越えた存在「私」

現象世界と神界を繋いでいるのは 「私」という意識。

私の意識、意思が、無限なるものを現わす。

因縁因果のルールの中で、

「私」は様々な人生を繰り返し繰り返し、生きて、体験している。

いろいろな時代、境遇、立場を体験して来ているはずです。

どのような人生を体験しようと、 「私」という存在はその体験を越えている存在。



「私」は70年80年の人生を生きるだけの存在ではない。

因縁因果の世界を越えている存在。

これまでの因縁因果の現象は、「私」の中では、ほんの片隅で

起こっているだけの小さなもの。



だから目に見える現象に振り回されていてはいけないし、

過去にも流されてはいけない。

本物は何か、真実は何なのかを見落とさないように



すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのもの

なり。



すべては神の存在そのもので、 すべての内奥には神が存在するということ。



こんなふうに真理と向き合うことは面白いです。発見があるから。 

向き合っていけば自分自身が変わっていくし、広がっていく。

「私」というものは広いなぁ・・・と感じます。


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by mppoe-light | 2017-07-24 23:04 | 真理について思ったこと

過去を選ばず、「今」の自分を信じる

過去を選ばない。

選ばなければ、過去はない。あるのは「今」だけ。

過去を選んでしまうことで、自分の尊厳を下げないこと。

自分の美しさ、偉大さ、気高さを下げないこと。

私は本来、神の分霊、

我即神也 私はもともと大いなる源からの分けられた光=私

もともと気高く、偉大で、無限なる存在。



自分を信じること

まず第一にあなた方が神性を現わし、完璧な姿を見せてこそ、

多くの人たちがそれを切っ掛けに目覚めていくのです。

<7月号 昌美先生のお話から>



私はどこまで自分を信じているのだろうか・・・と思いました。

自分の可能性、能力、完全性をどこまで自分のものとしているか。

今、この瞬間、自分を支えている形あるものを失った時、

私はどう生きようとするだろうか。

どう自分が自分を導いて生きていくだろうか。

私は、もっともっと自分を信じ、何にも依存しないで自分を支えられるようにならなければ・・・と今、痛感しています。

今の私では、まだ足りない。自分の能力、自分の素晴らしさをもっと自覚して、

確信して行かなければ・・・そう思いました。



自分の意識を上昇させ、磨き高め上げれば上げるほど、人を愛せる自分になっていくのだと思っています。

なぜなら、高い次元では、「私」=「あなた」だから。


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by mppoe-light | 2017-07-14 17:09 | 真理について思ったこと

自立すること・愛すること・ラダーとなること

真の自立した時、どんな人も愛せるようになるのかもしれない。

そして、ラダーとなって、縁のある人を神性復活へと導いていけるのだ・・・と思いました。



昌美先生が法話で、

これからはリーダーではなく、天と地に梯子をかける人“ラダー”と言う

ことにする

と聞いて、

とても古い本ですが・・・、なぜか

「かもめのジョナサン」のラスト場面を思い出しました。



以下は、ジョナサンの教え子 フレッチャーとジョナサンのやりとりです。




「ジョナサン、あなたはずいぶん前にご自分で言われたことを憶えていらっしゃいますか? あなたは群れに戻って彼らの学習を手助けすることこそ、群れを愛することなのだ、とおっしゃった。

もう少しで自分を殺しかねないほど暴徒化した鳥たちを、どうして愛せるのか、ぼくには分かりませんね」



「フレッチャー、きみはああいうことが嫌いなんだろう!それは当然だ、憎しみや悪意を愛せないのはな。きみはみずからをきたえ、そしてカモメ本来の姿、つまりそれぞれの中にある良いものを発見するようにつとめなくちゃならん。彼らが自分自身を見出す手助けをするのだ。わたしのいう愛とはそういうことなんだよ。


私は荒っぽい若いカモメのことを憶えている。名前は、そうだな、まあ、フレッチャー・リンドでもいい。追放刑になったばかりで、死ぬまで群れと戦う覚悟を固め、<遥かなる壁>に自分のつらい地獄を築き上げようとしていた。

