メモがわりに。。。

ものごとは自分の中で完結して行かなければならないんだなぁ
感情も然り。
それが真理。

ほぼメモがわりにブログでつぶやいてみる。。。(⌒-⌒; )

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by mppoe-light | 2017-12-25 09:04 | どってことない話☆

今 響く法話 神の領域より伝わるもの

良い言葉、想念、行為、直感、感性は神の領域に接していれば伝わってくる。
意識すること!宇宙神の子として、ラダーとして。

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白光ノートから

神意識を顕現する方法2  印と神語

 「神の領域への意識改革」(02-01)というタイトルの法話がある。
先ずは、『人類はもう一度原点に戻って、生きることを深く考え直す必要がある。人類一人一人は、今までの意識を見つめ直し、意識を転換する必要がある』

と提言される。結論は前回(「42-14」)とほぼ同じである。

 『さて、意識改革とは、一体どうすればよいのか。それは、意識して、よい言葉を語り、よい想念を発し、よい行為を現わすことである。限りなくそう努めることだ。常に意識だ。神の領域に接していれば、必然的によい言葉、よい行為が現れてくる。』

 ここで「よい言葉、想念、行為」と表現されていることは、「我即神也」の宣言文にある「神の言葉、想念、行為」のことである。この一文は、前回(「42-14」)の『素直に我即神也の真理を実行に移すこと』に相当する。


そして、前回と同様、印のことが説かれる。

 『神の領域へと意識を引き上げてゆく方法こそが、印である。印を組むことにより、神の領域より無限なる能力を自らに取り入れ、その能力を地上に降ろし、自らの肉体、仕事、働きを通して神の姿を顕現してゆくのである。』

 印は本心、神意識にコンタクトできる方法なのである。

 続いて前回同様、印に並んで言霊のことかが説かれる。
この法話では、言霊の範疇が広がっている。前回では「我即神也」の言葉を繰り返すことだけが説かれた。それに対し、次のように説かれる。

『神の領域にある無限なる宝の言葉』『神の領域に保存されている無限なる神語、つまり、光明の言葉、真理の言葉、叡智の言葉』を『何百回、何前回、何万回と自分自身に語りかけ、自分自身を磨き高め上げゆくことである。 、、、、、この神語はまた、自分のみに使わず、人のためにも大いに語りかけてあげるべきなのである。相手を認め、褒め称え、尊敬する神語をたくさん語りかけてゆくのである』。

良い言葉とは神の言葉である。よい直観も、よい感性も神の直観、神の感性である。それらは神の領域より伝わってくるものである。
印はその伝わりを確かなものにする力である。
伝わってきた『自分の神性より発する語りかけ』を言葉にしたものが神語である。
神語とは神意識の言葉と言ってもいい。
神意識の言葉をキャッチし、しっかりと言葉で自分自身に語りかける事が課題として与えられているわけである。
神語として次の例文が示されている。自分でキャッチできなくても、この文章を凝り返し唱えることは出来る。

『私は神のように愛深い。神のように慈しみを持っている。神のようにすべてを赦すことが出来る。神のようにすべて自分の欲することを想像してゆくことが出来る。そして神のように神聖で、神のように純粋で、神のように欲がなく、神のように汚れがなく、神のように崇高である。そして神のように崇高で光り輝き、神のように偉大である、、、、。』  (『』引用はすべて02-01)                    


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来年は飛躍を目標に・・・。


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by mppoe-light | 2017-12-24 21:22 | ピタゴラスさん啓示録から

今 響く法話

もう読まれた方も多いと思いますが、

白光ノートで紹介された昌美先生の法話が素晴らしく、

そのまま全文を2回載せることにしました。

昌美先生の法話、10年20年前のものが、今、心に強く響きます。


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白光ノートから


神意識を顕現する方法

「我即神也」の真理を顕現するためにという法話(95-08)では我即神也の真理を顕現する三つの方法が説かれる。第一は想像力を使う。

『まず初めに、それ(我即神也)はあなたの中に既に現実のものとして存在しているのだと、想像しなければなりません。現在の不完全なる自分自身はさておき、想像の中で、自分が光り輝く神そのものになっていると想うのです。

