。そういう人間になる道が20%の光の道としてあるわけです。20%の自由性がある。

 その因縁因果の波をこえた自由性の20%のところにつながれば、悪い運命であったとしても、それをこえて自由自在の世界に出られるんだ、ということなのです。
「悠々とした生き方」より

五井先生は因縁因果のカルマを浄めて自由自在なる・・・とは仰っていません。
因縁因果をこえる・・・と言われています。

20%へむかって、祈りで飛び込む。 
そして、光の窓口が見つかり開いてきたので、
次はいよいよその窓口を使って、天から光を降ろす。
それは神性を顕現すること、因縁因果の過去を超えた、新しい世界、神性世界を地上に創造すること。

光を通すことで、どんどんそれは広がる。 どんどん強い光が降りる。
光の道をつかみさえすれば、過去もない、カルマもない。

五井先生、昌美先生 ありがとうございます。
我即神也 人類即神也


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# by mppoe-light | 2016-08-20 17:00 | 真理について思ったこと

初心に帰って・・・ 我即光也☆

このごろ、、神性顕現へのモチベーションが低い。。。。
なぜもっと本気になって取り組まないんだろうか。。。
神性を復活させ、顕現していくことが天命であり、生きる目的なのに。
私ときたら、何を寝ぼけているんだろう。(+_+)
我即神也 我即光也!

私という命は、いつも、今までもこれからも、常に光り輝き、愛そのもの、真理そのもの、神の存在そのもの。いつも私はここに居るのに、見過ごしてしまう。

講師養成でお友達になったTさん、そのTさんのお友達に(もちろんお祈りの法友です)
霊的な方がおられるそうです。 (統一している時、お浄めしている時などに、何か見えたり、メッセージが伝わってくるのかなぁ・・・。 詳しいことは聞いていないけれど)、

何やらその方もお役目があってそういう能力?立場?に置かれているようです。
一般の法友さんの知らないところで、浄めの役目を持って働いておられるのだと思います。
まぁ、会員さんの中には様々な役目を持った方がおられ、
人に知られることもなく、こつこつと、ご自分の任された働きをなさっておられるのだと思います。

で、お友達になったTさんと、その霊的な法友の方とお二人で、私のことをお祈りしてお浄めして下さったそうです。(*^_^*)
その時、お浄めして下さった法友の方からのメッセージを、先日、Tさんが電話で伝えて下さいました。

その内容は、、、「自信を持って下さいね」 でした。
今、もう少しで越えることができる状態だそうで、 講師養成が終わるころには、残された薄皮一枚ほどのバリアー?(たぶん、捉われのこと)を越えることが出来るとか・・・。
講師養成が始ってから、徐々に変わってきているはず。
だから、自信を持って進んで下さい  という内容でした。

なんだか新年の指針のような・・・(●^o^●) もしかして、
守護霊、守護神さまのメッセージかも♪ 

とうことで、 講師養成も半分は終わりました。
最近ちょっと中だるみしていたかも?。(反省)。。。
メッセージが後押しになりました。 そのためのTさんとの出会いでもあったのかも?

初心に帰って、自分をもっと注意して見つめて行こうと思います。

我即神也 我即光也 我即光明也!

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# by mppoe-light | 2016-08-11 22:35

人類即神也の宣言文

人類即神也の宣言文を読み、終わりの部分を読みながら思いました。
これって、創造する事を宣言しているのだな…と。

いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず

なぜなら、それらはすべて消えてゆく姿だから。だから関知しない、認めない。
それらは本物の姿ではない、実在ではない。

創造力を持つ私たちの意識は、消えてゆく姿を掴んではいけない、本物と認めてはいけない。
認めるべきは、我即神也、人類即神也
そうすれば、私たちの意識は、神性顕現へと創造力を使っていることになる

人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組み続けるのである

それは地上天国のための創造、浄めてカルマを一掃してから地上天国がやって来るのではなく、
カルマは消えてゆく姿として処理し、私たちは天から頂き直す。
神の世界を地上に創造する。

