ダ~ッシュ! サンシャイン牧場☆☆☆

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このところ、パソコンを立ち上げるとまず一番にmixiに直行!(*^_^*)v
ダッシュでmixiアプリの サンシャイン牧場へ入ってます☆☆☆

いまだにゲームの詳しいことは分からないんだけど(^_^;)、 とにかく!農場の開拓を目指してひたすら作物を作ってます。 
毎日、最初にページを開けてみると 前日農場に蒔いた作物が育っていてごきげん♪ 
ルンルンで収穫です♪  がんばってお金を貯めて農場を広げねば。 ぐふふ・・・。
農場いっぱいに作物をどどーん と植えて、その様子を楽しみたい♪ (*^_^*)
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現在、私のマイミクさんは11人ですが、そのうち6人の方がサンシャイン牧場で
遊んでいらっすやいます。 やっぱり人気アプリトップのアプリだなー。
すごいぜっ サンシャイン牧場~。 私もまだしばらくは牧場で遊ぶぞっ~。
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ブーひろみです。
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by mppoe-light | 2010-11-27 19:39 | どってことない話☆

生命即真理也☆

「私が語る言葉は神の言葉である」と宣言したならば、神語を用意し、神語を唱え続けるのである。
自分の言葉が自分自身と人生と世界を創造するのである。
幸いなるかな、神語を語る者。

「幸いなるかな、神語を語る者。」 から
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昌美先生の著書 「次元上昇」(だったと思うのですが)、 
言葉は本来は会話するためにあるものではなく、(本来私たちはテレパシーで会話が出来るものなので必要はないそうです)、自分自身に向け言葉を発して様々なものを創造していた 、、 のだそうです。

つまり、語る言葉は現実化するということ、 それが神が語る言葉=神語であれば・・・

神語を語ることは「現実世界の創造」である。神語を語るとき、その人は神である。その人は創造主の立場に立ち戻る。この神語の現実化する力は桁外れに大きい。
mixiピタゴラスさん 神語は神力 から

「次元上昇」を読み、言葉の本来の役目、意味を知りました。
そして今、 ピーさんが薦めている神語を毎日読んでいます。
毎日続けているのは、読んでいて、喜びが湧き、勇気が湧き、感動したりするからです。
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今、気に入っている 神語です。(*^_^*)
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  生命は偉大なる力だ。生命は完璧だ。
  生命は大調和だ。生命は永遠だ
  生命こそ人間そのものだ。神そのものである。
  生命即真理そのものである。
  真理は自分そのものだ。尊くも勿体なくも、わが生命は真理そのものだ。
  わが生命は光り輝く神そのものだ。
  わが生命こそ神そのものであり、わが生命こそ真理そのものである。
  私はわが生命を褒めたたえる。わが生命を絶賛する。
  かくも美しく、気高く、神秘に溢れているわが生命を。
  ゆえに、私が立つところはどこであれ、すべて神聖なる場なのだ。
  尊き場となるのだ。

  自分の中の神に気づいた者から救われてゆく。
  自らの心を完全に自由ならしめてゆく。
  いかなることも完璧に見事に整えられてゆく。それは当然だ。
  究極の真髄に自らが至ったからだ。無限なる幸せを手にしたからである。(注4)
  注4  1999-11 

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生命即真理そのものである。 
この言葉に感動です。
尊くも勿体なくも、私の生命は真理そのもの、私の生命は光り輝く神そのもの・・・
だからこそ 自分を大切にしなければ。
自分を称え、愛する。我即神也。
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で、ここから昨日の日記を続きで・・・

自己意識を「我即神也」に定め、その理解を深めてゆくのである。
神語を読みながら、理解を深めるとはこういう事なのか・・・と、気づいたわけです。

少し前までは、ちっとも興味のなかった神語(自分自身を褒め称えるの神語)が、 ある日なんとなく読んでみたら、書かれた言葉に感動し、その日から毎日読み始める。 
きっとそれは神性への理解が少し進み、深まったから。

理解を深めるとは 、誰かに教えらえたり、多くの本を読み込むだけで得られるものではなく、
実際に自分で やってみる、 真理を求める気持ちを行動に移してみる
それによって得られるものでした。

理解すれば、それは自分のものになります。人の言葉を借りるのではなく、自分の言葉で語れるようになる。自然とそれが当たり前になる。

なるほどなーと思うのでした。

少しずつ自分が好きになっている、 嬉しいー♪
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by mppoe-light | 2010-11-25 22:03 | 真理について思ったこと

理解を深めてゆく コト。。。

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以前(10月26日)の日記にも紹介しております、mixiピタゴラスさんの 幸いなるかな、神語を語る者。
気にっていて、最近よく読み直しています。
 短い内容だけど、読みやすく&インパクトもあって好きです。


