私の意識は・・・☆

毎日の生活の中で、私の意識は上昇したり下降したりしています。

現象の動きに目を奪われ、心の中が否定的な感情想念になっているとき、

私の意識は落ちています。

つまり目の前のことを、消えてゆく姿と観じて処理をしていないとき、です。


我に返り、肉体人間観の私をやめ、我即神也 の私に戻ろうと努力をします。

しかし、

頭でそう思ってもすぐに切り替えられるわけではありません。

祈って宣言して印を組んで・・・・・・

自分を見つめ、自分を掘り下げ、自分に問いただす。

私な何なのか、何者なのか、何のため今ここにいるのか。


思い通りに自分の感情をコントロールできない不甲斐なさに自分を責めてみたり・・・・、でもそれも消えてゆく姿。

自分を見つめ、固定観念を排除し、私に残るのは、永遠の生命「我即神也」。


私は、法友の人たちと真理の取り組み方が違うようです。

法友の人たちの人類に向けた活発な平和活動に比べ、

私はどうしても内向きのようです。

時々、私はこのままでいいのかな・・・と思う事もありました。

けれど、 

私は自分を掘り下げてみたい。自分の神性に意識を向けると、心は広がり安堵感と幸福感に包まれます。

発見もあり、それが面白くもあるから。 


だから、

私は私のやり方で真理を体得して行きたいと思います。

こういったことを、法友とシェアできないことは残念ですが、

でも、今まで通りこれからも、出来ればもっと深く、

「私」を見つめて行こうと思います。

我即神也 大成就




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# by mppoe-light | 2017-02-07 23:04 | 真理について思ったこと

私の世界

私の世界

「私」という永遠の生命、永遠の意識、「私」が在るから世界は在る。宇宙は在る。

真理は「私」の中にある。「私」を通して真理は現われる。

すべては「私」から始まっている。

そう思うだけで、心が大きく広がり、感謝と喜びが湧いてきます。

「私」は常に創造をしている。 どのような創造か、それは

「私」の心模様がそのまま創造される。

今、この瞬間「私」は何を感じ、どんな想いでいるか。

私の心は澄み切った青空だろうか、それとも重い雲が覆っているのだろうか。 

それは「私」が何を信じ、認めているかで変化する。

自分自身に問いかけてみる。 いま自分はどのような世界を創造しているか。

青く澄みきった青空のような心の時、私はきっと輝いているのだと思う。

「私」はこれまで一度も神性から離れたことはなかったはず。

常に我即神也であったはず。 だから堂々と神性を認める。

遠慮しないで自分を赦し、我即神也を認める。

すると自然に自分が愛おしくなる。自分が素晴らしいと思える。

同時に、人も愛おしくなり、人の神性も認めることができ、

嬉しくなり、私の世界は光が満ちてくる。


「私」は在る。「私」はここにいる。 素晴らしい!ありがとう!






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# by mppoe-light | 2017-02-05 23:16 | 真理について思ったこと

「大成就」の言葉が・・・

 
「宗教問答」 から 

神様の世界をこの地上に現わす邪魔をしているのは、自己をはじめ人類の業想念、神性否定の想いであるのですから、この業想念を神様の世界に投げ入れて、この業想念に把われなくなってしまえば、把われなくなった人や場所だけ地上天国が出来るのです。

真実自分を愛することを真剣に考える人は、自分の生命を無駄にすることはとても出来ません。自分の生命を出来る限り生かし切りたい、という気持ちにどうしてもなってくるのです。
つまり自分を出し切ることに積極的になってくるのです。
これは活気となり陽気となり、魅力ともなってくるのです。

神の世界に想念が入っていない以上は、苦界ともいうべき三界の輪廻転生は止まないですから、いちはやく神の世界に飛びこんで、輪廻の世界を逃れ、自由自在心をもって、光明世界に住することが一番だと思います。神界や霊界の上位は貧老病苦のない世界であり、明るい無限の進歩だけがある世界なのであるからです。

私が何故消えてゆく姿の教えを説いているかと申しますと、人間の真実の姿、神と一つにつながっている神の子の姿を、この世に現わすために説いているのでありまして、
(省略・・) 
ただ実在するものは、神のみ光であり、神のみ心であり、神の理念のみである、という真理があるからであります。


