すでにある真理☆

「成功、成就、絶対に大丈夫」とは、自分の外に求めるものではなく、自分の心の中にすでにある真理

私はすべてに満たされ、すべてに愛され、すべてに抱擁され、すべてに祝福され、
燦然と光輝く宇宙神と全く一つに融け合う


「私」 は、すでに もともと初めから大成就している。
「私」は神だから、大成就している。「私」は神だから欠けたるものなし。
「私」は神だから、絶対大丈夫。 
本来神である「私」が、常に厳然と自分の中に存在していることを信じる。
それを繰り返し続け・・・ねば。。。

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厳然と存在する神なる自己を認めるのである。神の人生はすべてに満たされ、すべてが祝福され、すべてが幸せで欠けたるものがない。このような、神としての人生を認めるのである。真の自分自身を思い出すのである。
「自分が変われば、人生が変わる」とは至言である。ただ一つ気をつけることがある。
自分の想念や行動力を直接変えないことである。試みるならば挫折する。
自己意識を「我即神也」に定め、その理解を深めてゆくのである。そして、神としての言葉を唱えるのである。それ以上に自分を変えようとするのはいけない。
自力で、想いや感情の習慣を変えようとすれば、打ちのめされる。迸り出てくるものには「消えてゆく姿」で対処する。

「私が語る言葉は神の言葉である」と宣言したならば、神語を用意し、神語を唱え続けるのである。
宣言文の真意は「いずれ、立派なことを語れるようになりますように」ではない。
即刻、神の言葉を語るのである。神語を語り続けるのである。
自分の言葉が「全く新しく、完全に平和な世界」を呼び出すのである。自分の言葉が自分自身と人生と世界を創造するのである。幸いなるかな、神語を語る者。


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by mppoe-light | 2011-06-29 21:59 | 真理について思ったこと

すべて大成就している・・・

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何が本質で何が消えてゆく姿の現象か・・・

本質の神様側の意識を選択し、祈り印を組み宣言すると、
果因説が働き始める。

「私」はどこであろうと、肉体を持ったまま神の姿を顕すばかり。「私」には過去はなく、
カルマもない。 「私」が描く世界が、五井先生の説かれた世界。
「私」は言霊を使って自在に光を形に現わす。 「私」は神だから自由自在。神の光には限りがなく、遮るものがない。


神意識は真の眼力で、人の大成就した姿 人類即神也 を観る
本来、どんな人も神からきている。本質は大成就している。

神様は常に大成就、完全円満、。
その神さま側の 我即神也は、完全円満の世界を形の世界に導き降ろす。
神の世界を顕現する。

カルマが創った場であろうと、「私」は何でも創造できる、自由に創造できる。
「私」は世の光。人の心の神性を照らす光である。


だから、 
過去もカルマもなく、欠けたるものもない神である「私」には、
あるのは 絶対大丈夫、絶対大成就のみ。

と、思いながら・・・・

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mixiピタゴラスさん

絶対大丈夫

『絶対大丈夫と言う言葉は、その言葉自体が宇宙神の御心そのままであるのです。したがってこの言葉を通してこの世に発信すると宇宙神が思っていることそのものが、その言葉を通して成就されるのであります。したがって魂をこめて祈り、絶対大丈夫と唱える事で、前より、今まで生きてきた以上に、素晴らしい未来が作られるのであります。』

『絶対大丈夫という思いと、祈りと印で光は必ず降りてきます。そしてこの光を降ろすことで、そこの場を光で満たすことができ、すべて宇宙神の御心通りに整いはじめ、成就し始めるのです。場が変わり、皆が変わっていくのです。』 (2011/04/01)

                        ※

「絶対大丈夫」という宇宙神の御心の響きによって、因果律を越えて果因説の人生が開けてくる。
「絶対大丈夫」は「消えてゆく姿」と同じで、単なる現象の対処療法の言葉ではない。
「絶対大丈夫」は因果律を手放し、果因説を選択する強力な言霊である。