 現われた姿(体験する現象のすべて)は、自分の意識の結果である。自己意識の結果である。人生は人生に対するイメージの結果である。現われた姿を正してはいけない。現われた世界で何かを求めてはいけない。
こんな風にはっきり言い切ってもらうと、すっきりします。
想いの癖は、気づかないうちに思考を因果説へ戻してしまったり、
消えてゆく姿の現象を、自力で正そうとしてしまいます。 だから、
今の自分の意識が、消えてゆく姿を向いているか光明(我即神也)を向いているか、
チェックすることが出来ます。 (壁に貼っときたいくらいだー☆)
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 厳然と存在する神なる自己を認めるのである。神の人生はすべてに満たされ、すべてが祝福され、すべてが幸せで欠けたるものがない。このような、神としての人生を認めるのである。真の自分自身を思い出すのである。
「自分が変われば、人生が変わる」とは至言である。ただ一つ気をつけることがある。
自分の想念や行動力を直接変えないことである。試みるならば挫折する。
自己意識を「我即神也」に定め、その理解を深めてゆくのである。そして、神としての言葉を唱えるのである。それ以上に自分を変えようとするのはいけない。自力で、想いや感情の習慣を変えようとすれば、打ちのめされる。迸り出てくるものには「消えてゆく姿」で対処する。
最初、ここを読んだときには、↓ 
その理解を深めてゆくのである。 

「そこが一番知りたいのに 解説はないの?これだけ?もっと説明してくれたって、
神さまなんだから!」

と、ぶちぶち文句の一つも言いたい気持ちになりました。が、、、

もしそんなこと直接守護神さまに言ったなら 
「バカヤロー!!!怠けたとこ言うじゃない!!!」 と怒られるのがオチなので言わないけど。。。
・・・・って、とっくにあちらは聞いてるのよね・・・(^_^;) 
自分の守護の神霊なのだから、直通だもんね。

私は霊的な人ではないので、守護霊、守護神さまとはどのようなものなのか分かりませんが、
今まで、助けてもらった経験や、祈りの時に応援してもらったりするので
身近に感じています。 (もっと感謝しないといけないなー。。)
でも、
応援してくれつつも・・・ あの人たちは(守護霊&守護神)は、進化のためには手を抜かない! 厳しい! んも~(ーー;)


あ、・・・すっかり話が横に逸れました。。。。書きたいと思ったことはこれからなのに(汗

つづく。。。
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by mppoe-light | 2010-11-24 22:58 | 真理について思ったこと

今、突然ぽっくりと・・・

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今突然、自分がぽっくりこの世の人生を終え、扉を開けてあちらの世界へ行ったとき、
納得して移行できるかなぁ・・と、以前から時たま考えることがありました。

で、 
「この世の人生を終了する場合は、自分の生き方に納得して、満足して移行できたらいいなぁ。
今のままでは、どこか納得して死ねないよなぁ・・・ 
今のままでは、まだまだ足りない気がする。。。。
ということは、私はまだまだ死ぬことはないってことだ(笑 」

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なんてことを思ったりしてました。

でも、具体的にどうなれば納得できるのだろうか? 
もちろん、すでに世界平和の祈りつながり、印を組んでいるのだけど・・・・
このままでいいのかな~。。。???

と、まあ 真剣ではないのだけど、時折、ぼや~と
そんなことを考えておりました。
(こんなこと考えるなんて、のほほんと暇な人なのかしら・・・(^_^;)

で、前回の日記からですが・・・

私はこの頃、
生きるということは現象界に自分の意識を使って神性のワールドを拡げ強めることだよなぁ・・・と思ってまして、それが自分が生きている証になるのだと思ってます。

と、書きました。

本当の生き方のコツ(?)みたいなのが判ってきた気がする。。。。


生きることは、命を生かすこと、 
五井先生は祈り心で生きることを教えて下さいました。
それは神さまの御心で生きること→神さまの働き・活動を地上に顕すこと、 

世界平和の祈りは神さまとの約束事、祈れば科学的に光が神さまの働きが地上に降りる。 
今はもっとストレートに。我即神也

そう思うと、祈り、印を組み、神語を語ることが ”真の生き方”と なっているんだと思うようになりました。 (我即神也 から自分の意識が離れたときは、私の命は生かされず、うっかり死んでいる状態?・・・と言ってもいいかも。)(^_^;) 
おぉぉ・・・それはいやだ(汗

そんなわけで、

以前のように 人生がどーのこーのというコトではなくて、この頃は
“真に生きるために” は、日常の小さな消えてゆく姿に引っかかって格闘してる場合ではない!  
ちゃんと生きねば・・・!

