今月号指針を読んでいて・・・etc

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毎月の指針を読んでいると・・・・、 
ぼーっと読んでると因果説に落っこちそうになります。

因果律の自分を修正して神を顕そうしてしまい、力が入ってしまいます。
ややこしいトコなんだけど・・・・、 (上手く説明できるかどうかですが・・・)

今は果因説で、今は神を顕現するためのプロセス進行中。
無意識に現象に反応して生きるのではなく、意識的に神性を降ろしていく時です。
指針は、その意識的に生きるための言葉・・・と思って読むべきなんだ・・・・と思ったわけです。

消えてゆく姿の自分を修正して、神にしていく発想は因果説。
果因説は、「私」は我即神也。 「私」は既に完成している神、
だから、
今やらなければならないことは、神の世界を創造(本来因果)していくこと。
それがそもそも私たち人類の生きる意味、目的なんだと思います。

と、
理解しつつも 現実生活では消えてゆく姿によく引っ掛かってしまう私です。。。。。
くやしい~ぃ!!!!  うううぅ・・・かなしー。。。 
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あ、これも消えてゆく姿なので、、、

「私」は既に完成している神! そこからスタートする・・・のだ!!!
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<神語>>>

 (我即神也の)『私』には自我もなければ、肉体もない、想念もない、過去もなくカルマもない。
『私』は神性そのものである。生命そのもの、真理そのもの、叡智そのものである。
祈りと印によって、『私』はカルマや自我、現象界から切り離される。
『私』はカルマから解放された喜びに満たされる。その喜びは『私』の存在そのものの喜びに溶け入る。

 『私』は自我とは全く異なる人格である。『私』は肉体人間の一切の経歴、家系とは関係ない。
『私』は宇宙神の家系に属し、光り輝きながら厳然と存在している。「人生の中であの時こうだった」「あんなことがなければ」等と考える必要もない。『私』は過去に言ったこと、言われたことによって影響されることもない。
『私』は既に、神として完成している。
今後なすべきことは、この神の姿を現象界(言葉・想念・行為)に顕わしてゆくことのみである。
 
21世紀、『私』は自分が「想像し、創造した世界を生きてゆくのである。完全なるポジティブな世界、光の世界、神の世界、自由なる世界、一切欠けたるもののない世界、輝かしい世界、至福の世界を生きてゆくのである」(注1)。

注1  白光誌 2008-9 P.18
mixiピタゴラスさん から
**********************************************************

『私』は既に、神として完成している。今後なすべきことは、この神の姿を現象界(言葉・想念・行為)に顕わしてゆくことのみである。
果因説ってこれに尽きる気がします。
 「すごいなぁーピーさん」・・ ←素直にそう思っている。。。やはり意識の持ち方のリハビリは欠かせません。

ところで・・・、
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因果説から果因説に入ると、始まりと終わり(完結)が、瞬間瞬間に繰り返されていて、
もともと時間などない・・・・ という気がしてきます。
(だって、すでに完成されたものを顕すだけなんだから。)
時間はあるようで、本当はないのかも~・・・。

そー思っていたら、
今月の里香先生の巻頭言、「生と死は永遠のダンス」で紹介されていたディーパック・チョプラ氏の文章が面白かったです。

“死がなければ、現在という時間もないかもしれません。なぜなら次の瞬間を生み出すためには、その前の瞬間は死ななくてはいけないからです。”

我即神也 人類即神也
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by mppoe-light | 2010-10-30 11:36 | 真理について思ったこと

幸いなるかな・・・単純な私

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ピタゴザウルスさ・・・じゃなくてピタゴラスさんのmixi の「幸いなるかな、神語を語る者」
これを読んだ時は・・・・

「んもー、そんなこといったって 言うのは簡単だけど実行は大変なんだっ」と、
c0074000_22263126.gif少々ぶーぶー文句?をいいつつ、いつものように印刷してファイルに閉じて、そして就寝。。。 
ぶちぶち・・・とスネながら(^_^;) 寝た。。。。

