コミュ「白光の言葉」から

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どこに行っても、どんな世界になっても 永遠に、常に“私”はある。
外側がどんなに変化しようと、 私は変わらない「我即神也」



<mixi コミュ 白光の言葉 から>

『頼るのはただただ自分の内に厳然と存在しつづけている神のみです。』 1997-04

『神は内に宿っているものであって、外に求めるべきものではありません。幸福はすでに内に含まれているものであって、外に求めてゆくべきものではありません。愛もまた内に厳然と存在しているものであって、外界に求めるべきものではありません。内なる自分は無限なのです。』 1997-06

『自らに厳然として宿る神性を見失ったため、人類一人一人に強い不安感、恐怖心が植え付けられていきました。』 1997-07



いかにして意識を内なる神性に固定して行くのか。
これが我々の最大の課題である。


『我即神也とは、自分自身が宇宙神のひびきの中に厳然として存在し、かつまた自分自身が宇宙と全くかけ離れているのではなく、宇宙の真っ直中に、即ち宇宙神そのものの中に存在している、ということであります。即ち私は宇宙神と全く一つに溶け合っている神そのものである、ということになるのです。』 1997-09


『無限なる能力をどのようにして引き出してゆくのか。それは、自らの内に厳然として存在する神そのものを認めることによって、成り立つのです。』1999-01

真理は今なお厳然として天降っています。それこそ“我即神也”そのものです。その真意は「我は神のごとく、我が内にある無限なる能力を自由自在に駆使し、自らの欲すること、望むことを全くの歓びと幸せをもって現実に現わしてゆく」というものです。 1999-06


厳然とあるものを認める。そして、受取る。
一言で言えば、『大成就』



「我即神也」に近づいたと思ったら、また遠ざかったり・・・

ここを印刷して手元に置いて、 繰り返し読むのだっ 読んでやるっっ~


今日は 自分そのものに、 自分の神性に 「ありがとうございます」 と感謝。
だって、 道行く人に向かって、「人類即神也」と繰り返すと、「ありがとうございます」 と感謝の気持ちが湧いてくるんだから、 自分の神性に向かっても同じだと思って。  (^。^)~♪

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by mppoe-light | 2012-06-29 22:57 | 真理について思ったこと

真理は想像を超えて・・・・☆


神には理屈もなければ理論もない。神は只自己の大生命を徐々に宇宙全体に繰りひろげてゆくだけである。その動きの中に愛もあり、美もあり、真もある。
 人間はその繰りひろげられてゆく大生命の一つ一つの生命(いのち)の線として、その大絵巻を各自分担して画きつづってゆくものである。
 大生命が右に動けば、生命の線も右に動けばよい。左に動けばそのまま左に動けばよい。大生命と小生命(いのちの線)とは不離一体であって離れることはできない。

<7月五井先生の講話 自然 大生命の絵巻 から>


人間は、神様の生命の拡がりを担っているもの。 
その広がり、動きの中に、愛・美・真がある......。


ついに
宇宙の法則、究極の真理
「我即神也 人類即神也」に行き着くのだ
もう混沌とした世界をこれ以上
彷徨いつづけることはない
本来 この世の中は誰も彼もがすべて一切
内なる存在が中心で 成り立っているものである

人類はみな一人残らず
宇宙神の光の一筋の生命そのものなのである
故に常に自らの根源なる宇宙神と
調和し 共鳴し 脈打ち
無限なる可能性と能力、そして叡智、直観力を発揮し 
自らが自らの永遠に輝かしい人生を創造してゆくのである
我即神也 人類即神也

<今月のインフィニット・ワーズ 究極の目的地 から>


自分の意識の奥の奥の・・・宇宙意識、 宇宙神の光からくる意識、生命。 

宇宙神と共鳴し人生を創造する
そこに 愛、美 真 がある.....。。  

真理は想像を超えて、深く広く大きく崇高で、偉大で・・・そして
その中に自分が参加しているのだと思うと、、、、感動を超えてしまって、、、

もう言葉では表現できない・・・! 

自己限定を取り除いて

宇宙へ帰るしかないっっ・・・・☆のだ

すべては完璧 欠けたるものなし 大成就! 

