SOPPで気づいたこと・・・話

7回目のSOPP。
今回も一人で参加です。 
7時にバスで富士聖地に到着、さっそく座る場所を決め、シートを広げます。(*^_^*)
毎回、おじゃる丸のシートです☆
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場所が決まれば、即、ピラミッドへ♪♪♪
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ピラミッドの周りで印を組みながら多くの時間を過ごし、
販売ブースでお買い物して、 9時半くらいに おじゃる丸シートへ戻りました。

今回のSOPPで気づいたこと。

今まで 過去5回参加しています。
プログラム「各宗教、宗派の祈り」は今回で6回目の祈りになります。
今までは、どこか心に中で、義務として祈っていた部分がありました。
やはり各宗教の祈りに少し抵抗感があったようです。 歴史で学んだ過去の宗教戦争の事実や、毎日報道される現在の宗教対立の情報に、影響されていたのだと思います。

でも、今回は今までとちょっと違いました。
各宗教が、今現在、多くの人々の心を支えているのだ、と思いました。
だから、それを否定してはならない、心から尊重し、認めていくべきものなんだ・・・と感じました。
宗教に伴い、それぞれ文化・伝統も生まれています。 それも人々の心の支えあり、誇りです。
それも尊重したい。 
過去の対立を取り上げた宗教の善悪、正負 という判断は意味がないんだ・・・
そう思いました。

世界平和のために祈ってほしい・・・と言う前に、まずそれぞれの立場の方の宗教、宗派を受け入れ尊重したい、そうすべきものだ・・
と、
そんなことを思いながら、おじゃる丸のシートの上でお祈りをしていた私です。



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↑ こっちは拾い写真
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by mppoe-light | 2011-05-29 10:36 | どってことない話☆

Kさんが愛おしい・・・・? (^_^;)

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祈りの会で毎回行っている、互いの神性を認め合う行、
今月になってニューバージョンにしました。  5月8日の日記で紹介したものです。
→ 「ニューバージョン神性を認め合う行」

まだ2回しか行っておりませんが、とても気に入っています。
1回目から、じわ~と心に響くものがありまして、
自分が中央に立って、皆から神性を認めてもらうのも心地いいですし、
何よりもいいのは、 中央に立った法友に向かって

『0000様は本来神である。神そのものである。無限なる愛、光、叡智、能力、生命に充たされているのである。本来完璧なように作られているのである。完璧そのものである。一つの欠けたるものなく、一つの余分なものなく、全く完璧に大調和された神そのものである。』

と宣言することです。
 
読んでいるうちに、とても愛おしく、法友を愛する気持ちが湧いてきます。
旧バージョンの時も、同じような気持ちは感じていたけれど、
ニューバージョンになってさらにそれがバージョンアップした感じです。

で、
この”行”の順番は、いつも私が最初に中央になり、次にKさんなのですが、
先日も私の番が終わり、次のKさんに向かって神語を語っているうちに、
すごくKさんが愛おしくなってきて、抱きしめたくなりました  

ひえ~っ( ̄▽ ̄;)

(誤解のないようにっ、決してヘンな意味ではありませぬ(笑)純粋な気持ちです!)

c0074000_22521282.gifKさんだけでなく、ほかの法友も同じです。 みんなを愛する気持ちが湧いてきます。
みんなと手を取り合って、幸せや喜びを宣言したくなります。

相手の神性を認め宣言すれば、こちらの意識も上昇する。
私一人では 我即神也は成り立たない、 私が我即神也になるためには、
人類が即神也であることが必要。 意識の深いところでは、皆が繋がっているのだから、
互いに神性を認め合うことで、深い意識の喜びが伝わってくるのかなぁ。

意識の世界は不思議だなぁ・・・と思います。 
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by mppoe-light | 2011-05-25 22:59 | 真理について思ったこと

訂正☆“響き”を受け取るのは難しそうだ

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昨日のmixiピタゴラスさんの最後の部分を訂正(と言うより説明が不足してた?)しています。☆
よかったら、また見て下さい。

以前から、書こうかなと思っていたこと(ピーさん、のこと)なんだけど、
神様からの 響き を受け取って、それを文章に起こし公開する役目って、
すごく責任重大だな~と思ってて。
で、 
責任を持って公開されている と感じられたので、信頼して啓示録を読んでいる訳です

