「私」を誇りに思う

c0074000_2129686.gif
c0074000_2131625.gif
c0074000_21322859.gif



私は本来神の分御霊で、神の子です。
宇宙神の光の一筋 「私」


すべては完璧 欠けたるものなし 大成就

これは天にいる神「私」の言葉。 常時、鳴り響き、地にいる私に向けて発せられている、と思う。
世界平和の祈りも、光明の言葉も・・・みな同じ。鳴り響いている。
その発せられた言霊を
地にいる私が “自らが自らの意識を神そのものの神意識にまで誘導” し、祈り、言霊の真理の光を自分自身に
そして人類に注ぎます。 共振共鳴。

その時、私がどのような大きな問題を抱えていようとも、私の意識が我即神也に向かった時には、現象の私とは一切関係なく、天の「私」から真理の光が地上に注がれる。



地上の現象世界の横時間の自分(過去から現在の自分)に存在価値を求めて執着するのか、
天の神「私」を信じ、自分が在ることに自信と誇りをもつのか。

「生きること」の価値を地上の私の実績に求めて執着するのか、
それとも
本来の自分は天に在り、神であり、完璧で光り輝いていることを信じて、それを誇りに生きるか。

本来 神そのものであることを信じ、自分を神として誇りに思うならば、
現象界で さまざまな問題を抱えていても、真の生き方が全うできる、と思う。



私には、天に神「私」が存在し、そこに意識を向け、祈り、印を組みことで、地上に真理の光を降ろすことができます。
今も、私は毎日薬を飲み、 体調の悪い時にはゴロゴロ~と横になったり・・・ですが、
真理の光を降ろし、地上に光を注ぐことには一切影響はない。一切関係ない。

優先すべきは 現象、形になったものではなく、意識。 
意識が先行する。 
我即神也 
すべては完璧 欠けたるものなし 大成就

と、
こんなことを思いながら、毎日 言霊、神語、祈り、印を続けおりまする~。

c0074000_21293699.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-09-27 21:33 | 真理について思ったこと

必要なのは究極の真理

c0074000_21123752.gif


宇宙というのは、すべて完璧、欠けたるものなく、余分なものもなく大調和している。
いつもいつも完璧に大調和して在りつづける。
その同じ宇宙が私の中にも・・・・・すべての人の中にもあるはず。

自分の中にも無限なるものすべてが満ち溢れているのなら、
私の役目は、それを外に向かって表現することなのか・・・。 
宇宙の大調和の流れを滞らせてはならないから。
そうでなければ宇宙の大調和は崩れてしまうから。・・・・
と、そんなことを ふと考える・・・。

だから、自分の中に溢れるものを外に向かって神性を顕すこと、
世界に向けて与えること、
それが人間の本来の姿なのかなぁ・・と思う。

大切なのは、宇宙の大調和の活動を妨げないこと。 
調和している流れを留めたり、誤った方向に使わないこと。 
そうすればすべては完璧な状態になる。 ・・・と思う。

人間は長い歴史の中で
不完全な状態を どうやって良くしようか・・・という思考で生きてきたけれど、
もともと人間は完成された完璧なもの。 肝心なのは、その姿を思い出すこと。

消えてゆく姿を消しきることで、物事が改善され良くなる・・・ という因果説の思考をやめ、 
不完全な状態は消えてゆく姿なのだから、意識をそこに留めず、離して、
そして本来の姿(神性)を認め、思考を転換して(果因説)生きる。

すべては完璧 欠けたるものなし 大成就


今の自分の考え方の奥には、根底に神意識があるのか、ないのか。
(神性を認めているのかどうか・・・)
もう、因果説の中だけの想いの法則を持ち出していても始まらない。
本当の解決にはならない。 
必要なのは究極の真理、我即神也 人類即神也

と、
真理について、こんなことを考えてました。




c0074000_21103959.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-09-21 21:15 | 真理について思ったこと

離したら 即 訪れた・・・☆

自分が無いということが一番のんきだ。

自我を消えてゆく姿として心から離せば、その瞬間 
 神「私」が現れる。

自我の私は消えてゆく姿、本来は無いもの・・・だから、意識して神「私」を選択する。


私の本質は神そのもの。 すべては完璧 欠けたるものなし。
神である「私」は何かを求めなくても、いつもすべてが満ち溢れていて、
大調和している。 
その「私」がすることは、 
自分の中に満ち溢れている無限の愛、調和、平和、美・・・を世界に放つこと。


神である「私」は外側に自分の価値を求める必要はない。 
常に充分満たされ、愛され、祝福されているから。

現象に価値を見出さない

現象に価値を求め、心を絡ませるのか、それとも価値を認めず、心を離すのか。
選択は二つに一つである。



現象(相手の)の間違いを修正し、改善することではなく、
カルマを消すことに意識を向けるのではなく、
向けなければならないのは 
我即神也 であるということ。

その瞬間、心の中の 批判、非難、評価の想いが一掃され、
自分の中に平和が訪れる

と、
つい先日、こんな経験をしました。

「自我は必要ない、私の本来の役目は光を放つことだ・・・」と
思った瞬間に、心の中に平和が訪れました。
即 でした。

我即神也 人類即神也

すべては完璧 欠けたるものなし 大成就


消さなければならないカルマが在ると認めている限り、顕わすべき神性を顕わすことはできない。神性を顕わすために、カルマを消さなければならないのではない。神性が顕われれば、カルマは消えるのである。
人生で問われるのは、あなたはいつも神性のことを意識しているのかということである。
自分の神性のことを知っているのだろうか?
自分の天命は神性を顕わすことだけであることを知っているのだろうか?