 宇宙神の御心は人類一人一人の本心でもある。御心も本心も神性そのものである。
神性は平安(Peace)そのものである。平安からは喜びが限りなく溢れ出ている。平安(Peace)は涅槃である。涅槃は人智と努力によって勝ち取るものではない。人にとって青空の如きものである。本来のもの、元々のもの、生まれつきのもの、初めからあるものである。
本来性のものではない「煩悩」は「消えてゆく姿」である。

この理を説いて、維摩詰は「煩悩を断ぜずして涅槃に入る」と宣言したのであった。
煩悩を相手に浄めるとかではない。
「絶対大丈夫」と唱えることによって、唱える人が「宇宙神の御心が絶対大成就」の世界に入ってしまう。真理の言葉「絶対大丈夫」が、唱える人を果因説の世界・空即是色の世界に次元上昇させてしまうのである。

この平安、涅槃、神性は宇宙神が人に授けた生命である。いかなる想念行為もこの平安、涅槃、神性を奪うことはできない。また、いかなる想念行為の履歴があろうと、この宝を返上する必要性はない。
聖書や法華経の放蕩息子の譬にあるように、放蕩息子の親は自分の全財産をわが子に与えたいのである。つまり、宇宙神は人類に平安、涅槃、神性を自分のものとして享受して欲しいのである。
煩悩を改めるより先に、平安、涅槃、神性を享受して欲しいのである。受け取って欲しいのである。

ところが、イエス以前の人や維摩詰以前の人は、宇宙神の御心を受け取るのに「無条件」では宗教にはならないと考えたのである。彼らは自分自身を赦せなかったのである。そして、自分自身を神から追放された孤児とみなしたのである。「無条件」ではなく「条件付」にすることが、謙虚である・信心深いとみなされたのである。

最も重要なことは、自分は平安、涅槃、神性そのものであると承認し宣言することである。それこそが宇宙神が人類に求めておられることである。宇宙神の御心は絶対に成就する。絶対大成就。 
      


どーでもいいことなのだけど・・・
「煩悩」「涅槃」・・・宗教的で、カタイ、重い・・・うーん馴染めないなぁ・・。 
やっぱり五井先生の「消えてゆく姿」「本心」・・・ 五井先生大好き♪
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by mppoe-light | 2011-06-28 21:44 | ピタゴラスさん啓示録から

原子力は一神教的。。。。

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こっちの地方新聞にのっていた記事が面白かったので載せました☆ 


   原子力は「トロイの木馬」  人類学者 中沢新一氏


科学少年だったころ、手塚治虫の「鉄腕アトム」の胸に原子炉があることが不思議でした。
アトムの小さな体に原子炉が入るとは思えなかった。

原子力から直接エネルギーを取り出せたら画期的でしょう。 しかし、原発は核分裂というハイテクと、湯を沸かすというローテクが結合した中途半端なテクノロジー。それが根本問題です。

福島第一原発の事故後、原子物理学の本を読み込んで、原子力が他のエネルギーと全く異なっていることをあらてめて認識した。 太陽や地球のマントルは核反応で放射線を出し、大きく見れば自然現象です。ただ、生物は地球の非常に狭くデリケートな「生態圏」に居住している。原子力は生態圏にとっては「外部」の自然現象なのです。

火、石炭、石油、原子力と、人類はエネルギー革命をしてきました。原子力以外は原子核の周りの電子反応でエネルギーを生む。しかし、原子力だけは核を分裂させます。
(省略)
自然界でエネルギーが起きるときは必ずインターフェース(媒介するもの)をつくる。
太陽から放射されるエネルギーは植物の光合成で生態圏で利用可能になる。
石炭や石油も、植物や動物のインターフェースでできたものだ。原発は燃料に湯を入れるという、むき出しの技術です。
原子力は古代ギリシャ伝説の「トロイの木馬」です。原発を手動で動かそうとしている人はトロイア人のように愚かです。原子力という敵を自分の中に引きこんでしまった。
敵兵が出てきて、いまだに処理できないのが現状の状態です。

原子力の裏には「一神教」の思想がある。
ユダヤ教やキリスト教の神は「破壊」をする。 生態圏を破壊するほどの威力をもつ神です。一神教は「過激」な神を人間世界に取り込んだ。 一神教的な発想で設計された近代文明は過激さの魅力に取りつかれたのです。