にしても、
伝わる響きを正確に受け取り、即座に文章に起こすのって、大変そうだなぁ。。。 
(これは、ご本人から聞いたわけではなく、私の勝手な推測ですが・・・。)
神様も、
ファックスみたいに直接文章にして伝えてくれたらいいのに・・・て、甘いか・・・(笑)

さて、
明日は、富士へ出発です。(*^_^*)  年に一度の富士聖地♪
ぴっかぴかに光って帰ってこようと思います。

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by mppoe-light | 2011-05-20 23:35 | ピタゴラスさん啓示録から

宣言すること☆天命を完うすること

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mixiピタゴラスさん ↓
生命(いのち)の宣言

 『神なる本源に直行し、自らの真なる姿を認識してゆくことである。
 神と完全に大調和、融合した“我即神也”という本来の自分を宣言してゆかねばならない。
そして素直に純粋にその真実を受け入れてゆくべきなのである。
自らが宣言した通りに自らの人生は導かれ運ばれてゆくのである。』(2003/04/P.20)

 『“我即神也”そのものを思考し、意識し、イメージし、宣言し、印を組むならば、自らの内なる生命エネルギーは“我即神也”そのものに向かって集中的に流れ入り、それを成就せしめるように働きかける。だから、必ず成就するのである。これは宇宙の法則、真理の法則である。』(2003-05P.19)

 『この(白光の)祈りは、印は、全世界全人類に対して、平和と調和を宣言するものである。我々の行為は神の最も崇高な愛のヴァイブレーションであり、究極の真理の発信でもある。』
(2003-8P.17)
 

五井先生は「祈りは生命の宣言である」と言われた。この場合、宣言とは個人が真理を自他に表明し、言い切ることである。生命とは宣言する主体である。かつ、生命の真の姿を宣言するわけである。意識をもった生命体が「自らの真実の姿」を宣言することが祈りである。
『私(達)』が『私(達)の真実の姿・私(達)の神の姿』を宣言することが祈りである。

 「自らの真実の姿」は宇宙神の創造活動によって既に成就している。これは「神の法則」である。その「真の姿」を現象界に映し出す。それは「想念の法則」という「現象界の法則」を通して映し出される。その法則を動かすのが「言霊」である。祈りの「真の姿を宣言した言霊」が、「真の姿」を「現象界の法則」を通して現象界に顕現させる。それを「宣り出す(のりだす)」と言う。


今まで、「祈りとは、生命(いのち)がのりだす」 という五井先生の言葉の意味を、
「祈ることが、正しく生きることになる・・・」 程度にしか考えておりませんでした。

この場合、生命(いのち)は、肉体人間の生命ではなく、本体(本心)のことであって、
本体(本心)が現象界でそのまま顕れるために(本心のまま生きるために)祈る=宣言をする
 祈りの「真の姿を宣言した言霊」が、「真の姿」を「現象界の法則」を通して現象界に顕現させる。それを「宣り出す(のりだす)」と言う。

ふむふむ・・・。


果因説を学ぶようになって、五井先生の言われた言葉に深い意味があることを発見して、
驚くことがあります。 
つまり以前は、五井先生の著書を読んでも、それほど理解してなかった・・・と言うことです。
それなのに、その時は、自分ではそこそこ五井先生の教えを理解したつもり になっていました。 その頃の私は、まだ浅かった・・・のだ。 

、初めはこんなもんだ。

五井先生、昌美先生の教えは深い 
真理は深い、どこまでも・・・。 なんちゃって☆
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 だからこそ、「自分は自分を何者と考えているのか」「自分は自分をどう評価しているのか」が大事なのである。
人は無意識になると、「自分は肉体人間である」と想い、「自分を神より低い存在、罪深い存在、不完全な存在」と想うのである。人は自分のイメージを捏造する。その偽りのイメージが「現象界の法則」を通しその偽り通りのイメージを再現している。これがカルマである。

 自分の自己評価が自分の現象の姿を決定する。それが自分に対する他の人の接し方・態度を決定する。それによって、人が採点する自分への評価が上下する。その結果、現代人の多くが人間関係において、ストレスを感じ、疲労感を味わうことになる。これは不可抗力ではない。積極的に「我即神也」を承認して、乗り越えてゆくべきものである。
 

自分の自己評価が自分の姿を変え、その結果、自分に対する他の人の接し方、態度が変わる・・・
実際に少し体験するようになったような・・・。

印、神語の効果、宣言の効果だぜぃ!

