過去はない

c0074000_22334997.jpg

c0074000_22244933.gif発見してしまった・・・
私が私をどう思っているか。その自己像は・・・過去の自分を基に作られていた・・・!
そのことに気が付いてびっくり☆ 
 
「過去はない」と、分かっていたつもりでも無意識のうちに過去を掴んでいる。
カルマ手強い!

今まで過去の自分を基に意識を動かしていたとは・・・・。。。。 
自分の意識なのに、自分で気づかない部分が独り歩きしていた。。。 ううぅ。。

過去をやめ、いったん意識を新しい状態に戻してから、
神としての自分をどんどんインプットしていこう(イメージで)・・・と思っていた矢先、 
久しぶりに読んだ ↓ の内容が面白かったので、さっそく載せることにしました。
面白すぎて、“拍手”を連打してしまった・・・☆ 

『私』のレッテル から

「我即神也」と唱える人ですら、無意識のうちに、個々人の『私』に否定的な言葉のレッテルを貼り付けているのである。
「消えてゆく姿」の教えとは、『私』には神以外の何のレッテルを貼り付けてはいけないと言うことである。
「消えてゆく姿」を行じるとは、過去に貼り付けた神以外のレッテルを一つ一つ剥がしてゆく行為である。

自分自身が『私』に何とレッテルを貼るのか。あなたはぼんやり、無意識のままにいると「運命に翻弄されつづける存在」というレッテルを貼ってしまい、全く自分が決めた通りに運命に翻弄されるであろう。しかし、あなたは意識して「自分の運命をコントロールし、創造してゆく存在」と宣言すれば、全く自分が決めた通りに運命を創造してゆくであろう。

あなたが『私』の倉庫は空っぽで、ガラクタしか入っていないと信ずれば、あなたは信じた通りに外の世界に豊かさを貪り、他の力に依存するようになる。
あなたが『私』の宝庫には無限なる神性があると、信じて、その扉を叩きつづければ、あなたは必ず神性の宝庫から流れ出る神性のエネルギーを浴びるようになる。

余分なレッテルを剥がすことによって、本名(我即神也)を思い出すのである。
あなたが御国(神性顕現)を得るのは過去世の修行ではない。今まで積んできた陰徳でもない。ましてや物質的なもの力ではない。すべてはあなたがあなた自身の『私』をどのように観るか。それだけだ。他の人や現象界の何ものも、どんな出来事も関係ない。あなたの心があなたの『私』をどのように評価するのか。すべての人から離れて、すべての現象界、出来事、体験から離なれたところで、『私』の本当の姿を見つめてみよう。


神のイメージから

神の言葉、神の想念、神の行為の前に神は自らを高貴な神とイメージする。この神の自己認識を目差すのが統一である。この「神が自らを高貴な神とイメージする」意識は特別な意識ではなく、意識の通常の状態である。また、この意識は消え去ることはない。この意識は真の自己愛である。したがって、無限なる愛の根源である。そこにはすべての神性がある。

自分をイメージすることと神をイメージすることは一つである。神なくして自分をイメージすることは迷いである。自分なくして神をイメージすることはできない。自分をイメージするときは神性という宝石で自分を飾ることである。いかなる希少な宝石より強力なパワー、エネルギー、美と輝きを放つ神性で自己イメージを作り上げることによって、人類は蘇るのである。このイメージ作りが輝かしい人生を創造してゆく基盤である。


全文読みたい方は・・・こっちへ行くと あります。→ 白光ノート
c0074000_22251661.gif眼精疲労にご注意を☆


きっと私は、想像を超えて素晴らしいに違いない。私だけじゃなく、すべての人が! 
本来の 神「私」が、自分の中で定着してくれるよう 
言霊、神語、印、祈り・・・続けます☆
c0074000_22254486.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-28 22:35 | 真理について思ったこと

「そのままにして神」

c0074000_1554915.gif


今まで散々 ここで、 我即神也について書いてきたのだけど、
では実践のほどは・・・と言うことで
・・・・気づいたことがあります。

宣言しながらも、肝心な意識の方は 我即神也 に距離を置いていたようです。
 がになっていない。 遠慮がち?な 我即神也 だった。。
 自己否定は根深いもんだなぁ・・・と思う。
自己処罰もそう。 これも長い間、因果の世界に馴染んで生きていたせいか・・。
失敗をすると自己処罰の想いが出て、意識の切り替えに時間がかかる。
自己処罰は不完全な世界の不完全な生き方に過ぎない・・・。 

