私の世界の唯一の決定者

「私」は私の世界の唯一の決定者である
「私」は私の世界の唯一の創造主である

「私」は宇宙神の御心を私の世界に顕します。

→”神性復活”

毎日、印を組む前に宣言をしています。 
この頃、宣言するたびに、この決定者であり、創造主という部分を
自分に言い聞かせています。

私は 本当の意味で、きちんと真理に基づいた決定をしているだろうか。。。

「私」は、私の世界のただ一人の決定者・・・それなのに、私ではなく、
世の中の常識、または、周囲の目 に自分の心が揺れ、左右された決定をしているのではないか・・と思いました。 それだけ “想いのクセ”“想いの習慣”は因縁因果のカルマに大きく傾いている・・・・という事なのですが・・。

たとえて言うなら  絵を描くとき・・・、 
「上手く描きたい、完成したら周りの評価が待っているから良い作品にしたい・・・・」
「高く評価されたら 売れるかも♪」

などなど・・ 「絵を描きたい」 と思う気持ちに、余計な思惑が重なってきます。

純粋に絵を描きたい 絵を描く というこの気持ちがいつの間にか、自分の気持ちではなく、周りの目に左右された気持ちで絵を描くことになってしまう。。。 

いったい、私は何のために生きているのか。過去のカルマを引き継ぎ、カルマを延長させた世界を創造するために私は此処に居るわけではないのに。

私の心は今、起こっている現実の何をとらえて、どう反応しているか・・・・それも選択。
怖れず、振り回されず、自分自身を信じて、真の決定をして行くべきなのだと思いました。 そのためにも もっと自分を赦し、自分を愛すること!

創造主として、選択・決定はつねに私に任されている。
なんてすごい能力を私たちは与えられているのか と思います。
神性復活 神性顕現
自分自身に誇りをもって 決定・創造していくべきなんだ・・・と思いました。


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by mppoe-light | 2015-04-28 00:12 | 真理について思ったこと

「こころ」

過去はない 消えてゆく姿だから。 
だから捉われてはいけない。摑んでしまってはいけない。放さなくては。
では・・・、
放した後、心は何処へ向けたらいいのか、 
現われた消えてゆく姿に、捉われず、摑まないようにした後も、心には、様々な想いが絶え間なく湧き上がってきます。

五井先生は 人間の、捉われた想いを放した後の、心の行き先を用意して下さいました。
「世界平和の祈り」 を用意して下さいました。
それは真の心(神性)と繋がる方法でした。

世界平和は神さまの御心。 その御心と一つになる、祈り。

本心に辿り着くこと、自我の私をすべて神さまにお返しして、本体そのものとなることは容易ではありませんが、 
世界平和の祈り 印 によって
本心とつながることが出来ます。
今どんなカルマの中にあっても、 消えてゆく姿で世界平和の祈りを実行することで、自分の内にある神性と繋がり、顕すことができます。

完全にカルマを浄め切らなくても、完全に「空」を体得していなくても、
本来は 我即神也 なのだから、神性とつながり、顕すことができる。

祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのものなり。

 
本心・・・本当の“こころ”   まだ “まことのこころ”の在り場所を知ることは出来ていないけど、 祈ること、印を組むことで、私は まことのこころと繋がり、顕すことが出来ている・・・・そう思うと、 世界平和の祈りの奥深さ、果因説の素晴らしさに感動する私です。

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“こころよ こころよ どこにいる
まことのこころよ どこにいる
探し求めて幾転生“

“私はこころの在り場所を
はじめてしっかり知りました
こころは天にありました
いのちの中にありました
光の中にありました
私の中にありました“

“こころは私でありました
 こころはいのちでありました
 こころは光でありました
 人と人をまんまろく
 天と地とをまっすぐに
 つなぐ光の波でした“


五井先生の 「こころ」  から





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by mppoe-light | 2015-04-10 22:30 | 真理について思ったこと