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by mppoe-light | 2012-06-28 22:43 | 真理について思ったこと

先ず「我即神也」

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印を組む前には、言霊(祈りの・・・ではなく、神語の方です)を唱えます。
余計な想いを出来るだけ退けて、宇宙から降りてきている神意識と今の私が真っ直ぐつながる気持ちになるためです。
時には、思うように繋がらないことも。 外側の騒音(出来事)に想いが散って、意識が絞れない。。。。
しばらくしたら、
「先ずは我即神也から。」

と、言葉が浮かんだので、

「気になる問題は後から考えればそれでいいのだっ☆」
と言い聞かせ、我即神也に集中。
(どっちみち、印を組んだ後になれば、それはどってことない問題だ・・・と気が付くんだから(笑)

私は光から来た者、私は神そのもの。 私は何処であろうと何時であろうと、肉体を持ったまま神の姿を顕すばかり。 私には過去はなく、カルマもない。

肉体は器。 本来なら神意識「私」が神の姿を顕すための場。

肉体さんは本当に人につくしてくれる と思う。 私の思い通りに動いてくれる。
カルマ意識の私にも、神意識の私にも。

神「私」が肉体を器にして働く、その時私には「過去はない」 
肉体の主人が神「私」に代われば、
あるのは、常に永遠に、完璧・欠けたるものなし・大成就 のみ。

カルマ意識の世界は色即是空、消えてゆく姿・・・、 
神意識が登場すれば、カルマは無いもの=「過去はない」 となる。 なるほどなぁ・・・と思う。

どんなに自分の抱える現状が酷いものでも、神意識は厳然と自分の内部に在る。
完璧、欠けたるものなく、大調和している。
それを受け入れ、 言霊の力を使って 完璧、欠けたるものなし、大調和を現実に引き付ける。



神意識、我即神也が受けれるのが難しい時代には、五井先生は
「何かあったら私の名を呼びなさい」 と言って下さいました。
五井先生を信じる想いを通して、完璧・大成就(我即神也)を信じることになっていた。(と思ってる)

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因果律の中だけにいる 祈りの人を見ます。 
どうやったら意識を変えてくれるのだろうか。
どうか、
祈る時、印を組むときは、
その時は「私は神である」と思って組んでほしい、・・・と思います。

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by mppoe-light | 2012-06-21 22:28 | 真理について思ったこと

ドラムセット☆形になってきたっ!

ロックバンド nuboのドラマーのお人形を作ることになりました。 注文です。
以前に、ここでツインボーカルの二人を・・・あ、一人は写真を撮るのを忘れてしまい、
載せてないので、、、 一人だけですが、写真を載せています。
同じ人からの注文です。 今回はお人形だけでなく、ドラムセット付です。

まだ途中だけど・・・ やっと形になってきました。 ほっ。。。。

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仕上げにゴールドをたっぷり塗って、 ピッカピカにしてやるの、だーっっ☆☆☆

台座にドリルで穴を開けて楽器を立てています。

電動ドリルも少しずつ使えるようになりました。 もう少し軽いといいのだけどなぁ・・・。
電動ドライバーはパワーは低いけど工作に便利な軽くて小さいのがあるのに、、、
軽いとパワー不足なのかも。。ドリル。

ホームセンターに行くと、DYIの売り場が好きで、よく工具を見ています。 買わないのだけど・・・(笑)
見てると楽しい♪  のこぎりだけでも いろーんな種類があって、面白い。
きっと前世は 大工だったと思う(笑) 職人さんはカッコいい☆

欲しいと思う工具は・・・・丸のこ と、電動の糸のこ! あったら楽しそう。
て、、、、
あまりお人形には関係ない・・のでした☆ 

あ、先月、電動ミニルーター買いました。 


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by mppoe-light | 2012-06-18 21:42 | 人形作りの話

「神の器」なので・・・

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我々が神になって、自分の姿を確認するのではない。
本来、我々は神だからこそ、「神の姿」を確認するのである。

肉体身とはこの「神の姿」を顕わす場なのである。

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人は何のために今ここにいるのかって聞かれたら、、、
今の私なら、、

「宇宙の神様のところから分かれて、降りてきて
現象世界で肉体を器にして、この世界に神様の完全性を表現するため、顕現するためにここにいます。」
と答えるかな・・・。

