3週間の出来事☆

日記を書くのも久しぶり☆ 3週間ぶり?くらいかな。
その間にあった出来事。。

私がひいた夏風邪を、母にうつしてしまいました。(>_<) 
私が簡単に治癒したので、母は風邪を少し甘く考えてしまったようで・・・。
予想外に症状が長引き、とうとう発熱★してしまいました。

かかりつけのお医者さんに行って検査。 
幸い肺炎にはなっていませんでした。 ほっ。。。(^_^;)
が、
そこからが大変。なかなかすっきりと快復しません。
食欲もなく、元気もなく。。。 母の口から出る言葉は否定的なことばかり。

う~ん、まあ仕方ないかな。 高齢で、ただでさえ自分の思い通りにいかないうえに、、
さらに風邪で体調が良くないのだから、不平、不満は仕方ないかな・・・と、

そんな母の様子を気にしながら、私の方はお盆の準備やお墓参り、粘土を使った夏休み体験教室などなど・・・ 少々あわただしく過ごしておりました。
ふと気がつけば、今年の新年の指針 「朝起きた時に まず感謝」のことを
忘れていました。 
が~ん・・・。(T_T) うううぅ・・・大切なことなのに~。
 
朝を迎えた時の気持ち、心構えは重要だと思います。一日の始まりは、やっぱり神性を意識し、宇宙神とつながっていることに感謝、 すべては完璧、欠けたるものない という真実に感謝しなければ。。  
私、私と言う意識・存在は、すべてに充たされ、愛され、祝福されて存在している。 無限なる感謝!


もう一つの出来事

ipad を買いました。 (●^o^●) 
じゃじゃ~ん☆ 買ったばかりの写真。 まだ電源の位置も判らない状態。
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まず画面にフィルムを貼って、 さっそく最初の設定開始!
が、・・・・

おなじみのアプリの画面が出るまでの設定に、さ、3時間もかかりました。( ̄▽ ̄;)
つ、つかれた・・・。。

それでもその日にネット、メールも使えるように♪ 未だ、古いガラケーなので
家の外ではネットは使えません。でも 空港などは無料WiFiだし、案外
公共施設内では使える所もあるかも? 新幹線はどうなのかな。

ipad の使用目的は写真と動画♪のため。 いつでも何処でも簡単に見たいから。(*^_^*)
最初の設定のあとは、 パソコンとケーブルで繋いで、アップルの無料ソフトiTunesをダウンロード。 これで同期はバッチリ☆ 
少しずつ覚えて、使いこなせるようになりたいです。


さらに、もう一つの出来事
23日は私の誕生日でした。祝!
その時、贈ってもらった花です♪ 可愛い~(*^_^*)
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8月もあとわずか。 
私の中の 「すべては完璧、欠けたるものなし」 が、日々の思考の基盤(前提)になるよう繰り返していかねば・・・と思う今日この頃です。

自分が“完璧である”を基に展開される思考、その思考を基にして湧き出る感情。
それが私が求める光明思想
私は何者? 私は誰? 私は何のために此処にいる?
自分自身に深く入っていく作業は面白いものがあります。

「私」という意識は認識する。 認識するものが私の住む世界。
目に入る形の世界の様相、 その様相の何を信じるか。 消えてゆく姿の状況を認めて信じて行くのか、それとも世界の様相の奥に、宇宙神の法則があることを認め、信じて行くか。 
今、本物の眼力、真の認識、果因律の思考が必要なのだ・・・と思っています。



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by mppoe-light | 2014-08-29 22:44 | どってことない話☆

神意識は、いつも『すべては完璧 欠けたるものなし 大成就』の世界を見つめる


権利

『喜びとは、勝ちとらなければならないものと思っているけれども、実際は全くそうではなくて、この世に生まれ落ちた瞬間から、生まれた時の権利として本来持ちあわせているものなのである。』(90-11)

『無限なる歓喜、繁栄、幸福、調和の心は、人類一人一人の心の中に生まれながらにして既に授かっているのである。』(92-02)

『あなたの過去の出来事一切をあなた自身が赦してよいのです。
人間は本来いかなる罪をも赦す権利があるのです。罪を赦すのは神ではありません。』(94-10)

『それ(すべてのもの)に対して自分の価値判断を一切加えないことです。
その存在に対して何故に我々が価値判断を下す権利があるというのでしょう。』(96-03)

権利について取り上げる。人は宇宙神の子として、完全完璧である
。人は被造物ではないから、自由意志を持つ。そして、人は現象世界の創造について全責任を負う。
ただし、個々人の完全完璧性、神性については宇宙神が全責任を負う。
人は自己の神性を否定する自由はある。
しかし、その神性を損なうことはできない。

