「愛すること」

27日の日記に 「自分は神なのだから、愛することができるんだから」と書きましたら、
 五井先生の 「愛すること」 が読みたくなりました。
そこで 「愛すること」についての勉強をすることになりました☆
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神の子の自分を愛する

ですから私どもが人間と申しますときには、本来性の神の分生命としての人間を第一に思うのです。
そして、次に現われては消えてゆく姿である、因縁因果の波動である肉体人間を思うのであります。

そういう本質的な自分を愛することは、そのまま他を愛する行為となり、他を愛する時に、その行為がそのまま自分を愛することになるのでありまして、真実に自分を愛することのできぬ人に、なんで他を愛することができるでしょうか。


自分を愛するということは、自己の生命が神より分かれたものであることを認識して、素直に正しく生かしきることにあります。 生命が素直に生きている状態というのは、精神に把われがなく、肉体が欲望に縛られることがなく、自由自在に生きていられる状態です。

真実自分を愛する人は、真理を生活に行じている人なのですから、自ずと本源において一つであるべき他の
生命をも愛し得る人なのです。

形を超え、方法を超えた愛の行為は世界平和の祈りなのです。
世界人類が平和でありますように、これは広い大きな愛の行為です。
私たちは常にこの祈りを根底にして愛の行為をしつづけているのです。


五井先生 「愛すること」 から
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どのような自分でも、相手でも、 本来の神の分生命としての人間
(我即神也・人類即神也)と観る事のできる真の眼力を持ち続けたいものです。

そのためには、しっかり真理を生活に行じる人にならないと・・・。ううぅ。。。
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自分を赦し、人を赦し、自分を愛し人を愛し、(我即神也・人類即神也)
愛と真と赦しの言行をなし続けてゆくとともに、(光明思想&神語・・・)
守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、
世界平和の祈りを祈り続けてゆけば (& 印、呼吸法 など)
個人も人類も真の救いを体得できるものである。
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あー、やっぱりここに戻るんだ、
”人間と真実の生き方” に。

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by mppoe-light | 2010-06-29 16:34 | 真理について思ったこと

広がってる”神性を・・・”の行

ピタゴラスさんが薦めている ”神性を認め合う行”
私共の祈りの会でも毎回行なっています。
気に入っています♪(●^o^●)v
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で、今日も祈りの会でして、その時知ったことなのですが。 

法友のいくちゃんの叔母さまは大阪に居られる会員さんです。
田中さんとも親しいので、かなり古い講師の方だと思います。
その叔母さまの祈りの集会でも、”神性を認め合う行”を行なっていると知ってビックリしました。

もしや・・・mixiをやってる人が集会におられて、
それで伝わったのかな・・・とも思ったのですが、

mixi で掲載される講話、法話を毎回 私がいくちゃんに添付して送り、
それを いくちゃんが大阪の叔母さまにファックスで送っていたのですから、
叔母さまの集会でmixiをされている方はおられない・・・
また、
”神性を認め合う行”は、いくちゃんは大阪には送っていません。

ということは・・・

c0074000_23442223.gifわーっっ  全国に広がりつつあるみたい

すごいなぁ~ピーさん☆

 ピーさんピーさん と私流のノリで書くの、慎んだほうがよいかなぁ。。。。なんちゃって☆
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by mppoe-light | 2010-06-29 00:01 | どってことない話☆

なるほど果因説

自分に神性があることは(我即神也)、自分自身の命があること、今ここに存在していることが、証明しています。
で、
自分の神性 我即神也 ってどんな感じなのか・・・・
 
心の中には何も葛藤もなく、愛と叡智でいっぱい。
自分を100%信頼していて、世界を100%信じて、100%楽しみ、喜び溢れる自分。
何一つ欠けるものない。

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私は神だから愛深い、神だから慈しみをもっている
神だからすべてを赦し、すべてを創造してゆくことが出来る。
そして神だから神聖で純粋で、欲がなく、崇高であり、
高貴で光り輝き、偉大である。


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先日、なにげーに、真に生きるためにどうすればいいかな・・・と考えていて・・
「もっと愛すればいいんだ。自分は神なのだから、愛することができるんだから。」 と思いました。

自分は神だから、神なのだから すべてを赦し愛してゆけるはずなのよね☆

なるほど、
果因説の効果とは、こういうことなのかー、と思いました。

私は神だから何を言われても傷つくことはない、 
私は神だから何を言われても相手を赦し愛することができる

自分をどう定義するかで自分の考え方や、言動が変わる

果因説の効果を少し感じたところです・・・☆
我即神也 人類即神也

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by mppoe-light | 2010-06-27 22:30 | 真理について思ったこと

6月号のお話を読んで☆

6月号のお話は2月の行事の時のご法話からでした。


”語る自分”を意識する

過去には何の力もない

過去の自分か?神の自分か?

