『同一化』 ☆ 『頂き直す』 ・・・・のこと

この頃、印を組んでいると、 『同一化』 『頂き直す』  という言葉が浮かびます。


前回の日記の中にもあった、昌美先生の言葉 ↓

『神人は、神そのものと同一化しようとするからこそ、神人として光り輝き、すべてが充足されてゆくのである。』 (2003-09)

同一化しようとするからこそ、光り輝き、充たされる。 
同一化しようとする生き方が、神人としての生き方。 神性顕現の生き方・・・ということか・・・

同一化・・・というと難しい感じがするから、 「統一」 でもいいのかも。

消えてゆく姿の自分を神様にお返しして、 新しく頂き直す。 
たしか、、、五井先生はこんな風に言われていたと思います。(間違ってたらごめんなさい・・・☆)

今やっとこの言葉の意味が分かるようになりました。

消えてゆく姿である自我の自分を手離す、何処へ手離していいか分からないから、守護霊さま守護神さまに渡してしまう。
そして 
神さまに統一する、本来の自分に統一する それは我即神也 ということ。

その我即神也と同一化することで、すべてが充たされていく、つまり・・・
神さまから新しく頂き直す。 それは神性から溢れ出る 無限なるものすべて。

『同一化』、そして『頂き直す』 この二つの言葉、もうしばらく自分の中にしっかり置いておこうと思います。
 


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by mppoe-light | 2013-09-24 21:28 | 真理について思ったこと

毎日の積み重ねが大切・・・なのだ☆

                            やっぱり焼きいもだよね・・・
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啓示録などを綴じているファイルを久しぶりに開けました。 その時、最初に開いたページ、
面白かった(^-^)

苦悩の中にいる自分を認めてはならない。苦悩の分析は要らない。対策も要らない。
苦悩の時が、「消えてゆく姿」を行ずる時である。
苦悩の時が、果因説に入る時である。
果因説に入るとは『我即神也』という真理に入ることである。

苦悩を消すために祈るのではない。苦悩を消すことによって、天命が完うするのではない。天命を完うしようとしていれば、苦悩は消えてしまっているのである。


苦悩の中に入ってしまった時、意識を真理へ転換し(消えてゆく姿で世界平和の祈りor我即神也) 早く切り替えるのためにも、日々の祈りや宣言、印の積み重ねが大切・・・。
もっと光の側の「私」の存在を、自分の中で大きく広げていきたいです。
やっぱり毎日の積み重ねって大切。


我即完璧神也、人類即完璧神也

 「すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」と唱えることが習慣になってきた。しかし、苦悩することがつづいた時、私は無意識に「自分に何が欠けているのだろうか」と思っていた。
「自分は確かに何かが欠けている。だから、こんなことになったのだ」
 このような声は、本心の声とは全く異なる。このような声は、因縁因果の中にいる自我の声である。
 自分は 『欠けたるもの、不調和なるもの、非真理なるものに同一化することによって初めて、その現象が現れてくる』(2003-09) のである。

苦悩の中にいる自分を認めてはならない。苦悩の分析は要らない。対策も要らない。
苦悩の時が、「消えてゆく姿」を行ずる時である。
苦悩の時が、果因説に入る時である。
果因説に入るとは『我即神也』という真理に入ることである。
それは、苦悩と苦悩を感じる自分、苦悩の原因を創った自分がいる世界を離れ、全くの別世界に入ることである。
その別世界は、宇宙神が創造された世界である。
それは既に成就している神界である。
それは既に、我々に与えられ、我々が相続した世界である。

我即完璧神也。私は至福の神である。私は健康の神である。豊かさ、繁栄、成功の神である。私は愛の神である。赦し、癒し、歓び、感謝、光の神である

『神人は、神そのものと同一化しようとするからこそ、神人として光り輝き、すべてが充足されてゆくのである。』(2003-09)
 
 相続していないものを与えることはできない。
私にはすべての神性が完璧に与えられている。
すべての神性は本心という宝庫に蓄えられている。
私はすべての神性を人類に与えることができる。私が与えるものは宝庫の中で増大する。

私の本心はすべての神性が溢れ出るところである。本心が癒せないものはない。本心が満たせない物もない。本心はすべての人類を祝福する。そして、本心は人類にすべての光を送る。本心の光は人類の神性を照らし出す光である。人類即完璧神也

『神人は、宇宙究極の真理を、無限なる愛の光をすべての魂に分かち与えるために存在しているのである。』(2003-03)

「自分に何が欠けているのだろうか」などと考えている場合ではない。「我即神也」に意識を集中し、「人類即神也」のために自分の本心を輝かせるという天命があるではないか。
苦悩を消すために祈るのではない。苦悩を消すことによって、天命が完うするのではない。天命を完うしようとしていれば、苦悩は消えてしまっているのである。

mixi ピタゴラスさんの


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by mppoe-light | 2013-09-09 17:54 | ピタゴラスさん啓示録から

私たちのミッション☆

■宇宙神は、いかなる人にもその人にとって必要なものを惜しみなく与えつづけている。しかし、受け取るべき人自身がシャットアウトしてしまう。 <9月指針>

なぜ受け取るべき人の側がシャットアウトしているのか、、、それは、自己認識が間違っているから。 
自分自身は、無力な肉体人間だ・・・というと誤解、錯覚したままの自己認識を持ちづつけているから。

