過去を選ばず、「今」の自分を信じる

過去を選ばない。

選ばなければ、過去はない。あるのは「今」だけ。

過去を選んでしまうことで、自分の尊厳を下げないこと。

自分の美しさ、偉大さ、気高さを下げないこと。

私は本来、神の分霊、

我即神也 私はもともと大いなる源からの分けられた光=私

もともと気高く、偉大で、無限なる存在。



自分を信じること

まず第一にあなた方が神性を現わし、完璧な姿を見せてこそ、

多くの人たちがそれを切っ掛けに目覚めていくのです。

<7月号 昌美先生のお話から>



私はどこまで自分を信じているのだろうか・・・と思いました。

自分の可能性、能力、完全性をどこまで自分のものとしているか。

今、この瞬間、自分を支えている形あるものを失った時、

私はどう生きようとするだろうか。

どう自分が自分を導いて生きていくだろうか。

私は、もっともっと自分を信じ、何にも依存しないで自分を支えられるようにならなければ・・・と今、痛感しています。

今の私では、まだ足りない。自分の能力、自分の素晴らしさをもっと自覚して、

確信して行かなければ・・・そう思いました。



自分の意識を上昇させ、磨き高め上げれば上げるほど、人を愛せる自分になっていくのだと思っています。

なぜなら、高い次元では、「私」=「あなた」だから。


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# by mppoe-light | 2017-07-14 17:09 | 真理について思ったこと

自立すること・愛すること・ラダーとなること

真の自立した時、どんな人も愛せるようになるのかもしれない。

そして、ラダーとなって、縁のある人を神性復活へと導いていけるのだ・・・と思いました。



昌美先生が法話で、

これからはリーダーではなく、天と地に梯子をかける人“ラダー”と言う

ことにする

と聞いて、

とても古い本ですが・・・、なぜか

「かもめのジョナサン」のラスト場面を思い出しました。



以下は、ジョナサンの教え子 フレッチャーとジョナサンのやりとりです。




「ジョナサン、あなたはずいぶん前にご自分で言われたことを憶えていらっしゃいますか? あなたは群れに戻って彼らの学習を手助けすることこそ、群れを愛することなのだ、とおっしゃった。

もう少しで自分を殺しかねないほど暴徒化した鳥たちを、どうして愛せるのか、ぼくには分かりませんね」



「フレッチャー、きみはああいうことが嫌いなんだろう!それは当然だ、憎しみや悪意を愛せないのはな。きみはみずからをきたえ、そしてカモメ本来の姿、つまりそれぞれの中にある良いものを発見するようにつとめなくちゃならん。彼らが自分自身を見出す手助けをするのだ。わたしのいう愛とはそういうことなんだよ。


私は荒っぽい若いカモメのことを憶えている。名前は、そうだな、まあ、フレッチャー・リンドでもいい。追放刑になったばかりで、死ぬまで群れと戦う覚悟を固め、<遥かなる壁>に自分のつらい地獄を築き上げようとしていた。

それが今ここではどうだ。地獄のかわりに自分の天国をつくりかけていて、その方向に群れを導いているのだからな」



「ぼくが導いている、ですって? それはどういう意味ですか。ぼくが導いているっていうのは。ここでの教師はあなたなんです。あなたはここから発たれてはいけません!」

「もうきみには私は必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、その命ずるところを行うことなのだ。」






≪こういって、ジョナサンはフレッチャーを残し、輝きながら高次の世界へ向かって消え去ってしまいます。


突然に師を失くしたフレッチャー、


そして、師、ジョナサンに代わって、若いカモメたちを指導する立場に置かれたフレッチャーは、≫







しばらくして、フレッチャーは、重い心でようやく空に舞い上がり、最初の授業を待ち望んでいる、新入生の印をつけた生徒たちのグループと向かい合った。


「まずはじめに…………」 彼は重々しく言った。

「カモメとは、自由という無限の思想であり、また<偉大なカモメ>のいわば化身であって、体全体が翼の端から端まで、きみらがそれと考えているもの以外の何ものでもないことを理解しなければならん」



