自分を変えるより、自分を見つめることが先決 

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自分を変えるより、自分を見つめることが先決 
      
 人は「我即神也」は観念的に理解できても、実感として感じる人は少ない。五感で自分に光を感じる人は少ない。それでいいのである。果因説の入り口は、五感ではない。想像力なのである。
痛みと言う知覚も、痛みを招く想念が先立つものである。実感・知覚は意識の結果である。この原理をカルマの分析に使うのではなく、神性顕現に活用するのである。


『あなたはあなた自身をもっと深く見つめるべきだ
自分を変えることよりも、自分を見つめることのほうが先決だ

素晴らしい美、叡智、能力、創造力は
あなたが自らを認めることによって
その瞬間輝きあふれ出てくるものである』
(インフィニットワーズ45 2003-09)


 自分を見つめるとは、真の祈りである。
真の祈りは自分の本心を見つめるのである。真の祈りとは本心の姿を想像するのである。 真の祈りとは、本心の姿を宣言し、認めることである。 想像・認識・宣言と言う意識活動が現実世界の知覚・実感を創り変えるのである。 想像する前に、認識する前に、宣言する前に現実の姿を変えようとしてはならない。
先ずは、現象の様相に反応していたエネルギーを静め、自分の内面にエネルギーを集めるのだ。
自分の内へ、内へ心を向けるのだ。そして思い出すのだ。出会うのだ。『美しく神々しく厳然と光り輝く自分そのもの』を信じるのだ。絶対なる真理(我即神也)を信じることである。聖なる自己を信じることだ。
たとえ思い出せなくとも、出会えなくとも、信じられなくとも。次のように宣言するのである。

『自分の内には神々しく崇高に光り輝いている我即神也(本体)が存在する。』
『絶対大丈夫。何が起ころうと生じようと必ずうまくゆく。すべては見事に成就する。自らの力を信じる。自らの本体は我即神也そのものである。自分には能力がある。』
(2003-11)

 『私に関することは、すべてが完璧そのもの。すべては充足され。調和され、欠けたるものなし。』
 『私には、光りそのもの、善そのもの、完全なるもの、無限なる叡智、能力、繁栄、幸福そのものの人生が展開してゆくのである。』(2003-12)

 言葉から始めてよいのである。言葉は想像を刺激し、認識を変える。この意識の変化が人生を変えるのである。人類世界を変えるのである。

mixi ピタゴラスさん
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先ずは、現象の様相に反応していたエネルギーを静め、自分の内面にエネルギーを集めるのだ。自分の内へ、内へ心を向けるのだ。


業想念からくる あーでもない、こーでもない というマインドのおしゃべりを静める。
 消えてゆく姿で世界平和の祈り 我即神也
祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのもの
いかなる時も宇宙神の光に包まれている・・・


呼吸法の印を組むときには、

「私は本心そのもの、宇宙神とつながる我即神也、宇宙神の光を放射する」などなど・・・こんなことを言い聞かせ組むように心掛けています。
(たまに、ぽわ~っと組んでしまうけど。。。(反省。。。(;一_一)
特に祈りの会の時は、
“本心が語るつもり、本心が組んでいるつもり” で、宣言したり印を組むように。 

で、先日の祈りの会で 初めて気が付いたのですが・・・・

自分の祈る祈りや印が 「世界平和のための力になる 人類のためになる」 と
やっと気が付きました。 やっと自覚することができました。
祈り始めて18年にくらいになるんだけど 今ごろ気が付いた。。。 
いや~、長い道のりであったな~・・・・・・

以前、この日記でも書いていますが、実は 
導師の竹内さんとお話した際に、相談をしていたことがあります。

「私は自分の意識改革、自分を変えることには一生懸命になれるのだけど、それに比べて
世界平和への気持ちが欠けてる・・・ このままでいいのだろうか・・・・」
 と。

これは入会した時から ずーっと思っていたことです。 他の方に比べて自分が世界平和の熱意が欠けてる気がしていました。(T_T)ううぅ・・・

その時の竹内さんのお答は 「絶対大丈夫!、必ず世界平和への気持ちが顕れます!」と断言して下さいました。

で、ついに先日の祈りの会にて、

「今、自分の祈りや印が世界平和のために役立っている、自分が世界平和のために働いている」 
という実感が湧くようになりました。

ついに・・・、ついに、




きたー! ←ちょっと古いか・・・

やっとその時が きました(^。^)/  私の祈り、印、呼吸法が人類のためになっている☆
世界平和の気持ちが上昇しつつ・・・です。 おめでとう!私!
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mixiで公開されている 導師 西中さんのお話から