今日、いつものように、神語の気に入ったページを3ページほど読み、印を10回組んでいたのですが、、 
組んでいるうちに・・・・  
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「あ、 こういうことかな」 と、ふいに納得してしまいました。

今の結果は過去の意識によるもの。 過去は消えてゆく姿、意味はない。
その場、その時、何が起こっても
自分が 我即神也 といえば「神」。 それでいいんだ。なるほど。

と、いつもの私流の理解の仕方で、気分はすっきり。

凹むのも早いけど、浮上するのも早い・・(;一_一) 単純。。。。

*********************************************************
幸いなるかな、神語を語る者。

聖典は、自分の姿を見る鏡である。それは襟をただし、乱れた髪の毛を整える鏡ではない。
自己イメージを神のイメージに重ねる鏡である。鏡は現われた姿を映すのではない。
鏡は自分の意識に自分がどのように写っているのかを顧みることの象徴である。

 現われた姿(体験する現象のすべて)は、自分の意識の結果である。自己意識の結果である。人生は人生に対するイメージの結果である。現われた姿を正してはいけない。現われた世界で何かを求めてはいけない。

 厳然と存在する神なる自己を認めるのである。神の人生はすべてに満たされ、すべてが祝福され、すべてが幸せで欠けたるものがない。このような、神としての人生を認めるのである。真の自分自身を思い出すのである。「自分が変われば、人生が変わる」とは至言である。
ただ一つ気をつけることがある。自分の想念や行動力を直接変えないことである。試みるならば挫折する。
自己意識を「我即神也」に定め、その理解を深めてゆくのである。そして、神としての言葉を唱えるのである。それ以上に自分を変えようとするのはいけない。自力で、想いや感情の習慣を変えようとすれば、打ちのめされる。迸り出てくるものには「消えてゆく姿」で対処する。

「私が語る言葉は神の言葉である」と宣言したならば、神語を用意し、神語を唱え続けるのである。
宣言文の真意は「いずれ、立派なことを語れるようになりますように」ではない。即刻、神の言葉を語るのである。神語を語り続けるのである。自分の言葉が「全く新しく、完全に平和な世界」を呼び出すのである。
自分の言葉が自分自身と人生と世界を創造するのである。
幸いなるかな、神語を語る者。
mixiピタゴラスさん

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by mppoe-light | 2010-10-26 22:33 | ピタゴラスさん啓示録から

信じること!!!

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我即神也 そこは、すべて完璧、大調和。無限の能力、可能性、恵み、繁栄、健康 ・・・

それを信じきっていれば、どんな時にも 我即神也の意識を貫けるのだけど、、、
 リアリティ100%の因縁因果の世界に圧倒されて
ふらふらと意識は因果律の 「自分」 へ下降する。。。。(;一_一)  
もっと我即神也 の「私」の存在をしっかりと実感できたら ふらふらしないかも・・・。

となると・・・・

やっぱり即効はピラミッド☆ かしら・・・?  

考えてみようかな・・・・来年あたり・・・・。

とはいえ、 リハビリは継続せねば。 

我即神也 の「私」は完璧な存在。 
だから何も思い煩うことはなく、不安も心配も一切必要のない存在
すべては必ず良くなる! それを信じる。信じる、信じる!!!
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<神語>>>

『私』がいるところ、『私』が存在するところ、どこにいようと、この場は完全に光り輝く神の姿を映し出す場である。
 印によって、『私』は即、神の姿を人類に示すことができる。

 『私』が語ること、行うこと、祈念すること、すべてこの世に100パーセント実現する。『私』に不可能はなし。すべて可能にする。どんな不可能に見えても、この印を結べば、たちまち、すべてが可能になる。私は神の器だ。

