自分を褒め、讃えること☆

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自分を赦し自分を愛することを学んだのだから・・・

自分を褒める、讃える

私の中にすべてがある、だからすべては私次第。
すべては「私」から始まっていく。
おめでとう「私」! 
それが素晴らしい♪

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『神語を語るのは神 』

チャクラの開いたことは素晴らしい。
我々はそのチャクラの開いた状態をこれから体験して行く。
「自分が語る言葉は神の言葉」。

これから我々の語る言葉は神が語る。我即神也の私が語る。神の私が語る。
愛深い私、すべてを赦せる私、光り輝く私が語る。

その私が語った言葉こそが未来を創造する。
これは、やっている内にわかる。

先ず、自分を褒めよう。
自分を褒めれば、褒めたようになる。
そして、人を褒めるよう。
人も褒めれば、褒めたようになる。

「私は神の言葉を語る」と思えば、神の語る言葉が無意識に出てくる。
そこには愛の言葉しかない。光の言葉しかない。相手を励ます言葉しかない。
相手の存在を褒め称える言葉しかない。
調和の言葉、喜びの言葉、健康の言葉しかない。

神が語る言葉は、相手を幸せにする言葉ばかり。
だから、自分が幸せになる。
相手も幸せになる。

今日から、私が語る言葉は我即神也が語る言葉。
そして、相手は人類即神也。
相手の神性を見て語りかけよう。
自分の周囲が平和にキラキラ輝き始める。
心が平和で満たされる。

自分は光そのもの。神そのものの存在。
神として、自分が語った言葉は、すべてチャクラを通して現実に現われる。
キラキラキラキラと、自分の人生に現われてくる。
そうやって、世界平和を築きあげて行こう。
(2010/02/07法話より編集、ほとんど西園寺会長の言葉通りです。白光誌2010-6)

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『自分自身を褒め称えよう、
褒め称えた通りの自分になるからだ 』

『この三種の神宝(消えてゆく姿で世界平和の祈り、我即神也・人類即神也の宣言文と印、宇宙神マンダラ)はいずれも自らを神のように讃美し、崇敬できるようになるための、究極の実践方法である』(注1)と言われるように、大生命賛歌は究極の目的である。
神の言葉、『生命の言葉は叡智そのものであり、自らの存在そのものを賛美するのである』(注2)。

『我即神也、我即生命也、我即真理也、我即愛也、我即光也、、、』と言う神語の宣言は、神の自己宣言である。生命の(自己)宣言である。五井先生は『祈りとは生命の宣言』と言われたのは、このことである。
神の自己宣言は誰がしようと、神の創造活動である。空即是色の行為である。神語を宣言する人を見ても、神とは異なる肉体人間が語っているように見えるだろう。しかし、そこで語っているのは神なのである。
「我即神也、我即生命也、、、、」と宣言した瞬間、そこにいるのは神なのである。神が自己宣言することによって、現実世界を創造しているのである。神の自己宣言は自己讃美である。自己愛である。神は自分を尊敬し、称えるのである。
『「我即神也」の真髄は、まさにみずからの尊厳性を敬い、自らの生命を大切に扱い、自らを愛し、慈しみ、赦し、感謝しつづけてゆくところにある。お互いの神性を称え合い、喜び合い、生かし合ってこそ、真の平和で幸せな世界が創造されてゆくのである』(注3)。

自己讃美の神語  
  生命は偉大なる力だ。生命は完璧だ。
  生命は大調和だ。生命は永遠だ
  生命こそ人間そのものだ。神そのものである。
  生命即真理そのものである。
  真理は自分そのものだ。尊くも勿体なくも、わが生命は真理そのも  のだ。
  わが生命は光り輝く神そのものだ。
  わが生命こそ神そのものであり、わが生命こそ真理そのものであ   る。
  私はわが生命を褒めたたえる。わが生命を絶賛する。
  かくも美しく、気高く、神秘に溢れているわが生命を。
  ゆえに、私が立つところはどこであれ、すべて神聖なる場なのだ。
  尊き場となるのだ。
  自分の中の神に気づいた者から救われてゆく。
  自らの心を完全に自由ならしめてゆく。
  いかなることも完璧に見事に整えられてゆく。それは当然だ。
  究極の真髄に自らが至ったからだ。無限なる幸せを手にしたからで  ある。(注4)
注1  2005-6  注2  2003-3注3  2004-2  注4  1999-11 
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『永遠のテーマ から』