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人は、「消えてゆく姿」の過去のテープを巻き戻して、神性を否定する想いを出す。
しかし、人には自己の神性を放棄したり、神性に損傷を与えることはできない。「消えてゆく姿」から意識を離し、神性を積極的に宣言し承認して行くことはできる。自分が自分に下すべき真の評価は宇宙神によって確定されている。真の評価は「完璧、完全、最高、至高、神性、神聖、神そのもの」である。この世が与えたすべての評価を思い出さなくてもよい。逆に、この宇宙神から与えられた評価を忘れないように。

 あなたはカルマの結果ではない。あなたは宇宙神と言う原因が創造した結果である。その宇宙神が創造した結果は「神の姿」として既に成就している。これが「我即神也」の真意だ。その結果である「神の姿」を宣言し承認することから物事は始まる。「果因説」と言われるのはこのためである。
 カルマの働きがあろうとなかろうと、「カルマの結果を受けるだけの人生をやめて、神性を顕現するだけの人生を送る。
これが「我即神也」「天命を完うする」と言うことである。


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by mppoe-light | 2011-05-19 22:51 | ピタゴラスさん啓示録から

どってことない 人形と成就 の話

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すべてが大成就しているのだから・・・
神の完全性を形の世界に創りだし、体験する。
神の完全性を純粋な形で、つまり神の光を歪めないで形に顕す・・・
これが人間の本来の役目・・・・・
完全性とは、真、善、美 、恒久平和、調和、愛

とかなんとか、
お人形を作りながら、こんなことを考えておりました。
本来、作品を作るってことは、
自分の中ですでに成就している完成された作品を導き降ろすこと

「神様から頂きなおす」 とは、このことなんだろうか???

創作は、自分の中の 「無限なる美」 を形にすること
そこには、他の評価や判断などは意味がない 
本来成就しているものを形にしたのだから。

評価があるとすれば、自分が神の光を どこまで真っ直ぐ表現できたかどうか という
自分自身の意識の在り方。

うーん。。。。人形に限らず、人間は常に自分を形に顕している。
常に言葉、想念、行為で自分を顕している。
自分自身が表現者であり、表現作品になっていて、
さらにそれを他の表現者とともに体験している。  

人間って、自然界の動植物に比べて、特別な権限、能力を与えられてるのだなぁ・・・

と、こんなことを考えながらお人形を創作してます。

お人形のホームページが更新できないので、 しばらくmixiに新作を載せようと思っていたら、 
c0074000_2223633.gifついにデジカメも不調。。。。( ̄▽ ̄;)
で、ここはもう携帯のカメラしかないぞ、と携帯で撮影しました。

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見事なピンボケ。 
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わーん、、光が眩しくて、画面が飛んでいる(^_^;) ううぅ。。。
またきれいな写真が撮れたら、mixiに公開しようと思います。

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細身の背中の肩甲骨がスキ・・・・。 
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by mppoe-light | 2011-05-18 22:08 | どってことない話☆

神性を照らし出す光

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今日、神語を繰り返していて、「おおぉっ なんかいいな~」と思ったのが、

「私」(我即神也の私)は世の光、人の心の神性を照らす光である  の部分。

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納得!

みんなが救世主になって、みんなが働く 

私の神意識は人類の神性を照らし出し、人類を目覚めさせる。
我即神也 我即光也  私は光から来た者、光を形に顕し、光へ帰る者。

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内側の真理

社会変革はシステムを変えようとする。そこでは、社会的立場の違う人と人とが争う。
自己変革は自己の想いと行動を変えようとする。そこでは、自分の中で葛藤が起こる。

二つに共通することは現象の変革に取り掛かることである。現象は意識の結果である。
それなのに、原因を変革せずして結果を変革しようとする。この試みは成就しない。
意識変革は「真理を宣言し承認すること」(97-6)から始まる。
真理は宇宙神の創造の結果である。宇宙神の創造とは自己の拡張である。つまり直霊・分霊の誕生である。この結果は既に成就している。その結果とは「我即神也」「人類即神也」「地球世界即神也」である。この真理、この結果から事が始まるので果因説と言われる。

 人は「自らが自らを神と認めた瞬間、神と成るのです」(99-4)。
真理を宣言し承認するとは祈りであり、印であり、神語である。だから、神人は光を求めてはいけない。人は既に光そのものなのである。したがって、「我即光也」「私は光から来た者。光を形に顕わし、光へ帰る者」「私は世の光である、人類の神性を照らし出す光である。地球世界の神性を照らし出す光である」と宣言することを習慣にしてしまえばいい。