『私』がいるところすべて、光り輝き、すべてが調和し、すべてが整い、すべてが完璧で、すべてが事なれり。我は神也。我はすべてなり。我が過去はすべて消えた。ただあるのは、我即神也。『私』は無限なる能力そのもの。『私』は無限なる健康そのもの。『私』は無限なる繁栄そのもの。

(白光誌1994-9 p.50より編集)

 この文章は、「我即神也」の授印式で、西園寺会長が説かれたことと、みんなで唱和した言葉に少し手を加えたもの。16年間も埋もらせたままにしてしまった。勿体ない。神語として、唱えよう。
mixiピタゴラスさん から
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c0074000_23343375.gifということで、My神語集に追加です。
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by mppoe-light | 2010-10-24 23:36 | 真理について思ったこと

未来から”新しい自分”がやってくる!

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果因説時間への切り替えについて・・・の続きです。

時間が未来から流れてくる・・・と思うと、いつも”新しい自分 ” という気持ちになって、
なんだか嬉しくなります。(●^o^●)v

新しい時間からやってくる ”新しい自分”を どの自分で迎えるか・・・
過去のカルマ世界の 「私」 として迎えカルマの人生を選ぶか、
本来の自分 我即神也 の「私」 を意識して迎え、神性の人生を選ぶか、、、

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『私』がどちらを向いているのか。
『私』がどちらの姿を自分として認識しているのか。
『私』がどちらの姿を自分として同一化しているのか。そこが問題なのである。

mixiピタゴラスさんの「無限なる時間と消えてゆく時間」 から

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できるだけ意識して 果因説 我即神也の自分を選択して生きる、
そして、
我即神也を選択することで すべてが充たされ、すべてが祝福される、平和な世界に生きることになる。

そう考えると、 
今まで何も考えず無意識のままに、カルマの世界を創造しながら生きてしまっていた
ことに気づいて驚いてしまいます。 もったいないことした~。(^_^;)


で、ここで、
「毎瞬、毎瞬、すでに神意識なのか」・・・とつっこまれると、 
c0074000_22433765.gif「ただいま絶賛リハビリ中」 の私ですが・・・


ピーさん・・・じゃなくて、mixiのピタゴラスさん超推薦の、”神語を語る” でリハビリしています。

神語集なるファイルを作り、お気に入りの神性の言葉を綴じて、
祈りや印の前に読んでいます。 
暗記した部分は、一人で居る時間に、ぶつぶつ・・・、やっています。(●^o^●)

面白いなぁ と思うのは、
お気に入りの神語、昌美先生のインフィニットワーズを読んでいて、

『私は神!!私は光り輝いている神そのもの。
 私は光そのもの、真理そのもの、愛そのもの、叡智そのもの。

 私はすべてに充たされ、すべてに愛され、
 すべてに抱擁され、すべてに祝福され、
 燦然と光輝く宇宙神と全く一つに解け合う。

    ・・・・・・(省略)・・・』

気に入ってるので今まで何度も繰り返しているのですが、
ある時に
  口からポツリと 「宇宙神と全く一つに融けあう。」 
この言葉が出たとき、

「そっかぁ・・。 やっぱり自分は宇宙神とつながっているんだ」 と 納得。

それまでは、宇宙神は自分にとって遥かに遠い存在だったのに、
いつの間にか 自分が宇宙神とつながった神の子 なんだと
そのまま納得してしまいます。

不思議なものだな~と思います。 

やはり人間は本来神の分御霊、神の子なんだ、
だから記憶が蘇ってくるんだなぁ・・・・・と思う私です。

********************************************************
見過ごす・見過ごさない

 『(消えてゆく姿の自分は)黙って見過ごしてあげればよいのです。知らんふりして放っておけばよいのです。ただ祈っていればよいのです。(因縁因果が消え去れば、)我即神也の宣言文通りの自分が当然の如くそこにいるのです。存在しているのです。その自分に今までの自分は気がつかなかっただけです。見過ごしてしまっていただけのことです。』(注1)1996-1