自分が何かを愛するとはどういうことだろか?
自己と愛する対象とは別物と知覚されている。
愛することとは、それにもかかわらず、自分が対象と全くひとつの存在と感じることである。そして、全く一つになりたいと望み、その実現に向かうことである。

 その対象が「語り、念じ、行為する」のと同じようにしたいと思う。

最も根源的で、最も崇高な愛は神への愛であり、自分自身への愛である。そして、この二つのことは、全く同じことである。
自分とは神であり、自分を愛するとは、自分を神と認めることである。
自分を愛するとは、自分の神性のすべてを知ることである。
自分を愛するとは、自分の神性を宣言することである。

人は毎瞬、選択しているのである。
無意識にカルマの選択、五感の選択、現象の選択をしてはならない。意識的に神の選択をするのである。
カルマが噴き出した瞬間であろうと、『我即神也』を宣言し、その「本来の姿」を地に降ろすのである。

すべては完璧 欠けたるものなし。 大成就。  

       
ピタゴラスさん 「愛すること」 から


c0074000_21341935.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-09-13 21:40 | 真理について思ったこと

なんとなく・・・独り言

c0074000_21264879.gif


友人たちと集まって話をしていて、 みんなの言葉にちょっと驚いてしまいました。
感情をそのまま乗せて、
次々口から飛び出す否定的な言葉

そんな風に言わなくてもいいのになぁ・・・(T_T)

時々、否定的な内容に同意を求められたりすると、正直言って、返事に困る。。。
適当に笑ってごまかしたり、曖昧な事を言ったり・・・。(笑) 

友人たちの心は日々感情的で・・・・
う~ん、 ・・・
感情のまま動かされ、言葉を発しているような気がする。 
そんな毎日は きっと重苦しくて、ツラいのではないかなぁ・・・と思ってしまう。
 
友人たちも宇宙神から来ている光。 本来神そのもの。 その命は光輝いている。
人類即神也
みんな命は光り輝いているはずなのに、・・・・ 
それなのに、それなのに・・・・もったいない~。


今の自分がどこまで神性を顕せているのかは分かりませんが、、、
神だからこそ、心は美しく清らかであるべきだ・・・・そうありたいな と思いました。



言葉は自らの運命を開く種子そのものである
人々は日頃どういう言葉を口にしているか
その言葉の質と量によって
自らの運命を決定し創造してゆく

9月号 インフィニット・ワーズ から


c0074000_21245797.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-09-09 21:27 | 真理について思ったこと

真理☆譲り渡すこと

c0074000_174209.jpg


 肉体は、本心である『私』が働く場である。『私』の器である。自我の住む場所ではない。
自我よ、『私』の後ろに退きなさい。私にその座を譲りなさい。
『私』は肉体を器として、『光り輝き、人類にいと高き無限なる愛を放ちつづけるのである』。『私』は肉体を器として、『すべては完璧 欠けたるものなし』を成就するだけである。

 『私』はあなたに「消え失せろ」とは言えない。あなたは『私』であり、『私』はあなたである。『私』のものはすべてあなたのものである。あなたが自分のアイデンティティを見失っているに過ぎない。
あなたは宇宙神の創造した秩序にすっぽり包まれている。つまり、あなたは天国の只中にいる。そこで、あなたはありのままに見ていない。何事をも自分独自に定めて、歪んで見ている。その自分で独自に定めた姿を夢のように体験している。
夢を終わらせることはない。夢を夢と気づけば、夢は終わる。
そして、『私』にすべてを譲り渡しなさい。

真理とは自分のアイデンティティの宣言である。そして、真理とは譲り渡すことだ。

ピタゴラスさん 「本心の声 」から



肉体は器であって、本来の私ではない、
肉体が自分なのだと思い込んでいる想い、
その想いが描く夢、過去から流れる時間の世界、
それは夢であって
夢を夢と気づけば、夢は終わる

そして、『私』にすべてを譲り渡しなさい。


『私』は、中心から降りてきている意識。
肉体は器、『私』が現象界で働くための乗り物。

本来の『私』は中心から降りている、 だから私には過去はなく、カルマもなく、
毎瞬、『私』は、すべて完璧で欠けたるものなし。


肉体人間観というのは、手強いもので、
夢を夢と気づきながら、夢の中でまた遊んでしまう。
自我と『私』との選択は、椅子取りゲーム状態だ・・・(笑)

本来の『私』は、神々さまに無限に愛され、祝福され、満たされている、、、
それが実感できたら、すっきり夢から覚めることが出来るかも。 

『私』にすべてを譲り渡しなさい。
意識的に 『私』を選び、もっと譲り渡せるようになりたい。


本来の『私』は無限の愛の中にいて、祝福され、満たされ、完璧に整えられていることを、
肉体にいながら思い出せるように、(守護霊さま守護神さまにもお願いしつつ、)
祈り、印を組み、神語、言霊を繰り返そう。

すべては完璧 欠けたるものなし 大成就

c0074000_17451814.gif



いい歳してなんなんですが・・・・、、、



c0074000_17472038.gif可愛いので携帯の待ち受けにしました♪ 松ケ~ン♪♪♪   こんな子、養子にほしい・・・・あは(笑)
c0074000_1743399.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-09-05 17:52 | 真理について思ったこと