 繰り返し、繰り返し神そのもののような姿を顕している自分を想像しつづけるのです。』

 我即神也に関わる想像ほど重要なことはない。
果因説の核心は想像力とも言われる。

その妨げになるのが現象・過去への捉われである。
現象・過去から生じる感情に振り回される限り、ポジティブな想像力は働かない。
現象・過去から自由になった心がポジティブな想像力を稼働させる。
そのために「消えてゆく姿」「過去はない」の真理が説かれているのである。

この方法は意識的に生きることでもある。
業生の生活では、無意識のうちに、感情想念を垂れ流し、ネガティブな想像力が自動的に稼働しているようなものである。

 第二は言霊の力である。つまり、「我即神也」という真理の言葉を『心の中で、あるいは声に出して』繰り返し唱えることとである。『自分の意志で我即神也の言葉を正確に繰り返し唱えてゆくうちに、我即神也の真理の想像力と重なって、我即神也の真理が現実に顕われるのです』。

真理の言葉を繰り返し唱えることによって、肉体細胞の一つ一つに反響して、
肉体そのものが神そのものになろうとする意識にまで高め上げられる』からである。

 第三は、『素直に我即神也の真理を実行に移すことです。そして正確に、かつ全身全霊をもって印を降ろすことです』。
いきなり真理の実行とは容易ではない。だが、真剣に印を組みつづけることは出来る。印は人類共通のサブリミナル言語である。

「我即神也」の言霊と同様の効果を発揮する。肉体が組む印が、自己や人類の肉体細胞に顕在意識では判別できないが、深い意識では明瞭なメッセージと目覚めるのに必要なエネルギーを放つのである。


 祈りは声を出さなければ、ポジティブな想像力を発揮する力である。そして、発生が伴えば言霊の力である。祈りは本来、宇宙神の形なき理念に形を与える想像力であり、かつ宇宙神の真理を物質世界に現実化させる言霊である。

この理を、五井先生は「祈りとは生命の宣言である」と説かれていた。

 私の生命は神と一つである。神の生命なのであるという宣言が祈りなのです。   自分の肉体頭脳が祈るのではなく、宇宙神にむかって、直霊分霊が私はあなたと一つですと宣言するのが祈りなのです。』(生命光り輝け p136

 
今日の白光の言葉で言えば「我即神也」のことを本来の祈りとして説かれていたのである。

何かの問題解決を外なる神に頼む祈りは、肉体頭脳の祈りである。二元論の祈りである。しかし、肉体頭脳が受け入れない真理を唱えつづけることには無理がある。肉体頭脳が「我即神也、人類即神也」を受け入れるまで、五井先生は気長に世界平和の祈りを人々にさせたのであった。今日、人類が真理に目覚めるまで、神人は気長に印を組みつづけるのである。




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by mppoe-light | 2017-12-24 19:33 | ピタゴラスさん啓示録から

いのち を使う

私は本気で自分のいのちを使っているのか。。。
いのちを本気で使い生きなければ…と、思いました。
漠然と、漫然と生きていたって、それは本当の生き方ではない。

私の奥には、何か爆発するかのような大きなエネルギーがあるように感じました。
生きるということは、自分の中にある大きなエネルギーを使いこなすと言うこと。
一瞬一瞬 降りている、天から頂くいのち。そのいのちを私は無駄にしているきがしました。
もっといのちを活かさなければ。生きなければ。
いのちには、すべてのすべてが内在している。
生きることは神聖復活・顕現
私たちは、祈りや印によって本来の生き方をさせてもらっている。

無限なる感謝!

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by mppoe-light | 2017-12-20 15:22 | 真理について思ったこと

目に入る形の世界を超えた「私」になれ


本来の「私」は現象世界を超えた存在。

だから、

「私」は形の世界の現象にとらわれない存在。

現象世界を創り変えることの出来る 創造者「私」

神意識から離れた創造は偽物の世界を創る。幻想の世界。

本物は神意識から生まれるもの。 

この世的に素晴らしくみえる行動でも、素晴らしくみえる研究、開発でも、それが神意識に基づいていなければ、いつか不調和な状況に陥る・・・と思います。なぜならそれらは二元対立の世界の産物だから。。。

形の世界に生きながら、意識は形を超えた世界を生き、

肉体を器にして生きながら、空即是色・真の世界を創造する



島国日本の、小さな地方の片隅で、「真の世界を創造する」 と語る自分が

いる。

本体「私」は何を見つめているのだろうか・・・。


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by mppoe-light | 2017-12-13 22:49 | 真理について思ったこと