と思うようになっている私です。
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by mppoe-light | 2010-11-18 23:07 | 真理について思ったこと

ポジティブなこと・自分が自分と向き合うことetc・・・

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私はこの頃、
生きるということは現象界に自分の意識を使って神性のワールドを拡げ強めることだよなぁ・・・と思ってまして、それが自分が生きている証になるのだと思ってます。

みんなの神性意識ワールドが臨界点に達すれば、それが人類に波及するのだと思ってます。
今 やっと世界平和の意識が芽生えてきた気がする・・・遅っ!(^_^;)

それで、
神ワールドを意識しながら印を組み、祈りをしています。
で、いつもそういった状態に集中できるのが理想なのだけど、
日常生活はそうはさせてくれません。。。
消えてゆく姿に引っかかりまして・・・、その消えてゆく姿と取っ組み合いをしないで 即、神さま 我即神也 に入れたらいいのだけど、、 我即神也 まで復活するのに時間がかかるわけです。 

c0074000_22585918.gif(p_-) くくっ~ぅ(涙

そこで 今月の昌美先生のお話から なんですが・・・

実際に否定的な言葉を使ってはならないと頭では判っていても、それを実行するのはなかなか努力がいることだし、勇気がいることなのである。
さらには一瞬一瞬意識的に生きてゆかなければならない。そのため、否定的な言葉を覆し、意識を常に光明思想の生き方に集中させるだけの、ポジティブなエネルギーが必要なのである。

消えてゆく姿を掴まえないで、さらりと守護霊様に渡してしまい 我即神也に切り替えるためには
意識を常に光明思想の生き方に集中させるだけの、ポジティブなエネルギーが必要なんだなーと思います。

消えてゆく姿を上手に実行するためにも、自分のポジティブなエネルギーを高めたい。
そのためには 祈り、印を行い、そして神語を語ることを継続することが
今私ができる最も良い方法なんだ・・・と思っとります。

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自分が自分と向き合う

 『常に美しく輝かしく愛に満ちた神たる自分を想像しつづけてゆけば、必ず現実に現われてくる。来る日も来る日も幸せのみ、喜びのみ、成功のみ、輝ける生命そのもののみが現われてくる』(注1)。

これが神人の人生だ。神人のミッションだ。今まで、できなかった原因はただ一つ。自らの神性を否定したからに過ぎない。自分というものを錯覚したからに過ぎない。

しかし、真の神性は何ら、揺らぐことなく、何の変化もしていない。神性は揺ぎなく、厳然と輝き渡っている。その真理を思い出すことだ。忘れた神の姿を思い出すには、神が語るように神の言葉を語ることだ。それは神語だ。
『神になったように振る舞えばよいのだ』(注1)。祈りと印も、神の振る舞いの一つである。

 自分の「真の姿」を思い出し、自分の「神の姿」を思い起こす。それができるのは他ではない。自分しかいない。
『自らが自らの尊厳性を認める、自らを尊敬し、崇めると同時に、自らが自らの幸せをもたらし、自らに感謝し、自らを健康に保つ』(注2)。
この自分と自分が向き合うところに宗教の本質がある。

 自分と自分が向き合うところ。その場の曇りが、苦悩を作り出す元凶だ。曇りを晴らすのが、祈りと印である。果因説の祈りと印とは、迷いの立場から祈り、印を組むのではないということである。自分が「自分の神の姿」を認める、その意図の下に祈り、印を組むのである。

 自分と自分が向き合うところ。正しく向き合えば、神性しかない。自分の内にすべての神性がある。自分が顕わすべきものすべては自分の内にある。顕わすべきものとは、神の赦し、神の愛、神の創造力、神の歓び、神の幸せ、神の健康、神の豊かさ、神の美しさである。

 自分は神だから、神として振る舞えばいいだけである。一番入りやすいのが、言葉だ。神を真似るつもりで、神語を語ればいい。語っている内に、真似ではなく、それが本当のことであると解かってくる。冒頭で引用した「神たる自分を想像する」のも、言葉から入るのが一番入りやすい。神語を語って、自分の神性イメージを創ってゆくのである。印も、神の振る舞いである。神の真似ごとのように見える。そう見えても、実は神が印を組んでいるのである。印を通して、「神たる自分のイメージ」が醸成されているのである。

