自分が無いことが自分が在ること

自分が無いということが一番のんきだ・・・・と五井先生は言われました。
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どうしてこんな余計な感情が(負けず嫌いの感情なんだけど)出てくるんだろ・・・ 
自分がなければこんな想いも浮かんでこないはず。 
自分が無ければいいんだ。
肉体側の自分はいらない、、、必要なのは神性の私、我即神也 
自分を空しくするとは、我即神也 ってこと・・・


そんなことを思っていましたら 急に気持ちが軽くなり、胸もスース―と通りがよくなり、
すっきり爽やかになっていました。 
そして、
それまで嫌だと思っていたことを素直に受け入れる気持ちになり、
好きではない人(早い話が嫌いな人なんだけど。。。。(笑) が好きに思えました。

自分が無ければ、人の幸せが自分の幸せ、喜びになるんだなぁ・・・とその時思いました。

人の幸せが自分の幸せだなんてすごいこと、 自分が無いことは幸せなことなんだな・・・・と
しばらく感じていました。
この状態がずっと持続してくれればいいのだけど、ま、そんなことはなく、( ̄▽ ̄;)
しばらくすると、また元の感情の自分に戻りました。。。 おいおい、やっぱりかい。 

普段、我即神也 と宣言しておりますが・・・
我即神也=肉体側の自分は無い  と意識していた方が良さそうと思いました。
消えてゆく姿の教えはどこまでも重要です。

形あるものは形なきものの影である  だから 影の側の自分は無いのだけど
その影の世界で神性を顕現するというのが人間としての本来の姿、お約束です。

消えてゆく影の世界に身を置きながら、意識を高くして神性を顕現するなんて、
んも~、、、ややこしいー。。。

でも、人の幸せが自分の喜びに思えた時のあの気持ちは 幸せで平和で、軽くて清々しいものでした。 あんな気持ちにいつもなりたい、そういう自分でありたい と思うから、
我即神也を目指して日々がんばっているのかも。

自分が無いということが一番のんきだその時、私は神そのもの 
 
私は神だから愛深い、神だから慈しみをもっている
そして神だから、自分の欲すものを創造することができる、
というより、
自分にとって必要なもの、ふさわしいものは常に整えられる
なぜなら、
私は神だから、神聖で、純粋で欲がなく、崇高であり、
神だから、高貴で、光輝き、偉大である 
から。
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by mppoe-light | 2011-03-26 23:18 | 真理について思ったこと

ダウンロード

人間はただ無限の光(神)の創造性を行動に移し、神の姿を客観的に現わそうとしている者であって、悪といい善というも、全面的に神が現象界に現れるまでに織りなす光と影の交叉

祈りとはまず自分の心を空っぽにすることである。それまでの自分をひとまず捨てて、
神だけを自分の心に住まわせることである。
                            <「神と人間」 >

実在の世界の完全円満な、大平和な大調和した、そういう光の世界を
この地球界に導き降ろそうとするための世界平和の祈りなんですね。
                       <五井先生講話「新しい世界を築く」>


人間は本来神の分御霊 
我即神也 神だけを心に住まわせ、大平和、大調和した光の世界を導き降ろす
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ダウンロード  

パソコンが普及した時代ではダウンロードという言葉は頻繁に使われる。
ホストコンピュータから端末にデータを送信することであり、端末からすればデータを受信することである。古いデータが記録されていても、端末側は古いデータを受信した新しいデータに更新してしまえば、古いデータは消えてしまう。逆に、端末のデータをホストコンピュータに送信することをアップロードと言う。

 「人間は本来神の分霊である」と言うことは「人間はいつでも、どこでも宇宙神の光をダウンロードできる」と言う意味である。果因説の意味も同じである。「消えてゆく姿」+「今からよくなるのである」という宣言は『更新』のことである。
祈りも印もこのダウンロードなのである。五井先生は「祈りとは電気のスイッチをいれるようなもの」とよく言われた。今風に言えば、祈りとはダウンロードを指示するためにクリックすることである。
困難から逃れるために、自分の窮状を神に訴えるアップロードは真の祈りではない。神とのコンタクトとは、あくまでもダウンロードなのである。

 ダウンロードするデータは神界に厳然と存在している。しかも、そのデータは現象によって変化することはない。誰が何をアップロードしても、その神界のデータは不変不滅なのである。
自分の神聖さと完璧性は既に成就しているのだから、それをダウンロードすればいい。
これは果因説の醍醐味である。
不完全性を完璧性に磨き上げることは挑戦しない方がいい。それは自力行である。

 少々の訓練を要するのは『更新』という方法である。古いデータの履歴が自分だと思い込むことが『更新』を妨げるからである。しかし、神人たちは知らぬ間に『更新』をクリックし続けてきたので、自覚する以上に『更新』は進行しているのである。
↑mixiピタゴラスさん

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by mppoe-light | 2011-03-21 23:36 | ピタゴラスさん啓示録から