地上に降りたものの、途中で自分が神であることを忘れてしまい、恐れと不安と罪悪感を抱えたカルマの人間になっていましたが、、。。。
今、やっと少しずつ 自分が我即神也であることを思い出してきました。

これからはカルマの因果律の創造ではなく、
言霊を使って、「すべて完璧、欠けたるもなし」 の神性による創造活動を開始します。

肉体を器にしているので、消えてゆく姿のカルマはまだくっ付いているし、見た目も普通ですが、、、
そのことと神性とは関係のないことで、
消えてゆく姿は “ある”ように見えているけど、神性の「私」にとっては、一切関係ないもの・・・。 
だって、カルマが有ろうが無かろうが、神性の創造活動には一切関係のないから。

これからは カルマを相手にするより、本来の目的である
神性顕現に心を傾け努力していかねば・・・と思うところです。 これも努力だよ~ん。
そして、
今の肉体を持った世界で、「神の姿」を少しずつ確認できればいいな・・・と思います。
あとは、
 我即神也を忘れないように、 やっぱり祈り、印、言霊なのだ・・・☆

ぉお~っやらねば~っっ☆



存在そのもの


『あなたの心が神そのものの心であることに気づけばよいのです。そして自分自身ではっきりと宣言すればよいのです。
何も躊躇することはありません。拘ることも、ためらうことも、恐れ多い等と思うこともありません。
あなたの存在そのものが神なのです。』2005-09


我々が宇宙神よりほんのわずかに分離した時、自分を自己流に定義し始めた。その瞬間、我々は「我即神也」を忘却してしまった。
自己流の定義は、神本来の創造力によって、自己流の現象を生み出して行った。
それが繰り返され、深く重なったカルマとなって行った。
我々は自分自身のことを「完璧以下」と思い込んだ。必然的に、人類のことをも「完璧以下」と思い込んで行ったのであった。

2012年、我々はカルマとは一切関係なく、「我即神也」という宇宙の真理、自己の真理に従って、輝かしい現実を取り戻す軌道に入った。
かつてより、用意されていた軌道に入ったのである。それは『すべては完璧 欠けたるものなし』を受取る道である。
ただ、そう宣言し、宣言した通りを受取る道である。この軌道は神界と五井先生との約束事であるから(2006-08)、必ず成就する。


『すべては完璧 欠けたるものなし』の根源にある真理は『我の存在は完璧 欠けたるものなし』である。
つまり、「我即神也」である。
今まで、我々自身が「言葉、想念、行為」によって自分自身を評価していた。そして、時に徳を積み、時に罪を重ねたように見えていた。
しかし、我々の存在そのものは、いかなる「言葉、想念、行為」によっても変わることはない。
我々の存在そのものが神なのだ。
我々の存在とは、想念を出す前の意識そのもの、生命そのもの、本心のことである。
その存在、根源の意識、生命そのものが『我』なのである。
それ以外の現われた「言葉、想念、行為」のいずれも『我』ではない。
何があろうと、なかろうと、『我』は現象には一切関係ない。
『我』と関係しないすべては『宇宙神の聖にして神秘なる力』によって光に変容されるだけなのである。
2012年、神人の内で神そのものが目覚め始めた。
神そのものの『我』の意識が長い眠りから目覚め始めたのである。


 我は本来、神である。神そのものである。
無限なる愛、光、叡智、能力、生命に充たされているのである。
本来完璧なように作られているのである。完璧そのものである。
一つの欠けたるものなく、一つの余分なものなく、まったく完璧に大調和された神そのものである。(2004-08)
 


目覚めた内なる神はこのように宣言し、人類に向かっても同様の宣言(人類即神也)を行う。目覚めた内なる神は、自分に見合った状況、人、場所、物、出来事を引き付け始めた。
言霊によって引き付け始めた。大成就。
 すべては完璧 欠けたるものなし。大成就。

mixi ピタゴラスさん


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by mppoe-light | 2012-06-14 21:50 | ピタゴラスさん啓示録から

自分の存在そのものが「大成就」に値する

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祈りの言霊が新しくなりました。
すべては完璧、 欠けたるものなし、大成就

