二つの世界 二重の生活


目に入る現象世界は本物ではない世界。
それは、人間とは非神性だと信じて創り上げた、消えてゆく姿の世界。
有限の世界。因果の世界。



世界は、実は消えてゆく姿、色即是空で、だから空っぽなのだ・・・と思いながら、それを見ている私の心は「我即神也」を求め、向かっている。

私は、宇宙神とつながり、大成就の世界につながっている。



私と言う存在は、二つの世界に同時に存在しているようなものだな。。と感じました。

非神性の意識が創造した、社会のルール、世の中の常識の中に肉体を置きながら、

心は神性と通じている。

私は同時に二つの世界にいるのだと思います。

二重生活です。

 

究極の真理とはかけ離れた周囲の人々の会話や感情想念に関わっていると、

多くの人々の心が充たされず、荒んでいるのが感じられます。

みな自己評価が低く、無意味なこだわりや、不満を抱えながら、競い合っています。

みな心は重く辛そうに見えます。



みんなが自分の本質を知ったら、自分が本当は神聖なる存在であると知ったら、

あっという間に光り輝く笑顔を取り戻せるのに・・

心は充たされ、癒されるのに・・・



二つの世界に同時に住みながら、一足先に神聖復活しつつある私が、

次には神性を顕現して、 多くの人々を究極の真理へと導くのが私の仕事。


私の自己意識が上昇すればするほど、私と繋がる縁ある人が増え、

また私自身が増々光り輝き、それが人々の目覚めのベルを鳴らす。


私はこれから、二つの世界に同時に身を置きながら、肉体を媒体にして真理の光を放って生きていくのだな・・・と思いました。


[PR]

by mppoe-light | 2018-01-19 22:14 | 真理について思ったこと

新年の指針から


祈り、印を組む際には、なるべく


“今、神性の「私」と繋がっている、統一している


と、思うように心掛けています。

出来れば、「今」に集中するように心掛けます。



ずいぶん前のことですが、

夕食をすませ、食器を洗って台所を片付けようと立ち上がった瞬間、

「私はこんなちっぽけな存在ではない」 という言葉が心に飛び込んできたことがありました。 
なんで突然に、それも食器を洗わなくちゃ。。と立ち上がった瞬間なのか・・・分かりませんが。。(^_^;)



ちっぽけな存在 とは、身長162㎝の肉体の私のこと。
現象界の出来事に一喜一憂するような、肉体世界がすべてだと思う私のことです。

でも、本来の私は決してそんなものではない。



私は本来 神の分御霊。

宇宙神につながる存在。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 した、大きな大きな存在。



私は、柔和で穏やかで平安で優しく、幸せで愛に充たされている。

私は、皆から愛され慕われ尊敬されている。

私の言動は、人々に幸せと平安と喜びをもたらしている。

私は常に美しく、輝かしく愛に満ちた神そのものである。

来る日も来る日も 神である私には幸せのみ、喜びのみ、平安のみ

輝ける生命そのもののみが顕れる。

c0074000_14031367.jpg

指針の中の

肉体界にいると同時に、神界、霊界で働いている・・・

この言葉が、私の神性復活・顕現を 支え、導いてくれるような気がします。

我即神也・人類即神也


[PR]

by mppoe-light | 2018-01-06 14:12 | 真理について思ったこと

一気に真理の極みから臨んでいく 

一気に真理の極みから臨んでいく 祈りと印で


因縁因果の法則で生じた問題、有限の形の世界で生じた問題(個人・人類の)を、同じ法則の思考のまま、同じ世界観の思考のままに祈り印を組んでも真の解決にはならないということ。

真の解決とは、因縁因果を超えた真の創造、 神の創造を

現わすこと。 

それは、生じている問題を解決をするという想いを一旦退け、

自己意識を上げ、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 という原点から生きること、創造すること。

今回、この↓白光ノートを読んで、自分の「大成就」の認識が甘かったことに気づかされました。祈りの言霊として繰り返し宣言していても、信じきっていないことに改めて気づかされました。

16~17年と2年続けて新年の指針の内容は 「成就」についてでした。

指針の受け取り方が甘かったようです。反省☆

問題が世界各国の事であろうと、個人の事であろうと同じことである。神人は、問題解決のため祈り、印を組むことはしない。



これがどういう事なのか・・・、 多くの神人の方に読んで気が付いてほしいです。



*********************************
白光ノートから

  < 問題を解決するために祈らない、印を組まない>



『祈りや印を、その都度の問題解決策とのみ考えるならば、自らの意識レベルが、未だその問題そのものに把われ、集中したままであるので、なかなかそれ以上の高次元レベルには到達しない。』(04-02)

 問題がある国、地域を見つけて、その解決のために祈る。それは立派な行為のように見える。当然、他者からもそのように評価されたいものだ。少なくとも自己の満足は得られる。
しかし、神意識という高次元レベルに入るには、そのような祈りや印は邪魔なのである。問題が世界各国の事であろうと、個人の事であろうと同じことである。
神人は、問題解決のため祈り、印を組むことはしない。

『一気に真理の極みから臨んでゆくことである。今自分に生じている不幸や困難に対して、100パーセントの意識を集中し、その解決に向け奔走するのを一旦止めるのである。そして、自分の意識を高い真理にまで引き上げ、そこから自分を導いてゆくことである。』(01-11)

ここで言う「真理の極み」「高い真理」とは神意識の真理である。人間意識にとって真理と想われる真理ではない。
「我即神也」「人類即神也」の宣言文は、自分自身も人類そのものをも
『崇高なるものとして扱っている』(04-02)
「神意識の祈りや印は」、 『自らを輝かし、自らを尊び、敬い、愛し、慈しみ、また自らに感謝するための方法なのである』(04-02)

自分の本来の姿、人類の本来の姿。それは神そのものである。無限なる叡智、幸せ、平和、健康に満たされている。平和そのものである。
現象ではなく、その原点から事を始めるのである。

*******************************


[PR]

by mppoe-light | 2018-01-03 21:37 | ピタゴラスさん啓示録から