「過去を放す」

 過去を放す

私には過去はない
あったようだけれど
宇宙神に通じる大河に流してしまった
すぐ放してしまった
放せば心の中から過去はすべて消え去っていった

失敗も挫折も苦しみも悲しみも
幸せも感動も成功も至福も
摑んだままには決してしない
何もかも放す!! 放す!! 思い切って放しつづける!!
私の意識は常に
今この瞬間を生ききること
明日に向かって永遠に続いている
この一瞬一瞬を見つめ
未来に意識を集中させることのみ

<インフィニット・ワーズ 2014年1月号 から>




毎瞬、毎瞬、究極の真理は 私に向かって流れてきていて
それは、常にすべて完璧、欠けたるもののない「私」
まるで未来から私に向かってやってくるみたい

摑んだままには決してしない
何もかも放す!! 放す!! 思い切って放しつづける!!

放した瞬間に訪れるのは、新しい「私」、究極の真理の「私」
どんな時でも、消えてゆく姿の私を放した瞬間、そこに在るのは(顕れるのは)、本来の「私」
私は無限なる新鮮、 放せば、一切の歪み、汚れのない、すべてが完璧な光り輝く「私」がそこに在る。

消えてゆく姿を摑まないで放す、思い切って放しつづける。 そのためには、
究極の真理 我即神也 を認め続ける。 すべては完璧、欠けたるものなし、大成就を心にインプットする。 

自分を磨き高め上げるための方法は、神行としてたくさん与えられています。
あとは、それらをどうやるのか、どこまでやるのか・・、自分次第。 
今の自分とどう向き合うか。今後、自分をどうしたいのか。
本当の自分を顕すことが天命、
それは私自身に任されている・・・☆

そう 思いました。

今年は、ちょっと真理から離れて、よそ見してることが多かったです。(>_<) ううぅっ
来年の新年の指針で、守護神さまから叱られるかも。。。。(・_・;)ぎくっ☆

我即神也  すべては完璧、欠けたるものなし、大成就

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by mppoe-light | 2014-12-17 19:53 | 真理について思ったこと

もうすぐクリスマス・・・☆

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寒かった~((+_+)) でも楽しかった~ (●^o^●)

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                おまけ。。。。
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                                         お後が宜しいようで・・・・☆
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by mppoe-light | 2014-12-14 19:32 | どってことない話☆

消えてゆく姿で世界平和の祈り


毎日、世界平和を祈るうえで、大切なのは
消えてゆく姿で 世界平和の祈り  ということ。

  真の祈り

 「00が治りますように。++が無くなりますように。**が起こりませんように。癒されますように」という祈りは本物ではない。そもそも「、、、でありますように。 、、、になりますように」の祈りは数年前から禁止されている。
一度は現象を認めて「消えてゆく姿」を実行するものの、次の瞬間には「消えてゆく姿」に意識を注いではいけないのである。
瞬々、意識がどちらを向いているのか、自分で責任を持って選択するしかないのである。
 

 『苦境そのものに心を向けないで、人間本来神の子であるという神そのものの姿に心を向け、今まで見失っていた、未だ現われていなかった本来の神の子の姿を、光り輝く完全円満なる姿を呼び起こし、目覚めさすために祈りを捧げればよいのである。』

 消えてゆく姿の段階では、不完全な現象を仮に認める。しかし、祈りの段階では、不完全な現象は認めない。つまり、祈りの段階では、「すべては完璧 欠けたるものなし」の世界に飛び込むのである。
「飛び込む」とは肉体頭脳で考えないということである。それは四次元的アプローチなのである。

また、現象だけではなく因縁因果も同様である。消えてゆく姿の段階では、因縁因果も仮に認める。
しかし、祈りの段階では、因縁因果は認めない。そこでは、果因説の世界に飛び込んでゆく。
この切り替えを意識的にしているか否かが大きなポイントである。
何故なら、因縁因果説の中に留まったまま祈る人は少なくないからである。
 
 「因縁因果はない。輪廻転生はない」というのが究極の真理である。
現象の処理、解決、罪の赦しを神に祈るのではない。現象を超えた『神そのものの姿、光り輝く完全円満なる姿』は厳然と成就しているのである。暗雲の背後に隠れた太陽のように、『本来の神の子の姿』は存在しているのである。その『神の姿』に思いを馳せ、イメージし、『呼び起こし、目覚めさす』のが祈りである。この真の祈りであれば、必ず祈ったことは現実化するのである。真の祈りは必ず物質化する。
 
 『本来の祈りとは、ポジティブな祈りでなければならない。
   真の祈りとは、神の無限なるものに焦点を合わせるものである。
   真の祈りとは、人間神の子であるという真理に目覚めさせるものである。』