 真理の鍵を握っているのは、いつも『自分』である。真理の核心は、いつも『自分』についての認識である。自分が変われば、自分の世界も変わる。自分の意識レベルを高める。波動を高める。これらはすべて自己認識の問題なのである。
 一般的に、人間は因縁因果の自分を見過ごすことはない。そして、神そのものの自分を見過ごしてしまっているのである。赦しとは、因縁因果の自分を消えてゆく姿と見過ごすことである。愛とは、神そのものの自分を自分として見過ごさないことである。
 
宗教者は『自分』を納得のいく自分にしようと、悪戦苦闘する。正義感の強い人ほど、苦闘は激しい。大事な事を見過ごしているのである。『自分』を変えるとは、「自分の現われ」を変えることではない。
自己についての見方を変えないで、「自分の現われ」を変えようとすれば、徒労に終わる。「自分の現われた姿」は「自分についての見方」の結果であるからだ。
重要なのは、「自分の現われ」はさておき、「自分についての見方」を変えることである。「現われの自分」を自分と認める習慣を改め、「神そのものの自分」を自分と認めるのである。

mixiピタゴラスさん

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by mppoe-light | 2010-10-20 22:48 | 真理について思ったこと

時間は未来からやって来る・・・について

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果因説時間の切り替え・・・・のお話がmixiに公開されていました。
私だけ読むのはもったいないので、祈りの会の仲間にもコピペしてメールをしました♪(●^o^●)v

このお話については、白光誌4月号に掲載されていまして、
そういえば・・Kさんと少しだけ”果因説時間”のお話をしていたのを思い出しました。


昌美先生も時間は未来から流れてくる・・・と仰っています。
つまりは・・・過去に捉われない、観の転換のことだと思います。
 
カルマの因果説から抜け出るために、時間の流れを意識上逆転させる・・・と思いました。
過去が「今」の自分の意識に関わらなければ、
意識は新しい場(果因説の場)に上がってこれます。


本来、時間は横に流れるものでなく、常に縦に流れる「今」 、「今」の無限の連続で。
未来は「今」の中にあり、未来から流れてくるように見える時間の元は「今」。
パラレルワールドの説明がなくても、時間を逆転させることで、
意識は果因説の世界に乗ることができる。

で、果因説は本来因果、宇宙神と神である「私」との関係。
だから 我即神也。 我即神也という自己意識がすべて!
と・・・・、
思っている私です。
c0074000_17213451.gifこれは私流の解釈、理解の仕方。


具体的に宣言 という形にして下さった、富田氏果因説時間への切り替え宣言。
まだ、きちんと拍手を打って宣言したわけではありませんが、
消えてゆく姿のカルマの自分に落っこちたとき、落っこちそうなとき、
「時間は未来からやってくる」と自分に言い聞かせてみると、 我即神也への転換がスムーズに行けそうだと感じました♪

また改めて、宣言してみようと思います。
**************************************************************
神の創造の手法は果因説である。

果因説の成就は『我即神也、本来神に欠けたるものなしという徹底した完全調和、完璧、完成、無限なる能力、創造性、可能性を信じることからワンステップが始まる』(注1)。

人間の現実世界の創造はカルマに基づくものである。カルマの世界では現実世界の改善を目指す。それはいつも、過去に基づき未来の改善を目指す営みである。
それとは違って、神の現実世界の創造には「既に成就している」という決まり事がある。果因説に拠る創造は、神界の様相を地に降ろす営みである。結果的に因果の世界は改善されてしまう。
しかし、それは過去からの延長線上にはない。むしろ現われてくる姿は未来からやって来たように見える。
「我即神也」の『私』にとって、現実世界は改善されるのではない。現実世界はない(消えてゆく姿)のである。既に輝かしい世界が、「我即神也」の『もう一人の私』と共に「もう一つの人生、もう一つの世界」として厳然と存在しているのである。

mixiピタゴラスさん 我即神也・創造主・因果説 より

我即神也、人類即神也

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by mppoe-light | 2010-10-15 17:30 | 真理について思ったこと