これから毎日思うべきものは何かというと、『自分は人類のために働く存在である。人類のために行動する。人類のために生きている』と思うことが、実は一番正しいんです。
何故か。 それが神霊なんです。


この言葉を読んだとき、ことのほか素直に受け入れることが出来ました。
「人類のために行動すること」 これが真に祈ること、生きること☆

以前の私なら・・・
c0074000_21313550.gif「んなこといったて、難しい~! それって理想だ・・・」て、言っていたかも。

祈り始めたばかりの18年前なら
c0074000_21315948.gif「“人類のために生きるな”なんて、宗教的・道徳的で嫌だなぁ・・・・・・ぶちぶち。。。」

と思っていたはず。

でも 今は 素直に納得できるようになりました。 これはめでたい!
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消えてゆく姿・自分を空しくする⇒我即神也⇒真の生き方⇒人類のために行動する
上手く説明出来ないけど・・・
たぶん・・・・
カルマの「私」を手放し、我即神也の『私』に入ると世界が一変する。

この気持ち、心境を忘れないように。これからも祈り、呼吸法の印、神語を続けねば・・・
あ、7月の大行事の言霊の神事 とてもいいです♪
これも神語のように毎日宣言をしています。

祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのもの・・・・
神語の数も増えました。印を組む前に、祈りの前には必ず宣言。
気に入ったものは暗記しているので、運転中でもどこでも使えます。
神語を語れる自分が好きです。

c0074000_21262336.gif※神語とはなんぞや ↓
ピタゴラスさんおすすめの行です。 やってみたらとても良かったので続けています。
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by mppoe-light | 2011-08-31 21:33 | ピタゴラスさん啓示録から

2011 広島wppc-(2)

8時15分黙祷
その後、歌がうたわれ、 wppcフラッグセレモ二ー開会です。
特別参加者紹介
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みなさま、ありがとうございます!

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                                            こ、このおじさんって、いったい・・・?





              地球さん ありがとうございます。 
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          最後は、みんなで手をつないで フィナーレ
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            「世界人類が平和でありますように」

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by mppoe-light | 2011-08-28 10:55 | 真理について思ったこと

2011 広島wppc-(1)

2011広島wppcに法友いくちゃんが参加しました。 今年はカメラマンとして。(^-^)
自前の一眼レフ、高画質の写真がいっぱい☆
その写真をCDにコピーしたものを、TVでスライドショーにして一枚一枚見ました、
とてもきれい。 高画質だ~☆
ここでは送信用に画質を下げたけど、きれいだ。(*^_^*)

まず前日に、 広島市内で開催されていた オノ・ヨーコ展で撮影したもの ↓

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      これは、いくちゃんが書いたもの。

ここからが wppc です。(*^。^*)
まずは開催前の準備から・・・
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今年もみんなで作った しおりです♪  
昨年同様、裏側は 白光以外の方に「世界人類が平和でありますように」 と手書きしてもらい 
ラミネートで包みリボンを付けてピースカード(しおり)にしました。
今年は150枚!


こちらはインターネット中継の様子です。 準備中・・・?
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ネットで配信です。
いよいよこれから本番!
 
つづく☆
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by mppoe-light | 2011-08-26 19:46 | 真理について思ったこと

行って、見て、遊んで、食べて☆

お盆で帰省していた姪と出かけました。

ゲゲゲの 鬼太郎ロードへ☆ TVドラマは終わったけれど人気はまだ衰えていないようです。

で、さっそく車を近くの駐車場に停めたところ・・・・ 岸壁に停泊している大きな白い船を発見!
 鬼太郎よりこっちが先! 