祈りの会にて

昨日は、お祈りの会でした。 月曜の夜、みんな仕事を片付けては7時30分に集まります。
翌日の仕事に備えなければならないので、祈りの時間は1時間。
このため、月2回、プログラム内容を 
「行の日」、「簡略印による世界平和の祈りの日」 の二つに分けて行っています。
昨日は、
急きょ、プログラムを変更し、
大震災のための祈りの会 となりました。
ピースレターで紹介された内容を1時間に短縮したものです。

自分で準備したとはいっても、今までとは違う内容のプログラムのため、
進行に気を取られ、なかなか祈りに集中できなかったのですが、、、、、、、

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2011年の神事 (言霊によって宇宙に刻印)を行い、
その後、
「大震災で被災された皆様即神也」と唱え、呼吸法の印  これを7回繰り返しました。

この時に、
ふっと我に返ることが出来ました。

被災された皆様は神でした。 人間は本来、神の分御霊。
運命の被害者ではなく、被災された方々も皆即神也


このことに気づいて、やっと意識を我即神也に向けることが出来ました。

災害が発生してから TVの報道を見ているうちに、
衝撃的な映像に気持ちが否定的な方に引きずられ、自分が普通に生活しているのが申し訳ないような、自分ならどこまで耐えられるんだろうとか。。。。。(余計なことを・・・(ーー;)。。。
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祈っても印を組んでも どこか、「大成就!」という意識になりきれない状態でした。
けれど、 
被災された皆様は即神也 、 みな本来神の子、神の分御霊。
それに気がついた時、 やっと祈りや印に集中できるようになりました。 ほっ。。。

「絶対大丈夫」 「必ず良くなる」 「すべては大成就!」 
なぜそう言えるのか、 
人類は本来 我即神也 だから。

まだ 何が本質で何が消えてゆく現象であるか に目覚めておられない方々のために、祈り印を組み光を送り、人類の神性に働きかけながら、「成就」を創造する。

『私』は光から来た者。光を形に顕わし、光へ帰る者。カルマが創った場であろうと、『私』は何でも創造できる。自由に創造できる。『私』は世の光。人の心の神性を照らす光である。
 光が形となると愛、真理、叡智、健康、幸せ、喜び、若さ、豊かさ、、、となる。『私』は言霊を使って、自在に光を形に顕わしてゆく。『私』は神だから自由自在。神の光には限りがなく、遮るものがない。


人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、
人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組み続けるのである  
人類即神也 日本人皆即神也

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by mppoe-light | 2011-03-15 21:57 | 真理について思ったこと

「自立」 について

「自立」 を考え始めたのは、 ずいぶん前になります。 
当時は昌美先生の法話でも、目立って自立という言葉は出ていない頃でした。 
それでも 法話を読んでいると、昌美先生が 会員に自立を促しておられる気がして、法友に「昌美先生は私たちに自立を求めておられますよね」 と話しかけたことがありました。
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もともと宗教が苦手なので、 ご利益とか徳とか・・そういったことには無頓着で、 
「徳は有限、我即神也は無限・・・ならば、我即神也を目指すしかないではないか」・・・とも考えておりました。

自分以外の何かに頼る、依存する ということは、自分で自分の力・能力・尊厳を放棄しているような気がします。 自分から自分を捨てているように思えます。
捨ててしまうと、それだけ自分の内側が空っぽになり・・・ますます我即神也から遠ざかってしまいます。自分の内側が空っぽになると、それを埋めるために、さらに外側に力を求めてしまうからです。

けれど、 
今、形の世界で肉体を持ちながら、自分だけで生きるのは限界があります。
私などは、毎日薬を飲むことで体調を維持しているのですから、
そこで「薬をやめて無限なる健康を顕せ」と言われても困るわけです。 
自分を責めざるを得なくなります。

今の自分にとって本当の「自立」ってどういうことだろうか・・・?

ここ最近、昌美先生のお話の中に、「自立」 という言葉が登場するようになりました。
今月の富士でのお話もそうでした。
その中で、注目した言葉がありました。

神とともにいる自立 
 
我々はもともと守護霊、守護神、宇宙神、光そのもの、
それが一つに連なって、今までの過去が(過去から)神意識、宇宙意識の自分自身へ 
人類の平和を作っていく。



自立と依存

 自立とは自分が神である、自分が自分の創造主であるという立場である。

依存は、自分は外界の被害者であると言う立場である。
「自分では自分のあるべき姿、望む姿を顕わせない」という信念のシステムが依存を生む。
根底にある感情は不安と恐怖。恐怖から生じた自己防衛と自己防衛のための怒りが正当化される。
不安と恐怖は外界からもたらされる。したがって、自分は被害者であり、憐れむべき存在であるという感情の中毒になる。自分には自分を安心させる十分な力がないから、他に頼らなければならない。頼りになる人、組織、国家、法律、偉人、聖者、武力、経済力、、、とにかく自分の選択・決断・決定以外の何かに自分を守ってもらいたい。