赦されることを求めてはならない。あなたは既に赦されている。祝福されることを求めてはならない。あなたは既にこの上なく宇宙神に祝福されている。愛を求めてはならない。あなたは宇宙神にこよなく愛されている。しかも、あなたは愛そのものだ。完璧さを求めてはならない。あなたは既に完璧だ。過去を消すことを求めてはならない。あなたの過去は既にない。人類一人一人にも過去はない。過去がないならば、いかなる評価もない。評価がなければ浄化すべきものがない。あるのは「我即神也」「人類即神也」と言う真理だけである。これが「神の国はあなたの内にある」と言うことだ。「内側に眼を向ける」と言うことだ。

神語:
『私は柔和で穏やかで平安で優しく、幸せで愛に満たされている。
私は皆から愛され慕われ尊敬されている。
私の言動は人々に幸せと平安と喜びをもたらしている。
私は常に美しく、輝かしく、愛に満ちた神そのものである。
来る日も来る日も、神である私には幸せのみ、喜びのみ、成功のみ、輝ける生命そのもののみが現われる。』
(99-10 P.17より編集)

神語は真理の宣言である。真理を承認することである。現象の完璧さは待てば顕われる。
土に撒いた種が芽を出すのを待つが如きものである。宣言していることと、現象の自分が異なるからと言って自分を責めることはない。自分を低く評価することはない。宣言している内容だけが真実なのだから。        

mixiピタゴラスさん

我即神也、人類即神也の宣言文はパワーがありますが、
神語は、宣言文よりも 直接自分に呼びかける言葉になってるので気に入っています。
じっくり噛みしめながら、または、自分の言葉だと思って語っていると、
意識の変化を感じます。やっぱり・・・
 
c0074000_22271854.gif言霊は威力 だぜぃ!!!

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by mppoe-light | 2011-05-11 22:37 | ピタゴラスさん啓示録から

ニューバージョン”神性を認め合う行”☆

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明日は祈りの会です。
"神性を認め合う行" をそろそろニューバージョンにしようと思いまして、
改めて読んでみました。
昨日の日記に書いている、数年前の神事と同じ内容に、ちょっとびっくり☆

実践できるように、“行”という形にしてもらえて嬉しい☆☆☆


何が本質で何が消えてゆく姿の現象か・・・
本質に意識を向ければ、(自分の神性を承認すれば、)
それ以外は自然に消えてゆく姿になる、
消すのではない、本質をつかんだ瞬間、かってに消えてゆく姿になっていく。

身近な法友が、「我即神也」に意識を向けてくれることを願うばかりです。



人類即神也を見る

「人類一人一人、誰もがその人に現れている現象の姿を見るのではなく、その人の本心、人類即神也そのものを見ようと試みるだけで、世の中は変わるし、人類の意識も変わってくる。」(白光2006-12)

この真理を実践するために白光2004-8の文章の言葉をお互いに語り合うことにした。昨年から実践していることのニューバージュンである。集まる人の人数、時間によっては、二人ずつ向き合って数回行う。もしくは印はまとめて最後に組む。行じ方は自由で何の制約もない。


(一人の人を輪の中心にして)
中心の人:0000(フルネーム)です。

全員:(心の中で、『我即神也の我が人類即神也の0000様に語りかけます』)     

全員:『0000様は本来神である。神そのものである。無限なる愛、光、叡智、能力、生命に充たされているのである。本来完璧なように作られているのである。完璧そのものである。一つの欠けたるものなく、一つの余分なものなく、全く完璧に大調和された神そのものである。』


中心の人:神0000は人類に光を送ります。

全員:0000様即神也  大成就

中心の人:ハイ(印の合図)

全員:呼吸法による人類即神也の印



先ずは、これを読んでくれた人に宣言します。
『あなた様は本来神である。神そのものである。無限なる愛、光、叡智、能力、生命に充たされているのである。本来完璧なように作られているのである。完璧そのものである。一つの欠けたるものなく、一つの余分なものなく、全く完璧に大調和された神そのものである。』
mixiピタゴラスさん


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by mppoe-light | 2011-05-08 22:57 | ピタゴラスさん啓示録から

自分の世界を楽しみたい☆

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自分の存在意義や価値を外側に求める これって因果説思考の癖だなぁ・・・と思います。
自分の中は、本来すべてが整って成就してるのに、 それを忘れて外側ばかりに求める。
求めるのは自分自身に。
外側の現象はさておき、・・・ 
我即神也 私は欠けたるものなし。 私はすべてに充たされ、すべてに祝福されている。
私は神だから愛深い、神だから慈しみを持っている。そうではなかった自分は消えてゆく姿の私。 
我即神也の私は、 自分を楽しむ。自分の世界を楽しむ。