それが今ここではどうだ。地獄のかわりに自分の天国をつくりかけていて、その方向に群れを導いているのだからな」



「ぼくが導いている、ですって? それはどういう意味ですか。ぼくが導いているっていうのは。ここでの教師はあなたなんです。あなたはここから発たれてはいけません!」

「もうきみには私は必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、その命ずるところを行うことなのだ。」






≪こういって、ジョナサンはフレッチャーを残し、輝きながら高次の世界へ向かって消え去ってしまいます。


突然に師を失くしたフレッチャー、


そして、師、ジョナサンに代わって、若いカモメたちを指導する立場に置かれたフレッチャーは、≫







しばらくして、フレッチャーは、重い心でようやく空に舞い上がり、最初の授業を待ち望んでいる、新入生の印をつけた生徒たちのグループと向かい合った。


「まずはじめに…………」 彼は重々しく言った。

「カモメとは、自由という無限の思想であり、また<偉大なカモメ>のいわば化身であって、体全体が翼の端から端まで、きみらがそれと考えているもの以外の何ものでもないことを理解しなければならん」



若いカモメたちは、呆れたように彼を眺めた。おやおや、どうやらこいつは宙返りの法則とはちょいと違うようだぜ、と彼らは思った。



フレッチャーはため息をつき、もう一度繰り返した。

「ふむ。いや……まあ、よろしい」
彼はそう言うと、彼らの能力を推し量るような目つきで生徒たちを眺めた。

「では水平飛行から始めるとしよう」

そう言った時、彼は即座にあの友が(ジョナサン)が、今の自分と同じように、まさしく聖者なんぞではなかったことを悟ったのだった。



無限なんですね、ジョナサン?彼は心の中でつぶやいた。そうか、それなら僕がいつか すっとそっち側の海岸に姿を現わし、何か目新しい飛び方でも披露できるようになるのも、そう遠い日ではありませんね!

フレッチャーは自分の生徒たちに、厳しい教師と見られるように振る舞おうと努めたが、しかし、彼は突然、ほんの一瞬にしろ、生徒たち全員の本来の姿を見たのだった。そして彼は自分が見抜いた真の彼らの姿に、好意どころか、愛さえ覚えたのだった。無限なんですね、
ジョナサン。そうでしょう?彼は思った。そして微笑した。完全なるものへの彼の歩みは、すでにはじまっていたのだった。



<新潮文庫 かもめのジョナサン リチャード・バック 五木寛之訳 から>





真の自立した時、どんな人も愛せるようになるのだと思いました。

そして、ラダーとして、縁ある愛する人を神性復活へと導いていけるのだと思いました。



真の自立。 

『もうきみには私は必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。』



自分を信じること、

自分が本来は何者であるか、何のためにここに存在しているのか。

これを疎かにしていてはいけない。



我即神也、神性復活、神性顕現。



自立とは自分の中の神性を信じ、すべては完璧、大成就を信じること、

自分で自分を導けるまで、自分を信頼し続けること。

そうなった時、いつでも縁ある人々を愛することができようになり、そしてその愛を持ってラダーとして働けるんだ・・・・



そう思いました。


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by mppoe-light | 2017-07-11 23:04 | 真理について思ったこと

ルーミー「真理は我らの裡に」「神化」

真理は我らの裡に 1



木立は繁り枝には果実あふれ
蔓草は曲線を描いて緑に光り
スーフィは一人、木陰に座す
瞼は閉ざされ、頭は膝の上に
瞑想の海深く沈んで動かない


何ゆえに、と、問う者がある


何ゆえに目を閉じているのか
慈愛に満ちた神の御しるしを
探し求めていたのではないか
目を開け、汝の周囲を見渡せ
これぞまさしく神の御しるし


それなら、と、その人は言う


御しるしなら常にここに在る
これ、という形や印も無しに
我が体内の奥深く、心の中に


巡る季節を映して梢が揺れる
世の美とは姿や形に宿るもの
次から次へと移り変わるもの


唯ひとつ、完璧なる人の胸に
永遠に輝ける果樹園を除いて





1. 『精神的マスナヴィー』4-1358. 初期の神秘主義者ラービア・アル=アダウィーヤの伝説として語られる寓話。ある春の日に、彼女は家の中に引きこもり頭を垂れていた。「外へお出かけになりませんか」、彼女の女召使いが話しかけた。「神の造りたもう美をご覧になってはいかがですか」。ラービアは答えた、「中へ入って、美を造りたもう御方をこそご覧なさい」。