今、私の内にはいつまでも若く、いつまでも美しい神の体がある。
私の細胞はすべて、健康で美しい。
私の細胞はすべて、完全である。
私はすべての細胞に深く感謝します。
すべての細胞さん、有難うございます。

私の心は宇宙神の光そのままである。
私の心は愛に満ち、慈しみに溢れている。
神の愛と慈しみは、すべての細胞に沁みこんで行く。
細胞は神の光に包まれる。
細胞の生命力は神の力そのものである。
神の力はすべてである。万能である。完全である。
私の細胞も体もこの神の力に生かされている。
細胞も体も喜びに満たされる。
細胞も体も光に満たされる。

私が細胞を通し、体を通し顕わすのは神性そのものである。神性のみである。
私は細胞を通し、体を通し印によって、神の光を人類に放射する。
私は完璧な体を通し、この世に完全平和を成就する。
私の体はいつまでも若く、いつまでも美しい神の体である。
成就。

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ピタゴラスさん

神の自己宣言は誰がしようと、神の創造活動である。空即是色の行為である。

神が自己宣言することによって、現実世界を創造しているのである。神の自己宣言は自己讃美である。自己愛である。神は自分を尊敬し、称えるのである。

なんだか泣けてくる言葉だなぁ・・・
広大な宇宙のイメージが広がります。 宇宙は祝福と賛美で満ち溢れているんだ と思うと、
泣けてきます。。。。 

 「私」は、
意識を通して本心とつながり、 形のない神さまを形にしていく表現者・・・、と言うことで、
もっとド根性で、意識を高め上げねば・・・
リハビリは休まず続けることが大事、
古い自分、過去の自分に負けてはなりません。。。流されはいけません。。。。

めげず、凹まず、たとえカメの歩みでも、一歩は一歩。
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by mppoe-light | 2010-07-30 21:32 | ピタゴラスさん啓示録から

完成ピースカード♪広島へ☆

http://mppoe.exblog.jp/14601224/

で、紹介しておりました ピースグッズのしおり 約130枚完成しました♪

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一枚一枚、ラミネートにはさんで リボンを。

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裏は、手書きで一枚一枚、 「世界人類が平和でありますように」と書いてあります。

お祈りとは繋がっていない方々、130人の方に一枚ずつ書いてもらいました。(●^o^●)
c0074000_21132332.gifみなさん、ありがとうございます♪ 
これを機会に祈りにつながることを祈りつつ・・・
完成したピースカードは 広島wppcへ。



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祈りの会に持っていって、KさんやOさんにも見てもらいました。
こうやって並べると、、、キレイな仕上がり♪ 満足です!
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※ ぶたの貯金箱(奉謝箱)の代わりに 今はネコの貯金箱になっています☆
(祈りの会の時に、私が壊してしまいまして・・・(^_^;)


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 なべぶた・・・・・
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by mppoe-light | 2010-07-27 21:28 | どってことない話☆

あ、エビフライ・・・・

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暑いです。とても暑いです。ものすごく暑いです。

天気予報は、毎日のように猛暑日だったことを伝えてくれます。
温度を色分け分布した日本列島図は、青い北海道以外は
みなオレンジ色に。
その北海道以外は熱々オレンジの日本列島を見ていたら・・・・

あっ、エビフライ........

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TV画面の温度色分けの地図を見ながら、エビフライを想像するワタシ・・・
(青い北海道が尾)


発想が小学生なみかな~・・・(汗
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広島wppcで使うピースグッズのしおり、完成間近♪
いろんな方に、「世界人類が平和でありますように」と手書きをして頂きました。
完成したらまた写真を載せようと思います。(●^o^●)
広島wppc 、毎年真夏の暑さの中行なわれています。
ありがとうございます☆

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by mppoe-light | 2010-07-24 21:46 | どってことない話☆

尊敬すること

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「嘘偽りの評価から抜け出し、本心と調和する」

なぜ人に自分の存在価値を認めてもらいたいのですか?
それは、自分を自分で尊敬できないからです。自分が自分の存在そのものを尊いものとは思えないからです。  自分で自分を信じられないからです。

自分の苦悩は、自分自身を尊敬できないところから生まれています。

自分が本当に幸せで、自分の存在を尊いものと思えたならば、相手がどういう立場であろうと、相手の生命を尊重するものなのです。
白光誌から

で、この本心と調和・・・という言葉が気になっていて・・・
自分の本心と調和を計る・・ バランスよく合う・・・こと。具体的には・・・・?