若いカモメたちは、呆れたように彼を眺めた。おやおや、どうやらこいつは宙返りの法則とはちょいと違うようだぜ、と彼らは思った。



フレッチャーはため息をつき、もう一度繰り返した。

「ふむ。いや……まあ、よろしい」
彼はそう言うと、彼らの能力を推し量るような目つきで生徒たちを眺めた。

「では水平飛行から始めるとしよう」

そう言った時、彼は即座にあの友が(ジョナサン)が、今の自分と同じように、まさしく聖者なんぞではなかったことを悟ったのだった。



無限なんですね、ジョナサン?彼は心の中でつぶやいた。そうか、それなら僕がいつか すっとそっち側の海岸に姿を現わし、何か目新しい飛び方でも披露できるようになるのも、そう遠い日ではありませんね!

フレッチャーは自分の生徒たちに、厳しい教師と見られるように振る舞おうと努めたが、しかし、彼は突然、ほんの一瞬にしろ、生徒たち全員の本来の姿を見たのだった。そして彼は自分が見抜いた真の彼らの姿に、好意どころか、愛さえ覚えたのだった。無限なんですね、
ジョナサン。そうでしょう?彼は思った。そして微笑した。完全なるものへの彼の歩みは、すでにはじまっていたのだった。



<新潮文庫 かもめのジョナサン リチャード・バック 五木寛之訳 から>





真の自立した時、どんな人も愛せるようになるのだと思いました。

そして、ラダーとして、縁ある愛する人を神性復活へと導いていけるのだと思いました。



真の自立。 

『もうきみには私は必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。』



自分を信じること、

自分が本来は何者であるか、何のためにここに存在しているのか。

これを疎かにしていてはいけない。



我即神也、神性復活、神性顕現。



自立とは自分の中の神性を信じ、すべては完璧、大成就を信じること、

自分で自分を導けるまで、自分を信頼し続けること。

そうなった時、いつでも縁ある人々を愛することができようになり、そしてその愛を持ってラダーとして働けるんだ・・・・



そう思いました。


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# by mppoe-light | 2017-07-11 23:04 | 真理について思ったこと

ルーミー「真理は我らの裡に」「神化」

真理は我らの裡に 1



木立は繁り枝には果実あふれ
蔓草は曲線を描いて緑に光り
スーフィは一人、木陰に座す
瞼は閉ざされ、頭は膝の上に
瞑想の海深く沈んで動かない


何ゆえに、と、問う者がある


何ゆえに目を閉じているのか
慈愛に満ちた神の御しるしを
探し求めていたのではないか
目を開け、汝の周囲を見渡せ
これぞまさしく神の御しるし


それなら、と、その人は言う


御しるしなら常にここに在る
これ、という形や印も無しに
我が体内の奥深く、心の中に


巡る季節を映して梢が揺れる
世の美とは姿や形に宿るもの
次から次へと移り変わるもの


唯ひとつ、完璧なる人の胸に
永遠に輝ける果樹園を除いて





1. 『精神的マスナヴィー』4-1358. 初期の神秘主義者ラービア・アル=アダウィーヤの伝説として語られる寓話。ある春の日に、彼女は家の中に引きこもり頭を垂れていた。「外へお出かけになりませんか」、彼女の女召使いが話しかけた。「神の造りたもう美をご覧になってはいかがですか」。ラービアは答えた、「中へ入って、美を造りたもう御方をこそご覧なさい」。




