今の「私」に戻れる幸せ

3月この時期、別れと出会いの季節ですが、
私の場合、別れ・・・は、ないけれど、意外な出会いがあったりして
今までになかった面白い日々を送っています。

面白い・・・と言えるのも、究極の真理を学べたおかげだから、と思います。

周辺の出来事、出会いに、ただ反応して流されることはなく、
「私」を掴んでいられる。 うっかり流されそうになっても、
 消えてゆく姿、我即神也 のおかげで、 今の「私」に戻ることができる。これは幸せなこと。

今の「私」我即神也に意識が向けば、 「私」は世界の真ん中にいるような気になります。それは平安、安定。
世界の真ん中っと言っても、決して自己中心的な意味ではなくて、 
う~ん。。。
上手く言えませんが、 全体の中の一部の「私」 それは分離ではなくて互いに満たしあっている? 与え合っている?
(それが調和・・・?)

こんなこと思うと、 やっぱり消えてゆく姿の教え、我即神也の宣言は重要だなと思います。
因縁因果から私を解放してくれるものだから。 
意識を本来の位置に戻し、宇宙神とつながり、光を地上に放ち、真の創造することができるから。 

祈り、印、宣言などの神行は、きちんと(目的を理解しながら・・・)続けていかなければ・・・と思います。

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by mppoe-light | 2014-03-27 23:18 | どってことない話☆

疑う気持ちを消えてゆく姿にして

「私」という意識が、ポツンと空間で漂っていたら、 ずいぶんと物足りず、創造する意欲も湧かなかったかも。
でも、空間には、地球が在り、そして大地、空気、水が与えられ、 そこで活動できるよう肉体も与えてもらいました。
「私」 には、すべてが与えられている。 始めっから与えられています。

神の子としての完全性、完璧、欠けたるものなし は、いつも「私」と共にあって、
いつも 今、ここに届いているはずなのに、カルマの私がその顕現を遮っている。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就  これは私の本心、我即神也の言葉。
それを少しでも疑い、否定する想いは消えてゆく姿。
宣言しながら、心のどこかでは100%の確信が持てず、

「宣言しても、やっぱり私には無理かも?。。。
だって、今までそうだったから。 本当に大成就が私に起こること、あるかな・・・? 」

と、思っていても それは消えてゆく姿 の想い。 

誰かが(神様が)大成就を起こしてくれるから安心、だから私は祈っていい子でいれば大丈夫・・・なんて、
未熟な発想。 それを「おまかせ」と言う人もいるけど、、、、本当のおまかせは もっと命がけ。
命を神様に預けてしまうこと。

私の成就をここに顕すのは、私しかいない。 私だけ。 
それほど、一人一人は尊い存在、偉大な存在 ということだと思います。

宣言しているのは私の本心、我即神也なのだから、法則の通り成就するはず。 だから、
宣言した言霊によって、本心「私」は光を形に顕す創造を開始しているに違いない。
そう思って、少しずつ確信が高まるよう、 疑う気持ちを消えてゆく姿にして、何度も繰り返すものだと思います。

一度に神様に命を預けることは、今の現象世界で生活する上で大変だけど、
疑う気持ちを消えてゆく姿にして、なんども宣言、神行を繰り返せば、
意識は徐々にカルマ私から、我即神也を選んでいくに違いない・・・
そう信じて続けています。

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by mppoe-light | 2014-03-16 21:57 | 真理について思ったこと

意識のシフトは認識のシフト

真理とは現象の変化ではなく、認識のシフトなのである。

現象が変われば、認識を変えればいいのではない。認識を変えると、現象も変わってくるのである。

現象よりも認識を先に変える。これが果因説である。  

それでも、感情が追い付かない。認識よりも現象が気にかかる。だからこそ、『祈れ、祈れ、祈りこめ。祈り、祈り、祈りこむのだ』(2014-03 infinite words161)。  

祈ると言っても神にお願いするのではない。現象が浄化されるよう神に頼むのでもない。我は神です。人類も神です。地球は安寧です。すべては完璧です。  

そのように成就しているのだから、成就している姿を宣言してゆくのである。

<ピタゴラスさん 即の理2 から>


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浄化が進んで意識がシフトしていく・・というのは因果説。
命は永遠、そして我は即神也であり、創造する者。 そのことを知ったのだから、
いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、
いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。

消えてゆく姿なのだから、それらにはとらわれない。

祈りと印によって、「私」はカルマや自我、現象界から切り離される。
神である「私」には過去はなく、カルマもない。
『私』は光だけで、すべてを描き切る。
『私』が描く世界が、五井先生の説かれた平和の世界。

『私』は神。創造主。
どんな場であろうと、『私』が「消えてゆく姿」と宣言した瞬間、小さい私は消え去り、『私』が蘇る。
『私』の言葉は言霊。言霊はすべてを創造する威力


過去を浄化していく、という因果説の思考を、究極の真理、果因説に
かえていく。 それには、認識を我即神也 すべては完璧、大成就である へと変えてゆく。
それを意識的に繰り返し、自分に言い聞かせ、確認作業を続ける。
それによって、無意識に 神性を顕現し、創造する立場で生きるようになる。
このことを今 私たちは求められている・・・

と、・・・・・こんな風に思いました。

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by mppoe-light | 2014-03-05 22:18