と言うことで・・・宇宙に宣言いたしますっ☆

過去を清算しながら、体験を重ね その結果 神意識に到達するの?
因果説のままで生きるなら それが真実と言っても仕方ないけど・・・。
でもっ!
果因説(我即神也)から見れば、因縁因果は 神を忘れた人類が一時的に避難する場なのかもしれない。

輪廻を繰り返しながら、私たちは、本来の自分は何者なのかを思い出す。
我即神也という “究極の真理”に出合ったなら、 因縁因果はもう必要がない。
過去は必要がない。
なぜなら、 
究極の真理は自分が創造者であることを思いだす真理だから。
自分自身が創造者と識ったなら、もう過去は必要はない。意味がない。
もともと過去は消えてゆく姿なのだから。
過去の私は、真の「私」ではなかったのだから。

過去の影響を受けながら(捉われながら)人生を歩むのは因果説。
消えてゆくために現われた問題を回避しようと、捉われ続けるのは、過去の出来事が真実である と、強く認めているようなもの。
もう自分の中に、我即神也 すべては完璧が在る・・という真実につながったのだから、 消えてゆく姿を前にしても、批判、非難、評価を下さず、それらに一切関知せず。
ただひたすら、我即神也 を信じるべき。 
思考を因果説から果因説に修正して、
自分が創造する立場であることを自覚すること。   ううぅ~っ (>_<) やらねば~っっ。 

有り難いことに、 祈り、印、マンダラ、呼吸法を与えてもらっています。
これらを通して、我即神也をもっとしっかり自覚し、そして次は
我即神也を意識しながら、祈り、印、・・・を行すれば、それは神性を顕したことになる。

その繰り返し、積み重ねが “自分を信じる” ことになり、 
自分を信じることが、本来の正しい“選択”へとつながっていく・・・
そうなった時、 私は人生の創造者になった・・・と言えるのだっ・・・!

ということで・・・
私は宇宙に宣言いたします。

我即神也  私は宇宙神とつながった光です。意識です。
だから、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就


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by mppoe-light | 2014-07-27 15:45 | 真理について思ったこと

宇宙に宣言する気持ちが大切。

呼吸法による印とは、宇宙の生命力、気、パワーを吸収し、それらを直接、自らの肉体を構成している細胞の中に取り入れることで、調和した肉体を維持してゆくものである。
さらには呼吸を通して、アカシック・レコードに記録されている多くの情報や個々の暗号を把握し、自らの叡智により、今生における自らの天命を完うせしめてゆくのである。

我々は呼吸法により、宇宙根源の力を引き寄せ、宇宙生命力を使いこなしてゆくのである。
この「気」(宇宙子)が生命を活かす鍵なのである。


我々の呼吸法による印は、単なる呼吸法とは全く異なるのである。
この特別な印を組むことにより、生命エネルギーの取り入れ方が異なってくるのである。

そのためにも、印を組む前に瞑想し、心の中で宇宙に宣言する。
その自らの印により、宇宙神と全く一つにつながることが、最も重要なことなのである。
宇宙の生命エネルギーそのものを、自らの肉体に直接、しかも十分に取り入れるためには、宇宙に宣言する気持ちが必要なのである。
我々の体内の一つ一つの細胞が発しつづける波動エネルギーは高められ、その振動数は増加し、眠っていた細胞の能力が高められてゆく。

<白光誌 2005年12月>


呼吸法の印を組むときは、 
 「私は今、神である。
すべて完璧、欠けたるものがない存在、それが私。
私の組む印が人類の意識に働きかけ、目覚めを促している。」

と、思うように心掛けています。

この法話を読んで、  さらに大きなスケールで、宇宙に宣言するつもりで、
宇宙神と一つにつながっている思って、印を組んでみよう・・・と思いました。

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by mppoe-light | 2014-07-17 21:25 | 真理について思ったこと

「祈っていることと現われてくることとは別問題」


現われてくる貧乏や不調和というのは、過去世の因縁の消えてゆく姿なんです。
現在、祈っていることとは関係ないのです。

現在祈っているということは、自分の想いが現在、神様の中に入っていることなんです。
世界人類が平和でありますように、と祈っていて、神様と一体感が出来ていましょう。
けれども、今、現われている病気や不幸というものは、過去世から今までたまっていた想いが、つまりさんざん録音しておいたものが、そこに現われてくるわけです。
だから、今、祈っていることと、現われていることとは別問題。

統一をしている。すると雑念が起こってきますね。
雑念というのは過去の蓄積されたいろんな想いで、それが現れてくる。祈っているのは今なんです。
今は、世界人類が平和でありますように、神様有難うございます、という想いが神様の中にピシリと入っている。

だから、いかに雑念が出ようと、坐って統一していることと雑念とは別なのです。
これがわかると一番いいですよね。
今、どんな雑念が出ようと、あるいはどんな悪い運命が現れようと、それは今の責任ではない。
今の自分は、世界平和の祈りを祈って、神様のみ心の中に入っている自分なのです。神との一体化をなしとげている自分なのです。

<五井先生 7月号法話から>
*****************************

今、祈っていることと、現われていることとは別問題。
いかに雑念が出ようと、坐って統一していることと雑念とは別なのです。
これがわかると一番いいですよね。

このことが心底わかるようになりたいです。 いつも自分の内側から確信できるようになりたいです。
そのためにも 積極的に、意識的に
「我即神也 人類即神也  すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」を認めること。
過去はない。 今、我即神也が本当の自分だと信じること。

我即神也 を認めるためには、消えてゆく姿の実践が欠かせない。
消えてゆく姿をさらに深く実践するために、
「我即神也 すべては完璧 」を認める続けることが大事。

今、祈っていることと(我即神也 神との一体化)と、現われていること(消えてゆく姿)とは別問題。
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根源世界から来る神性の流れ、生命の躍動は肉体頭脳で顕そうとしても顕われない。むしろ、肉体頭脳を静かにしたところに顕われる。
元の神の姿は完璧に存在している。
その顕現をブロックしているのは人間の思考回路だけである。
ならば、そのブロックの解体に専念すればいいと覚者たちは説かれた。

 重要なことは、神性顕現をブロックしている思考回路の解体に励むものの、神性の構築は不要と言うことである。
『私』という意識が解体されるべき自我のレベルにあると、「凡夫が神になる道のりは遥かに遠い」と感じてしまう。
足元はこの地にあっても、『私』という意識を「我即神也」に向ける努力は肝要である。神性を顕わす兆候すらなくても、自分の元の姿である神の姿を想像してみるのである。
自分が神であることは、宇宙神が定めて下さったことなのである。

現実の世界は「消えてゆく姿」としてさておき、意識の世界で「我即神也 人類即神也 すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」を想像するのである。
果因説の大きな特徴は「神意識の中に積極的に入って行っていいですよ」と言うところにある。

<ピタゴラスさん>


今、祈っていることと(我即神也 神との一体化)と、現われていること(消えてゆく姿)とは別問題。
だから、
現実の世界は「消えてゆく姿」としてさておき、意識の世界で「我即神也 人類即神也 すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」を想像するのである。


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by mppoe-light | 2014-07-09 21:13 | 真理について思ったこと