果因説っぽい?・・・タイガー・ウッズ

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ゴルファーのタイガーウッズ。 
彼はプレー中に、 10歩歩いたら過去のプレーを忘れるようにしている・・・といった話を聞きました。 
直前のショット、それが悪いショットでも良いショットでも忘れるのだそうです。 
次の良いショットを生み出すために、きっちりポジティブ思考で、過去もなくして
(直前に良いプレーをしていても忘れる)
 意識はその時(今)のスイングに集中するのだそうです。

さらに、すごいなと思ったのは、
対戦相手の選手のことも、良いショットが打てるように思うのだそうです。

「今」の自分の意識を、良いプレーの場になる意識状態にするなら、 
自分の周りは大調和でベストであるはず。 だから
相手の選手も最高のショットを打てるはず。

これって光明思想、果因説みたいだ・・・と思いました。

自分が我即神也なら相手も同じ神。 自分が住む世界が光の世界なら
起こる出来事はすべて整う。自分が関わる相手の出来事も。

なるほど~自分が取り組んでいた光明思想を見直す機会になりました。
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ただ・・・、
彼の場合、我即神也が前提になかったので、私生活では愛人問題で
大スキャンダルをおこした・・・・のかも・・・(^_^;)

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by mppoe-light | 2010-10-13 19:39 | 真理について思ったこと

『私』からのメッセージ

『私』は光から来た者

 過去を持たない光の『私』には無限の創造力がある。過去の延長線上にある私はカルマに縛られている。『私』と私は全くの別人である。
私が目で見たことのないもの、耳で聞いたことのないもの、そして、私の心に思い浮かんだこともないもの(注1)。『私』は私の知らない神の世界を顕わすことができる。

 『私』はいつも自分のことを宣言する。
「我即神也、我即光也、我即愛也、我即真理也、我即叡智也、我即健康也、我即幸せ也、我即歓び也」
『私』は自分で宣言したことを創造することができる。体験することができる。

 
 過去とカルマは私の古ぼけた服である。確かに私が創ったものだが、『私』とは関係ない。今まで、私は自分で選んだ服が気に入らないと文句を言って来た。私は汚れた服を取り繕って、つぎはぎを繰り返し、良く見せようとして来た。
それはもうしない。
神である『私』はいつでも、汚れた服を脱ぎ捨て、新しい服に着替えることができる。



『私』は光から来た者。『私』は神そのもの。『私』はどこであろうと、いつであろうと、肉体を持ったまま神の姿を顕わすばかり。

『私』には過去はなく、カルマもない。『私』は光だけで、すべてを描き切る。
『私』が描く世界が、五井先生の説かれた平和の世界。

『私』は神。創造主。どんな場であろうと、『私』が「消えてゆく姿」と宣言した瞬間、小さい私は消え去り、『私』が蘇る。
『私』の言葉は言霊。言霊はすべてを創造する威力(注2)。

 『私』は光から来た者。光を形に顕わし、光へ帰る者。カルマが創った場であろうと、『私』は何でも創造できる。自由に創造できる。
『私』は世の光。人の心の神性を照らす光である。

 光が形となると愛、真理、叡智、健康、幸せ、喜び、若さ、豊かさ、、、となる。
『私』は言霊を使って、自在に光を形に顕わしてゆく。『私』は神だから自由自在。神の光には限りがなく、遮るものがない。


注1  コリント人への第一の手紙2-9
注2  「言霊は威力です」2010/10/03富士聖地
mixiピタゴラスさん
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『私』からのメッセージは 、『私』自身のメッセージ

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by mppoe-light | 2010-10-10 21:39 | ピタゴラスさん啓示録から