 
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ものすごーく簡単で、とっても単純な作りの海上保安庁の看板が・・・・
(これがローカルの良さだな~(^_^;)←田舎好き 

関係者以外進入禁止と書いてありながら、 おもいっきりオープン状態。。。おいおい
で、 少し入ってみた。

おおぉ~っ

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きれいだなぁ~ 船の知識はぜんぜんないけど、 美しいフォルム
機能を追求するとこんな形になるんだろうか、

なんか かっこいいぜぃ巡視船!!!
で、自分もちょびっと参加してみた。。。

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風が強くて・・・・なんか髪がサザエさんみたいになった。。。


その後、 やっと鬼太郎ロードへ
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妖怪は他にも たっくさんあるのだけど、 (怖いものいっぱいなので) 
やっぱり可愛いものばかりに目が行ってしまう。。。

最後に、水木記念館に行ってみました。 かれこれ10年前くらいに建ったけれど、初めて入りました。
で、

ここだけ写真撮影OKだたので・・・・
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姪を撮ってみた。
身長175cm+サンダルの高さ=180cm以上はありそうだ・・・・  おおぉ・・・

この後、ご飯の時間になり、 お魚料理の美味しいお店へ行きました。 

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美味しい料理を食べた後、姪のリクエストでコンビニでアイスとスイーツを購入。
まずアイスクリームをそのまま車の中で二人して食べ、
家に帰ってからスイーツを仲良くペロリ。

行って、見て、遊んで、
食べるだけ食べた一日でした。  おなかいっぱい!
楽しかった(*^。^*)
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by mppoe-light | 2011-08-23 22:26 | どってことない話☆

果因説の時代

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果因説の時代 キリストの道・弥勒菩薩の道

 『世界平和の祈りをすれば、必ず自分は神様の世界にいるんだ、という信念を作ればいいんです。』
(『素直な心』P.109)

五井先生は現象界をよくしながら、「神の世界」をこの地に降ろす道を示しておられた。
世界平和の祈りは、現象界の改善を約束してくれる。それ以上に、世界平和の祈りは、個人人類を真理に目覚めさせる働きをする。「真理に目覚める」とは次元上昇である。エルマーが体験したような「どんでん返し」を体験することである。これは物語のように「一回の印で終わり」というわけにはいかない。
そこで五井先生は50年以上も前から、次元上昇をスムーズにできるように準備をされてきたのである。
五井先生は過去世に遡れば、阿弥陀如来の名前を呼びさえすれば、人は誰もが極楽浄土(神の世界)へ次元上昇できると説かれていたのである。
その地球規模の次元上昇はここ数年で起こることになっている。今や、次元上昇を意識して訓練する時代なのである。
「次元上昇の訓練」とは言い換えると、果因説を使いこなす練習をすることである。

『世の終わりの時キリストが現れる、弥勒菩薩が現れる、という予言があるんですが、その時代が現代なのです。』(同P40)

 「世の終わり」とは現象世界の崩壊ではない。「三界の世界」から「神の世界」への次元上昇のことである。個人ベースで見れば、それは「輪廻転生」の人生を選択するのではなく、「神の自分」「我即神也」を言葉・想念・行為・肉体に顕現する人生を選択することである。それは、個々人が天命を完うする時代の復活のことである。つまり、「世の終わり」とは因果律の終焉のことだったのである。
2008年7月の大行事で、因果律がこの世から一掃された。そして、富士聖地は果因説の場に変わった。この時代に、果因説を学び、自分の天命を完うしてゆく人。つまり、因縁因果は無くなったものとして、「我即神也」を顕わしてゆく人達がキリストである。そして、弥勒菩薩なのである。

 現象世界の凡夫の姿を「消えてゆく姿」と観て、神様の世界の「我即神也」を『宣言し承認する』ことを繰り返すことが最も重要である。『不完全な自分はさておき』、完全な自分を宣言し承認するのである。
凡夫の自分はさておき(消えてゆく姿だから)、神聖な自分を『宣言し承認する』のである。
過去の自分はさておき(過去はないから)、今この瞬間『神そのものの自分』を褒め称えるのである。
今までの自分についての定義、信念、評価を(守護霊様守護神様に)手放し、自分を神そのものとして定義し、信じ、尊重するのである。
今までの思い込みを「消えてゆく姿」にして、『神としてのみの自分を仮想イメージ』しつづけるのである。
どれだけカルマにまみれていたのかは問題ではない。
カルマが浅い深いの問題ではない。カルマを減らすことが問題なのではない。
カルマとは初めから無縁な神そのものの自分を選択するのである。
果因説にはそういう選択肢があったのである。
これがキリストの道であり、弥勒菩薩の道である。そして、「神そのものの自分」の化身となるのである。
自らを神の化身と宣言し承認する者だけが、神の化身となるのである。
 