我即神也 人類即神也 を認識し、その意識を維持して、
愛と真と赦しの言行をすることで、
それがまた果因律により
我即・・・の認識はさらに深まって・・・

わおぉ・・・っ
いままで教えてもらった数々の行、(その積み重ねは)すごい☆

凡夫にこのようなすごい内容の行を、ここまで易しく順序良く教え導いてもらい・・・
五井先生の愛に、じーんとする私です・・・・・・( ノ_・。) 五井先生ありがとうございます。


私は、神だから神性で純粋で欲がなく崇高であり、
神だから高貴で光り輝き偉大である


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by mppoe-light | 2010-07-22 19:05 | 真理について思ったこと

写真☆デザート♪

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                                梅雨明け・・・・・

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                                 パフェ☆ 

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                                 クレープ☆

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               呉服屋さんに行った時、サービスで薄茶と和菓子が出ました。 
                      可愛かったので撮影しました☆


いつもコーヒーをサービスして頂いてるので、スタッフの方にお中元の和菓子(白餡をはさんだチョコケーキ)を持っていったら、デザートの時にお皿に盛り付けてくれました。
お中元といっても たらい回しだったのだけどー・・・・(^^;) ううぅ。
                    
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by mppoe-light | 2010-07-17 19:40 | どってことない話☆

「即」、認めた瞬間・・・

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『瞬間』の真理

 『神人たる者は、自らを神であると認めた瞬間、神のような創造者に立ち返るのである。』(2001-3)
『自らが自らを神と認めた瞬間、神と成るのです。』(白光1999-4)
『本来、祈った瞬間もうそれは成就されていると知ることです。なぜならば本来、人間の願いはすべて成就されているものだからです。』(1999-6)
『この印を組んでいる瞬間こそ、現象界より抜け出し、神の大いなる平安と祝福の中におり、宇宙神の光を今生に降ろしているのです。』(1996-7)

 因果説によると、何かを成就するには長年の努力が必要になる。まして、神に成るには無限に近い努力が要求される。ところが、果因説の世界は違う。時間的経過とか努力の積み重ねるプロセスや、艱難辛苦のプロセスは必ずしも必要ではない。ただし、果因説を体得するまでのリハビリ期間は必要である。

 言霊で宣言する、印を組むと言うことは既に神の創造活動なのである。それは空即是色の行為なのである。それは因縁因果の人生を手放して、本来因果を呼び込む全託の行為である。つまり、祈り印を組む者は果因説に徹することである。

 「まだまだ修行が足りない」などと言う言葉は果因説にはない。修行の足りない自分とは別に『厳然と存在する』、尊敬に値する神そのものの自分を認めるのである。そこから、毎瞬スタートするのである。「まだまだ」ではい、「もう既に」自分は神そのものなのである。自分は「そもそも」神そのものなのである。

 21世紀、「まだまだ修行が足りない」という言葉は謙虚さの表れではない。先ず初めに、現象の姿はともかく、自分自身のことを『我即神也』と認めるのである。自分自身を敬い、尊び、礼賛するのである。そして、法則によってその通り、敬うべき神の姿を顕現して行くのである(注1)。
何故、冒頭に見たように、西園寺会長は『瞬間の真理』を繰り返し説かれたのか。
『瞬間の真理』はすべて果因説なのである。我々が真理の世界に入り、真理の世界を現象界に呼び込むのに必要なのは、自己意識を変えさえすればいいのである。完全平和、調和、幸せ、健康、繁栄も既に確立されているのである。『厳然として存在する自分自身の本心』はすでに神そのものであって、平和、調和、幸せ、健康、繁栄を成就しているのである。必要なのはこの真理を追認することだけである。追認できない古い思考回路が邪魔をしているだけである。浄めなければならない悪因縁が邪魔をしているわけではない。果因説の思考回路に慣れないだけである。誰であろうが、自分を神と認めた瞬間、因縁因果を超えて、その人は神なのである。

注1 『人類はみな自分自身のことを
    敬い 尊び 礼賛する心をもって扱うならば
    自らは自らが礼賛した通りのものとなる
    
    自らを敬い 尊び 礼賛するところに
    癒しの力は無限大に働く』       
白光誌2000-3インフィニット・ワーズ

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果因説を体得するまでのリハビリ期間は必要である。
c0074000_22222510.gif絶賛リハビリ進行中☆時々迷うけど。。。うぅう・・・