もちろん反省は大事だけど、反省したら消えてゆく姿なのだから、
次は神さまの方へ、光明の方へ意識を転換するべきなのに、
自己処罰の想いが、足を引っ張る。。因果の世界へ戻そうとする。(;一_一)く、くやしい☆
が、 
ずるずると引っ張られてはいけない。 私は本来神なのだ。
捉われてしまえばそれだけ自分の神性を妨げるだけ、
自分にとって、人類にとっても世界にとっても残念で、もったいないことです。

神性を復活させるために 今更カッコつけて遠慮なんかしてる場合ではないのだっ。

素直に飛び込んでしまいたい~。 
初心に帰って、言霊、神語の宣言の際の気持ちを見直そすぞ 。
こーなったら、もっと気持ちをストレートに自分を褒め、称えてやるっっ

  

c0074000_1594391.gif私は、神である。 私は、光り輝いている。 私は、美しく清らかで気高く尊い。
私はすべてに愛され、充たされている。 
私はすべての人を愛し、慈しんでいる。
私は素晴らしい。
神さま ありがとうございます

自分の完全性を認めれば、 自然と感謝が湧いてくる。
喜びや慈しみが湧いてくる。
だから、真理は(法則は)ちゃんと働いてくれるのだ☆
だから、

究極の真理は、人類が悟ろうが悟るまいが、真理を知ろうが知るまいが、すべては神にお任せすればよいのである。 
肉体を持った私はそのままにして神である ということに尽きるのである。

3月号法話 から

我即神也

c0074000_1583287.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-26 15:12 | 真理について思ったこと

チューハイ気分♪♪♪

本館Melody の訪問者さんからお人形の注文をもらいました。
注文をもらったのは先月でしたが、(寒い時期は粘土が堅く乾燥しやすいので少し待っていただいて)、 
そして今日  完成~ヽ(^。^)ノ☆ やったー!

c0074000_226962.jpg

で、これから発送です。 2、3日しっかり乾燥させて月曜日には発送しよ。
お人形を発送販売するのは、初めて。 発送先は大阪。
柔軟性のある丈夫な粘土だけど、やっぱり人形です。
丈夫な梱包用の箱を探そうー。

スーパーへ出かけ、箱探し。
食料品売り場の 「ご自由にお使い下さい」の箱は、どれも平らで高さのあるお人形は入りません。 
うーん、、、、どうしようかなぁ。(;一_一) 

一旦あきらめて、文房具売り場へ向かう途中でお酒売り場の横を歩いていると・・・
おおぉっ!?  と、反応!

ちょうどお店の人が、箱からお酒を出して棚に並べているところです。
台車にいっぱい箱が積んである、 わぉーいい箱だ! 

「すみません、この箱もらってもいいでしょうか」 とお願いすると、
「いいですよ。どうぞ(^-^)」と OKです。

さっそく持ってきたMy定規を取り出して、サイズを確認。
梱包に丁度いい大きさの箱をもらうことが出来ました。  らっきーっ♪

c0074000_22135112.jpg

二重にして発送します。 二つとも焼酎の箱、、、、
なんか・・・大阪の方に ・・酒豪と間違えられそうだなぁ・・・(^_^;) 
 
箱を見てびっくり 焼酎って25%もアルコールがあるんだ! えー、こんなの飲むのー?! 
あ・・・、
だから割るのね。。。

私はお酒は飲めないので、だからお酒のことはまったくわからない。。。
ビールもコップ半分くらいで、もう十分 (・.・;)。。。。

ですが、
最近、ノンアルコールにはまっています。
箱をもらった帰りに、ノンアルコールの酎ハイとカクテルを買って帰りました。
今 一番気に入ってるのが、 これ!
c0074000_22204673.jpg

気分はしっかり、チューハイ気分♪ 
[PR]

by mppoe-light | 2012-02-23 22:29 | 人形作りの話

ぬるま湯では目覚めない・・・・のだ!