気に入っています。


大成就


 かつて、会長の法話には『厳然と存在する』というフレーズが数多く登場することを示した(13-8参照)。

『厳然と存在する』ものとは『我即神也』であり、神性、無限なる神性の宝庫、神意識である。
『厳然と存在する』ものは神界の神の姿である。それは既に成就している姿である。
その姿を認めさえすれば、その姿は現象界にも成就する。そうでない現象の姿は、『宇宙神の聖にして神秘なる力』によって変容されてしまう。つまり、消されてしまうのである。

 『大成就』とは『我即神也』による、神性顕現の宣言である。
『厳然と存在する』姿を現象化させる宣言である。神性の姿は宇宙神が定めた姿である。つまり、天命を完うした姿である。天命を妨げるものは一切何もない。
『大成就』つまり「天命の姿を受取る」宣言をすれば、神性そのものの姿が顕現してくるのである。『自らが望むことはただ受取ればよい』(2007-04)のである。

 『大成就』は神の宣言であるから、宇宙神の力がそこに同調するのである。
『大成就』は祈りを積み上げてきた人間の宣言ではない。祈りによって目を覚ました『我即神也』の宣言である。
『大成就』は『空即是色』の宣言である。果因説の宣言なのである。
いずれにせよ、『大成就』とは『宇宙神の御心を受取ります。有難うございます』という宣言である。
その姿は我々の内に初めからあった姿である。イエス・キリストは「天国は汝らの内にあり」と説いた。
その「内なる天国」を受取ることが『大成就』である。

 「厳然と存在する姿」=「神の姿」=「天命の姿」=「宇宙神のみ心」=「空即是色の色」=「果因説の結果」=「内なる天国」は「すべては完璧 欠けたるものなし」である。

今後、神人は「すべては完璧 欠けたるものなし」を受取るだけなのである。
受取るのに必要なのは言霊だけである。
それ以外に何か必要と考えるならば、改めて自分を赦すのだ。
自分を愛するのだ。自分を神として褒め称えるのだ。
自分の存在そのものが『大成就』に値するのだ。

自我の言葉・想念・行為は善であれ、悪であれ、自分の存在には一切関係ない。本心には一切関係ない。神性の『私』には一切関係ない。
 宇宙神の賜物を受取る時は、無条件に受取るのだ。只、感謝で受取るのだ。
受取ったことを『大成就』という言霊で確認すればいい。確認しつづければいい。


 『(神人は)欠けたるもの、余分なるもの一切なし、すべて完全円満、完璧、成就、大調和、神そのもの』である(2007-12)。

 『神人の未来はすでに宇宙の法則で定められている。最も素晴らしく、輝かしく、至福と幸せに満ちた、栄光そのものの人生が神人の前に生じるのである。神人一人一人の上に、、、、確実に!! 絶対に!!』(2007-12)

mixi ピタゴラスさん


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『大成就』は祈りを積み上げてきた人間の宣言ではない。
祈りによって目を覚ました『我即神也』の宣言である。


うんうん・・・そう、大成就は自我の宣言ではない、我即神也の宣言。
自我の宣言にしてしまうと、ツラくなる。

光を目指して自力で(自我を消し去って)登るのではなく、 
真理の言霊を積み重ね、光をこちらに引き付ける。  と、思ってる・・・・。
(私たちはすごいことを教えてもらっているのだなぁ・・・改めてびっくり☆)

そんなことがなぜ可能なのか、もちろん 私たちが「我即神也」だから!

自分の存在そのものが『大成就』に値するのだ。
神人は「すべては完璧 欠けたるものなし」を受取るだけなのである。
受取るのに必要なのは言霊だけである。それ以外に何か必要と考えるならば、改めて自分を赦すのだ。
自分を愛するのだ。自分を神として褒め称えるのだ。



な、泣ける言葉だ・・・・自分の存在そのものが「大成就」に値する・・・、 この言葉、頂きます♪・・☆

日々の日常に生きていると 今の世界が”真実”だと思い込み、
肉体側の私が本物である・・・と勘違いしてしまう。 
現象世界の私は、「影」。実体のない空っぽなもの。
それなのに
いつの間にか「影」の方が重要になり、そのことに意識が支配されてしまう。 
支配された「影」の私は、