  我々は赦しを乞う以前に赦され、不足したものを希う以前に与えられているのである。その完全性、無限なる神性、神聖なる精神が本来の働きを開始することを祈ればいいのである。
  『完全なる健康体が現われますように。至福や繁栄がもたらされますように』という祈り方もある。「ように」という表現を避けるならば、「完全なる健康体が現われる。至福や繁栄がもたらされる」と祈ればいい。
肝心なことは何度も繰り返し繰り返し唱えることである。

注 『』はすべて(白光1992-11)より引用    


一度は現象を認めて「消えてゆく姿」を実行するものの、次の瞬間には「消えてゆく姿」に意識を注いではいけないのである。
瞬々、意識がどちらを向いているのか、自分で責任を持って選択するしかないのである。

消えてゆく姿の段階では、因縁因果も仮に認める。
しかし、祈りの段階では、因縁因果は認めない。そこでは、果因説の世界に飛び込んでゆく。
この切り替えを意識的にしているか否かが大きなポイントである。
何故なら、因縁因果説の中に留まったまま祈る人は少なくないからである。



自分の中の、本心と業想念とは別もの・・・と、知識ではなく心の中から認識していれば、

<・意識がどちらに向いているか、 ・意識的に切り替えをしているか・・・>
このことは神性顕現には重要な事であって・・・、
とはいっても、、、現実生活の中でこのことを日々繰り返すことは難しいことだけれど、
それでもそれを続けて行かなければならない・・・・
ということを実感してもらえるはず。

    
因縁因果説の中に留まったまま祈る人は少なくないからである。

私もそう思います。
自分は“我即神也”であると、自分の神性をつかむことは、そう容易なことではないと思います。 (そのために様々な行、神行を繰り返していますが)

我即神也、人類即神也 の宣言の言葉を、自分の中からの言葉として、つまり神性の私の言霊として宣言できるようになるまでに、私は何年もかかりました。
(※2012年12月の中ごろ・・・呼吸法の印を組んだあとで、ふいに
「自分は我即神也でいいのだ、そうなんだ」・・・と納得しました。 
それ以来、宣言文を読むのが好きになりました。)

消えてゆく姿は、実行すればするほど、その深さを感じます。
私も、ずいぶん消えてゆく姿が実行きるようになったな~・・・と、ちょっと満足したとたん、
“消えてゆく姿で世界平和の祈り”の教えが さらにもっともっと深いことを思い知らされたりしました。


肝心なことは何度も繰り返し繰り返し唱えること

以前、mixiでピタゴラスさんが紹介して下さった昌美先生の法話の言葉や、
ピタゴラスさん自身が薦めて下さった神語など4~5種類を、今でもほぼ毎日唱えています。(もう5年以上やってるかな) どれも私にとっては大切な言霊です。
もちろん、我即神也の宣言文、祈り、印、も実行しています。
それらの行が、心底自分の言葉、自分の行為になるように、
意識して行っているところです。 (たまに脱線?するけど、、、がんばりま~す(^_^;)

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by mppoe-light | 2014-12-12 15:04 | ピタゴラスさん啓示録から

真妃先生のお話から・・・

12月白光誌 P45 HSK始業式
真妃先生のお話から

「自らの神性を輝かす選択、曇らす選択があります。世の中で、得をする選択をするのではなく、神性を輝かせる選択をしつづけることが私たちの課題なのだと思います。」

「善悪は神性とは何の関係もなく、過去の人類が創り上げてきた統計であります

善悪の枠に把われずに自分の中の神と一つになる選択をしていけるか、そのためには枠から出て自分の神性を顕すことだと思います。

枠を外して見ることが出来るか。また違う意見を受け止める大きな器になれるか。
そこが自分が神性とつながっていくトレーニングだと思うのです。」

「究極の選択というのは、自分と他人の神性を引き出す選択です。自他ともに神であるという確信を持った時、自分と人の神性同士がつながる意識で生きた時、今までとは全く違う関係が生まれます。

神性復活をするためには、いかに自らの神に確信を持てるか。それは日々の祈りで自分を深めてゆく行為の延長線上にあります。 
人生とは幸せだけではない。不幸とは暗闇の中にある自分の神性を考えられるチャンスなのです。」



善悪の枠。過去の人類の創り上げた枠。
それは きっと因縁因果の枠のこと。
その枠に把らわれず、枠から出て自分の中の神性をつかみ、顕す。
枠の中の現象は、消えてゆく姿であると断じて、意識は光の中へ。我即神也へ。
生き方は、因果説から果因説へ。
 
いかに自らの神に確信を持てるか。
神性復活は、日々の祈りで自分を深めてゆく行為の延長線上
に。


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by mppoe-light | 2014-12-02 21:51 | 真理について思ったこと