「私」が在ること

「私」が在るから世界が在り、そこで私は様々な体験をしています。
世界があればこそ、いろいろな気持ちを実感します。

もし「私」が無くなったら・・・あっという間に真っ暗な闇になってしまいます。何も存在しない無の世界、 いえ、世界と表現することもできない。無、無。(無限なる光明!) 
そう思ったら、自分が在ることが、「私」という意識があることが素晴らしいことなんだ と思いました。 かけがえのない「私」。無限の生命を与えられた「私」。今現在、どのような状況、環境に置かれようと、「私」が在ることが素晴らしいことなのではないか、と思いました。みんな消えてゆく姿なのだから、本物ではないのだから。。
だから、
何物も何者も、否定してはいけないんだと思います。
否定することは、存在を認めない・・・と言うこと。 “否定”とは存在するものを無くそうとすること。
在るものを無くしてはいけない。無にしてはいけない。
偽物に見えるものは消えてゆき、本物は常にあり、永遠なのだから。

もう少し勇気を出して、消えてゆく姿に流されないようにしよう。
自分が何者であるか(我即神也)を離さないようにしよう。
私(私達)は、常に宇宙から愛され、祝福されている。
だから大丈夫!
良かったね。おめでとう。
すべては完璧、欠けたるものなし、大成就

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by mppoe-light | 2016-12-24 22:40 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から 4)



「天と地をつなぐ者」から☆

天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることも、その時はっきり認識した。一真実行がついに百知を超えて、自己の本体を直接把握し得たのである。
天に昇ったということは自己の内奥深く入っていった、ということと同一なのである。

人間は全く大神の個別的現われなのである。輝きわたる一つ一つの星のような存在である。

地上界に写し出されている人間たちが、写し出されているそのままの姿で、自己の任務に一心を集中していれば、人類は苦しみも悩みもなく、地上天国の実現をみることができるであるが、
写し出された投影である人間が、天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて、自他の利害を区別し、天かくる光(内奥から発光する光)を遮断し、おおってしまいつつあるのである。

人間という者が、日常自己だと思っている肉体的自己は、実はしっかりした本体をもたない泡沫のような、想念の波であり諸行無常的、砂上の楼閣的存在なのである。


人間内奥に輝く本体の光、天に輝く真我(直霊)の光を直接地上に輝かせなければ地上天国はできあがらない。
そこで私は本体の光を輝かせながら、五感にみえる業因縁的存在はすべて消えてゆく姿なのですよ、と説きつづけているのである。

一日も早く肉体が業因縁的想念の器でなく、光の器、真我(神)の器となることが、自己も救われ、人類も救われるということを、はっきり一般の人に認識させることが私の天命なのである。


**************************
我即神也   私達は本来、神 大神の個別的現われ
だから完璧、欠けたるものなく、大成就している。
でも、人類は天にある本体の神である自己を忘れ果てて、
肉体的自己の想念の渦に巻きこまれて
、本来の任務である地上天国創造をしてこなかった。
神性を忘れた肉体的自己は砂上の楼閣のようなもの。 肉体的自己の想いが真我からくる光を遮ってしまい人類は業因縁の器になっている。
業想念の器のままでは救われない。地上天国は創造されない。

人間の真の姿を知り(我即神也)、祈り、言霊を発し、印を組み、光の器になる。

神性復活=神性顕現。 本来の自己を取り戻し、光の器として働く時。

我即神也 人類即神也


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by mppoe-light | 2016-12-13 21:26 | 真理について思ったこと

Mt.富士☆


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昨日はよいお天気で、富士山も綺麗でした。 祈りの丘で写真を撮影♪
撮影後に写真を見て、黒い物を発見しました。 鳥?もしかして・・・?