そう思って宣言文を読みました。

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# by mppoe-light | 2016-07-23 21:21 | 真理について思ったこと

本来の生き方

今まで、私達は偽の自分を生きていて、偽物の人生を生きながら、偽物の世界を創り上げてきました。
それがこの世界のすべてだと思い込んで。
偽物の世界で生きることが最も重要だと思い込んでいるから、心はいつも現象世界の動きにとらわれる。
いつも過去、未来へ流れていく。

でも、真実は、今の世界は色即是空 ということ。 
実は、本物ではなく、偽物の世界であって、
本当に私たちが“生きること” とは、
今の現実は幻だと気づき、そこから目覚めること。
そして自分が何者であるのかを正しく認識すること。 
そして認識したら、本来の生き方に修正すること。
本来の生き方は、空即是色 の生き方。
神性復活、神性顕現の生き方。

先日の富士の行事で5次元が開いたとのこと。
神性復活からいよいよ神性顕現の道が本格的に開かれた・・・それが、5次元が開いた、ということなのか。。。。 まだ私達にはわからないけれど、
いよいよ人類の、地上天国への扉が開いたんだ ・・・と思いました。
人類即神也


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# by mppoe-light | 2016-07-06 15:40 | 真理について思ったこと

好き♪富士聖地♪LOVE

今年は富士に7回通います。 今月で3回目が終わりました。
そう、
講師養成コースです。

これまで まったく、ぜんぜん、ちっとも講師になろうなど思ったことはありませんでした。
再三、現講師の方からすすめられていましたが、 申し訳なかったけれど、いつもお断りしていました。 
ところが!  その気持ちは突然やってくるっ!
昨年、5月のSOPPから帰って、しばらくすると、
「富士に行きたいっ! また行きたい!」
と強く思うようになりました。

富士に7回通うことで自分をきちんと見つめ直したい。
そして何か得られるものがあるかも・・・ そう期待し、今年養成コースを受講することにしました。(●^o^●)

毎回行くのが楽しみです。 講座そのものが楽しいという訳ではないけど、
とにかく私は富士に行くのが好きみたいです。私だけじゃなく、みなさんそうだと思います。 

毎回、到着すると、お天気が良ければ、野外会場やピラミッドに行っては、印を組みます。
本館道場でも定時のお祈りや印が行われていますが、 外に出たいなぁ・・・と思って、野外会場やピラミッドまで上がります。

一回目から友達ができました。
九州の方で、地震の際は 私も気になってお電話して様子をうかがいました。 
まだ揺れが収まらず落ち着かれていない状況でしたが、生活に大切な水、電気は大丈夫とのこと。さすが祈りのメンバーです。(*^_^*)
しかし家庭のこと、そして交通機関のマヒで2回目は仕方なくお休み(>_<) されました。
そして養成コース3回目、 
3日前にメールがあり、今回から出席できるとのお知らせを下さいました。 
よかった よかった♪
養成コース当日は、富士聖地を往復するバスの中で、二人で、ずーーーーーーーーーーーっと おしゃべりしてました。(笑)

毎回 わくわくしながら富士に通っているのですが、これも12月で終了です。
来年は通えないのは寂しいなぁ。。。。 
ということで、
来年からは、SOPPだけじゃなく、その他の行事にも積極的に参加して行こうと思っています。

好き♪富士聖地♪LOVE


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# by mppoe-light | 2016-06-25 16:52 | どってことない話☆

相手の奥を観る

因果律の思考ってやっかいなものだなぁ・・・と思いました。
どうしても二元対立の視方になってしまうからです。
正しいと間違い 正か負か 上か下か 善か悪か・・・☆

消えてゆく姿で世界平和の祈り とは、“消えてゆく姿”という方法で、二元対立の因縁世界を抜け出して、果因説の神様の世界に心を投入する・・・と思っています。
そこは光一元の世界

因果律の思考では、物事の表面だけを見て判断しがちになります。相手の振る舞い、発言、行動を二元対立で判断し、評価する。すると それがまた因となり縁を作り、同じ場をぐるぐる回転しているだけになってしまいます。