***********************

「神化」1


蠅が蜜に落ちる。
体のどこもかしこも、部位の別なく
蜜に絡めとられて動かなくなる。


「イスティグラーク」、すなわち
忘我の境地というのは、このような状態を指す。
自意識を消滅せしめ主導権の全てを放棄した者。


その者より生じるいかなるものも、
全てその原因はその者には属さない。


水に溺れてもがいている者、あがいている者、
「溺れてしまう、沈んでしまう」と助けを求めて叫ぶ者、
そうした者は未だ「イスティグラーク」に至ってはいない。


『アナー・アル・ハック』


すなわち「われは真理(神)なり」という言は、2
この境地を象徴するのにまさしく的を得ている。

人びとは考える、何という暴言、何という傲慢、と。

人びとは考える、『アナー・アル・アブド』、
すなわち「われは神のしもべなり」、
という言こそ真の謙譲を表わすのにふさわしい、と。


断じて違う。


『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」こそが、
真の謙譲を表わす言である。


『アナー・アル・アブド』


「われは神のしもべなり」と言うとき、
その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。
しもべ、などと上辺では卑しみつつも、
しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。
自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。


『アナー・アル・ハック』


「われは真理なり(神なり)」と言うとき、
その者は自己を消滅し尽くしている。
そのとき、そこに自己などというものは存在しない。
ただ神のみが存在する。


これこそが真の謙譲、最大の奉仕である。




*1 『フィーヒ・マーフィーヒ』49.

*2 「われは真理(神)なり」については、『イブリースの告白』注釈を参照のこと。


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# by mppoe-light | 2017-07-08 13:54 | 真理について思ったこと

ジャラール・ウッディーン・ルーミー

『あなたは大海の一滴ではなく、一滴の大海なのだ』

今月白光誌に載っていた、ルーミーという13世紀の詩人の言葉が素晴らしく、

さっそく調べてみました。

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

http://levha.net/rumi/147238/

「時の宇宙」1

ありとあらゆる瞬間に、あなたは死と再生を繰り返す。
預言者も言った通り、「この世はほんの一瞬に過ぎない」。
われらの思考は御方により、御方の宙へ向かって放たれた矢。
どうして宙にとどまり続けていられようか?
どうして御方の許へと戻されずにいられようか?

ありとあらゆる瞬間に、世界は新たに創造される。
われらは、永久に繰り返されるこの変化を知らない。
生命の水が刻一刻、新たに注ぎ込まれれば、
肉体は河のように、連続する流れの痕跡を残す。2



火花を素早く回転させれば、一筋につながる光の線に見える。
時も、時の経過も、絶え間なき神の御業のもたらす不思議の現われ。
巧みに回転させた松明の火が、ひとつの環に見えるかのように。





1. 『精神的マスナヴィー』1-1142. 存在という環の始まりも終わりも、神の本質という単一の点にある。これは我々の目には拡張という形式をとって認知される。しかしながら神秘主義者たちにとり世界は「瞬間に過ぎない」。それは神の光明により明かされる一即多・多即一のきらめきである。スーフィーその他のムスリム形而上学者の論に従えば、宇宙のあらゆる原子は神のエナジーの連続的な顕現であり、絶えず消滅しては再生される。

2. ヘラクレイトスの言「同じ川に二度入ることはできない。流れも変われば、水も変わっている」と比較せよ。


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# by mppoe-light | 2017-07-08 13:26 | 真理について思ったこと

二度とない「今」

昨日はお祈りの会でした。 いつもと同じメンバーで同じプログラムでお祈り、印、宣言などを行いました。 
2週間後の木曜日にまた同じように集まり、同じプラグラムでお祈りします。


昨日のお祈りの会と2週間後の会は、今まで通り同じメンバーで同じことをするのですが、

でも、違う。 昨日の祈りの会はもう二度とないのです。

2週間後におとずれる祈りの会は、新しい別の祈りの会なっているはずです。



毎回同じことをするのだから、、結局は同じことじゃないか・・・
同じでいいじゃないか、と思われますが、 そうではない気がします。


「今」というと分かりにくいから、「場」にします。

人類の創造力によって、瞬間、瞬間、「場」が創られています。

「場」でも分かりにくいなら、「世界」にします。


「世界」は点滅するように顕れては滅し・・を繰り返し、その連続が

私達には物質として、そして連続する現象として見えている。
(と思っています。)