c0074000_22454847.gif

また、現象に反応して、
ジタバタしてしまいました。(p_-)  ううぅ・・・。
 何でこう毎度同じパターンで凹むのかなぁ・・・、
分かっているのに、なぜ意識の転換がスムーズにいかないのだろうと、
考え始めました。 で、印を組みながら気が付きました。
自分を変えよう自己改革しよう なんて余計なこと考えてしまった。・・・
過去を、消えてゆく姿を、操作しようなんて考えてしまった・・・。 
だから苦しくなるんだ。。。 わーん。。。(T_T)

神から離れてしまった意識が業想念世界を創りだしたのだから、
今やらなきゃならないのは、 離れた意識を本来の神意識に蘇らせること。
自己改革じゃなくて、意識改革なのだ。 意識が先。
すぐ忘れてしまう。 (・・;) 。。。

当たり前の日常生活の中にいると、忘れてしまう、
自分の内に(奥に)神「私」がいることを。
神「私」をいつも意識できるようになれたら、、、いいんだけどなぁ。

 忘れた頃に、ドカン!とやってくるネガティブな出来事&感情。
守護霊さまの巧みな課題。 おかげさまでその都度 目が覚めます。(^_^;)なは・・・ 
煩悩即菩提 。 
ぬるま湯では目は覚めないから、、、時には刺激が必要。 

働きを妨げているのは自分なのだけど、つい
私の中の 神「私」が起動してくれないかなぁー。働き出してくれないかなー。
と怠けたことを考える。(笑)
で、
1月号の今月の指針 を思い出しました。
c0074000_22492672.gif

不完全なものは、すべて消えてゆく姿。完全なものに自分を合わせる。
神人たるを誇りにして・・・つまり、神だから打ち克てるはず 。
自力じゃない、究極の真理だ。 神意識の言葉だ。カルマの私の言葉ではない。
だから、
「私」は神だから欲がない。 よって心に潜む欲望に打ち克つ、 大成就
「私」は神だから自立している、 よって他への依存に打ち克つ、大成就
などなど・・・


出来るところから、ぽちぽち心掛けようかな・・・



c0074000_22503716.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-21 22:52 | 真理について思ったこと

「愛・平和・祈り」から

c0074000_19392399.jpg


五井先生の著書、「愛・平和・祈り」
久しぶりに読んでみたら、 あちこちにペンで線が引いてありました。
当時は 「人間と真実の生き方」の教えがむつかしくて、
よって実践もいい加減で・・・、業想念の中をぐるぐる回っているだけの状態でした。
あちこちに線を引いたり、ページの端を折りこんだり、、、と
 どうやったら消えてゆく姿で世界平和の祈りが出来るのかと、
ジタバタしていたことを思い出しました。


自分というものは、本心と想念と呼ばれる二つの面をもつものであり、
自分を愛するということは、表面の想念的な心が本心と合体してゆくことをいうのであります。 そうしますと、自分は全く本心そのもの、神の子そのものとなって、そこに現れるわけであります。 
いいかえれば、あらゆる想念や立場に捉われず、神我一体になることが、自分を愛している状態なのです。

神が完全円満であるという信がある故に、神を想い、神を愛して、神と一体となり、神の円満完全性を、人間生活の中に実現させようとするのであります。

完全円満と不完全とは相容れないものです。
不完全なものは、すべて実在ではありません。

人間の不完全さは、神の分生命が、真実にこの世において、完全な働きをしていないところから生まれてきているのであって、神の分生命であると人間が自覚してゆくに従ってその不完全さ、つまり業想念所業は、消え去ってゆくのであります。


人間の神性を断々固として認める   「愛・平和・祈り」から  

我即神也 人類即神也  大成就

c0074000_19413743.jpg
[PR]

by mppoe-light | 2012-02-18 19:46 | 真理について思ったこと

疑わず素直になるまで・・・☆

c0074000_2226759.gif


神界に完成した「私」が在る。
神界は何処かの場所ではなく、今 私の中にあって、
完成した神「私」はそこにいて、いつもこう言っている

「我即神也 すべては必ずよくなる 絶対大丈夫 大成就!」

これはいつも絶え間なく自分の中で響いている、はず・・・ なのだっ!