「今の自分が言霊を繰り返すだけで、大いなるものが本当に成就するのだろうか・・・」
と、真理を疑う。成就を疑っている。 
つまり、、、本来の姿を顕現することを自分から拒否している。
これでは私の神性は顕れない。。。

 
私の命は宇宙神から流れる光。私の最も深いところで常に繋がっている。
だから私の内には 無限なるすべてが内在している。
よって、私は神性を顕す者。
祈れる私は、大成就に値するもの。 
 
この世界は、大いなる神の完全性を顕すための場。
神の完全性を受け取り、顕す。映し出す。

そのために 真理の祈りと言霊を積み重ね、 
「神の完璧、欠けたるものなし」のを引き付ける、受け皿になる。

神性は、真理の言霊の響きに共鳴して顕れる。
どんな自分であろうとも、いかなる自分であろうとも一切関係ない。
(だって影だもんね。。。消えてゆく姿だもんね。)

神の完全性は 真理の言霊に呼応し、流れ来るのみ。


と、、、こんな風に私は理解している・・・理解することにした!・・・のだっ


受取ったことを『大成就』という言霊で確認すればいい。
・・・・・正直言って、これはまだ上手くできないなぁ。。。
果因説だからそうなのだけど、、、 これはやはり言霊を積み重ねて自分のものにしていくものか。

今は新しい言霊を唱える のみっ☆

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by mppoe-light | 2012-06-11 22:35 | ピタゴラスさん啓示録から

マカベくんは燃える男である・・・・

今年の8月、高校時代の同窓会があります。中途半端な年齢なのに、なぜかひょっこり同窓会が・・・
昨年、東京にて関東在住の同窓生の懇親会が開かれた時、急きょ決まったみたいです。

春に会報作りのお手伝いをして、その話を聞いた時、

「当日、手が足りなかったらお手伝いするね」 と、かる~い気持ちで友人に言っていたら、、、

1か月後、突然、

「受付することが決まったから~」 と友人のそのまた友人から連絡が。。。

えーっ? お手伝いのつもりだったのに、、、いつの間にー? 
ま、いいか受付ぐらい、、、 会場近いから少し早く行けば大丈夫♪

てことで、そのまま承諾しました。

で、また1か月後・・・、  
今度は、世話役代表のマカベくんから、友達を通して突然電話連絡が有りました。

友人  「7月7日に準備、打ち合わせするから、 マカベくんから、絶対来るように伝えてって言われた。 
マカベくんが、絶対来るように、だって。」

え~っっ?、受付の次はとうとうスタッフかい! これまた知らない間に。。。 
お手伝いが出来れば・・・と軽い気持ちだったけど、 気がついたらスタッフに。。。。(――;) 

そしてそして、忘れてならないのは・・・

マカベくんがスタッフ代表・・・☆






       

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今でもやっぱり 
マカベくんは燃える男である・・消防だけど。。。。

来月の打ち合わせ、真面目にきちんと、
忘れないように行かねば・・・。。。。

※ 漫画は、会報の載ってた マカベくんの紹介記事から。 (*^_^*)
マカベくんの背後には、どれも炎が燃え上がっている。(笑)
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by mppoe-light | 2012-06-08 21:53 | どってことない話☆

光明の言葉

光明の言葉


貴方の光明思想の言葉は
希望にあふれ希望に満ちている
多くの人々の人生を変え
人類に大いに貢献しつづけている

言葉は自らの魂そのものだ
自分の言葉に火を点じ
燃えさかる炎の如く
自らをふるいたたせ
無意識に口からついてでる
悪やマイナスの言葉を浄め尽くすのだ

貴方の語る光明の言葉一つ一つに
霊なる光がそそぎこまれ
多くの人々の荒涼たる心に
空虚な魂に生気を与え
愛の献身という尊い生き方を貫いてゆくのだ

貴方の光明の言葉は
人々の幸せと人類の平和を創造し
自分自身の幸福までも生み出しているのだ

宇宙の気を
自らの光明の言葉に変えて
毎日毎瞬光の言葉を放ってゆくのだ
宇宙の気が貴方の肉体を通り
光明の言葉となり
心地よいひびきを発して
人々の暗く閉ざされた心に降り注いでゆくのだ