宣言しつつ・・・・も・・・(;>_<)

今月、富士での昌美先生のお話で、

神の言葉を語る
まず言葉を慎む、それだけですべてが変わる。

といったものがありました。


で、
出掛ける前に、

私は神だから、私の口から出る言葉は光の言葉、
愛の言葉、 私は光を発する・・・・などなど

と、自分流に宣言。

ところが、
目的地に着いてしばらくしてしまうと、宣言したことも忘れて 口がすべって
言わなくてもいいようなことをポロリ・・・(;一_一)

うっ・・・!会話の流れにのってしまい、、つまらないコトを言ってしまった。。。。

くくーっ!!!
やり直しやり直し・・・・いじけてないで、リハビリ続けねば・・・・なんか
こういうのが続くと、孤独を感じるなぁ・・・(T _T) 
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我即神也 我即神也・・・今夜はこればっかり続けてみようか。

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by mppoe-light | 2010-10-08 19:33 | 真理について思ったこと

語ること 創造すること

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「我即神也・創造主・果因説 」 

我とは何ぞや?「我即神也」である。

『私』が同一化すべきは神のみである。神の性質は神性である。神性は光明の言葉で表現される。「我即神也」は神の自己宣言である。自分が何者であるかの宣言である。神が自己宣言するのは神性を顕現するためである。それは現実世界の創造である。

 神とは創造主である。神は自己の世界を創造する存在である。「我即神也」とは『我は創造主の一部。自らの人生は自らが想像し、創造してゆく』と言う意味である。『我即神也の自分は本来、創造主、神の分霊であるから、自分の想うことは創造できるものである』(注1)。

 神の創造の手法は果因説である。
果因説の成就は『我即神也、本来神に欠けたるものなしという徹底した完全調和、完璧、完成、無限なる能力、創造性、可能性を信じることからワンステップが始まる』(注1)。
人間の現実世界の創造はカルマに基づくものである。カルマの世界では現実世界の改善を目指す。それはいつも、過去に基づき未来の改善を目指す営みである。
それとは違って、神の現実世界の創造には「既に成就している」という決まり事がある。果因説に拠る創造は、神界の様相を地に降ろす営みである。結果的に因果の世界は改善されてしまう。
しかし、それは過去からの延長線上にはない。むしろ現われてくる姿は未来からやって来たように見える。「我即神也」の『私』にとって、現実世界は改善されるのではない。現実世界はない(消えてゆく姿)のである。既に輝かしい世界が、「我即神也」の『もう一人の私』と共に「もう一つの人生、もう一つの世界」として厳然と存在しているのである。

 神の創造の特徴は、『自らの願望がすでに成就した状態から物事が始められ、考えられてゆく』。神は『すでに我は成就したという時の歓喜、感謝、無限なる幸せを想像し、そこに意識をこめることによって、自らに内在せる創造力がその願望を成就なさしめるのである』(注1)。
神人が学ぶべきはこの神の創造、果因説に拠る創造の手法である。これこそが神人の天命である。

 果因説に拠る創造の世界、神の創造の世界は『完全なるポジティブな世界、光の世界、神の世界、自由なる世界、一切欠けたるもののない世界、輝かしい世界、至福の世界』(注1)である。この神人による至福の世界の創造によって世界人類の平和が成就するのである。

 もう既に、『私』は神なのである。『私』の人生は輝かしい人生である。『私』の世界は平和で豊かで調和しているのである。私も、私の人生も、私の世界も喜びに満ち溢れている。幸せに満ち満ちている。どこを見ても至福しかない。この宇宙神が創造し給いし完全平和な世界を歓喜、感謝、幸せの気持ちで意識を込めて想像してゆく。この想像は、内なる神の創造力によって必ず成就する。

