「意識即創造力」

今、いのちがここに届いている。
『私』と言う“いのち”が、この現象界の肉体の私のところまで光を降ろして、来ている
・・と思いました。 

今、『私』は、ここにいる。 
『私』の内には、創造するためのすべての要素、あふれ出る源泉があって、『私』という意識は、意思の力、信じる力を使って、自由に現象世界に神の完全性を顕すことができる。 

『私』は、ここにいる。
『私』は、素晴らしい。  『私』は世界を創造する者。

これは、あなたも、すべての人類も皆同じこと。 
人類の存在は、“いのち”が届いている証。
人類一人一人は、素晴らしく、気高く、 世界を創造する創造主。

<2013 白光誌6月号 法話 「意識は現実を創造する力」> から


意識は創造する力です。 意識は現実なのです。これをよく覚えていてください。
意識は現実なのです。自分が思ったことは必ず現実に映されるのです。これは宇宙子科学で証明されつつあります。

意識即創造力です。意識は創る力であり、自分が意識したものが現実に現われる。そして自分が創造したものは、必ず自分が体験することになるのです。

私たちは宇宙神の光の一筋です。宇宙神そのものが創造者であるならば、私たちも創造者なのです。
私たちは傍観者ではありません。受容者でもありません。創られる人でもありません。言いなりになる人でもないのです。
自らが創っていくのです。世の中を変えていくのです。自分で自分の人生を変え、病気を癒していくのです。
そのような創造者であるということです。


意識は素粒子レベルで伝わっているのです。 意識が素粒子に影響を与えるのです。


最後にもう一度申し上げます。 
皆様はまだ自分自身を本当に信じておらず、自分自身の力をまだ発揮されていません。私に後押しされて、こうして大勢でやると発揮できるのに、自分の部屋に帰り、家族や会社のネガティブな状況に触れると、その力があまり発揮できなくなる。
その無限なる力を発揮してください。すべては波動なのですから、あなた方の周りに全部届くのですから。

最後に自分に言い聞かせましょう。
 私は創造者! 私は宇宙神の一筋の光! 故に、
無限なる愛、無限なる創造、無限なる叡智、無限なる幸せ、無限なるエネルギー、
無限なる能力、無限なる可能性、無限なる成功、無限なる供給、無限なる健康、
無限なる治癒力、無限なる成就、 その創造者である。

 それらのエネルギーを通して創造者としての自分を発揮する。発揮する。


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by mppoe-light | 2015-03-28 11:45 | 真理について思ったこと

『消えてゆく姿』 ☆ 『過去はない』


最近  『過去はない』 と言う言葉が思い起こされます。

以前、昌美先生は 『過去はない』 とよく言われました。
その頃は まだ果因説の思考が身についていなかったので、
なんで・・・? と思っていました。(・_・;)

その後、白光ノート を何度も繰り返し読み、質問を重ねながら、少しずつ果因説を学んで行くうちに、 昌美先生の言われる『過去はない』が徐々に理解できるようになりました。 でも、それはまだ頭の中だけの理解でした・・☆

最近になって  『過去はない』 とは、実はこういう事だったのか・・・と思うようになりました。 今までは観念的な理解だったことに気が付きました。

過去はない。 あると思えるものは、すべて消えてゆく姿。
『私』には、過去はなく、カルマもない。


時間は過去・現在・未来へと流れ、
不完全なものを、時間をかけて努力を積み上げて、完成させる・・・
という、今まで当たり前だった発想、思考。
でも、真実はこれとは違う真理でした。
因縁因果が一時救済の真理なら、
『過去はない』は究極の真理。本来の真理・・・と思います。

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『過去はない』 という事を考えていると、
五井先生の 消えてゆく姿で世界平和の祈りの教え の奥の深さに
またまた驚いてしまいます。

消えてゆく姿は、これから真理を知ろうとする人を、優しく導くことが出来る教え。
そして、すでに学び進んでいる人を、さらに高い真理へ目覚めさせるために必要なもの。
そして、
もっと高い『究極の真理』の中でも欠かせない、重要な部分。

消えてゆく姿は、どのような意識の段階の人も、救済し、導くことのできる教え。
本物の真理は、すべての世界を貫いている、一貫している・・・。 
こんなこと考えていると、
五井先生の教えの素晴らしさ、愛の深さに、 またまた感動してしまう私です。

やっぱり五井先生、すごいっ!   

