2017 新年の指針


新年の指針を頂きました。
今年の指針は・・・
長いなぁ・・ 4行もあるっ!!

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「 ―あなたの望みは叶えられる」
私の望みとは何だろうか・・・と考えてしまいました。
そして、
今現在、私が祈り、印を組むのは何故なのだろうか・・と考えることになりました。

入会して21年 その間、祈りや印の素晴らしさを体験してきました。
21年の間に小さな気づきを繰り返し、私の内側は大きく変化していると思います。
「私」という人間は同じであるのに、五井先生の祈りに繋がる前と今では、だいぶ違う「私」になっています。 私は自分の体験で内面を変革させました。

身近に頼れる先生がいないことも良かったのだと思います。
依存しては内面の自己改革は時間がかかる・・と思います。
答えは自分の中から絞り出して行かなければ。。。厳しいけれど、これは今でも私が自分自身に言い聞かせていることでもあります。 苦しくても、痛くても、食事が摂れなくなっても、部屋の中を這って移動する状態であっても、
私にあったのは祈りと「五井先生!」と呼ぶことだけでした。 
と、・・・・・・過去のことはさておき・・・(^^;)

毎日、祈り、宣言をし、印を組み続けています。それは何故か。
私の内側が真理を求めているからだと思います。
今、私の望みは、 さらに真理を掘り下げること。究極の真理を体得していくこと。
そして、私の周りの人たちが真理に目覚めること。

勇気を出して挑戦し、成就を体験する。
その体験が神性復活から顕現へと私を導いてくれるのだ と指針を読んで思いました。

すべては完璧 欠けたるものなし 大成就

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# by mppoe-light | 2017-01-05 22:39 | 真理について思ったこと

「私」が在ること

「私」が在るから世界が在り、そこで私は様々な体験をしています。
世界があればこそ、いろいろな気持ちを実感します。

もし「私」が無くなったら・・・あっという間に真っ暗な闇になってしまいます。何も存在しない無の世界、 いえ、世界と表現することもできない。無、無。(無限なる光明!) 
そう思ったら、自分が在ることが、「私」という意識があることが素晴らしいことなんだ と思いました。 かけがえのない「私」。無限の生命を与えられた「私」。今現在、どのような状況、環境に置かれようと、「私」が在ることが素晴らしいことなのではないか、と思いました。みんな消えてゆく姿なのだから、本物ではないのだから。。
だから、
何物も何者も、否定してはいけないんだと思います。
否定することは、存在を認めない・・・と言うこと。 “否定”とは存在するものを無くそうとすること。
在るものを無くしてはいけない。無にしてはいけない。
偽物に見えるものは消えてゆき、本物は常にあり、永遠なのだから。

もう少し勇気を出して、消えてゆく姿に流されないようにしよう。
自分が何者であるか(我即神也)を離さないようにしよう。
私(私達)は、常に宇宙から愛され、祝福されている。
だから大丈夫!
良かったね。おめでとう。
すべては完璧、欠けたるものなし、大成就

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# by mppoe-light | 2016-12-24 22:40 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から 4)



「天と地をつなぐ者」から☆

天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることも、その時はっきり認識した。一真実行がついに百知を超えて、自己の本体を直接把握し得たのである。
天に昇ったということは自己の内奥深く入っていった、ということと同一なのである。

人間は全く大神の個別的現われなのである。輝きわたる一つ一つの星のような存在である。

地上界に写し出されている人間たちが、写し出されているそのままの姿で、自己の任務に一心を集中していれば、人類は苦しみも悩みもなく、地上天国の実現をみることができるであるが、
写し出された投影である人間が、天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて、自他の利害を区別し、天かくる光(内奥から発光する光)を遮断し、おおってしまいつつあるのである。

人間という者が、日常自己だと思っている肉体的自己は、実はしっかりした本体をもたない泡沫のような、想念の波であり諸行無常的、砂上の楼閣的存在なのである。


人間内奥に輝く本体の光、天に輝く真我(直霊)の光を直接地上に輝かせなければ地上天国はできあがらない。
そこで私は本体の光を輝かせながら、五感にみえる業因縁的存在はすべて消えてゆく姿なのですよ、と説きつづけているのである。

一日も早く肉体が業因縁的想念の器でなく、光の器、真我(神)の器となることが、自己も救われ、人類も救われるということを、はっきり一般の人に認識させることが私の天命なのである。