自分と自分、「消えてゆく姿」を持ち込むことなく、正しく向き合おう。

注1 1999-10
注2 1999-1

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mixiピタゴラスさん

果因説の祈りと印とは、迷いの立場から祈り、印を組むのではないということである。
自分が「自分の神の姿」を認める、その意図の下に祈り、印を組むのである。


ここは、そうだよな~と思いながら読んでました。
果因説であろうと何であろうと、真の祈り、印とは 我即神也の立場から行うこと。


消えてゆく姿が消えることで顕れるのが神性 というやり方、
人間は本来神だから、それ以外の非神の顕れは消えてゆく姿 とみて捨てていくやり方、
同じようなのだけど、取り組む意識が少々違う。
 私は 自分は神だから、それ以外は消えてゆく姿・・・の、スタンスでやっています。 
欠点より長所に注目した方がいいって言うもんね。(*^_^*) 今は果因説だし☆

自分と自分が向き合うところ。正しく向き合えば、神性しかない。
自分と自分、「消えてゆく姿」を持ち込むことなく、正しく向き合おう。

心がけたねば。
で、 この部分を読んだとき 鏡のことを思い出しました。
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聖典は、自分の姿を見る鏡である。それは襟をただし、乱れた髪の毛を整える鏡ではない。自己イメージを神のイメージに重ねる鏡である。鏡は現われた姿を映すのではない。鏡は自分の意識に自分がどのように写っているのかを顧みることの象徴である。
↑ぴーさんの、「幸いなるかな、神語を語る者。」から

鏡・・・自分を知るためのもの。
きっと 三種の神器の鏡もこの意味なんだろうな。

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by mppoe-light | 2010-11-12 23:19 | ピタゴラスさん啓示録から

祈りについて

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未来からの祈り

 『否定的想念を打ち消す祈りは、本当の祈りではない。本来、祈りとは生命であり、霊であり、力であり、真理そのものである』。
真の祈りとは無限からの祈りである。真の祈りとは、それが成就されている未来からの祈りである。祈りとは、既に成就された祈りである。
宇宙神は愛であり、供給であり、豊かさである。だから、『人間の願いはすべて成就されている』。真の『私』は厳然と、「今」無限の中に存在し、未来にいる。

 真の祈りは、神の創造活動である。真の祈りは、神の光を形にする活動である。
真の祈りは、神が語る言葉である。真の祈りは、神語である。我即神也の姿、神の姿を想像して、それを言葉で言い表わす。それが神語である。その完全性を備えた神の姿は宇宙神の創造の結果である。その光り輝く姿から、すべてが始まる。それが祈りである。
宇宙神の創造の結果から、すべてが始まる。だから果因説と言われる。


mixiピタゴラスさん
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本来、祈りとは生命であり、霊であり、力であり、真理そのもの
五井先生は、祈りとは “命がのり出す” だから“祈り”・・ と言われてたと思います。

祈りとは 神の宣言、神を顕現していくこと。
だから
否定的想念を打ち消す祈りは、本当の祈りではない。
 

そもそも、世界は 神 の活動によって成り立っているのだから。
愛の顕れの多いものから極少のものまで、すべてのすべてが神さまの中、神さまの創造エネルギーで成り立っている。 
自分は神に非ず と言うのなら、宇宙の外に飛び出さなければならなくなる・・(`´) うぅっ
・・・・ 
真の祈りとは無限からの祈り、それが成就されている未来からの祈り。
我は神也 初めから、今も、これからもずっと


目の前の空間は空っぽではなくて、
多次元の世界が同時に存在していて、
高次元は何も特別な場所に行くのではなく、今ここに、目の前にある。
ただ自分の意識が見える世界に留まっているだけ。
根源の世界は、意識を深く(高く?)探求していけば必ず在る・・・。 というより、
根源の世界から 意識は3次元世界まで伸びている だから、、
私は今まで一度も 神から切り離されたことはないし、それは始めから自分の中にあって、常に自分とともにあるもの。・・・・
 なのに、在るのに分からないなんて・・・ 固定観念はやっかいだ。
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五井先生は、消えてゆく姿は守護霊様にお任せして、(渡してしまって、)世界平和の祈りで神様の中に入って、そして神様から 改めて頂きなおす。 と言われていました。
長い間、この “頂きなおす” の意味が分かりませんでしたが、 
果因説を実践するようになってから 少しずつ理解できるようになってきました。
神語のおかげ・・かなぁ。

神語 
宇宙神と宇宙神から生まれた『私』
宇宙神と私の創造力
宇宙神と私と宇宙を貫く神性
つまり、すべてが神性そのものであり、大調和しております。
すべてが光り輝き、平和であります。
この現実を創り給いし宇宙神に深く感謝申し上げます。

神語
『神そのものである私は、健康そのものである。』

神語
 『我は神にして、内なる無限なる能力を駆使する。
 そして、我は自らの欲すること、望むことを
 全くの歓びと幸せをもって現実に現わしてゆく。』

『  』白光誌1999-6


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by mppoe-light | 2010-11-09 00:20 | ピタゴラスさん啓示録から