一神教以前のアニミズム(自然崇拝)や多神教には神の危険さを包み込むインターフェースがあった。犬の顔をしたエジプトの神や日本の八百万の神がそうです。それが生態圏に最もふさわしい宗教形態だと思います。

日本は鎖国などでキリスト教を避けてきた。日本はアニミズムと仏教が融合した多神教の文明。むき出しの神に似る原発は日本には合わない。世界に先駆けて脱原発をすべきです。その思想は、世界でも普遍性を持つと思います。

そして、日本がとるべき道は「地域主義」を深めること。大きな組織からエネルギーを供給してもらうという生き方は、もうやめた方がいい。

最もいいのは地方自治体が発電を担うことです。第一歩は太陽光エネルギーでしょう。小さな自治体が自前でエネルギーと大地と海を管理し、生産と消費をコントロールする。それは昔の日本人の生き方を再創造することです。そして初めて日本文明の質が変わる。

年内にエネルギーと文明を考える研究所を開き、日本文明の再生を目指す「緑の党」のようなものを立ち上げます。権力は好き放題にやってきたが、日本人はもう我慢しなくていい。政治は嫌でしたが、斜に構えてはいられません。



中沢氏の発言は、以前から面白いなぁ・・と思っていたけど、これを読んで、
(「神」の認識はともかくとして・・・)
「やっぱりこの人いいな~ 」と思いました。

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by mppoe-light | 2011-06-24 23:39 | どってことない話☆

描く世界を愛するコト

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画家が、風景の中から切り取った構図を描くとき、
それを愛しているから、自我のない美しい作品が描けるんだなぁ、、、
描く対象を愛することが名作を生むのかぁ・・・
なんてーコトを思いながら観ていました。

TVで日本画家の東山魁夷の美を探る番組をやってまして、今日はその2回目。
それを観て感じたことです。

先週1回目は、ドイツを旅した魁夷が描いた、風景画の美を探る内容でした。
そこドイツで魁夷が出会った言葉、

「静寂は、人にとって神聖なもの」 

2回目は、京都の美。
自然が生み出した風景ではなく、人間が作り出した風景が描かれています

いってみれば 人工の美 なのだけど、一つ一つの作品に魁夷の想いを探ると、
 お城の石垣、お寺の庭の石、手入れの行き届いた山杉 などなど・・・
人物はどこに描かれてはいないけど、そんな風景画の奥には、人の存在も感じられて、
素晴らしいな・・・と思いました。

きっとこの人は、絵を描くとき、描く世界を愛していたのだろうな・・

愛する気持ちが素晴らしい作品を作り上げ、多くの人を感動させるんだ と思いました。

となると・・・

意識が自分自身を創造しているだから、 私も私の作品と言ってもいい。
ならば、
自分を愛することが、自我のない美しい「私」を創り上げていくことになる。

愛するとは 我即神也 を認めること。 
なによりも自分を愛することが大切なのだ・・・と思いました。


私は、柔和で穏やかで平安で優しく、幸せで愛に満たされている。
私の言動は人々に幸せと平安と喜びをもたらしている。
来る日も来る日も、神である私には、幸せのみ、喜びのみ、成功のみ、輝ける生命そのもののみが現れる。


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by mppoe-light | 2011-06-20 23:24 | 真理について思ったこと

昌美先生の法話を読んで

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mixiで公開された 5日、富士聖地の昌美先生のお話を読んで思っていたことです。

昌美先生は津波のエネルギーのことをお話されてました。
私たちの祈りは 津波エネルギー10を3にする・・と


因縁因果のぐるぐる回り3次元世界では、浄めが“救われ”になるけど、それも一時的なこと。
でも、
3次元因果の世界の中で、4次元意識の神人が祈ると、
津波のエネルギー10を3に変容させることが出来る・・・

つまりこれも(部分的だけど)神の完全性を顕現している・・・ って、言ってもいいのではなかろーか?
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カルマが作った場であろうと、『私』は何でも創造できる、自由に創造できる。
『私』は神だから自由自在、神の光には限りがなく、遮るものがない。