だから、

本当の「今」はこの瞬間だけ。 次の瞬間は別の新しい「今」がやってくる。

だから、

この瞬間を大切にしなくては、この貴重な今を大切にしたい・・・と思いました。


「今」をつかまえれば、過去を振り返ることは出来ません。過去から解放されます。過去から自分を切り離すことができます。



「今」は神性につながる道、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就に繋がる道だと思っています。


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# by mppoe-light | 2017-06-23 22:28 | 真理について思ったこと

シュタイナーの本を読んで。。


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本文から・・・

修行者は自分の思考と感情が世界に対して自分の行為と同じ意味を持つ、という立場に立てなければならない。誰かを憎むなら、すでにそれだけで、なぐるのと同じ被害をその人に与えている。このことが認識できるなら、

私が自分自身を完成させようとする努力が、私ひとりのためではなく、世界のためでもある、という認識に到るであろう。

世界は私の純粋な感情や思考から、私の善行からと同じ利益を受けとるだろう。



個人の内面世界の、この世界的意味を信じることができぬ間は、神秘修行者となる資格がない。

自分の魂に対して、それが外界の事象と同じ現実的な力を持っているという前提のもとに修行を続けるとき、私は自分の内なる魂が何を意味しているかを、はじめて真に確信できるのである。私は自分の感情が手の働きと同じ効力を持つことを認めざるをえなくなる。




法友Kさんに借りて読んでいます。読み始めは、分かりにくくてすぐ眠くなりましたが(笑)、読み進むうちに徐々に読めるようになってきました。



「私が自分自身を完成させようとする努力が、私ひとりのためではなく、世界のためでもある、という認識に到るであろう。」


神性復活・顕現は、個人人類同時成道! 

<思わず思わせるだけの自分を磨き高め上げ(自己認識・意識を上げ)、神そのものとなるのである。>
 


そのためのツールは充分与えられています。 祈り、印、呼吸法、マンダラ・・・で。
やはり五井先生、昌美先生のご指導は素晴らしい!




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# by mppoe-light | 2017-06-20 20:59 | 真理について思ったこと

置き去りにされてる?自己意識。。。

これまで、お祈りを通して、行事を通して、いろいろな方に会いました。

昨年の講師養成でも、参加者の方とお話をする機会がありました。

様々な方と会い、お話をして時々思うことがあります。

「それであなたは自分の神性復活、顕現をどのように考えているのですか?

どのように神性と向き合っているのですか?」

世界平和の活動・働きと、自分の神性復活・顕現が切り離され、別々になっている方がおられる気がします。 

そんな時、私は 「あ、、自己意識が置き去りにされてる。。。」と思ってしまいます。

そして、

どうか、もっと自分を赦し、愛してほしい。 

「これだけの祈りや神行の実績を積んでいる、だから我即神也 」 ではなく、 

私たちは無条件で我即神也、 私たちの生命は宇宙神から放たれた光だから。

だから、

私達は、誰もが、尊く、気高く、美しいはずです。 なぜなら、今ここに「私」という意識を持って存在しているからです。



そう伝えたいです。


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# by mppoe-light | 2017-06-19 21:59 | どってことない話☆

ささいな独り言。。

人は因果律に生きる時、それぞれ、自分中心の物差しがあり、その物差しで物事を分析、判断、評価しています。自分流のものの見方を無意識にしています。

以前、SOPPでの最後の挨拶の時、Y先生が涙で言葉につまる場面がありました。

少々リーダーとして頼りないのではないか、、、という感想があったようでした。

他にも、行事中の先生方の立ち位置についても、良い印象を感じなかった人がおられたようです。

その見方は、 「世間の常識」 という物差しで測られたものだと思います。

それこそ、固定観念ではないかな・・・と思います。



リーダーたるもの、こうあるべきだ。指導者はこうあってほしい・・・という

その人の固定観念、先入観がそのような感想を思わせるのだと私は思います。

その観念、先入観はこれからの世界に必要でしょうか・・・?