 諸々の宗教観念の中では、宇宙神が認める真の権利について語られることは少なく。むしろ否定されることが多かった。
そのため、自己の正当な権利を主張することは悟りに匹敵すると言っても過言ではない。
余程、「我即神也」の真理が分かっていないと、権利の主張はしづらいものである。
神性が自己のものであり、自由に発揮していいものであると簡単には思いづらいものである。
しかし、この問題は放置してはいけない。権利の主張をする訓練を怠ってはならない。

 「自己を赦す権利」も大きなテーマである。因果応報の苦しみによって赦されるのではない。神に赦しを乞うのではない。自分が自分を赦せばいいだけである。
神仏や良心が自分を責めていたわけではない。ただ単に、自我が自己を憎んでいただけである。
人は初めから神そのものだった。それを忘れていただけである。
今から直ぐに、因縁因果の人生を止めて、神性顕現の人生を選ぶ権利。
それは万人に与えられている。明瞭な真理である。しかし、意識を心底から納得させるには訓練を要する。

 人には宇宙神の子としてのあらゆる権利が与えられている。だが、他人の自由意思に介入する権利はなく、一切を評価する権利もない。『すべては“神”の働きです』(96-03)から、『“我即神也”“人即神也”“物即神也”“生きとし生けるものすべて即神也”』(96-03)と真の評価をする訓練が要る。

 自我意識は主張すべき権利を遠慮して主張せず、謙虚を装ってきた。そして、権利もないにもかかわらず自他を批判、非難し、評価しつづけてきた。
神意識は、いつも『すべては完璧 欠けたるものなし 大成就』の世界を見つめ、その世界を現象界に顕すよう祈りつづける。

<ピタゴラスさん>





意識を心底から納得させるには訓練を要する。



一度、真理を理解した気分になっていても、意識は心底納得しておらず、
そのため思考は元の因果説に戻ってしまいます。
だから繰り返さなければならない。 訓練が必要。

毎日、繰り返します。祈り、印、そして宣言(そして神語)
それをこつこつ積み重ねる そして意識の階段を一段、二段と登る。 
登ればそれだけ大きな広い世界に住むことができる。 意識の世界とは不思議だなぁと思う。



「自己を赦す権利」も大きなテーマである。因果応報の苦しみによって赦されるのではない。
神に赦しを乞うのではない。自分が自分を赦せばいいだけである。

自分を自分が赦す ということの難しさ。(@_@;)))
頭では解っていても、解ったつもりでもいても、!
自分の心は赦してはいない。 自分の心って手強い(笑)(^_^;)

何か大いなる存在が 「すべてを赦す!」 と言ってくれた方が どんなに楽なことか。。。 
でも、
私は本来神なのだから、仮に自分以外の誰か(神)が 「赦す」 と言ってくれても、
到底納得はできないはず。
私たちは一人一人が宇宙神の子だから。気高く、崇高な存在だから。

自分が自分を赦さない限り前に進めないし自分が自分の神性を認めない限り前に進めない
と思います。
真理への扉は自分の中にあって、鍵を握るのは「私」


神意識は、いつも『すべては完璧 欠けたるものなし 大成就』の世界を見つめ、その世界を現象界に顕すよう祈りつづける。

こんな素晴らしい神意識が私の中にある。 嬉しい!
神意識は常に私の中にあるのだから、 だから今の私も同じように出来るはず。
すべては完璧、欠けたるもののない世界を見つめ、それを顕すように祈ればいい。  

私が私で良かった。 おめでとうー私! 私って素晴らしい人なんだ! (●^o^●)



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by mppoe-light | 2014-08-09 21:27 | ピタゴラスさん啓示録から

『個に徹する』 こと

自由意思に基づく権利

『人間はどんな状況にあっても必ず自分の自由意思を尊重し、駆使してゆくものである。それこそ神が我々人間に与えられた自由という特権なのである。
すべての人類に当てはまる唯一の真実は、人の運命はあくまでもその人自身の自由意思
の結果であるということである。』(93-06)

『人を変えることなど神様さえできない。何故ならば、皆人は自由意思に基づいて生きる権利があるからである。』(91-07)

『あくまでも人類一人一人の自由意思は尊重されます。個人の自由意思の決定に関しては、神々様さえも何ら一切関知しません。』(99-01)


 自由と責任、権利と義務、、、これらは単に法律的な問題ではない。
人間の本質に係わる問題である。人間とは何かに係わる問題である。
『自己認識に欠けたる結果』(98-04)が世の苦悩を産み、「正しい自己認識の結果」は神性顕現となる。
つまり、自己認識こそがカルマと悟りの分岐点であり、人生のすべてを決めているのである。
まさに、この自己認識の領域に人間の自由意思の領域がある。
そして、神でさえも介入できない人間が持つ尊厳の領域がある。