4次元意識、我即神也の意識が、カルマの世界に光の通路を作り、神の完全性を顕現することができる。 
もう ぐるぐる回りの浄化の時代 因果説は終わり。
そこから飛び出して(もとに戻るだけなんだけど(^_^.) 神意識つかんで果因説の生き方に。

と、こんなこと考えていましたら、なんだか“祈り” ということが気になって 
もう一度きちんと確認しておきたいなーと思っていました。
 
そういえばピーさんの書いたものの中に 
「○○○○、これが祈るということだ・・・」といったフレーズが何度も出ていたような・・・

ならば さっそく最近のものを読み直して確認してみようと、思っておりましたら・・・・、

おぉっ!
らっき~♪♪♪


昨日mixiに公開されていた、「『私』はあなたの『私』(本心)である」 の中に、求めていたものが載っておるではないか

c0074000_21303120.gifなんかちょっと得した気分だぜぃ。ヽ(^。^)ノ ~☆
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mixiピタゴラスさん
『私』はあなたの『私』(本心)である

 真の祈りは神自身がするのです。祈りということは、自分の生命を宣り出すこと、生命の宣言ということなのです。「私の生命は神と一つである。神の生命なのである」という宣言が祈りなのです。自分の肉体頭脳が祈るのではなく、宇宙神に向かって、直霊分霊が「私はあなたと一つです」と宣言するのが祈りなのです。肉体を動かしている生命と、宇宙に充満している生命との合体が祈りなのです。お願いするのではなく、平和であるのだ、と宣言するのです。
(「生命光り輝け」P.136)

 宇宙神は常にこう言われている。
 「『私』はあなたをこよなく愛している。
あなたは『私』をこよなく愛している。
あなたは『私』と同じく完全である。
あなたは『私』から離れることはない。
『私』の神性はあなたのすべてを貫いている。
『私』はあなたの『私』(本心)である」

この事実は変えられない。
この事実を否定することはできる。それによって、因縁因果の世界が繰り広げられる。
この事実を承認することもできる。それが祈りである。それによって、神の世界が繰り広げられる。

宇宙神は直霊に『私』はあなたの『私』であると宣言し、
直霊は宇宙神に『私』はあなたと一つですと宣言する。
これがすべての祈りの本質である。
これ以外に祈りはない。

すべての祈りの本質は「我即神也」である。
神なる『私』は平安の内にある。
「我即神也」は「人類即神也」に拡がる。
そこに世界人類の平和がある。

宇宙神の創造は見事に成就している。
世界人類は平和であるのだ。
宇宙神の子は現実世界を創造する。
すべては大成就。          



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by mppoe-light | 2011-06-10 21:37 | ピタゴラスさん啓示録から

がんばれゴーヤ! みんなのゴーヤ!

ということで、巷で人気のゴーヤを、私も植えました。(*^_^*)

目指すは緑のエコカーテン☆☆☆ 

ゴーヤカーテン!

10日前に苗を買ってきまして、植えました。 が、とたんに気温が4月並みに下がり、
低温のためにゴーヤの元気がなくなってきて・・・・
あわてて、スーパーのレジ袋を使って、風よけと保温のカバーを作りました。
が、、、、
ひとつだけ、ぐったりとしたまま・・・・ (T_T) あうぅ・・・・。

で、昨日また買ってきて、今朝植え替えました。
今のところ、こんな感じ。真ん中の苗が新しいものです。 苗は5個
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元肥と土を混ぜて土づくり。
即席の”土”だけど、地植えだから(きっと)なんとかなると思う・・・・、(^_^;)
でも
実はこの場所、午前中しか日差しがありません。ううぅ・・・。。。
 半日の日当たりでどこまで成長してくれるか・・・・  
 

が・・・、

がんばれゴーヤ!


がんばってほしい。。。。。

5月の気温が低かったせいか、 今、花々がいっせいに咲いてくれています。

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なんか楽しそうだなぁ、この人(花)たち・・・


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     パワー全開!