第一段階は、『自分そのもの』『今の私』と現象とを厳然と切り離すという『無限なる赦し』である。『色即是空』の段階である。「固定観念を覆す」段階である。

ここをおろそかにしては、いかんっ!
現象世界の出来事の方が、圧倒的に説得力があるんだから。ふらふらと惑わされてしまう。
「無限なる赦し」
現象と「私」を切り離すには、日々 真理を追求する気持ちが大切。

 第二段階は、『自分そのもの』『今の私』と神性を一体視するという『無限なる愛』である。『空即是色』の段階である。「我即神也を復活させる」段階である。
 
「無限なる愛」
神意識「私」の響きと 「今の私」を合わせる

我即神也 すべては必ずよくなる 絶対大丈夫 大成就!

いつも絶え間なく自分の中で響いている(であろう)この言葉を疑わず素直になれるよう、
祈り、印、言霊の神示を繰り返し、そしてまた
第一、第二段階を繰り返す。 こつこつと、 こつこつと。 素直になるまで☆

でも・・・・
たまには・・・・

成果を体験したいよーっ!  

って、もしかして 気づかないところで ぽちぽち成就してるのかなぁ?(・・;)
こちらが気づかないだけ? 


仮想「我即神也」の実践

 『常に自らが完全な状態、そして欠けたるもの一切なしという状況を強くイメージしつづけることによって、その通りの現実が創られてゆく。』(2011-1日々の指針)

 祈る人の姿に「吾は神を見たる」と人々に思わせるものがなければ、地球世界の完成はない。
顕われた人格(人間性)、姿、すべては重要である。
しかし、物事には順序がある。果因説では、第一段階から完全な人格を要求されることはない。
それは赦しから始まる。
第一段階は、『自分そのもの』『今の私』と現象とを厳然と切り離すという『無限なる赦し』である。『色即是空』の段階である。「固定観念を覆す」段階である。
 第二段階は、『自分そのもの』『今の私』と神性を一体視するという『無限なる愛』である。『空即是色』の段階である。「我即神也を復活させる」段階である。

『今、私は完全である。欠けたるものなし。
私は今までずっと完全であった。欠けたるものはなかった。』

 この状況をイメージしつづけるのである。イメージがむつかしければ、言葉で宣言しつづけるのである。
神なるあなたの言葉は必ず現実化する。必ず成就する。
神性をイメージして現実化することは念力ではない。自我欲望をイメージして現実化する念力とは異なる。
神性の現実化は横取りではない。『縦取り』なのである。それは因縁因果説ではなく、果因説なのである。
神性は既に、人類一人一人の遺産として、宇宙神から無限に与えられているものなのである。
その神性を自由自在に人類が使いこなすことは、宇宙神の御心であり、意志なのである。
その宇宙神の意志を邪魔することなく、まっすぐ受け入れることは全託なのである。
「自分は至福に値しない」と思うのは、過去を根拠に考える自我の想いである。
「私は宇宙神の意志である至福を頂戴します。有難うございます」と想うのは、真理を根拠に考える神我の想いである。

 これまで、人類は現象世界の出来事、物品にことごとく心を奪われ、現象界に振り回されてきた。その人類の生き方が大転換する。これからは、自分の内なる神性にことごとく心を奪われ、現象界にそれを映し出してゆくのである。
内なる神性を隈なく思い起こし、一つの漏れなく讃え上げるのである。そして、その一つ一つを現実化してゆくのである。

 『私はわが内なる我(神)を讃美する。』(2009-4 日々の指針)
 『必ず成る。必ずよくなる。必ず成功する。必ず繁栄する。必ず癒される。必ず顕われる。
 すべてはよくなる。すべては必ず成就する。すべては調和し、すべては整い、すべては成る。』(1995-11)
 mixi ぴたごらすさん

c0074000_22273570.gif

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-16 22:28 | ピタゴラスさん啓示録から

平和の原点 我即神也

c0074000_16393594.gif


今月の昌美先生の富士での法話から すこし選んでみました。

そこは真髄、(真の)祈りがあるかないか。
真似して世界各国祈ったとしても、そこに本当の祈り、「我即神也、人類即神也」がなければ、形式的な物質的な自己満足に終わる。