***********************

「神化」1


蠅が蜜に落ちる。
体のどこもかしこも、部位の別なく
蜜に絡めとられて動かなくなる。


「イスティグラーク」、すなわち
忘我の境地というのは、このような状態を指す。
自意識を消滅せしめ主導権の全てを放棄した者。


その者より生じるいかなるものも、
全てその原因はその者には属さない。


水に溺れてもがいている者、あがいている者、
「溺れてしまう、沈んでしまう」と助けを求めて叫ぶ者、
そうした者は未だ「イスティグラーク」に至ってはいない。


『アナー・アル・ハック』


すなわち「われは真理(神)なり」という言は、2
この境地を象徴するのにまさしく的を得ている。

人びとは考える、何という暴言、何という傲慢、と。

人びとは考える、『アナー・アル・アブド』、
すなわち「われは神のしもべなり」、
という言こそ真の謙譲を表わすのにふさわしい、と。


断じて違う。


『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」こそが、
真の謙譲を表わす言である。


『アナー・アル・アブド』


「われは神のしもべなり」と言うとき、
その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。
しもべ、などと上辺では卑しみつつも、
しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。
自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。


『アナー・アル・ハック』


「われは真理なり(神なり)」と言うとき、
その者は自己を消滅し尽くしている。
そのとき、そこに自己などというものは存在しない。
ただ神のみが存在する。


これこそが真の謙譲、最大の奉仕である。




*1 『フィーヒ・マーフィーヒ』49.

*2 「われは真理(神)なり」については、『イブリースの告白』注釈を参照のこと。


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by mppoe-light | 2017-07-08 13:54 | 真理について思ったこと

ジャラール・ウッディーン・ルーミー

『あなたは大海の一滴ではなく、一滴の大海なのだ』

今月白光誌に載っていた、ルーミーという13世紀の詩人の言葉が素晴らしく、

さっそく調べてみました。

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

http://levha.net/rumi/147238/

「時の宇宙」1

ありとあらゆる瞬間に、あなたは死と再生を繰り返す。
預言者も言った通り、「この世はほんの一瞬に過ぎない」。
われらの思考は御方により、御方の宙へ向かって放たれた矢。
どうして宙にとどまり続けていられようか?
どうして御方の許へと戻されずにいられようか?

ありとあらゆる瞬間に、世界は新たに創造される。
われらは、永久に繰り返されるこの変化を知らない。
生命の水が刻一刻、新たに注ぎ込まれれば、
肉体は河のように、連続する流れの痕跡を残す。2



火花を素早く回転させれば、一筋につながる光の線に見える。
時も、時の経過も、絶え間なき神の御業のもたらす不思議の現われ。
巧みに回転させた松明の火が、ひとつの環に見えるかのように。





1. 『精神的マスナヴィー』1-1142. 存在という環の始まりも終わりも、神の本質という単一の点にある。これは我々の目には拡張という形式をとって認知される。しかしながら神秘主義者たちにとり世界は「瞬間に過ぎない」。それは神の光明により明かされる一即多・多即一のきらめきである。スーフィーその他のムスリム形而上学者の論に従えば、宇宙のあらゆる原子は神のエナジーの連続的な顕現であり、絶えず消滅しては再生される。

2. ヘラクレイトスの言「同じ川に二度入ることはできない。流れも変われば、水も変わっている」と比較せよ。


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by mppoe-light | 2017-07-08 13:26 | 真理について思ったこと