注  『不完全な自分はさておき』『宣言し承認する』『神人としての自分を仮想イメージする』(2009-1P.5)は西園寺会長の言葉 
 
mixiピタゴラスさん   

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次元上昇を意識して訓練する時代

カルマとは初めから無縁な神そのものの自分を選択する


その時『私』は「三界の世界」から「神の世界」へ次元上昇している
よって『私』には過去はなく、カルマもない。『私』は光だけですべてを描ききる。
『私』が描く世界が五井先生の説かれた平和の世界。


2008年7月の大行事で、因果律がこの世から一掃された。そして、富士聖地は果因説の場に変わった。この時代に、果因説を学び、自分の天命を完うしてゆく人。つまり、因縁因果は無くなったものとして、「我即神也」を顕わしてゆく人達がキリストである。そして、弥勒菩薩なのである
我即神也 絶対大丈夫 大成就

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by mppoe-light | 2011-08-21 15:05 | ピタゴラスさん啓示録から

昌美先生の8時間の統一・・・・

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mixiピタゴラスさん ↓
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八時間の統一の成果

 『今の私は、表面に現われているその人の姿を見ているのではない。私はその人の背後に輝くオーラを確実に見てとっている。神の姿そのものを見ることが出来たのだ。私の心は、消えてゆく姿の業を見ているのではない。どんな人にも神の心が宿っている。その光り輝く真の姿を見ることが出来たのだ。私は無限なる神の愛に目覚め、いかなる人をも神の人として見てとっている。』
(96-11臨時増刊号  会長は八時間の統一の成果を説明しておられる。)

『不幸や苦悩に同情すること、またはそれに甘んじそれをよしとすることは、結局、一人一人がみな不完全なものに波長を合わせているということになるのです。』
(94-11 以下同じ)

                           ※

 「慈悲とは同悲同喜の心である」とは、よく聞いたものである。ところが、共に悲しむことは神の愛ではない。「これは自分の消えてゆく姿だからしょうがない。甘んじて受けよう」という態度は「真の消えてゆく姿」ではない。
 「愛」を知っているようで、知らない。「消えてゆく姿」を理解しているようで、理解していない。「八時間の統一」を聞いてはいたが、私自身その成果を良く理解していなかった。
 不完全な姿に自分が留まりながら、または人類の不完全な姿を見ながら、そこに祈りで光を降ろそうとする。それは一般的な方法かもしれないが、果因説の時代では、もう一歩進むべき余地がある。
それは、『神の世界に欠けたるもの、不足なるもの、不調和なるものなど一切ない。存在しない。神の世界に存在するものはすべてが完全で調和し、健康で豊富で、幸せそのものであることが当然である』と強く宣言することである。
同情すべきように見えるのは、『自分の五感の世界だけのことであって、神我一体の真の世界ではない』。一人一人の神の姿を視る「神の無限なる愛」は同情とは確かに異なる。

 自分を愛するとは自分の本心を視ることである。人類を愛するとは人類の本心を視ることである。
東日本大震災のような災害に苦しむ人を見ても、五感の世界を見ず、『神の人と見てとる』程の愛が世界を変えてゆく。現象や過去は『神の人の姿』を隠すばかりだ。
神人は、現象や過去を『消えてゆく姿』と見て、すべての人を『神の人と見てとる』ほどの『神の無限なる愛』を発揮するよう要請されている。

 自分の本心を視てゆくならば、過去は消え、現象は消えてゆく。自分と本心が向き合うならば、「我即神也」が残るだけだ。本心は自然に語り始める。
『私の世界に欠けたるもの、不足なるもの、不調和なるものなど一切ない。存在しない。私の世界に存在するものはすべてが完全で調和し、健康で豊富で、幸せそのものであることが当然である』と。
 そのように、意識は神の世界にすっぽり入っていながら、この世的には超然たる態度を人前では取らない。人の話をよく聞き、人の心をよく理解する。そうしてこられた五井先生は、偉大だと改めて思う。