 『皆、本来の自分というものを錯覚しているのです』(99-04)。

 本来の自分というものがわからなければ、自分の自由と責任、権利と義務について正しく選択できない。
その錯覚に基づいたこれら四項目についての思い込みが、人生を混乱に導いてしまう。
『我即神也』と究極の真理を説かれても、人類は非真理に基づく固定観念に縛られている。
ならば、『我即神也』に基づく生き方を多方面から説き明かし、思い違いを少しずつ修正する必要がある。
そのため、この四項目については何度も何度も解説が繰り返されるのである。

 人は皆、本質において、実在において神そのものである。その神性は損なわれることなく、減少することもない。
ところが、人は自己認識において、自分を神と正視することもできるし、自分をカルマの人間と錯視することもできる。
これは自由意思の領域であって、宇宙神でさえも介入できない。神々も、覚者も、神人も介入できない。むしろ、他者の選択に対して『一切関知せず』という態度を取ることこそが宇宙の法則に適うことである。
『一切関知せず』とは『批判、非難、評価を下さない』ということである。
ただ『人類即神也』と人類の真の姿を正視するのみ。
人類一人一人を神として尊重するのみ。人類一人一人を神として愛するのみ。
それが、光となって、人類の目覚めを促す唯一の道である。

 この自由には当然ながら責任が付き纏う。組織に帰属することではなく、個に徹することが要求される。
他の判断ではなく、自己の判断が問われる。他に権能を委ねることではなく、自己責任が問われる。自由意志には厳しさが伴なうものである。

<ピタゴラスさん>



自己認識こそがカルマと悟りの分岐点であり、人生のすべてを決めているのである。まさに、この自己認識の領域に人間の自由意思の領域がある。そして、神でさえも介入できない人間が持つ尊厳の領域がある。

これこそ究極の真理っ☆ そう思いました。
神でさえも介入できない私たちが持つ尊厳性。  本来、私達一人一人は気高く崇高な存在なのだから。
けれど、

この自由には当然ながら責任が付き纏う。組織に帰属することではなく、個に徹することが要求される。他の判断ではなく、自己の判断が問われる。他に権能を委ねることではなく、自己責任が問われる。自由意志には厳しさが伴なうものである。

組織に帰属することではなく、個に徹すること。他の判断ではなく、自己判断。
「個に徹する」・・・・ この言葉に、共感と同時に深さ、重さを感じました。
とても大きく深い真理・・・☆ 

”個に徹する”こととは、自分を信じること。自分の本来の姿、神性を信じること。すべては完璧、欠けたるものなしを信じること。
どこまで信じられるか。信じる深さで、選択が変わり、人生が神性顕現へと変わり、世界が変わる・・・
そう思いました。

世界人類が平和でありますように 人類即神也



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by mppoe-light | 2014-08-04 19:12 | ピタゴラスさん啓示録から

「祈るとき意識がどこを向いていればいいのか?」

祈るとき、意識がどこを向いていればいいのか?

 
自我は自己の本来の姿を認めない。
五感で知覚できない存在を認めない。自己の神性を認めない。自分は不完全で汚れたものと知覚する。
世界人類についても同じである。
世界は汚れ、不安定なものとして知覚する。人類も汚れて争い、苦しむものとして知覚する。世界にも人類も神性は認められない。

かつては自分を浄め、世界人類を浄めることが重要であった。自分が苦しい。あの人が大変だ。あの国と国が争っている、、、。眼前の状況から抜け出すことが第一であった。眼前の状況を改善することが求められた。
現象世界において、現在の姿とは夜空の星を見るが如し。
現在の姿とは『今』の姿ではない。それは一部には3万年前の姿であり、一部には10万年前の姿である。
そこに光を送ることは究極の祈りではない。つまり、困った自分、争う国々、災害に苦しむ人々の現象に向けた祈りは真理の祈りではない。


『今自分に生じている不幸や困難に対して、100パーセントの意識を集中し、その解決に向け奔走するのを一旦止めるのである。
 人間本来の姿、我即神也、人類即神也の究極なる真理を想い起こし、心に焼き付けるのである。』(2001-11)

 我々が祈るとき意識がどこを向いていればいいのか?
苦悩する自分や人類ではない。
状況とは関係なく、自分の神性、人類の神性に意識を向け、神性を認め、心に焼きつくほど神性をイメージし、その真の姿を語るのである。
 個人人類同時成道という通り、自己の願望成就、神性顕現も世界平和も同じ果因説の術を駆使して成就するのである。

 
<ピタゴラスさん 真理の祈り から>

人間は本来、神の分御霊。生命は永遠で無限。 パーフェクトな存在。
現象の消えてゆく姿を解決して平和、幸せになるのではなく、まったく新しいもの、すべては完璧なものを顕す。果因説で顕れる。なぜなら 人間は本来 神だから。それは認めることで顕れる。

日々の意識がどこに向いているのか、
困難な物事をどう見て、どうのように受け取っているか・・・が大切なのだと思います。


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by mppoe-light | 2014-08-04 11:13 | ピタゴラスさん啓示録から