こうやって五井先生のご著書を読んでいると、
消えてゆく姿で世界平和の祈りから我即神也、人類即神也へと指導が進んでいった理由がよく理解できます。そして五井先生昌美先生の指導がとてもとても素晴らしく有り難いものだと感じます。

迷いとは真の自分を忘れてしまったこと。 真の自分とは我即神也。
これを思い出させるために五井先生や神々様は、少しずつ少しずつ私たちの内に眠る神性を呼び起こし、目覚めさせて下さいました。

神性復活、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就
今、この言葉を繰り返していると、大成就が自分の胸の中に染み込み広がっていく気がしています。
私は進化すると思います。


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# by mppoe-light | 2017-01-20 22:33 | 真理について思ったこと

自分自身を疎かにしないこと


「宗教問答」 から

宗教とは、人間の真実の姿を知らせる教えであります。人間の真実の姿とは、
神と等しいものであり、完全円満なものなのであって、不和や、恐怖のあるものではないのである。不和や恐怖のような想念行為は、すべて人間の真性を知らぬとこりから起こってくるものであって、人間の真性を知るに従って消え去ってゆくものである、

神はすべての智慧なのでありますから、一人の人間でもけっして無駄に創ることはありません。ですから、何人も天命(神の使命)をもってこの世に生まれてきているのです。

素直とは素(もと)に直(なお)くある、ということで、素(元)即ち、神に直くあれ、
正しくあれ、神に真っ直ぐにつながれ、ということであります。

運命を変える為には、その人が、現在までの物の考え方、行い方などの習性を改めなければなりません。これはその人一人ではとても出来難いことなので、その為の指導者は是非必要です。

以前から気になっていたことがあります。 祈っているのに良くならない とか、
ただたくさん祈っていることや印を組んでいることだけで終わってしまう方がおられます。

ただ祈るから良くなるのではなく、 祈ることで自分の神性(真性)を知り、つながりることで、自分の内面が変わるから自分の運命も人生も好転していくのだと私は思っています。 つまり現在までの物の考え方、行い方などの習性を改め ることで運命は好転するのだと思います。

また、私たちは 究極の真理を学び、我即神也と自分の神性をつかむのですから、因縁因果を超えて、本体から来る大成就を達成することが出来るはずです。

祈る時も、印を組むときも、意識が大切だと思います。
自分自身が何者であり、何のためにここにいるのか。

外側に向かって世界平和の活動をすることは重要です。でも
そこで驕ってはいけない。自分自身を疎かにしないこと。どのような場合でも自分自身と向き合うことを忘れないこと。 
平和の活動をしていることは、自分を愛し、認める支えにはなりますが、だからと言って他の人も同じ神の子。何も差はありません。 差があるとすれば、
私たちは無条件で神の子、宇宙神とつながる光の子である ということに気づいたかどうかの違いです。

積極的に人類の為に貢献し、平和の為に活動するということは、先に究極の真理につながった者の役目、当然の使命なのだと思います。


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# by mppoe-light | 2017-01-15 22:48 | 真理について思ったこと

2017 新年の指針


新年の指針を頂きました。
今年の指針は・・・
長いなぁ・・ 4行もあるっ!!

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「 ―あなたの望みは叶えられる」
私の望みとは何だろうか・・・と考えてしまいました。
そして、
今現在、私が祈り、印を組むのは何故なのだろうか・・と考えることになりました。

入会して21年 その間、祈りや印の素晴らしさを体験してきました。
21年の間に小さな気づきを繰り返し、私の内側は大きく変化していると思います。
「私」という人間は同じであるのに、五井先生の祈りに繋がる前と今では、だいぶ違う「私」になっています。 私は自分の体験で内面を変革させました。

身近に頼れる先生がいないことも良かったのだと思います。
依存しては内面の自己改革は時間がかかる・・と思います。
答えは自分の中から絞り出して行かなければ。。。厳しいけれど、これは今でも私が自分自身に言い聞かせていることでもあります。 苦しくても、痛くても、食事が摂れなくなっても、部屋の中を這って移動する状態であっても、
私にあったのは祈りと「五井先生!」と呼ぶことだけでした。 
と、・・・・・・過去のことはさておき・・・(^^;)