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「これは自分の消えてゆく姿だからしょうがない。甘んじて受けよう」という態度は「真の消えてゆく姿」ではない。

 消えてゆく姿だ と観じたら、その想いは因縁因果の回転から抜け出さねば・・・
そして、祈りによって光の中、神様につながってこそ 本当の“消えてゆく姿で世界平和の祈り”だと思ってます。


自分の本心を視てゆくならば、過去は消え、現象は消えてゆく。自分と本心が向き合うならば、「我即神也」が残るだけだ。本心は自然に語り始める。

これが真の祈りの姿 生命の姿・・・・
なんちゃって・・・・☆
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by mppoe-light | 2011-08-20 19:58 | ピタゴラスさん啓示録から

果因説の要諦・・・・☆よ・よょ・・・

よ、よょ、・・・・・( ̄▽ ̄;)~☆
要諦って? 私にとって大変珍しい言葉なので調べてみました。(笑)ヽ(^。^)ノ ♪

要諦=物事の最も大切なところ。肝心かなめの点   
・・・・ふむふむ。そんなわけで・・・・納得☆
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 「神と人間」 から

私の本願は、すべての人間に神の存在を知らせ、人間は業生ではなく、光の子、神の子なのであることを知らせたいのだ。
                          ※
生まれ変わって、真の人間を知るための経験を積んでゆくのである。


本来、私たちは何のために生まれ変わりしてきたのか。 
因縁因果を越えて 本来自分は神の分御霊、我即神也を知るために転生を繰り返してきた。

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果因説の要諦

人間は『無限なる時間』に留まること少なく、『消えてゆく時間』に留まること多し。真理は忘れやすく、バーチャルな世界に心奪われること当然の如し。このように神人の道程も平坦ではないのだが、果因説という高速道路が既に完成しているのだから利用しない手はない。しかし、高速道路を乗りこなすには、経路網、ルール等学ぶべきことが多々ある。一歩一歩学んでまいりましょう。

目を閉じて自分と対座してみて下さい。過去のすべて、肉体世界のすべてが入り込めない場で、自分と自分だけが向き合う。「今、ここに自分がいる」という意識を感じるでしょう。その意識は神であり、『無限なる時間、輝かしい時間、永遠』に留まっている。
それまで、たとえそれまで自分との対座を忘れていたとしても、その『無限なる時間』にいる『神なる自分』は常にいて、片時も『私』から離れたことはない。ただ、習慣の想いが自分のことを、「罪、病、死、不足、欠点、苦悩、不調和、業生」だと定義しているにすぎない。

 宇宙神は、あなたの『私』は自分で定義した「業生」ではないと言われている。宇宙神は、あなたの『私』は神そのものだといわれている。『私』を定義し、評価するにあたってバーチャルな世界の過去・現象に基づくことはない。これが「消えてゆく姿」の教えである。『私』と「消えてゆく姿である現象界」とは分離していいのである。
昨日までの悪人が、「神の姿」を顕わしたとしよう。宇宙神は喜んで下さるに違いない。「神の姿」を顕わそうとして「我即神也」と宣言したとしても同じである。宇宙神は喜んで下さるに違いない。宇宙神は「我即神也を宣言するなら、借財を全部返済してから出直して来なさい」とは言われないのである。カルマ説は仮の原理であって、宇宙神の原理ではないのである。バーチャルな世界の原理は宇宙神の世界にはない。『無限なる時間』の中ではカルマの多寡は問題にならない。
重ねて言うが、宇宙神はあなたにカルマの完済を求めてはいない。宇宙神は、あなたに『すでにカルマを超えた本心』のところに帰って来て欲しいのである。

 すべての人の『私』はいつも神であって、最高、完璧、完全なのである。
あなたの
『本心とは、神そのものの心であり、すでに因縁因果の法則を超えてしまっている』(96-11 P.19)。
自我が本心に上りつめることはない。本心が自然法爾の働きによって、地に降りるのである。それが「我即神也」の宣言と印である。

 祈りとは本心を視ること。本心と向き合うこと。自分と自分が向き合うこと。本心の如くに宣言すること。だから、真の祈りはカルマに関与しない。
すでに因縁因果の法則を超えた本心の『私』は『私は愛深く、慈しみに溢れている。神そのものである私は健康そのものである』と言うだろう。だとすれば、そのまま「私は愛深く、慈しみに溢れている。神そのものである私は健康そのものである」と言えばいいのである。「業生の私、自我の私がそんなこと言っていいのかな?」などと考える必要はないのである。それが『即』と言うことである。それが果因説の要諦である。
mixiピタゴラスさん