本来の自己認識は、もちろん 我即神也  
そして 
すべては完璧、欠けたるものなし、大成就


■心が物質のみに執着すると、すべての精神の気の流れが滞ってしまう。<9月指針>

物質というと、形のある物に執着する・・・と思いがちだけど、 (もちろんそれはそうなのだけど・・・)
形ある物以外に、外側のさまざまな現象、環境、体験も形の世界の創造物。
自分の中から湧き出た感情だって、執着すれば気の流れが滞る。。。 ううぅ・・・。



自己価値観を大きく変えてゆくというミッションがあるのです。

自分の意識が高まれば高まるほど、意識が光明思想になるのです。
いつも微笑みを放つようになるのです。


 
神性顕現の生きた証人となり、自らの体験を通して人類に神性復活を蘇らせてゆく大天命を遂行してゆくのである。

神人たちが果たしてゆく天命とは、欠けたるものなしの状態を創り上げ、過去の因縁因果から解放され、果因説による素晴らしいもの、幸せなるもの、豊かなるものを自らの現象面に引きつけ、実証させてゆくことにあるからである。

さらに新たに神性に目覚めた人々が次々と自分の神縁深き人々に語り継ぐことによって、
世界中至るところに神性復活の潮流が生まれ、広がってゆく。

9月号昌美先生のお話


私の私たちの、大天命。  神性復活=我即神也

天命を果たすために、 これからも自分を赦し、愛し、自己価値観を上げていかなければ・・・と思いました。


で、 久しぶりにピタゴラスさんの日記から☆ ↓

いきなり「空」・・・カタイ! でも面白かった(*^_^*)

「空」と言われると、多くの人が難しくて、カタイ話だ・・・と思い、気持ちが引いてしまうかな・・・
私なんかは、読んでスッキリしたのだけど、(究極の真理について、ここまでスパッと言い切ってもらえると、助かるのだ。(*^_^*))

カタイけど・・・
本心と業想念をきっちり分けたつもりで読むと、判り易いし、心に響くと思う・・・。
知識、観念とは違う感覚で読んでもらえたら、嬉しい☆

空と「我即神也」2

 空とは無限なる叡智の教えである(「般若波羅密多」は完成された叡智を意味する)。
空とは無限なる叡智へ向かう教えである。
空とは無限なる叡智を顕わす教えである。無限なる叡智は神性を集約したものである。
神性とは自分自身でもある。
自分自身とは神なる自分である。
空とは神性の教えであり、神性に向かい、神性を顕現する教えである。

『過去はない』。外なる世界、現象界はすべて顕われた瞬間に終了し、赦され、消えている。しかしながら、それを「在る」と想い込むならば、自分は罪人であり、肉体人間、あるいは輪廻する人間である。
外なる世界もなく、それを「在る」という思い込みもなければ、真に在るものだけが在る。真に在るものとは神性だけである。自分も神性だけであり、「我即神也」である。

『私』という存在のアイデンティティを外なる世界に求めるならば、無知である。
無知からカルマが生じる。
『私』という存在のアイデンティティを、あるがままに神であると認めるならば、悟りである。
空とは自己認識のシフトである。
空とは「余計な思い込みをなくしなさい」ということである。
余計な思い込みがなくなると、元々あった「真に在るもの」が自ずと溢れ出てくる。
空が指し示すのはその溢れ出てくるもの、つまり「我即神也 人類即神也」である。
「我即神也」とは、自分自身を神と認め、尊敬し愛し崇拝することでもある。

『私』についての認識が変われば、すべてが変わる。
『私』についての認識が変われば、将来設計も変わる。
輪廻する人々は、必ず過去と恐怖に基づいて将来を設計する。将来設計とは想像力である。神たる『私』はどう在るべきか。何ができるか。
それを自由に想像するのである。
想像できうる「神としての在るべき姿」を言葉で言ってみる。その宣言を『祈り』と言う。真の祈りはたちまち、神の創造力=言霊によって現実化する。

物質には我々の運命を決める力はない。逆に、『私』についての自己認識が、すべての幸不幸の原因なのである。
空は『私』についての意識を変革する。空は物質を認めない。空は物質の力を認めない。空は現象界を認めない。空は想念を認めない。空は過去を認めない。
空ならば、『私』が物質的状況に左右されることはない。影響されることは一切何もない。

『私』は物質的状況について何ら評価を下さない。『私』こそが状況を創り出す主体だからである。過去は『私』がかつて創ったもの。過去はない。
輪廻する人々は過去に基づき未来を創ろうとする。そうではない、未来は『神なる私』が自己の神性に基づき『自由にかつ自己の責任で』創るものである。

空とは聖人の境地ではない。空とは法則である。同次元の法則は「我即神也 人類即神也 世界人類即平和也」である。誰も法則に変化を加えることは出来ない。しかし、その法則をベースに自分の思い込みを写し出して、歪んだ現象を体験することは可能なのである。

苦悩、争い、災害、汚染、、、すべて歪んだ現象である。しかし、世界が平和であること、各人が神であること、地球世界が輝いていることは何ら変化を被ってはいない。
果因説は歪んだ現象はさておき、完成された世界へ飛翔してゆく道である。


この最後の言葉がいいな~☆(*^_^*) わくわく♪
果因説は歪んだ現象はさておき、完成された世界へ飛翔してゆく道である。

うんうん、果因説は即、完成している のだ、今の制度、仕組みが徐々に良くなる・・・のではないのだ。
 そのために、
我即神也=人類即神也!



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by mppoe-light | 2013-09-06 17:18 | ピタゴラスさん啓示録から