根本は低い自己意識である。肉体人間、つまり過去から現在に続く履歴としての自分が自分のすべてであるという自己意識がこのシステムの根底にある。

 この依存のシステムは、カルマのシステムである。人間は千差万別ではあるが、多かれ少なかれこのシステムを刷り込まれているのである。だから、基本の感情は誰でもほぼ同じなわけである。凡夫と言う意味では、誰もが五十歩百歩というところである。

 この刷り込まれたエネルギーは侮れない。自分の感情と言うものは、自分で自分のテープレコーダーを聞いているようなものと言われる通りである。システムと言うものは習慣を生むのである。その習慣から抜け出すのに、この世的なエネルギーを必要とされるのは当然である。しかし、やり方、考え方を工夫すれば省エネは可能である。そのために、五井先生、昌美先生は法を説かれているわけである。

 自立の立場もシステムである。その根底にあるのは「我即神也」という自己意識である。
この自分を赦し、自分を愛し、自分を尊敬し畏敬し、自分を褒め讃美するところからシステムは成り立っている。しかも、このシステムは既に出来上がっている。完璧に大調和せし神としての自分の姿はもう既に出来上がっている。今この瞬間、神の姿は、厳然として輝いているわけです。

 この新しいシステムを積み上げてゆく必要は毛頭ないわけです。神としての自立のシステムは出来上がっている。その出来上がった姿をダウンロードすることを心がければいい。これが果因説である。
しかし、潜在意識のテープレコーダーの吹き替えの作業は自分できちんと行うわけです。臨界点に達すると、自分の選択・決断・決定によって神の姿がこの世に顕われてくる。未来の神の自分、見事に大調和せし神としての自分の姿を自分でこの世で体験して行くわけです。これは神人の大天命であり、各人の本心の唯一の望みなわですから、必ず成就する。大成就。
 
大成就を前提に、日々テープレコーダーを吹き替えて、神の姿をダウンロードしてまいりましょう。
mixiピタゴラスさん

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日常の生活の中で、ふっと我に返ったとき(意識的になったとき)、不安によって動かされている自分を発見することがあります。
 カルマのシステム、習慣の思考の根深さに驚きます。(無限なる光!)


その習慣から抜け出すのに、
そのために、五井先生、昌美先生は法を説かれているわけである。
その出来上がった姿をダウンロードすることを心がければいい。これが果因説である

これは神人の大天命であり、各人の本心の唯一の望みなわですから、必ず成就する。大成就。

 大成就を前提に、日々テープレコーダーを吹き替えて、神の姿をダウンロードしてまいりましょう。


自立とは自分が神である、自分が自分の創造主であるという立場

呼吸法を心がけ、これからも神語を続けようと思います。
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by mppoe-light | 2011-03-13 22:06 | ピタゴラスさん啓示録から

検索ワードは果因説☆

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このブログには、簡単なアクセス解析がついています。
解析内容は、一日の訪問者数 とページビューの数、そして検索ワードです。
どこまで正確なのか・・・わかりませんが(^_^;)

で、以前からも 検索ワードのトップは果因説でしたが、今年になってその数がぐんと上昇してきました。
これは・・・祈りのメンバーの方が訪問しておられるということ・・に他ならない。。。。
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「なるほど・・・」と思っても、やっぱり難しい果因説。。です。

果因説が判り始めると、今までの五井先生、昌美先生のご指導が、(その意味が)
分かってくるように・・・・。(と、自分では思ってる)
これも啓示録のおかげです。 
その啓示録を毎日毎日欠かさず繰り返し読み続けた私も、りっぱ☆だ(笑)

啓示録に出会う前、1年くらい前に、準備が出来つつあったようです。 
あるとき祈りながら、
「業想念の自分がどんどん消えて行ったら何が残るんだろう・・・、 
最後に残るのは、 我即神也しかない ・・・
 だから私は本来 我即神也 でいいんだ!。」


こうやって言葉にすると、どってことない出来事のようですが・・・、
 私にとっては、大きなものを得た瞬間でした。
その後出会った啓示録、 
最初に読んだときは、内容の固さにしびれましたが・・・・
(カ、カタイ。。。( ̄▽ ̄;)

でも、 「読みたい、読んで理解したい」 と思いました。 これが直観なのかな。
「読めば何かが得られるぞ!」 と直観していたのかも。
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あ、そーいえば・・・・、
先日の富士の行事での昌美先生のテープレコーダーのお話を読んで、
まるで毎日やっている 神語 みたい・・・と思いました。

 神語を語る、という 神意識へのリハビリ。
 もう一年くらい欠かさず続けています。
おかげさまで今年の課題が日々の目標になって、けっこーやる気出てます。嬉しい☆

あら?
何の話をしてたのだっけ・・・ あ、検索ワードでした。。。(^_^;)
つづく・・・☆
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by mppoe-light | 2011-03-10 23:01 | どってことない話☆