そもそも、そんなこと神さまは気になさらないはずです。

無限大の神さまは、善悪、正負の二元対立を超えています。

無限なる自由、無限なる包容力で 人類が生き生きと生命をまっとうすることを望んでおられると思います。神さまが見ておられるのは命そのもの。

その命を輝かせるのが私たちの使命。その命の輝きが周りの人々を感動させていくのだと思います。 形、型、形式が感動させるのではないはずです。


SOPPのように一般の方々、全世界にネットでも公開される行事ですから、第三者の目を意識しての感想だったのかもしれません。

第三者・・・

それを気にする思考は自我の思考、つまるところ自分が世間から受ける評価にもつながっているのかもしれません。



リーダーであるなら、こうあったほしい。こうあるべきだ。 などなど、、

このような気持ちの奥には、自分に都合のいいリーダー像、指導者像を期待する想いがあるのかも。 そうだとしたら、それは因果の世界の消えてゆく姿の固定観念。これからは必要のないもの。


私達はもっと自由で、解放された存在なのだ・・・と思います。

大切なのは、“いのち”が輝いているかどうか。


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# by mppoe-light | 2017-06-11 22:14 | どってことない話☆

新幹線お世話ちゃん☆

去年は7回もルンルン♪で富士聖地に通っていたのに、今年は昨日の究極で、もうお疲れちゃん状態っです。 なぜだか帰りの新幹線の中で、「もう乗りたくないよ~新幹線には・・・。。」と思っていました。 

特急+新幹線でおよそ5時間30分!  なが~ぃい(+_+)

しみじみ 富士聖地までの遠さを感じてました。

先月のSOPPの時は気にならなかったのに。歳かしら?(汗

無限なる若さ♫



行事の2日前から頭痛、

行事前日には、静岡で“ひかり”から“こだま”に乗り換える時、ホームでふらふらするし、

行事が終わり、帰りのバスの中や新幹線の中ではクラクラするし、

去年、富士に7回も通ったことに、今頃になって感心している私です(笑)

飛行機で行くことも考えようかな。。。お・・お金が~。。。(^_^;)

寝台特急という手もあるぞっ (^_^.)♪




富士聖地の透明感が好きです。 

昨日、伝授の為に別館の2階に上がりましたが、やはり清らかな空間でした。 



この清々しさはなんだろう、普通、大勢の人が集まる場所は、埃っぽくて、かすんだような空間に思えるのに、

富士聖地は何処を歩いていても新鮮な感じがします。



私は今、自分が育った場所、子供のころからずっと知っている風景を、

当時と同じようには見ていない気がします。

少し違った空間を見ているような気がします。

まったく同じ場所なのに。

………… 

ずっと以前は、土地も、植物も、動物も、空も山も、みんな ただの個体、“物”として視ていました。だから埃っぽく、くすんで見えていた気がします。 

今は、見方が違うと思います。

すべて、万物には命がある、

常に天から降り注がれている “いのち” があるから万物は存在しているんだ



そう思っているから、

ずっと以前に比べて、若いころに比べて、

目に入る世界が清々しくて新鮮だな・・・と、無意識のうちに感じているのだと思います。



世界人類が平和でありますように

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# by mppoe-light | 2017-06-05 22:11 | どってことない話☆

ipadで遊んで…

去年は講師になるために7回も通いましたが、今年は先月のsopp、 そして明日の究極で富士には2回です。
新幹線…何をやてても、直ぐ眠くなります。(^_^;)
結局、寝てるか食べてるかのどっちかです。
ガラケーだけど、iPadを持参して、Wi-Fiしながら地味に遊んでいます。。。。
お祈りや印はホテルに到着してからね。

明日はまず、印の伝授をすませ、そして行事に参加します。(=^x^=)

今回も旅のお供はこの人。。。
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# by mppoe-light | 2017-06-03 16:02 | どってことない話☆