私たちは地上に生きている限り
あの広大な宇宙から無限なる光明エネルギーを浴び
それを創造的な言葉に変えて
今日も地上に放つのである

我々神人の仕事は、自己の内部で
霊性の光により
否定的想念を毎日毎時毎瞬洗い浄め
光明の言葉を積極的に生み出してゆく
真理の言葉、希望あふれる言葉、愛の言葉、感謝の言葉は
自らを満たしてゆくと同時に
人々の心をも満たしてゆく

あらゆるジャンルの光明の言葉を
生み出し、かき集め闇の中に放ってゆく
この大いなる仕事は神より与えられし天命
自らは光り輝く言葉の中にとけてゆく
自ら放つ言葉は
神言、霊言そのもの
暗黒のカルマにおおいつくされた地上の人類に
無尽蔵に光明の言葉を
生み出しあみ出し創りつづけてゆく
光明の言葉は光の宝
それを創りつづけるのは我らのミッション

日常生活の中に高次の言葉を次々と放ちつづけてゆくのである

<インフィニット・ワーズ 宇宙と呼応するひびき から>


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現象世界は映し出された世界、
この映し出された世界に身を置いて、自分が創造したものを体験している。 

いつの間にか、この世界がすべて・・と意識は勘違いしたために、
創造と体験の現象界は閉じた世界になってしまった。。。。 
それを開くための意識改革

形の世界の実体は・・・、本当は空っぽで 宙に浮かんだ3Dの映像みたいなものかも。
みんなで、見えている形は”かたまり”・・・と信じたからそう見えてるのかも(笑)
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私の内奥、中心から毎瞬注がれている光、
それは宇宙から送られてくる無限のエネルギー
自由に使って、常に創造している、、、 その時の意識は・・・・・?
過去と同じように無意識に使うのか、それとも意識して使うのか・・・。

私たちは地上に生きている限り
あの広大な宇宙から無限なる光明エネルギーを浴び
それを創造的な言葉に変えて
今日も地上に放つのである

光明の言葉は光の宝
それを創りつづけるのは我らのミッション


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by mppoe-light | 2012-06-06 23:00 | 真理について思ったこと

ピース・ピルグリム「内なる平和の歩み」を読んで

ピース・ピルグリムの言葉

【参考】全ての内容は、下記サイトより転載させていただきました。
ピース・ピルグリムの生き方「内なる平和への歩み」紹介サイト
Akashic Record過去・現在・未来の叡智をめぐって →http://bit.ly/9L4CDe


「内なる平和の歩み」 
通称: ピース・ピルグリム Peace Pilgrim
本名: ミルドレッド・ノーマン・ライダー Mildred Norman Ryder
生没: 1908 - 1981
1953年から1981年まで、自分を「Peace Pilgirm ~ 平和巡礼者」と呼ぶ一人の女性が、アメリカ大陸を2万5000マイル以上歩きました。 http://www.peacepilgrim.com/

彼女の語った内容は、その精神をくんで版権が主張されておらず、だれでも引用・転載していいことになっているそうです。

全文はこちらにもあります。 
http://www.inner-wish.com/自己変容の道/ピース-ピルグリムの言葉/

このサイトから前半を少しだけ転載しました。


「内なる平和の歩み」

◆意味のある生き方を深く探し求めつづけて

人生のはじめの時期に、わたしはふたつのとても重要な発見をしました。
ひとつは、お金をかせぐのは簡単だということ。
もうひとつは、お金をかせぎ、それを愚かなやり方で使うのはまったく無意味だということです。

自分はそんなことのためにここにいるのではない、と気づきました。
でもそのときは(これはずいぶん昔のことです)、では何のためにここにこうして存在するのか、まだはっきりとはわかりませんでした。
 意味のある生き方を深く探し求めつづけて、ある夜、一晩中森を歩きまわったすえに、ようやくひとつの境地にたどりつきました。いまのわたしは、そのとき超えたのが精神的にとても大きな峠だったことを理解しています。
 それは、一点の曇りもなく、全身全霊で、自分のいのちを奉仕の生に捧げたいという決意でした。こうなるともう逆戻りはありません。ここまできたら最後、二度とふたたび以前のようなまったく自分本位の生き方へ引き返すことはできなくなるのです。