何が一番いいのか、欠けたるものなければいい、大調和して。
大調和。
大調和の中には病気もなければ、お金も欠乏することもなければ、飢えることもなければ、人を恨むこともない、
愛そのもの。 だから無限なるそのもの。
人類即神也、我即神也、そのもの。

c0074000_16401485.gif


ふむふむ。。。(・_・) 

私たちの平和を祈る祈りが なぜ素晴らしいのか、なぜ威力があるのか

祈りも 印も マンダラも 言霊も・・・すべての神示は「我即神也、人類即神也」という最も大切なものを表現したもの、根源を形にしてある、 
実践すれば凡夫が迷いの中にいながらも
神の姿、神の言葉、想念、行為を表現できるようになっている・・・ 
いつの間にか 果因律の法則に乗れるようになっている・・・そんな風に思えます。

根本は、 「我即神也 人類即神也」 =本来の自分、自分の本体と統一していくこと。
これは世界平和の祈り の時から、同じだと思う。

五井先生は業想念と本心を分け、祈ることで、 

天の本体は地上に向かって 「人類よ平和であれ!」 と言っており、
地上の私たちは「世界人類が平和でありますように」と言うことで、 
これでまっすぐ一つにつながる(統一する) と教えて下さってました。

「神様の御心と一つになることが統一ですよ」 (← 統一CDの五井先生の言葉)

我即神也=本体の「私」とまっすぐ繋がる。
私は神界で完成している。神界には常に完成した「私」が存在している。
そして 地上の私と天の「私」は意識を通してまっすぐ繋がっている。 
途中の余分な固定観念さえなければ 今すぐにでも 天の「私」を取り戻すことが出来るはず、なのだけど・・・うぅ~。。 固定観念が手強い、のだ。

果因説で唱えるのみ。 必ず大成就する・・のだっ



 『内なる神我は常に、天地一体となって祈り、印を組んでいるのである。
 本来の自分は、自分の知らないところで祈っていたのである。宇宙神と自分の本体とは、常に自己の内なる祈りを通して強く固く結ばれ、宇宙神の崇高なるヴァイブレーション、無限なる能力、愛、叡智、癒し、感謝、成功、、、などのヴァイブレーションと同調していたのである。

 故に、外面の自分が正しいか否か、真理そのものであるか否か、愛深き人であるか否か、否定的想念に覆われているか否か、能力のあるなしなどは、全く関係ない。本体なる自己は、そうした二元対立の次元を超え、宇宙神の波長と全く一つに融け合い、無限なるものすべてを含み、常に祈りを放ちつづけていたのである。
自己の内に神々しく崇高に光り輝いている我即神也(本体)と出会うであろう。それは五井先生の霊光写真そのものと全く同じである。自分の本心、本体は、光体そのものなのである。その五井先生と全く同じ自分を発見するのだ。』(2011-3 P14-17)



この法話はピラミッド神事の主旨を解説されたものである。しかし、このテーマはピラミッド内に留まるものではない。このテーマは「自分とは何か?」という最も本質にかかわるものである。

「自分の正しさ、愛深さなど全く関係なし!」

これは、何度も自分に言い聞かせるべき真理である。宗教的な人であればあるほど、自分の正しさ、愛深さを自省し、自分を神と崇めることができないのである。罪の意識から自らを解放できないのである。過去の宗教には、そのようなマインドコントロールの要素が多かれ少なかれ含まれていたのであった。


「自分の正しさ、愛深さなど全く関係なし!」「不完全な自分はさておき」
「業想念の自分はどうであれ、自分自身を、人を積極的に愛しつづけるのです」(1998-5)


というフレーズは、逆説的に聞こえるかもしれない。しかし、真理はその通りなのである。
もっともっと深く自分を赦し、愛していいのである。自分を赦し、愛するなら、完璧に赦して、愛そうではないか。宇宙神と一つに融け合っている自分を見つめようではないか。五井先生の霊光写真のような自分を想像してみようではないか。この世に神の姿を顕わすのは後の話でいいのである。先ず、自分が神そのものであることを想像してみるのである。