言霊で宣言する、印を組むと言うことは既に神の創造活動なのである。それは空即是色の行為なのである。それは因縁因果の人生を手放して、本来因果を呼び込む全託の行為である。つまり、祈り印を組む者は果因説に徹することである。
全託。
結果はあとからついてくる。必ず良くなる・・・と、決まっている。
なぜなら我即神也だから。
余計なことをごちゃごちゃ思わず、本心の創造活動にエネルギーを注がねば・・・。

浄めなければならない悪因縁が邪魔をしているわけではない。果因説の思考回路に慣れないだけである。

悪因縁と神性は全く別の世界。 同じ場に感じるのは、「私」という意識が双方につながっているから。
(行ったり来たりするから)
別の世界だから「瞬間」の真理が成り立つ・・・ そうだ、そうだ、そうだった・・・☆

『厳然と存在する』、尊敬に値する神そのものの自分を認めるのである。そこから、毎瞬スタートするのである。「まだまだ」ではない、「もう既に」自分は神そのものなのである。自分は「そもそも」神そのものなのである。
自分の意識、認識が世界を創造するのだから、自分自身が自分を神と認めないと
何も(神性顕現が)始まらない。



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by mppoe-light | 2010-07-15 22:32 | ピタゴラスさん啓示録から

心の焦点を合わせる

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祈りと『我即神也』の真髄

 自分の人間たる現象の姿を見て、それを批判、非難し、評価を下す。そして、その人間の姿を再創造してゆく生き方。それをカルマの道と言う。
現象を見ても、それを消えてゆく姿と観る。現象を越えて、厳然として存在する神の姿を言葉にして、自分を賛美し、自分を尊敬してゆく。そして、その神の姿を顕現してゆく生き方。それを果因説の道、天命の道と言う。

 ①自分をカルマに道から解放し、②果因説の道を極め、③人類全体をもその方向に向かうよう駆り立ててゆく。それが祈りの働きである。祈りには、このように3種類の働き・エネルギーがある。
 この3種のエネルギーを詳しく見てみよう。
①自分を現象から分離させるエネルギーである。赦しのエネルギーである。
②自分を神の姿に重ねるエネルギー。愛のエネルギーである。
③自分の信念を人類に伝える人類愛のエネルギーである。自分自身を赦し、愛したように、人類をも同様に赦し、愛するのである。

 神人は歯を食いしばって、『消えてゆく姿』を行じることもある。しかし、それと平行して、自分を賛美し、尊敬してゆくのである。『厳然として存在する神の姿』に心の焦点を合わせてゆくのである。
 
祈りの本質は自己認識である。自己認識は自己創造である。人間は認識した通りの姿を、現象界に顕わしてゆく存在である。自己認識は必然的に人類全体をどのように認識するのかと言うことと同じである。
自己認識は現象界を基に自己を認識するのか、さもなくば、現象の変化には関わらない本心=神を基に自己を認識するのかである。
祈りの自己認識は後者である。

この厳然と存在する本心の姿を現象界に顕現することが祈りの目的である。
祈りは、本心サイドから言うと、言葉による自己宣言である。自己讃美である。現象界を創造するとき、本心は自己の顕わすべき要素を一つ一つ言葉にして、具体的に表現する。現象界を創造するとき、本心は自己の素晴らしさを一つ一つ言葉にして、自己を賛美する。この本心の仕事をすることが祈りである。
 
この本心と現象界の自己がつながるのは『私』と言う意識である。『私』がいかにカルマにまみれていたとしても、『私』は「我即神也」と宣言した瞬間、本心そのものなのである。本心が現実創造に使う言葉には、例えば「世界人類即平和也、我即愛也、我即光也、我即真理也、我即叡智也、我即健康也、我即繁栄也」がある。それは神語である。それを『私』が、あたかも本心そのものであるかのように宣言するのである。その瞬間、『私』は本心そのものなのである。その瞬間、本心の創造活動が始まっているのである。そのため、祈りは必ず成就する。
 何度も言うように、『私』については常識も科学も通用しない。ここで「瞬間」と言ったのは『即』と言うことである。『我即神也』とはこう言うことなのである。

 『私は愛深く、慈しみに溢れている。
  私はすべてを赦すことができる。わたしはすべてを創造することが  できる。
  私は神聖で純粋で欲がなく崇高である。
  私は高貴に光り輝き、偉大である。』