◆ライフワークは平和のためにはたらくこと

※こうして、第二の人生がはじまりました。得られるかぎりのものを手に入れるのではなく、与えられるかぎり与える生き方です。


※このかんに、心理学者が「自我」と「良識」と呼ぶもののちがいがよく見えてきました。
わたしたちのなかには、ふたつの異なった価値観をもったふたつの自分、ないしふたつの本性が共存しているといってもおかしくありません。
そのふたつのものの見方があまりにもちがうので、しばらくはふたりの自分の葛藤に悩まされました。それは山あり谷ありのたいへんな道のりでした。


◆内なる平和を見出す

※けれども、そうしてもがいているうちに、
あるときすばらしいピーク体験が訪れます。生れてはじめて、本当の内なる平和を味わったのです。
私は一体感に包まれました。

 すべての人間たちとひとつであり、存在するいっさいのものとひとつであるという感覚――それ以来、その一体感を完全に失ったことはありません。

 その後もこのすばらしいピークには何度でも戻ることができましたし、そこにとどまれる時間もだんだん長くなって、すべり落ちることのほうが珍しくなりました。

 そしてある朝、もう二度と谷におりなくていいことがはっきりと確信できる、すばらしい瞬間がやってきたのです。苦闘は終わり、わたしはついに自分のいのちを捧げること、つまり内なる平和を見出すことに成功しました。
 これもやはり、もう引き返せない境地です、ここまでくると苦闘のなかへ逆もどりすることはありえません。苦闘が終わったは、みずから自分にふさわしいことをやる“意思”が生まれ、外側からそれを強制される必要がなくなったからです。

※いつも、愛、平和、喜びといった“善きもの”に包まれている感じがあって、それに守られているおかげで、直面すべきどんな状況に遭遇してもまったく恐れがないのです。

※こうなると、人生は思いのままです。ただし、「自我」というのはけっしてものごとを操ることができません。自我は肉体からくる快適さや便利さへの欲求に操られ、心の要求や感情のほとばしりに操られるばかりです。

 けれども、心やからだや感情をコントロールするのはもっと高い本性です。
 わたしが自分のからだにむかって「あのセメントの床で寝なさい」といえば、からだはそれにしたがいます。

 心にむかって「ほかのことはすべて忘れて目の前の仕事に集中しなさい」といえば、心はすなおにしたがいます。

 感情にむかって「状況は最悪だけど静かにしなさい」といえば、感情は静まります。
 これはふつうとはまったく異なった生き方だといえるでしょう。
哲学者ソローはこう語ります。
「世間と歩調を合わせるのをやめれば、いままで聞こえなかった太鼓の音が聞こえてくるだろう。」と。
 そう、この段階でしたがうのはその新しい太鼓の音――そしてその叩き手は、低次本性ではなく高次本性なのです。

◆世界平和のための巡礼
わたしはどんな組織にも属していません。旅に出るにあたり、
雨露のしのげる場所を与えられるまで歩きつづけること、
食べ物は与えられるまで食べないこと、
そして人類が平和の道を習得するまでさすらいの身でいること
を誓いました。


****************************

素晴らしい内容に、読んだとき感動しました。
この女性が到達した高い境地にも圧倒されました。

自分がこのような崇高な境地に到達できるのだろうか・・・と、たじろいでしまいました。。。。(ーー;)

その、揺れる気持ちのまま祈り、印を組み、自分はこれでいいのだろうか、、、と考えました。

そして気がついたのが・・・、

もともと、本来私は到達している・・・でした。

私たちは崇高な神「私」を既に手にしている。自分の中に誰でも必ず持っている。
(内在している神性を 今更になって 無いものとして探し求めて彷徨う必要はない。)

そしてそれは、
果因説を使って、現象界に映し出される。

だから、
“在る” ものを、素直に在ると認め続ける。
眠ったままの神「私」を 言霊を使って何度でも呼びかけ、目覚めさせる。

1回認めてそれで終わりではない。
認める気持ちの状態から、滑り落ちることがなくなるまで続ける。

上手くいくと思う。
果因説、祈り、印、言霊、神語がある。

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by mppoe-light | 2012-06-01 19:55 | 真理について思ったこと