自分を徹底的に愛した人は、自ずと正しき人となり、自ずと愛深き人となる。
立派なことを思い、行うことができて、自分を愛するのではない。自分を神と尊敬するのではない。現象世界には何の実績も、物証もない。それでも自分自身を神として愛する。これに勝る偉大な愛はない。そこに世界平和の原点がある。


神語:

『私』は、地球の安寧と世界平和のために祈りつづけてきた。
『私』は宇宙神と一つに融け合い、祈りつづけてきた。
  『私』は神々しく光り輝く光体である。

 
ピタゴラスさん「自分の正しさ、愛深さなど全く関係なし!」  から


自分を徹底的に愛した人は、自ずと正しき人となり、自ずと愛深き人となる。

だから安心して自分を赦し、自分を愛する

私は神だから神聖で純粋で欲がなく、 気高く美しい

c0074000_16412910.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-10 16:49 | 真理について思ったこと

神聖幾何学図形って・・・☆

c0074000_23182228.gif

久しぶりに 神聖幾何学図形を見てみたのですが、

図形の意味や説明を読めば、「なるほどなぁ・・・」と 納得はするのだけど
描かれた図形は・・・・やっぱり苦手でした。。。

色や形は、音楽と同じだと思っています。
みなそれぞれ旋律があると思っています。
だから、面白い。 だから色や形に興味があるのだけど・・・・
神聖幾何学図形は、私には強すぎるみたい~。。。

図形の中の情報量が多すぎるのか、
それてとも私の見方が、 アートとしてだけ見ているからなのか。。。

ただ 創造のエネルギーは強力なのだなぁ・・・と思う。

そういえば、 五井先生、昌美先生の教え、指導には 視覚から入る”行”って
ない。(今のところ イメージもない)

多次元を2次元の平面に表したものを、3次元の視覚で受け取る・・・
うーん、複雑 。。。。!

c0074000_2316179.gif

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-07 23:20 | どってことない話☆

すでに成就している

重要なことは、完全調和した世界は既に成就している・・・・・

『この肉眼肉耳に見聞きすることは、全く暗い不完全なことが多いようですが、人間の真実の心でみている世界は、全く明るい清らかな完全調和した世界なのです。神々の光で充ち充ちている世界なのです。私はそれをはっきり知っております。   中略
 この肉体世界にいる人類は、すべて神の子であると同時に業生でもあるわけですから、神の子の住む、完全円満、大平和な世界をつくるためには、自分たち自身が、業生の想念から神の子の想念に想いを切りかえなければならないのです。』
(「愛・平和・祈り」P.116-117)

************************************
c0074000_1946475.gif

 「業の想念が肉眼肉耳で見聞きする不完全な世界」と「神の子の想念が真実の心でみる完全調和な世界」が同時並行的に進行している。もちろん「業の世界」は「消えてゆく姿」。「神の子の世界」は「真実の姿」である。業の想念は左脳で受信されている。
他方、神の子の想念は右脳で受信されている。
人類の脳は同時に二つの世界を見て、二つの想念を受信している。
しかし、圧倒的に業生の想念が優勢になってしまっている。祈り・印・言霊は、この二つの世界の想念を切り替える方法なのである。
 
 ここで重要なことは、完全調和した世界は既に成就しているということである。
完全調和の世界は、はるかかなたの神の世界に成就しているのではない。その真実の心・本心は、厳然と眼前に存在している上に右脳にまで貫通し切っているのである。本心こそが真実なのである。
本心のひびき、右脳が受信するひびきを、言葉にしたものが祈り言である。口に出して宣言すれば言霊(神語)である。全身で表現すれば印である。ならば、祈り言葉が肉体世界の様相と異なっていたとしても、矛盾・偽善・口先のことにはならない。

 祈り・印・言霊によって、意識は現象世界を離れて、神の世界を思い出すのである。それが次元上昇である。意識の目覚めである。その目覚めによって、神の世界がこの世に顕現するのである。これが、これから本格化する「神性復活」の原理である。