果因説で世界を観ることとは、消えてゆく姿が大前提のような気がします。 つまり 本物とは我即神也 人類即神也 それ以外は消えてゆく姿 ということ。
それは、
眼に入る様相ではなく、その奥を見る。 相手の奥に内在する神性を認めること。

たとえ相手が、神とは程遠い消えてゆく姿を現わしていたとしても、真実は相手も神。

たとえ 相手(法友)が、世界平和を祈り、印を組んでいながら、それ以外で神とは思えない姿を現わしていても、祈り、印を組むその行為があるのだから、それは素晴らしいことではないか、
それを認めるべきではないか。 それ以外は消えてゆく姿なのだから、大した問題ではないのではないか。 
相手は、祈りや印で命を生かしているのだから。

今月の五井先生の 詩 「小さな魂 大きな魂」  から

小さな魂も大きな魂も
今はもう全く一つになって
世界平和の祈りの白光波動を
世界中にひゞかせているのである

人間にとって大切なのは、生命を生かしているのかどうか。
そう思うと、相手の(法友の)批判、非難、評価したくなる姿など、大したことではないのだな・・・と思うようになってきました。
五井先生、昌美先生が見ておられるのは、人が生命を生かしているかどうか。
どんなに未熟な人で至らない人でも、祈り、印を組む姿は素晴らしいことなんだ・・・と思うようになりました。






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# by mppoe-light | 2016-06-24 01:01 | 真理について思ったこと

神さまの作品



私の選択、決定によって決められ発せられる言葉、想念、行為。それが今の私の姿、容姿になって表現されている。
今、自分はどんな姿を表現しているのだろうか。 純粋で、清らかで、美しく輝いた姿を表現しているのだろうか。 調和した言動を表現しているだろうか。。。

私の姿は神さまの作品 と言ってもいいのかも。 神さまの作品ではあるけども、
決めるのは私自身。 すべて私に任されている。
私が私自身のことを 神性はなく、ただの肉体だけの人間と想い、選択・決定した言葉、想念、行為ならば、その時の私は 愛薄い輝きの無い神さまの作品。
私が私自身の神性を信じ、それを顕そうと思い、選択・決定したならば、その時の私は 愛深く光り輝く本来の神さまの作品。
私は、神さまの無限の可能性を使って、自由に自分自身を創造している。

今はもう、
自分の神性を信じることに、喜びと、平和と、幸せを感じていて、神性の中に至福があることに気づき始めているから、 もう後戻りはしません。 
私は我即神也 人類即神也、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就を選択し創造します。 その結果、顕れる、「私」という個性を持った聖なる姿。

私はこれから どんな「私」を(作品を)創造していこうか。
私の姿は常に私自身が決めています。 だから、いつも真理を想い、求め、真理とともに生きることを忘れないようにしたい と思いました。


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# by mppoe-light | 2016-05-31 21:34 | 真理について思ったこと

「愛すること」から

  
 『愛すること』 から

<真実に自分を愛する人は・・・>
真実に自分を愛する人は、人間の本性を探究してゆく心の強い人です。あらゆる欲望感情に把われず、正しい真理の道を自己のものにしようとして努力するものです。

<真実の「今」>
変化変滅し、消え去ってゆく、この人生を唯一と信じて生きている愚かさから、脱却して、改めてこの人生を見直さなければいけません。 神のみ心とつながっている一瞬一瞬が、過去、現在、未来という、業性の現象社会を超えた、真実の「今」でありまして、その今を生かしきってゆくことによって、人類は真に地上天国を現出することができるのであります。
真実の今、宗教的にいう今というのは、一瞬一瞬で消え去ってしまう今ではなく、神のみ心と縦につながって、永遠の今として、光を放っている今なのです。今が一瞬ではなく、神につながった一瞬から、永遠の今として、宇宙にひびきを放ちつづける今となるのです。