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拡大してみました。

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この写真以外にも もう一枚、鳥の下に なんだか黒くて丸い物が。。

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これはUFOなのだ~っっ! と、言い張っている私です。 ぐふふ♪


講師養成コース終了し、 昨日、任命書を頂きました。昌美先生のご法話に感動し、感謝しました。
「私」という意識をしっかり持って、地に足をつけた生き方をしたいと思いました。

世界人類が平和でありますように  人類即神也

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by mppoe-light | 2016-12-12 15:29 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から3)

“自由身への前進” の中で、霊側からのさまざまな問答の場面から

「人間世界の苦しみを救うにはどうすればよいのか?」

「人間の本体を知らせ、神の理念を知らせることです」

「他の人にはどう教えるのだ?」

「人間の本体が肉体にあるのではなく、神としてこの宇宙で自由自在に働いているのだから、自己の肉体的な業(カルマ)の想いでお願いするような卑屈な気持ちではなく、
自分の本体から宣言するような心で、世界人類の平和の祈りをしなさいと教えます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20数年前、初めて我即神也の印が降りた頃、
昌美先生は、我即神也の姿として黄金の天使像をイメージしなさい、というお話をされていたとように覚えています。
それを聞いた時、当時の私にはまったく想像できないものでした。しかし、「天と地をつなぐ者」を読み直し、五井先生が神我一体され、釈迦牟尼世尊と対面する場面を読んだとき、「このことか…!」、と思いました。

やはり本体はあるのです。神界に厳然と存在するのです。
肉体の「私」と神性の「私」は別々のようであるけれど、実は一つに繋がった「私」という意識であり、我即神也の宣言はそのことを言っているのだと思います。
今私は、神界の「私」を“黄金の天使像”としてイメージして祈るようにしています。


世界人類が平和でありますように 人類即神也
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by mppoe-light | 2016-12-04 21:54 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から (2)

本文から

「自分だけが救われて、それでよいのなら、その頃の私の心境でも救われていた感じである。いわゆる仏教でいう往相の悟りになっていたのではなかろうか。
なぜならば、私自身としては、すべてに対して、なんの不足も不満もなく、天地宇宙に対して、ただただ感謝感謝の日々であったからである。神にまかせきった自由な心境であったのだ、
自己のための自己はもうすでにない気やすさは、そのまま還相として、人類世界の苦難、小さくは日本の苦悩を真正面に受けて立つ環境に自らをおかずにはいられない。
日本の苦しみは自分の苦しみであり、人類の悩みは、やはり自己につづいているのを、はっきりと感じるのである。
 自己はない。ない自己のおかれた立場は、日本であり、人類世界である。」


五井先生の気高さ、偉大さ!

自分を極め、内奥に入れば入るほど、「私」という意識は、大きくなり、日本・世界人類=「私」と感じるようになる・・・


日本のため、人類のため 自分の命を投げ出す・・・、としても、
そのためにその場限りで一度に命を投げ出し死ぬのはたいしたことではないのかも・・・と思いました。
それよりも、
この世界で肉体を器に生き、(肉体を持つということは、痛み苦しみを感じるということ。)どんな困難な状況になっても、人類を救うために(人間は本来神の分霊であることを知らせるために)全責任を持って働き続けて行くこと・・・
これは並大抵のことではない、と思います。

五井先生が神我一体され、神界にて釈迦牟尼世尊、イエスキリストと会われた時の五井先生の言葉から、責任の大きさ、重さが感じられ、心に突き刺さるようでした。

「光り輝く中から金色の十字架を背負ったイエスキリストが現われたとみるまに、私の体中に真向から突入してきて消えた。その時、“汝はキリストと同体なり”という声が、激しく耳に残った。
私のその朝の瞑想は、その声を耳底に残したまま終わってしまった。
私は深い感動というより、痛いほどの使命観を胸底深く感じていた。
そのことが単なる幻想でないことを私の魂が、はっきり知っていた。
“汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし” という内奥の声を、はっきり聞いていたからである。」

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by mppoe-light | 2016-12-02 22:25 | 真理について思ったこと

「天と地をつなぐ者」 から (1)

十数年ぶり・・・? いえ、20年ぶりかも
五井先生の「天と地をつなぐ者」を読みました。

五井先生の言葉が心に響きます。

本文から

「私にとって世界はすべて美しいのである。病気も、貧乏も、闘争も、すべては迷いの影であって、実際はないのであった。こうして生きている、ということだけで、ありがたくてありがたくて仕方がないのである。

“神様、ありがとうございます。ありがとうございます”こうした感謝に明け暮れている私だったのであったから、いつも明るい昂揚した様子をしていた。」

世界人類が平和でありますように

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by mppoe-light | 2016-12-01 22:09 | 真理について思ったこと