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祈りとは本心を視ること。本心と向き合うこと。自分と自分が向き合うこと。本心の如くに宣言すること。
だから、真の祈りはカルマに関与しない。


c0074000_21293836.gifじぃ~んん。。。。 心に響く言葉です。
 祈りとは本心を視ること、本心と向き合うこと。
それが、
自分を愛すること  ・・・感動的だ・・・。。。。

それが『即』と言うことである。それが果因説の要諦である。
「即」!!!! 
いつでも、どこでも、どんな時でも、どんな姿の自分であっても、
神性の「私」はいつもいつも自分の中にある。
今まで一度も離れたこともなく、常にあった。 今までも、これからも永遠に。

「地球上のすべての人にはその人を待っている宝物がある。」<アルケミスト>
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by mppoe-light | 2011-08-19 21:39 | ピタゴラスさん啓示録から

自分が自分をどう思っているか

想念の背後にあるのは自己意識=自己像(自己評価・自己イメージ・自己定義)
「自分が自分をどう思っているか」 自己像から自分が体験する世界が展開されている・・・のだ☆
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自己意識より諸々の意識・想念・信念が派生する。すべての想念の背後には自己意識がある。意識・想念・信念はプロジェクターを使って体験を生起させる。体験は罰によって完結するのではなく、自己意識の軌道修正を促すように生起する。つまり、因縁因果・想念の法則である。これが一つのパラレルワールドを形成する。
それぞれの自己意識にはそれぞれのパラレルワールドが派生している。いくつかのワールドの中で、最もエネルギーの高いものが肉体界で体験されるのである。
最も高い自己意識・我即神也に派生するワールドは天国であり、御国と呼ばれる。既に出来上がっている世界である。因縁因果によってできた世界とは別世界である。既に出来上がっているから果因説の世界である。
太初に『我即神也』ありき。我即神也は原初の意識であり、永遠の生命である。生命の響きは言であり、言によって神の歓びに溢れる世界が生まれた。その神の歓びに溢れる世界を、我々は肉体界で体験することを選択したのである。それは必ず大成就する定めとなっている。

(啓示録Ⅰ)



すべては自己意識より発する。
すべては自己意識より生起する。
凡夫の意識より因果説の世界が展開する。
我即神也の意識より果因説の世界が展開する。
太初に神の既成事実の世界が成就していた。
それ以外のものはなかった。
すべては神のそのものの展開した姿であった。
神はそれを物質界に降ろそうとされた。
今日まではそのプロセスであった。
今まさに、地球的規模の大成就の時が来た。
神の既成事実を降ろすから果因説と言われる。
既成事実とは、我即神也、人類即神也、世界人類即平和也
既成事実は人間の意識以前に成就し
人間の意識によって、一切影響されない。
人は我即神也の意識を通して、既成事実を見る。

人類即神也・世界人類即平和也を見る者は神である。
消えてゆく姿を見る者は凡夫である。
凡夫は消えてゆく姿を、在ると見て、再体験する。
神は人類即神也・世界人類即平和也を見て、そして体験する。

2008/07/17 (啓示録Ⅲ)
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真の赦し

赦しは自己意識軸上の上昇、つまり次元上昇のキーポイントなのである。

赦す赦さないは、自分にとって人類が何者であるかを定義する。
人類をどう定義するかによって、自分は自分を定義している。
赦しは、自分を赦すことである。
赦しは『我即神也』の行為であり、『我即神也』の確認である。
赦しは『人類即神也』の実践であり、それは『我即神也』の表現である。

「神から離れた想い」つまり、「自分は神とは別の存在になってしまった」という錯覚が無明,無知である。無明・無知から罪悪感が生じた。罪悪感は報復の恐怖感になった。
これが、「我は神に非ず」という自己意識の思考システムの根幹と言われている。
もちろん、この原罪を通して自分を評価すべきではない。原罪意識は夢のような迷いの現象を継続させ、固定させるには最高の観念だった。しかし、真理は「自分を最高の存在として評価せよ。そして、自己意識を上げよ。」である。
自分が神から離れたという事実は錯覚であり、事実としてはない。
業生の世界(錯覚の世界)は神性の世界に影響を与えることはできない。神性は業生によって、変化しない。本来的には錯覚はない、業生の世界もない。