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すべての中に、神を見出す 
そのために五感を使う

批判、非難ではなく神を見出す


部屋の掃除をしておりましたら、こんなメモが挟んであるノートが出てきました。
2、3年前の神事だったと思います。 もう内容はすっかり忘れていたのだけど、
ここ最近、自分に言い聞かせ、心掛けている内容とほぼ同じ。 
今やっと出来る段階まできたのか~。

意識は無意識に生きてると、収縮してきます。 (小さな世界の小さな自分になる・・・)
意識的に広げて、スペース状態?を心がけねば。 

我即神也 我即光也 我即真理也 我即叡智也

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by mppoe-light | 2011-05-07 23:34 | どってことない話☆

どってことない☆パソコン話

少し前のことですが、、、
パソコンが壊れたので新しく購入しました。 今回はCPUはCOREだぞ!
なんて、、、詳しいことは判らないんだけど、計算能力が高いということで、
(その分、お値段も少し高いけど(;一_一)   買った・・! 
にしても、予定外の出費でした・・・ううぅ。。。 
 
で、使ってみると、・・・
 
おおおぉさすがだ、動作が速い! 
ウイルスバスター・クラウドも軽くなってはいるけど、自動更新も気にならない、重くない。
画面もLEDで省エネ、きれいだ♪
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毎日ネットやアプリを使い、パソコンに遊んでもらっている私ですが、
一つ気がかりなのは・・ お人形のホームページのことです。
パソコンが新しくなったので、更新するためには、
作成ソフトを入れてやらねばなりません。が、
以前使ってた作成ソフトは古いので、新しいものを使いたいと考えてます。
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ところで、
ホームページ作成ソフトには アカデミック版というのがあります。
学生&学校関係者のためのソフトで、 中身は同じ(だと思うけど)なのに
なぜか安い!!! とっても安い!!!

前回は、運よく姪を連れていたので、アカデミック版を購入させてもらいました。(*^_^*)
今回はどうしよう。
姉に頼もうかなぁ・・・
それとも夏休み、姪を連れて買いに行くかなぁ・・・
なんて、迷っていたら、 今度はデジカメが・・・壊れそう・・・。。。。
(T_T)

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別にパソコンがなくても生きてはいけるんだけど、 
でも、
お人形を作るためには、やっぱりないと困るなぁ・・・
 材料を探したり、注文したり、 いろんな作家さんの作品を観たり、
名刺を作ったり、案内状を作ったり・・・
やっぱりパソコンって便利です。 お世話になってます。

だから、
あまりどんどん技術が進みすぎないでほしいもんです。
Windowsソフト は短期間でXPからビスタ、そして7に変わるし、 通信能力はどんどん良くなるので容量も増える、 それに合わせてパソコンの機能、容量も増やさなければ対応できない。 

パソコンだけじゃなく、 さまざまな通信機、家電、どんどんモデルチェンジ。
みんなCMに振り回されて新製品に飛びつく。

「速すぎるよ~ぉお!
もうちょっと、ゆっくり生きようよー、」「ゆっくり呼吸して、 静かに過ごそうよ・・・」

てなわけで、 
このままいくと真理の話になりそうなので、 この辺で☆

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by mppoe-light | 2011-05-03 23:21 | どってことない話☆

意識を復活させること

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意識変革

 『人類の変革は意識レベルから起こってくる。人類の変革は、まず意識の上に起こり、そのあと必然的に肉体的、物質的環境、状況が自分の思い通りに展開してゆく。人類は自らの意識変革によってのみ、本来の真理(我即神也)の自分に目覚めてゆくことが出来るのである。』

 唯物論では、社会変革はまず社会システムの破壊から始まる。社会システムの変革こそが人間の精神を変えるのである。唯物論では人間意識は物質に規定され、支配される。意識は物質の産物なのである。
他方、「我即神也」の変革はまず、意識の上に起こる。そのあと必然的に肉体的、物質的環境、状況が整う。意識の上での変革とは、「見える姿・現われた姿」によって自分を定義する習慣を止めて、「真理によって」自分を定義する習慣に戻るということである。それは『人類が自分を過小評価してきた誤った生き方から解き放たれ、自らの真価に目覚めてゆく』ことである。
 