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去年、自己流で(早い話が適当に) 剪定したら、それが良かったのか、今年は例年より
たくさん綺麗に咲いてくれました。 やっぱり古い枝が日陰を作って、じゃまになってたのね。。。


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思いっきりピンボケですが、 これは観賞用のアスパラ。
小さな小さな花が咲きました。 可愛い♪  星みたいです

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どーでもいいのですが、 リラックマの同居鳥の その名も「黄色い鳥」
2個置いてます。 いい年して・・・( ̄▽ ̄;)す、すびばせん。。。。
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by mppoe-light | 2011-06-05 21:38 | どってことない話☆

想いが、神様側にあるか、肉体側にあるか

今月号に掲載されていた、「明日へのガイド」 から

 このみ教えは「人間は本来神の分御霊である」 すなわち我即神也に端を発しているのであり、物質世界の自分が基盤となっているのではありません。
                      ※

要は想いが、神様側にあるか、肉体側(物質的世界)にあるかによって環境は大きく変わってくるのです。 どんな時も光明思想、感謝に徹していれば、自分は何時も神様側にいることになり、本体の自分と一つになっているので、自分の周囲にも神の世界が広がってきます。そして運命が自然と好転してゆくのです

五井先生は、
消えてゆく姿で世界平和の祈りを実践しながら、本心と業想念を分けるよう教えてくださいました。
ルンルン♪で調子の良いときは、意識は神様側に置けるのですが、
マイナスの現象に遭遇し、想いが業想念にどっぷり浸かってしまった場合、そこから抜け出し意識を光明方向、神様の方へ向けるのは、やっかいなもの。

想いがどうしても落ち込んでしまう時も多々あるでしょう。そういう時こそ、自分が守護霊、守護神になったつもりで、自分自身を褒め称え励ましてあげるのです。
あなたは、こんなに苦しい中でよく頑張っているね」と、いっぱい褒めてあげるのです。すると、魂の底から、勇気が光明が歓喜が、絶対大丈夫という思いが溢れ出てきます。余計な想いを張り巡らせず、ますます人事を尽くして一生懸命やっていくのです


回答者が竹内さんだったので、懐かしくて、久々に「明日へのガイド」を読みました。(*^_^*)

2年くらい前、
講話の後、私の車で空港まで竹内さんをお送りしました。その時、 
私の方から、「人間と真実の生き方」や 果因説について の自分の理解したこと、考えていることを話しました。 
竹内さんから 「そうです、その通り」 と言ってもらえたことがとても嬉しかったのを思い出しました。

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自分の意識を次元上昇(神意識)させることが、世界人類の恒久平和へ
形を変えるのではない、本質を見極める、
これは世界にも自分にもあてはまる同じこと・・・だ☆

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mixiピタゴラスさん
どちらを選択するのか

 現象の世界と神の世界(神の国・天国)は全く異なる世界である
それと同様、自我と「神なるもう一人の自分」は全く異なる存在である
同じ自分でありながら、この二人はお互いを知ることはない
お互い話をすることすらない
唯一、自己意識という次元軸が共通項である

現象の世界をよくするのではない
 神の世界を宣言し、承認し、呼び出すのである
 
 あなたはいつも二つのうちどちらかを選択することができる
 一方を承認し選択することは
 他方を否定し手放すことである
 一方を否定することは
 他方を承認することである

 「消えてゆく姿」と現象の自我を否定することは
 神の世界の「神なる自分」を承認することである

 神の世界の事実を変えることはできない
 事実とは「神なる自分」「我即神也」のことである

 あなたはいつも二つのうちどちらかを選択することができる
「我即神也」の事実を『宣言し承認する』のか
 そうすれば、その事実に喜びが溢れ出る
 「我即神也」の事実を否定するのか
 そうすれば、その幻想に苦悩する

 あなたはいつも二つのうちどちらかを選択することができる
 神の世界を貫くのは神の法則・神の意思
 そこでは「心は安らぎ、世界人類は平和である」(注1)
 現象の世界を貫くのは想念の法則・自我の意思
 そこでは「求めよ、されど満たされまい」

 神の世界では、宇宙神のすべてが与えられる
神の世界に生きる人は果因説に生きる
 現象界では、求めるものは、逃げてゆく
 現象界を生きる人は因果律に縛られる                

注1 「本心の世界では世界人類は平和なんです。」   「光明の生活者」P.102
 


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by mppoe-light | 2011-06-03 22:05 | ピタゴラスさん啓示録から