<永遠の今を生かす>
今人間が自らの想念行為によってつくっている運命は、それは未来に現われるべき運命なのです。こうして過去、現在、未来の想念が、過去の想念行為が現在の運命の根幹になり、現在は未来の運命の基となるというように、輪廻してゆきますので、どこかで、この輪廻を断たなければ、人類は自由自在に神のみ心を現わすことができないのです。

<祈りの生活>
祈るということは、常に神との交流をしているということで、常に神の子である本心を開いているということなのであります。


神のみ心とつながること。 
自分は神ではないという想念行為から生じた輪廻から抜け出し、神さまとつながる。
人間は本来神の分御霊であり、神性であると認め、信じること。
そのための消えてゆく姿の行であり、我即神也 人類即神也の宣言、印、そして、「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」という言霊。

毎日欠かさず祈り、印を組むことが大切だと思います。 
祈り心で生活することが大切だと思います。
なぜなら、真理を常に身近に、自分の中に置いておかなければ、業想念の波から抜け出し神性とつながることが難しくなるから。  祈り心が本来の人間の生き方だから。。
自分の神性を強く信じればこそ、日常の業想念の中で、消えてゆく姿を行じることが出来ます。

業想念を消し去ってから神性が顕れるのではない。もともと私たちは神そのもの。
それを認めることで、業想念の輪廻から離れ、神さまと縦につながる。
神とつながった一瞬から、永遠の今として、世界に光を放ちつづけることができる。

毎日、祈り、印を継続しているものの、五井先生の教えの 祈りの生活には到っていません。(p_-)シクシク。。。
いつもいつも心の中に、片時も離さず神さまをおいておけるようになりたいです。



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# by mppoe-light | 2016-05-21 22:05 | 真理について思ったこと

「心についての問答」から

「阿難」の中の 心についての問答  の、ほんの一部分、
 本心と業想念を区別して考えることを説明しておられる部分です。

心についての問答

「阿難よ、おまえの心も私の心も同じだと思うし、天の倫理も同じに働くと思うが、おまえは私の法話のどこがよくて発心を興したのかな。どうして、世間の深い恩愛を捨てて
出家したのかな 」

「阿難よ、その答えも真実ではない、覚知する心と分別する心とは一つのものではない。覚知する心とは本心であり、分別したり認識したりする心は因縁性の想念である。
直覚し、知覚するのは無死無生の心、空の低にある無限の心と等しき心、仏と一つの心であり、眼で見、耳で聞き、想いで分別し、認識しようとする心、善悪を判断しようとする心等々は、すべて仏の心、自然の心に相反する業因縁の心である」

「おまえは常に如来と相対する時は、どういう心でいるのか?」

       「如来に対します阿難は、勿論、本心の阿難でござります。
        業は如来に相対することは出来ません」

「それでは、常に如来と倶にいる心、如来と相対する心でいられれば、阿難は、本心そのままでいられるわけであるな?」

「左様かと存じます」

「では再びいうが、昨日迄の出来事は、すべておまえの無明のなせるわざ。
けっしておまえの本心が傷ついたわけでもなければ、おまえ自体が駄目であったというわけでもない。おまえの本心は、依然汚れず痛まず、真玉の如く輝きわたっているのである。」
***********************

「おまえは常に如来と相対する時は、どういう心でいるのか?」

「如来に対します阿難は、勿論、本心の阿難でござります。業は如来に相対することは出来ません」

業想念の私は神性と向き合うことはない!できない!我即神也を自覚するのは真の「私」が神性だからこそ。
自分の中の神性をもっと強く認め、信じて、いつも自分の中に 我即神也 を置いておけるよう意識して生活しなければ・・・☆

神のみ心を離れて、我々に救いがあると思ってはいけません。他に何一つ救いはないのです。
なぜならば、この世に実在するのは神と神につながる生命のみであり、その他はみな消えてゆく姿だからです。

神のみ心とつながっている一瞬一瞬が、過去、現在、未来という、業性の現象社会を超えた、真実の「今」でありまして、その今を生かしきってゆくことによって、人類は真に地上天国を現出することができるのであります。

<愛すること> から

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就

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# by mppoe-light | 2016-05-05 22:52 | 真理について思ったこと