この変革は個人に始まる。しかし、個人で終わることはない。社会と関係なく、個人だけがよければいいのではない。社会のため個人が犠牲になることもない。「我即神也」ならば「人類即神也」なのである。神性に貫かれているのは人類だけではない、すべての生命、地球世界のすべてが神性に貫かれている。「個人・人類・地球世界同時成道」つまり「すべては大成就」なのである。

 「我即神也」がしっかりできないと、深い「人類即神也」はできない。「我即神也」がしっかりできたならば、自然に「人類即神也」ができる。「人類即神也」は「我即神也」を深めてくれる。地球世界感謝行も同じである。自分の神性を認めるからこそ、地球世界の神性を讃美できるのである。地球世界の神性讃美は「我即神也」を深めてくれる。

意識変革は神性の復活である。自己と人類と万物の神性復活である。「消えてゆく姿」を行じて、自分の内に不完全性を認めず、神性のみを宣言し承認する。そうすれば、人類にも万物にも神性のみを宣言し承認することができる。
 
精神の変革は理性が行う変革であり、意志と自力の道であった。社会の変革は唯物主義の変革であり、破壊の道であった。意識変革は果因説の変革であり、大生命主義の変革である。
 
意識の変革は認識の変革である。自分の神性を宣言し承認することである。実績によって自分を評価するのではない。現われによって自分を評価するのではない。経験によって自分を評価するのではない。過去によって自分を評価するのではない。これらの余分な評価を手放してしまうことが浄化である。余分な評価がなくなれば、自分自身が光そのものであることに気づく。
 
余分な評価をなくすとは自分の本質に気づくことである。自分の本質とは、「本来、元々、初めから、そもそも、既に、今、無条件に、いきなり」と言うことである。これが「即」の意味するところである。本質は既に宇宙神の創造によって成就している。既に成就しているものは、必ずこの地にも顕われる。すべては大成就。
 
意識の変革は光を求めることではない。意識の変革は、自分の本質が光そのものであることを思い出すことである。「我即光也」なのである。自分自身が光であることを思い出す者は、人類に光を放つのである。人類に内在する光を呼び覚ます光を放つのである。地球世界に光を放つのである。地球世界に内在する光を呼び覚まさす光を放つのである。光は神性を照らし出す光である。

「私」についての宣言と承認は祈りである。

祈り
「私は宇宙神より聖にして神秘なる光を授かった。
その聖にして神秘なる光によって、
すべての不調和は赦され、癒され、光に変容され、消されて行くのである。
私は言葉・想念・行為・肉体にすべての神性を
余すところなく、足らざるところなく完璧に顕現する。
私は世の光である。
人類の神性を照らし出す光である。
地球世界の神性を照らし出す光である。
すべては大成就。」
『  』白光誌2008-10
mixiピタゴラスさん

精神の変革は理性が行う変革であり、意志と自力の道であった。社会の変革は唯物主義の変革であり、破壊の道であった。意識変革は果因説の変革であり、大生命主義の変革である。

c0074000_2241253.gifなんか、かっこいいぃぜ! ピーさん!
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これらの余分な評価を手放してしまうことが浄化である。余分な評価がなくなれば、自分自身が光そのものであることに気づく。
 余分な評価をなくすとは自分の本質に気づくことである。


余分な評価が意識の根底にあるから、否定的な反応、感情を作りだしてしまう。。
余分な評価は、 
「人間は本来神・・・と言われても、自分は神とはかけ離れている、自分は神にはなれない・・・」 という判断、選択をする。

人間が抱える様々な問題”消えてゆく姿”の 発生の根っこには 「自分は神ではない」と自分否定している意識があるから、 
その意識が、次から次に業想念を生産しては、ますます自分を神から遠ざけてしまう。。。。。

ならば、おおもとの 「自分は神ではない」 から 「自分は本来神である」に意識をひっくり返すべし。 というか、元通りの意識(我即神也)に直す・・・のだ☆。

因果説時代は、 3次元から4次元を見上げて“消えてゆく姿”をしていたけど、
21世紀になり もう富士は4次元。
4次元(意識)から自分を観る訓練をする。

「私」は我即神也、それ以外は “消えてゆく姿”。 

自分自身が光であることを思い出す者は、人類に光を放つのである。
人類に内在する光を呼び覚ます光を放つのである。


神性意識をつくる
真の神性復活が始まる 
<5月号 法話から>
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by mppoe-light | 2011-05-01 22:55 | ピタゴラスさん啓示録から