**************************
我即神也   私達は本来、神 大神の個別的現われ
だから完璧、欠けたるものなく、大成就している。
でも、人類は天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて
、本来の任務である地上天国創造をしてこなかった。
神性を忘れた肉体的自己は砂上の楼閣のようなもの。 肉体的自己の想いが真我からくる光を遮ってしまい人類は業因縁の器になっている。
業想念の器のままでは救われない。地上天国は創造されない。

人間の真の姿を知り(我即神也)、祈り、言霊を発し、印を組み、光の器になる。

神性復活=神性顕現。 本来の自己を取り戻し、光の器として働く時。

我即神也 人類即神也


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# by mppoe-light | 2016-12-13 21:26 | 真理について思ったこと

Mt.富士☆


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昨日はよいお天気で、富士山も綺麗でした。 祈りの丘で写真を撮影♪
撮影後に写真を見て、黒い物を発見しました。 鳥?もしかして・・・?

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拡大してみました。

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この写真以外にも もう一枚、鳥の下に なんだか黒くて丸い物が。。

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これはUFOなのだ~っっ! と、言い張っている私です。 ぐふふ♪


講師養成コース終了し、 昨日、任命書を頂きました。昌美先生のご法話に感動し、感謝しました。
「私」という意識をしっかり持って、地に足をつけた生き方をしたいと思いました。

世界人類が平和でありますように  人類即神也

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# by mppoe-light | 2016-12-12 15:29 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から3)

“自由身への前進” の中で、霊側からのさまざまな問答の場面から

「人間世界の苦しみを救うにはどうすればよいのか?」

「人間の本体を知らせ、神の理念を知らせることです」

「他の人にはどう教えるのだ?」

「人間の本体が肉体にあるのではなく、神としてこの宇宙で自由自在に働いているのだから、自己の肉体的な業(カルマ)の想いでお願いするような卑屈な気持ちではなく、
自分の本体から宣言するような心で、世界人類の平和の祈りをしなさいと教えます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20数年前、初めて我即神也の印が降りた頃、
昌美先生は、我即神也の姿として黄金の天使像をイメージしなさい、というお話をされていたとように覚えています。
それを聞いた時、当時の私にはまったく想像できないものでした。しかし、「天と地をつなぐ者」を読み直し、五井先生が神我一体され、釈迦牟尼世尊と対面する場面を読んだとき、「このことか…!」、と思いました。

やはり本体はあるのです。神界に厳然と存在するのです。
肉体の「私」と神性の「私」は別々のようであるけれど、実は一つに繋がった「私」という意識であり、我即神也の宣言はそのことを言っているのだと思います。
今私は、神界の「私」を“黄金の天使像”としてイメージして祈るようにしています。


世界人類が平和でありますように 人類即神也
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# by mppoe-light | 2016-12-04 21:54 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から (2)

本文から

「自分だけが救われて、それでよいのなら、その頃の私の心境でも救われていた感じである。いわゆる仏教でいう往相の悟りになっていたのではなかろうか。
なぜならば、私自身としては、すべてに対して、なんの不足も不満もなく、天地宇宙に対して、ただただ感謝感謝の日々であったからである。神にまかせきった自由な心境であったのだ、
自己のための自己はもうすでにない気やすさは、そのまま還相として、人類世界の苦難、小さくは日本の苦悩を真正面に受けて立つ環境に自らをおかずにはいられない。
日本の苦しみは自分の苦しみであり、人類の悩みは、やはり自己につづいているのを、はっきりと感じるのである。
 自己はない。ない自己のおかれた立場は、日本であり、人類世界である。」


五井先生の気高さ、偉大さ!

自分を極め、内奥に入れば入るほど、「私」という意識は、大きくなり、日本・世界人類=「私」と感じるようになる・・・


日本のため、人類のため 自分の命を投げ出す・・・、としても、
そのためにその場限りで一度に命を投げ出し死ぬのはたいしたことではないのかも・・・と思いました。
それよりも、
この世界で肉体を器に生き、(肉体を持つということは、痛み苦しみを感じるということ。)どんな困難な状況になっても、人類を救うために(人間は本来神の分霊であることを知らせるために)全責任を持って働き続けて行くこと・・・
これは並大抵のことではない、と思います。