 「自分の世界は自分で創った」という教えがある。それは不幸・理不尽の原因を決して他に求めてはいけないということである。かといって、自分を責めてはいけない。過去の自分のいたらなさ、不完全さ、思い違い、失敗、強欲、、、、、、何一つ分析して、ほじくり返すことはない。そのような事実とは関係なく、『私』は神なのである。
神なる『私』は自由自在に何でも赦すことができるし、何でも創造することができる。
『私』はそのような過去の分析によらず、果因説を駆使して自分の輝かしい人生を創造することができる。「何でいつもこうなのか?何所でどう間違ってこうなったのか?」と考える必要もない。
現状がどうであれ、『私』は神そのもの。『私』は自由に自分の人生をデザインし、現実化することができる。

世界の情勢も社会の情勢も関係ない。それらは過去の人類の創造の結果である。
神なる『私』は世の中とは関係なく、神の世界・自分の本住の世界を想像し、それを創造する。
『私』の想像を限定するものはなく、『私』の創造を制限するものはない。
『私』は歓びに満たされながら自分の世界を創造する。歓びに満ちた世界を。

注1 2008-9  白光誌



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「創造」

五井先生は私達に意のままに自由に創造し、かつ全体が調和し平和な世界を創造することを望んでこられた。私達一人一人が神として、神の姿を顕わしてゆくことを望んでこられた。この一人一人が天命を完うすることが世界平和実現なのである。

 我々が肉体人間として生きる、つまり自我に生きる限り、カルマの人生がある。このカルマの人生をスイッチオフにしながら、神性顕現の人生のスイッチをオンにする方法が白光の教えなのである。現象から『私』を切り離す「消えてゆく姿」と、『私』を神と重ね合わせる印・統一・呼吸法を兼ね備えたのが白光の教えなのである。
 過去における現実世界の創造は芳しくなかったかもしれない。だが、『今』つまり果因説における現実世界の創造は2010年から本格的に始まったのである。それは、『否定的な言葉を光に変容させる神事』と「チャクラが開いたこと」によって本格化したのである。

 21世紀、人類は創造者の立場に立ち帰る。そして、その現実世界を創造する楽しみに夢中になる。現実世界の消えてゆく姿に苦悩してきた人類が、現実世界の創造に夢中になるのである。
人間世界の創造は、自己意識の軌道修正を意味するため、想像→創造に時間の経過が必要になる。
しかし、神性顕現の創造は、神の創造であるから、想像→創造に時間がかからない。
少しでも自分が自分の現実を創造していることが分り出すと、しめたものだ。そうなるためには、「我即神也」と果因説を正しく理解することだ。その一番簡単な実践法が神語を唱えることである。

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  <神語>>>>
  宇宙神が備えられた出来事、出会い、能力は推し量ることはできません。
  それらは既に神界の様相として成就しております。
  『私』が、今日創造し、体験することは全く新しい事々です。
  過去のカルマのことは思い出されることはありません。
  『私』は神界の様相を体験するのです。

  今日、『私』に起こること、生ずること、現われることは
  すべて善きことのみ
  素晴らしきことのみ
  輝かしきことのみ
  幸せなことのみ
  それが神界にて約束されている(注1)

  今日、『私』が起こすこと、現わすことは
  すべて善きことのみ
  素晴らしきことのみ
  輝かしきことのみ
  幸せなことのみ
  『私』はそれを宇宙神と約束いたします

  今日、『私』は今までにない善き人生を体験します
  『私』は今までにない素晴らしき豊かさを体験します
  『私』は今までにない輝かしき健康を体験します
  『私』は今までにない幸せな出会いを体験します
  成就


注1  インフィニットワーズ73 2006-1
mixiピタゴラスさん から掲載
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by mppoe-light | 2010-10-04 22:43 | ピタゴラスさん啓示録から

写真・長崎wppc

             
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                   世界人類が平和でありますように


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                             世界人類が平和でありますように
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by mppoe-light | 2010-10-01 21:44 | 真理について思ったこと