 
神性は無限にして、そのまま我々の細胞を貫通し切っているのである。否定さえしなければ、神性はいくらでも吹き出してくるものなのである。過去からの習慣の想いと、肉眼肉耳の現象に流される想いがそれを否定しているのである。
 

目覚めた意識を通して、神性がこの世に現れ、個々人が神となる。個々人が神を顕わし、世界人類が平和となる。この宇宙神の意図は成就しているし、現象界に成就するのである。これが「大成就」の意味である。

個々人が受取るものは、完全・完璧・大調和・至福のみである。人類一人一人が、完全・完璧・大調和の神である。至福の神である。真実その通りであって、現実にそうなるのである。右脳が既に感じ取っているが如く、現実の世界もそうなるのである。大成就。
 
 我即神也。我は完全・完璧・大調和の神である。至福の神である。
 人類即神也。人類は完全・完璧・大調和の神である。至福の神である。
 大成就                  

ピタゴラスさん 「大成就」 から

c0074000_1954274.gif

宇宙神の創造は完全・完璧・大調和である。『私』はその只中にいる。永遠に至るまで、『私』はそこにいる。『私』は他の世界に行くことはなく、行く必要もない。『私』のいるところ、すべては完全・完璧・大調和である。
『いかなる状態にあろうとも、即その奥に完全なる肉体、完全なる状況、完全なる環境を自らが感じ取ってゆくことである』(注1)。

 実感、実際、現実は意識の結果である。つまり、目の前の姿は消えてゆく姿。そして、『神の姿・我即神也』は必ず、  『後から光明燦然と顕現されてくるのである』(注1)。

現象があって、それに反応することが生きることではない。真に生きるならば、意識が先行する。意識活動は、観念論では絶対に終わらない。殊に言霊があるならば、現実世界は必ずよくなるのである。
「現実・実績がなければ、大それたことを宣言してはならない」と囁くのは自我である。現実・実績がないにもかかわらず
『自分は本来完全なのだ。完璧なのだ。何一つ欠けたるものはないのだ。すべては完璧に整えられているのだ』(注1と真理の宣言をすることを習慣としてゆけばいいのである。

注1 2000-4 P.50  ピタゴラスさん 「至福」から


現象があって、それに反応することが生きることではない。真に生きるならば、意識が先行する。

意識活動は、観念論では絶対に終わらない。殊に言霊があるならば、現実世界は必ずよくなるのである。


我即神也 人類即神也  すべては必ずよくなる 絶対大丈夫 大成就!


c0074000_19513438.gif

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-05 19:55 | ピタゴラスさん啓示録から

今、大成就である・・・こと☆

c0074000_22265949.gif

印や神示をやりながら思っていること、、、

これから神になるだろう とか、これから神にならなければ・・・
という想いではなく、
「今 我即神也 今この瞬間、私は神である 」 という気持ちが大切だということ。

なぜなら 果因説だから。 そして それが真実だから。

あとは それをどこまで信じているか だけ。 (そこが一番難しいのだけど (^_^;) 無限なる成功で!)

c0074000_2235499.gif

自分が今どの程度まで神意識に到達しているのか・・・とか
自分が達した分(神意識)の成果を求めたいところだけど、、、、それは気にしない。

(現状を改善したいのは やまやまなれど~。。。。 消えてゆく姿は幻想の世界、無力な消え去る世界。。。)
 
そもそも神は何も求めない。 すべてに満たされ、完璧、大調和しているから。

意識の比重を、神意識へ

すべては必ずよくなる 絶対大丈夫 大成就

「大成就」  これから大成就していくんだ・・・・という気持ちではなく、 
すでに完成しているという想いを持って 「大成就!」と言った方が好き。
その方が、幸せな気持ちになり、力が湧いてくる。 自分自身が喜んでいるのが分かる。
だから、 人類の表情が喜びいっぱいで、世界が光いっぱいになったつもりで

最後の言霊 「大成就!」 を唱えています。

果因説だから、それでいいんだ。 
何よりその気持ちで唱えていると、自分が幸せな気持ちになるのだから、
きっとそれでいいんだ!  
勝手ながら、・・・・そうすることに自分で決めました。(笑)(^-^)


c0074000_223195.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2012-02-04 22:35 | 真理について思ったこと