五井先生が神我一体され、神界にて釈迦牟尼世尊、イエスキリストと会われた時の五井先生の言葉から、責任の大きさ、重さが感じられ、心に突き刺さるようでした。

「光り輝く中から金色の十字架を背負ったイエスキリストが現われたとみるまに、私の体中に真向から突入してきて消えた。その時、“汝はキリストと同体なり”という声が、激しく耳に残った。
私のその朝の瞑想は、その声を耳底に残したまま終わってしまった。
私は深い感動というより、痛いほどの使命観を胸底深く感じていた。
そのことが単なる幻想でないことを私の魂が、はっきり知っていた。
“汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし” という内奥の声を、はっきり聞いていたからである。」

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# by mppoe-light | 2016-12-02 22:25 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から (1)

十数年ぶり・・・? いえ、20年ぶりかも
五井先生の「天と地をつなぐ者」を読みました。

五井先生の言葉が心に響きます。

本文から

「私にとって世界はすべて美しいのである。病気も、貧乏も、闘争も、すべては迷いの影であって、実際はないのであった。こうして生きている、ということだけで、ありがたくてありがたくて仕方がないのである。

“神様、ありがとうございます。ありがとうございます”こうした感謝に明け暮れている私だったのであったから、いつも明るい昂揚した様子をしていた。」

世界人類が平和でありますように

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# by mppoe-light | 2016-12-01 22:09 | 真理について思ったこと

「私」の世界を成立させる☆

地球上の現象、出来事、常識、価値観、それが全部 人類の創造の産物。
その創造の基準は、
目に見える形のあるものが全てで、時間は過去、現在、未来と流れ、
正・負、善・悪で物事は判断され、評価される  というもの。

こんな基準、判断で、小さな地球から宇宙を眺めてみても、きっとそれは間違った宇宙像なんだろうな。。。なんて思いました。

「私」が、宇宙を大きく創造し発展させるために宇宙神から分かれた光の一筋の存在なのだから、私は自分を受け入れ、自分の価値を認めて行かなければならない と思いました。

自分自身を認め、愛してこそ、自分の真の世界が成立する気がします。私が認めたものが存在するのだから。 
自分の価値を認めず、愛さないと、心は“横取り”をし始めます。

自分の存在を、外部の評価、判断で委ねてしまい、自分自身の内側はどんどん空白になってしまう。空白になれば更に不安になり、ますます外側に自分を委ねてしまう。。。

自己否定をしてはいけない!  

否定すれば、自分の存在がなくなり、自分本来の真の世界もなくなり、ずっと因縁因果の回転の中に居続けることになってしまう。

無条件で自分を愛すること。無条件で自分の存在価値を認めること。 
それが「私」という意識を持っている者の本来の姿。

自分の世界を成立させ、広げていくために、
神性復活 をする。

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# by mppoe-light | 2016-11-23 21:20 | 真理について思ったこと

なくそうとするのではない。変容させる。


『戦争、紛争、闘争をなくすことが目的ではない。』(09-10)

『我々の真の目的は、ただ戦争をこの世からなくすことではない。ただ飢餓を解決することではない。ただ病気を治すことでもない。ただ政治や経済の発展に寄与することでもない。ただ天変地異を防ぐことでもない。ただ人類の苦しみや痛み、そして差別や対立を正すことでもない。ただ宗教間や人種・民族間の反目を調整することでもない。ただ一つの宗教理念、哲学、倫理を促すことでもない。』(09-11)

 『現在、引き起こされている戦争や紛争、テロや飢餓、貧困、差別、災害、疫病をなくすことには意味がない。表面的にこの状態を止めても全く無意味である。』(07-12)


真理はしばしば逆説的である。現象の世界を「消えてゆく姿」と見送ったところに、真理はある。その真理を現象界に呼び出そうとするのが真理の祈りである。
現象は真理を覆い隠す。されど、覆い隠すものをなくそうとすることは目的ではない。真理の祈りは神性と平和を現象界に呼び出そうとする。しかし、現象界のものをなくそうとはしない。
なくそうとはしないのだが、「消えてゆく姿」と見送ることによって、それは自ずと消えてゆく。


 何であれ、現われた物事を「消えてゆく姿」と見送ることは、その物事をなくそうとすることとは異なる。
「消えてゆく姿」と見送るとき、神性を信じている。なくそうとするとき、現象を信じている。
内なる神性を信じる者は、内なる神性を体験する。これは果因説の人生である。
現象を信じる者は、再び似たような現象を体験する。これは輪廻の人生である。
 