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神性のシステムの世界と業生のシステムの世界は接続関係がない、時間軸上でも繋がらない。わずかに自己意識軸という三次元世界では判らない次元軸の上昇によって繋がってゆくだけである。
「問題がある」と言う意識では問題を解決できない。それと同様、「悟ろう、自分の欠点を克服しよう」という意識では、神性の世界には入れない。現象界の姿とは一切関係なく、神そのものたる自分をイメージしてゆく。この努力を徹底して継続する。ここに要諦がある。
この努力は自分を愛する努力である。自己意識を神性の世界に上昇させるとは、人格(世間的な意味)、境遇を引き連れて上昇するものではない。逆に、自己意識はそう言った現象界から切り離されることになるのである。
しかし、この現象界はどうでもいい、何でもいいとはならない。
我々には、肉体・仕事・働きを通して神性を顕現する天命があるのである。人格、境遇は後から付いて来るものである。
重要なのは、我々は、現象世界を改善しつつ、神性の世界に上昇するのではないと言うことである。我々は現象世界を忘れて、自己意識を上昇させ、現象世界に神性を顕現すると言うことである。
業生の世界から神性の世界への上昇は、意識軸のみによって可能である。他のものは一切つながらない。むしろ、他の要素は一旦、自己意識から切り離される必要がある。
二つの世界があるように見える。
しかし、究極的には一つである。
「我即神也・人類即神也・世界人類即平和也」の世界は在る。
「本来の姿」の世界は在る。
この世界は常時、光り輝いている。
業生の世界は本来ない。
「消えてゆく姿」の世界は本来ない。


我々の旅は因縁因果の返済の旅ではない。返済は不要であり、本
来の自分は因縁因果とは関係がないと気づく旅である。返済は完済
によって終わるのではなく、返済不要と気づくことによって終わる
のである。返済不要に気づくとは、赦しと愛と神性顕現によって成
就する。

啓示録Ⅳ
mixiピタゴラスさん
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by mppoe-light | 2011-08-12 17:22 | ピタゴラスさん啓示録から

神時間 カルマ時間☆

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「神と人間」 から

分霊の創造の始めにおいておこされた想い(光の波動)は神より来たる本来因果(真善)であったが、肉体界に自己限定を始めた頃より生じた想いが業因となって、人類の悲劇が始められたのである。
即ち、自己限定した各分霊は、お互いの不自由性を解放しようとして、縦である直霊にむかわず、横につながる兄弟姉妹である分霊魂から、その自由を得ようとし始めた。即ち縦取りをしないで横取りをしはじめたのである。、そして、幽体及び肉体に蓄積された想い(知識)並びに腕力を使い合って、闘争の歴史を繰りひろげていったのである。

分霊は物質の世界、形の世界において、己れ自身の本来身、光(神)を忘れかけながらも、心の底から湧きあがってくる、人間本来一つの光の理念が、愛の思いとなり行為となって、わずかにその光を保っているのであった。
 神の心を愛と呼び、業因の働きを執着、と呼び、この二つの心が、人間の生活を、幸と不幸とに分けていこうとしているのである。

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時間について

 『時間には垂直的な縦軸の時間と水平的な横軸の時間があります。縦は輝かしい無限なる時間であり、横は昨日までの人生で起きたすべての出来事、苦悩や病気、挫折、事故などの一時的な暗い悲しみの時間です。
 横の時間はあくまでも突発的なものであり、一時的なもの、瞬間的なものであって、決して永遠なるものではありません。縦の時間はあくまでも永遠にして無限なるもの、天と地を貫き通している真理そのもの、法則そのものであります。』(96-1)
 
 『無限なる時間と消えてゆく時間』(96-1)と言う法話がある。この法話は難解な部類に入る。抽象的な時間論だけでなく、死生観まで含むのも難解さの原因だろう。ここではこの法話の時間論を他の法話に関連付け多面的な理解を深めたい。
 