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by mppoe-light | 2015-03-20 22:24 | 真理について思ったこと

『私』は何?何者?

肉体を器にして形の世界で活動している『私』にとって、目に入る触れる現象世界は誘惑でいっぱい。 
自分は本来 神の分御霊である・・ことを忘れて、外側の出来事に心が奪われて自分が何者なのか・・・と言う事を忘れてしまいます。
忘れたままでは因縁因果の法則を越えることはできません。(T_T)

気が付いた時、祈る時、印を組むとき、 自分に問いかけます。

私は何なのだ? 私は何者なんだ?

その瞬間、私は “今”に帰ることができます。
私は本来、神。 私は、すべては完璧、欠けたるもののない存在

過去はない。真実の世界は“今”にある。
それは、我即神也、人類即神也 果因説の世界。

過去、現在、未来の流れの世界で“今”に集中すること、つまり本当の『私』に帰還することは根気のいる作業ですが、 でも『私』の中に無限なるものすべてが有る、
(この私の中に、すべてがあるなんて・・・!) そう思うと、もっと奥の『私』を知りたい・・と思います。

現象につられたまま、道草して遊んでしまっても、必ず 我即神也 という故郷に帰ることが出来るよう、祈り、印、言霊・・・をきちんと生活の中で続けていかなければ・・・と思いました。

新しい文明の教育

 先ず、教育は学びの場である。学びなくして教育なく、教育のあるところ学びがある。
 真の教育は自己認識の教育である。真の学びは自己認識の学びである。
今日までの教育は自然認識のための教育であった。物理化学的認識の教育としては効果を発揮した。
ところが、自然認識の方法と自己認識の方法は根本的に異なっているのである。
自己を認識する理性とし、自然を観察される物体とするならば、その科学的方法は成果を発揮する。
しかし、自己認識の分野となると、理性的な常識が一切通用しなくなるのである。

自己認識の領域は、よく言われる量子力学的世界になる。
先ず、観察者と被観察者が同じなのである。
観察者は自ら観察しようとする姿を観察する。つまり、自らの信念を自らが体験するのである。
自分が自分を凡夫と想えば、凡夫の姿を現わし、凡夫を体験する。
自分が自分を神と想えば、神の姿を顕わし、神を体験する。

また、自己認識の領域は四次元的でもある。現象的に自己は人間の姿を現わしているように見えるが、実は本心は神そのものなのである。
同じ神性が、自らの姿を忘れ、自己を汚れていると観じるならば、輪廻の姿を現わす。
同じ神性が、自らの姿を思い出し、自己を神聖と観じるならば、神の姿を顕わす。
ところが、神性は不変である。確立されている。汚れたり、減少することはない。
問題は自分が自分のことをどのように評価しているのかだけである。
この自己評価が現象の姿を決めているのである。

古い文明の発想からすれば、現実の自分(普段の自分)と理想の自分が存在する。現実と理想とのギャップが存在する。現実の自分が理想の自分に近づく方法が必要になってくる。それが古い文明の教育というものだ。
 新しい文明の発想法は全くそれとは異なる。
『私』とは本心であり、究極の理想である神そのものである。現象とは関係なく、『私は神である』と宣言していい。宣言すべきである。宣言することによってこそ、真理は現実の世界に顕われる。

『人類にとって最も価値があるのは、自らの存在そのものが、かつては神のように気高く神々しく計り知れないほどの尊厳さを持つものであったということを思い出してゆくことです。本来の自分、真なる自分、神なる自分を思い出してゆくプロセスこそが、二十一世紀の人類の学びなのです。』(2000-1白光誌)

 教育でも、学びでも「理想と現実のギャップを埋めてゆく」ことではない。現実の私を私として受け止めることが幻影であって、私は実のところ神そのものであると認識することが教育であり、学びである。
先ず、第一に問題になるのは、人が見たもしくは、自分が見た現象の姿ではない。
現象の自分とは全く関係なく、自分とは何なのか?自分とは誰なのか?
学びも教育も問題になるのは、現象界の姿ではない。
現象界とは関係なく、真実の自分の姿が何なのか。それを知ることが教育であり、学びである。

<白光ノートから>


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by mppoe-light | 2015-03-08 22:14 | ピタゴラスさん啓示録から