 果因説の人生の目的は内なる神性の顕現と世界平和の成就である。内なる世界では、それはもう成就している。成就しているから、「我即神也」「人類即神也」と宣言される。

我々がなすべきことは現実世界の創造である。創造は選択―決断・決定・決行によってなされる。
創造は何かをなくすこととは異なる。創造は個々人によってなされる。社会的なものも、国家的なものも、国際的のものも、地球規模のものすべては個々人によって創造されたものである。

果因説の創造は、因縁因果によって出来上がった何かをなくすことではない。当然のことだが、果因説の創造は、因縁因果によって将来起こり得ることを変容させてしまう。大難は小難に、小難は無難に、大難すら無難にしてしまう。

「白光ノート」 冷蔵菩薩 から

私達がなすべきことは 奥の根本的な解決。神性意識による方法。究極の方法。
それは、因縁因果で出来上がった現在の状況に手を加え修正していくのではないし、
因果説で出来上がった今の混乱している世界の仕組みを、おなじ因果説の思考で修正していくのではないはずです。そもそもそれらは本物ではないのだから。色即是空の「空」なのだから。

戦争や紛争、テロや飢餓、貧困、差別、災害、疫病をなくそうと努力しても因果説の思考のままでは、根本の解決にはならないし、一旦解決したかのように見えても、また元のように戦争や紛争、テロや飢餓、貧困、差別、災害、疫病を創り上げてしまう と思います。 

私たちが人類を真に救う為には、この世の苦悩は消えてゆく姿として処理し、
因果説を超えた、まったく新しいものを創造していく。
果因説の創造を地上に降ろす。
そのために個々人の意識を神性意識に上昇させていく。
そして
因縁因果によって将来起こり得ることを変容させて いく。
大難は小難に、小難は無難に、大難すら無難に

きっと、因縁因果の思考からすれば、”変容“は、奇跡に映るかも。
過去が変えられたように映るかもしれない。
神性はつねに完璧、欠けたるものなし、大成就。
よって過去はなく、カルマもないから。 

私はずいぶん前から、昌美先生が説かれる“変容”の意味が理解できませんでした。
 今回、この記事を読み、やっと理解できるようになりました。


この世の様々な厳しい現状を見ていると、辛く悲しく苦しいことがあります。でも、どんな人も本体は神界にあります。 
どんな人も神です。本体は燦然と光り輝き、すべて完璧、大成就されています。 
表面的な姿、様相だけを見て、感情的になってはいけないと思います。(私も気を付けます。(^_^;) 奥の本体を見逃すからです。 
可哀想だ、哀れだ・・・、という感情が度を過ぎると、その方の神性を否定していることになると思います。その方の奥には厳然と無限なる能力があるからです。
厳しく悲しい状況に生きることを選択したその方の魂の強さ、尊さの方を私は見つめていきたいと思います。

世界人類が平和でありますように 日本が平和でありますように
日本人即神也

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# by mppoe-light | 2016-09-28 17:27 | ピタゴラスさん啓示録から

私は何にでもなれるのかもしれない

 
本来、私は何にでもなれるのかもしれない。何にでもなっていくのかもしれない。

置かれた場に応じて、さまざまな「私」になれたらいいな、、と思いました。
大切なのは、その場が調和していて、美しい場になること。
究極の私の存在目的は、置かれた場を神聖な場にすること。(あくまでも究極の私ね(^_^;)
だから、突然上座に行く必要があるなら上座に、その直後、必要があるなら速やかに下座にも行く。

たとえば、
調和、平和と言う種を蒔き、それを育てるために、私は水になったり、太陽の日差しになったり、風にもなったり、雨にもなったり、
時には嫌な事、苦手な事にぶち当たって、エゴが不満を言うかもしれないけれど、
それは消えてゆく姿として処理し、
やがて調和、平和と言う果実が実ったら、みんなで分かち合い、みんな笑顔いっぱいで喜び合って祝福しあって・・・・(*^_^*)

故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、神の存在そのものなり。

今、疲れていても、悩んでいても、本来の私=我即神也はそんなこととは一切関係なく、
今ここに在る神性=私は、疲れることもなく悩むこともなく、ただただ神の扉を開放しつつ、無限なるものを地上へ降ろすことを願っている。
扉はいつも開いている。



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2016.8.長崎
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# by mppoe-light | 2016-09-13 21:11 | 真理について思ったこと