 この文章で言う横軸の時間の流れの世界が三次元世界であり、縦軸の世界は四次元世界である。横軸の三次元世界は因縁因果によって変わり行く「消えてゆく姿」の世界である。だから、何が起ころうとも、『黙って見過ごしてあげればよいのです。知らんふりし放っておけばよいのです』。
縦軸の四次元世界は果因説の世界である。縦軸の時間は、人が生まれながらにして与えられている『輝かしい時間、幸せの時間、歓喜の時間、神との一体感の時間、愛に満ち溢れている時間、喜びの時間、調和の時間、自然界との交流の時間』(96-1)である。
 ここで、横軸から縦軸への次元上昇の鍵を握るのが「我即神也」の印である。

『一番問題なのは、自分自身のことを自分はどう思っているのか、どう見ているのか、どう考えているのかなのである』(02-9)。

自分を肉体人間、想念の履歴と観るならば、横軸の時間にとどまるだけだ。「我即神也」と観るならば、縦軸の時間にとどまることができる。
 ここで問題になっているのが、「自分自身に対する価値判断」である。
横軸の世界を見る限り、自我はカルマに染まっているのである。そのように見えたとしても、『今、ここにいる私』を横軸の世界・現象界から切り離して、『すでに厳然と存在する神の姿』に重ねてしまえばいいのである。過去に基づく価値判断はなくしてしまってもいいのである。今直ちに、無条件に自分を神と尊敬していいのである。
輝かしい世界、幸せな世界、歓喜の世界は積徳とカルマの浄めによって獲得するものではない。それは太初から与えられているものである。

『それはあなたの中に既に現実のものとして存在しているのだと、想像しなければなりません。
横軸の不完全な自分はさておき、想像の中で、(縦軸の時間では)自分が光り輝く神そのものになっていると想うのです。愛深い自分、叡智溢れる自分、すべてに成功している自分、繁栄している自分、健康に輝いている自分、すべての人から尊敬され、慕われ、愛されている自分を想像しつづけるのです』(95-12)。

神性を獲得しようとあらゆる努力するのではない。既に成就している自分を想像しさえすればいいのである。
「天の王国は自分の内にある」ということは、自分の意識次第で、縦軸の世界を自由自在にこの世に顕現することができるということである。つまり、自分自身に「内なる神の姿」を顕現させてゆくことである。それが「宇宙神の御心のまま」であり、人間の天命である。
 この真理を具体的に実践するのが「印」である。神なる自分を想像することである。神の言葉(神語)を語ることである。
mixiピタゴラスさん

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by mppoe-light | 2011-08-12 17:03 | ピタゴラスさん啓示録から

ゴーヤーの新事実☆

その後のゴーヤー

夏の暑さに いきいきと順調に成長して、
2m以上も伸びて、3個の小さな実をつけていたゴーヤーですが、
先月の台風で 長い時間の風雨にされされてボロボロになってしまいました。(T_T) ううぅ。。。

こーなったら、
せめて残された実を大きくしようと思い、葉や茎の傷んだ部分をカットして 
(高さが半分以下になってしまったけど)成長を待ちました。

そして・・・・ついに

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オリーブオイルで炒め、塩・コショウ。溶き卵を加えて、仕上げに市販のドレッシングを少々。(← 適度に手抜き)

う・・・・、
旨いではないかっ!!!!ヽ(^。^)ノ

苦味も旨みに感じる、夏のおかず!

で、

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こっちは、やや熟したゴーヤー。 色がとても綺麗です。 
自然界の色は本当に美しいもんです。 綺麗だなぁ・・・と見惚れてしまう。。。

教室の生徒さんに 熟したゴーヤーの種がとても甘い と教えてもらいました。
赤い種だそうです。
で、まだ完熟ではないけど カットして確かめてみました。

おおぉおっ!  

でた!



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 予想以のに赤い色に かなり引きつつ・・・

勇気を出して 

食べてみた・・・・。

種の周りの赤い部分を食べます。

柔らかめの寒天みたい? な食感です。 まったく苦味はありません。
でもまだ完熟ではないせいか、 甘さはまあまあ・・・控え目。
でも・・・・

どう味わっても ゴーヤーフレーバー、 ゴーヤー風味の寒天☆ かな。(^_^;)

ごちそうさま☆

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by mppoe-light | 2011-08-09 21:21 | どってことない話☆