 今日も神語を自分に人に語りかけてゆくのである。

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神人は歯を食いしばって、『消えてゆく姿』を行じることもある。しかし、それと平行して、自分を賛美し、尊敬してゆくのである。『厳然として存在する神の姿』に心の焦点を合わせてゆくのである。

『厳然として存在する神の姿』に心の焦点が合わないでいると、消えてゆく姿のどっぷり浸かって流され・・・
「こ、こんなことではいかん!」と
歯を食いしばって想いを光の方へ我即神也へ修正していく・・・
 だから、神を基に自己を認識する習慣をつけておけば、毎度の消えてゆく姿にどっぷり流されなくてもいいわけで・・・ そして、
それだけではなく、今は果因説であって、
『私』が、あたかも本心そのものであるかのように宣言するのである。その瞬間、『私』は本心そのものなのである。その瞬間、本心の創造活動が始まっているのである。そのため、祈りは必ず成就する。

こ、心強い・・・。。。。 そう、今は果因説でした! 
消えてゆく姿を気にしすぎて、果因説のことを疎かにしてました。 いつの間にか過去にこだわってた、
しまったぁ、過去に余計なエネルギーを注いでいたよ~(もったいないことした~!)
本心の創造活動にエネルギーを注がねば・・・。

印を組むとき自分にこんな風に問いかけることがあります。
「私は何者なんだ?」  そして
「私は神である、人類も神である」 と思いながらやっています・・・☆
「我即神也 人類即神也」でもいいんだけど、 「私は・・・」の方が好きなので そうしております♪
自己認識は現象界を基に自己を認識するのか、さもなくば、現象の変化には関わらない本心=神を基に自己を認識するのかである。
祈りの自己認識は後者である。


自分を賛美し、尊敬してゆくのである。
今日も神語を自分に人に語りかけてゆくのである


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by mppoe-light | 2010-07-13 22:16 | ピタゴラスさん啓示録から

写真☆富士

4日、早朝の富士 送ってもらった写真♪

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駐車場から?撮影したのかな。
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by mppoe-light | 2010-07-09 19:16 | どってことない話☆

心についての問答・・・から


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「阿難よ、その答えも真実ではない。覚知する心と分別する心とは一つのものではない。
覚知する心とは本心であり、分別したり認識したりする心は因縁性の想念である。

直覚し、知覚するのは無死無生の心、空の底(てい)にある無限の心と等しき心、仏と一つの心であり、眼で見、耳で聞き、想いで分別し、認識しようとする心、善悪を判断しようとする心等々は、すべて仏の心、自然の心に相反する業因縁の想念の心である」




「申し訳ないのは、おまえの本心に対してである。おまえは常に如来と相対する時は、どういう心でいるのか?」

「如来に対します阿難は、勿論、本心の阿難でござります。業は如来に相対することは出来ません。」

「それでは、常に如来とともにいる心、如来と相対する心でいられれば、阿難は、本心そのままでいられるわけであるな?」

「左様かと存じます」

「では再びいうが、昨日迄の出来事は、すべておまえの無明のなせるわざ。
業の一つの集積が表面に愛欲行となって現われ、そして如来の光明によって消え去っていっただけである。
けっしておまえの本心が傷ついたわけでもなければ、おまえ自体が駄目であったというわけでもない。

おまえの本心は、依然汚れず痛まず、真玉の如く輝きわたっているのである。
おまえはその真理を知って、今日消え去った業を追いかけてはならぬ。再びその業を想い起こしてはならぬ。
想い起こせば、その想念がそのまま無明となり、またおまえの意識を曇らせてゆくであろう。もしそうした時には、強く如来を慕い、如来とともなる自己の本心に呼びかけねばならぬ。」

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「愛すること」から 小説阿難の中の一節


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ちょうどこの部分を読んだからでしょうか・・・
この頃、心に引っかかっていたジャマなモノが放れつつあります、 ほっ・・・
この気持ちを忘れないように、日記に載せることに☆


自分を赦し人を赦す、消えてゆく姿は深いなー というか、、、
ちゃんとやってるつもりなのに、いつの間にか業想念の中だけで消えてゆく姿をしようとしている。

う~まだまだ修練が足りんな~ぁ 
本心とすぐ向き合えるようにこれからも頑張らねば・・・。
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我即神也
私は光り輝くもの。
愛そのもの、叡智そのもの、真理そのもの! 
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by mppoe-light | 2010-07-06 22:19 | 真理について思ったこと