毎日、祈り、宣言をし、印を組み続けています。それは何故か。
私の内側が真理を求めているからだと思います。
今、私の望みは、 さらに真理を掘り下げること。究極の真理を体得していくこと。
そして、私の周りの人たちが真理に目覚めること。

勇気を出して挑戦し、成就を体験する。
その体験が神性復活から顕現へと私を導いてくれるのだ と指針を読んで思いました。

すべては完璧 欠けたるものなし 大成就

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# by mppoe-light | 2017-01-05 22:39 | 真理について思ったこと

「私」が在ること

「私」が在るから世界が在り、そこで私は様々な体験をしています。
世界があればこそ、いろいろな気持ちを実感します。

もし「私」が無くなったら・・・あっという間に真っ暗な闇になってしまいます。何も存在しない無の世界、 いえ、世界と表現することもできない。無、無。(無限なる光明!) 
そう思ったら、自分が在ることが、「私」という意識があることが素晴らしいことなんだ と思いました。 かけがえのない「私」。無限の生命を与えられた「私」。今現在、どのような状況、環境に置かれようと、「私」が在ることが素晴らしいことなのではないか、と思いました。みんな消えてゆく姿なのだから、本物ではないのだから。。
だから、
何物も何者も、否定してはいけないんだと思います。
否定することは、存在を認めない・・・と言うこと。 “否定”とは存在するものを無くそうとすること。
在るものを無くしてはいけない。無にしてはいけない。
偽物に見えるものは消えてゆき、本物は常にあり、永遠なのだから。

もう少し勇気を出して、消えてゆく姿に流されないようにしよう。
自分が何者であるか(我即神也)を離さないようにしよう。
私(私達)は、常に宇宙から愛され、祝福されている。
だから大丈夫!
良かったね。おめでとう。
すべては完璧、欠けたるものなし、大成就

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# by mppoe-light | 2016-12-24 22:40 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から 4)



「天と地をつなぐ者」から☆

天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることも、その時はっきり認識した。一真実行がついに百知を超えて、自己の本体を直接把握し得たのである。
天に昇ったということは自己の内奥深く入っていった、ということと同一なのである。

人間は全く大神の個別的現われなのである。輝きわたる一つ一つの星のような存在である。

地上界に写し出されている人間たちが、写し出されているそのままの姿で、自己の任務に一心を集中していれば、人類は苦しみも悩みもなく、地上天国の実現をみることができるであるが、
写し出された投影である人間が、天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて、自他の利害を区別し、天かくる光(内奥から発光する光)を遮断し、おおってしまいつつあるのである。

人間という者が、日常自己だと思っている肉体的自己は、実はしっかりした本体をもたない泡沫のような、想念の波であり諸行無常的、砂上の楼閣的存在なのである。


人間内奥に輝く本体の光、天に輝く真我(直霊)の光を直接地上に輝かせなければ地上天国はできあがらない。
そこで私は本体の光を輝かせながら、五感にみえる業因縁的存在はすべて消えてゆく姿なのですよ、と説きつづけているのである。

一日も早く肉体が業因縁的想念の器でなく、光の器、真我(神)の器となることが、自己も救われ、人類も救われるということを、はっきり一般の人に認識させることが私の天命なのである。


**************************
我即神也   私達は本来、神 大神の個別的現われ
だから完璧、欠けたるものなく、大成就している。
でも、人類は天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて
、本来の任務である地上天国創造をしてこなかった。
神性を忘れた肉体的自己は砂上の楼閣のようなもの。 肉体的自己の想いが真我からくる光を遮ってしまい人類は業因縁の器になっている。
業想念の器のままでは救われない。地上天国は創造されない。

人間の真の姿を知り(我即神也)、祈り、言霊を発し、印を組み、光の器になる。

神性復活=神性顕現。 本来の自己を取り戻し、光の器として働く時。

我即神也 人類即神也


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# by mppoe-light | 2016-12-13 21:26 | 真理について思ったこと

Mt.富士☆


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昨日はよいお天気で、富士山も綺麗でした。 祈りの丘で写真を撮影♪
撮影後に写真を見て、黒い物を発見しました。 鳥?もしかして・・・?

