二元対立を超えた人類救済

ピタゴラスさんが引用された昌美先生の法話に感動です。
(共振共鳴する神意識の言葉  から)

「人類を浄める」というエネルギーではない。

『富める者と貧しき者、救う者と救われる者、こういう上下関係がある間は、そこには真の平和は訪れない』(00-06 P71)。

二元対立は本物ではない。


『物理的なこの世的な救済を超えて、一人一人の中に神を見る。それが我々の人類救済なのです』(00-06 P70)。


どの立場で、どの視点で人類を観るべきか・・
自己認識・意識を高く持ち続けること。
自分の意識が高ければ、相手=私 となります。 
私=私達。そこには、救う者と救われる者という二元対立は存在しません。

・・・自分の真理の取り組み方に安心しました。
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共振共鳴する神意識の言葉


『人類即神也の宣言、唱名は、人類の神性を称えるひびきである。』(2001-03日々の指針)
『人類即神也の印を組む者より真理は流れ出て、全世界を潤い尽くす。』
『いかなる心の状態で我即神也と発し、印を組んでも、その発生は、本来の崇高なる神の心より発する言霊そのものである。』(2001-01日々の指針)


 祈り、印、言霊は本心と共鳴共振するである。これはスイッチにも譬えられる。スイッチを押す手が汚れていようが、洗っていようが、スイッチを押せば電灯は輝く。
それと同様、祈るとき、印を組むとき、言霊を唱えるとき、いずれの場合もそのときの心境は問われない。徳のあるなし、業生の多寡、いずれも問われない。
直近の言動の善悪、生涯の言動の善悪すら問われない。人は皆本質において神そのものなのだから、祈り、印を組み、言霊を唱えるとき本心と共振共鳴するようになっているのである。
また、本心と共振共鳴する以外の方法で、己を鍛えなおしたところで上手くいかない。瓦はいくら磨いたところで、ダイアモンドにはならないのである。

 
祈り、印、言霊とはこのように絶対力を持つのである。この絶対力への確信があるからこそ、『人類を真理に目覚めるよう促す』という気迫が湧いてくる。
しかし、それは「人類を浄める」というエネルギーではない。

『富める者と貧しき者、救う者と救われる者、こういう上下関係がある間は、そこには真の平和は訪れない』(00-06 P71)。二元対立は本物ではない。

『物理的なこの世的な救済を超えて、一人一人の中に神を見る。それが我々の人類救済なのです』(00-06 P70)。

真の祈り、印、言霊は何も浄めようとしない。自他の本心をひたすら拝むものである。称えるものである。ひたすら本心を称えるとき、本心を邪魔するエネルギーは変容されるのである。

<白光ノート から>



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by mppoe-light | 2017-11-01 23:00 | ピタゴラスさん啓示録から