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拡大してみました。

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この写真以外にも もう一枚、鳥の下に なんだか黒くて丸い物が。。

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これはUFOなのだ~っっ! と、言い張っている私です。 ぐふふ♪


講師養成コース終了し、 昨日、任命書を頂きました。昌美先生のご法話に感動し、感謝しました。
「私」という意識をしっかり持って、地に足をつけた生き方をしたいと思いました。

世界人類が平和でありますように  人類即神也

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# by mppoe-light | 2016-12-12 15:29 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から3)

“自由身への前進” の中で、霊側からのさまざまな問答の場面から

「人間世界の苦しみを救うにはどうすればよいのか?」

「人間の本体を知らせ、神の理念を知らせることです」

「他の人にはどう教えるのだ?」

「人間の本体が肉体にあるのではなく、神としてこの宇宙で自由自在に働いているのだから、自己の肉体的な業(カルマ)の想いでお願いするような卑屈な気持ちではなく、
自分の本体から宣言するような心で、世界人類の平和の祈りをしなさいと教えます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20数年前、初めて我即神也の印が降りた頃、
昌美先生は、我即神也の姿として黄金の天使像をイメージしなさい、というお話をされていたとように覚えています。
それを聞いた時、当時の私にはまったく想像できないものでした。しかし、「天と地をつなぐ者」を読み直し、五井先生が神我一体され、釈迦牟尼世尊と対面する場面を読んだとき、「このことか…!」、と思いました。

やはり本体はあるのです。神界に厳然と存在するのです。
肉体の「私」と神性の「私」は別々のようであるけれど、実は一つに繋がった「私」という意識であり、我即神也の宣言はそのことを言っているのだと思います。
今私は、神界の「私」を“黄金の天使像”としてイメージして祈るようにしています。


世界人類が平和でありますように 人類即神也
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# by mppoe-light | 2016-12-04 21:54 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から (2)

本文から

「自分だけが救われて、それでよいのなら、その頃の私の心境でも救われていた感じである。いわゆる仏教でいう往相の悟りになっていたのではなかろうか。
なぜならば、私自身としては、すべてに対して、なんの不足も不満もなく、天地宇宙に対して、ただただ感謝感謝の日々であったからである。神にまかせきった自由な心境であったのだ、
自己のための自己はもうすでにない気やすさは、そのまま還相として、人類世界の苦難、小さくは日本の苦悩を真正面に受けて立つ環境に自らをおかずにはいられない。
日本の苦しみは自分の苦しみであり、人類の悩みは、やはり自己につづいているのを、はっきりと感じるのである。
 自己はない。ない自己のおかれた立場は、日本であり、人類世界である。」


五井先生の気高さ、偉大さ!

自分を極め、内奥に入れば入るほど、「私」という意識は、大きくなり、日本・世界人類=「私」と感じるようになる・・・


日本のため、人類のため 自分の命を投げ出す・・・、としても、
そのためにその場限りで一度に命を投げ出し死ぬのはたいしたことではないのかも・・・と思いました。
それよりも、
この世界で肉体を器に生き、(肉体を持つということは、痛み苦しみを感じるということ。)どんな困難な状況になっても、人類を救うために(人間は本来神の分霊であることを知らせるために)全責任を持って働き続けて行くこと・・・
これは並大抵のことではない、と思います。

五井先生が神我一体され、神界にて釈迦牟尼世尊、イエスキリストと会われた時の五井先生の言葉から、責任の大きさ、重さが感じられ、心に突き刺さるようでした。

「光り輝く中から金色の十字架を背負ったイエスキリストが現われたとみるまに、私の体中に真向から突入してきて消えた。その時、“汝はキリストと同体なり”という声が、激しく耳に残った。
私のその朝の瞑想は、その声を耳底に残したまま終わってしまった。
私は深い感動というより、痛いほどの使命観を胸底深く感じていた。
そのことが単なる幻想でないことを私の魂が、はっきり知っていた。
“汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし” という内奥の声を、はっきり聞いていたからである。」

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# by mppoe-light | 2016-12-02 22:25 | 真理について思ったこと