我即神也の私は傷つかない

語った言葉が未来を創る


行事中のお話を文章にしてあるので読みやすい法話でしたが、
内容は今後、大切なことばかりで、
うぉ~。。。ハードルが高いなぁ・・・なんて思いました。 (無限なる成功!)

過去は何の力もない
なのに、過去の感情がいつの間にか蘇っていて、自分の都合のよい先入観で”相手”を観てしまっています。

自分の中で、引っかかっている相手がいて、 その相手との過去の出来事での、
反応が先入観になり、そのまま 自分都合の色メガネで相手を見るものだから、
また同じような反応を繰り返してしまふ・・・。 (ややこしい・・・(;一_一)

過去から脱したい・・・!
先入観、思い込みを取っ払って、いつも白紙の心の状態で相手に向き合いたいな・・・
で、そのためには意識的に生きることが大事、ま、それは、分かってるんだけど、
イージーな方に、だら~と流れる 生温い自分・・・ 
もっと緊張感を持たねば! なんせ富士には一年に一度しか行かないから、
その分、緊張感足りないのかなー(だって仕方ないもん、それ以上行けないんだし。。。)
                        ↑やっぱり、生ぬるいことを言ってる・・・(;一_一)


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『あなたは神だから愛深い。神だから慈しみをもっている。神だからすべてを赦すことが出来る。神だからすべて自分の欲することを創造してゆくことが出来る。そして神だから神聖で、純粋で、欲がなく、崇高である。そして神だから高貴で光り輝き、偉大である。』

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『私は神!!私は光り輝いている神そのもの。
 私は光そのもの、真理そのもの、愛そのもの、叡智そのもの。
 私はすべてに充たされ、すべてに愛され、
 すべてに抱擁され、すべてに祝福され、
 燦然と光り輝く宇宙神と全く一つに融け合う。
 私は拘束なき、制限なき、誕生なき、死なき世界へと飛翔する。
 そこは栄光の世界、至福の世界、光明燦然と光り輝く世界。
 宇宙そのもの、空そのもの、光そのもの、宇宙神の世界。
 そこに私は在る。
 宇宙神の光、究極の真理は、地上にあまねく降り注ぐ。
 どんな自分であろうとも、いかなる自分であろうとも、
 本来、“我即神也、人類即神也”そのものである。
 (神人は、神そのものと同一化し、それを宣言し、語るからこそ、
 神人として光り輝き、すべてが充たされてゆくのである)』。
   白光誌2003-9
  

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繰り返していけば、

私は神だから、愛深い、すべてを赦すことができる、創造することができる、
そして神だから神聖で、純粋で、崇高で偉大である・・・
私は、拘束なき、制限なき、誕生なき、死なき世界へと飛翔する。
そこは栄光の世界、至福の世界、光明燦然と光輝く世界。


言葉が浮かび、自分を無意識の反応から引っ張り出してくれる・・・と言う事で、、、

やはり続けねば・・・と思う私です。 目指せ白紙の心!!!
(もちろん、祈りも印も呼吸法も♪)
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by mppoe-light | 2010-06-20 14:09 | 真理について思ったこと

聖なる変貌の山・・・他

もともと宗教的なものが苦手なので、啓示録の中のイエスの言葉の部分は きちんと読んでいませんでした、だから、このブログにも載せてないはず・・・・・
昨日、
自分の認識がぶれてるような気がして、 またパラパラと目を通して読んでおりました。
で、この部分、面白いなーと思いまして、 載せることにしました☆


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聖なる変貌の山

『イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
すると見よ、モーセとエリアが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。』(注1)



『高い山に登る』とは『自己意識軸上の上昇』である。それは「次元上昇」であり、「認識の変換」のことである。「認識の変換」とは自己を肉体として見るのではなく、「真の眼力で神性の自己を観ること」である。

核融合にエネルギーの放出が伴うように、自己意識の上昇もエネルギーの放出を伴う。
先ず、自己意識軸の上昇は自分の姿を変えてしまう。イエスの姿が変わったように、自己意識の上昇はパラレルワールドの上昇をもたらす。我即神也を極めれば、我即神也の意識に相応しい言葉・想念・行為、肉体・仕事・働きの姿を地に顕わすことが可能になる。

次に、その白光に輝いた姿には天命がある。その白光のエネルギーを放射する天命とは人類に『我即神也』の真理に目覚めるよう促す天命である。
白光のエネルギーは遍く人類に響き渡り、人類一人一人に『今、既にある真の自己、神性』を思い出させるのである。

自分を正しく神と観る人は、自分の姿に白光に輝く神を顕わすことができる。
自分を正しく神と観る人は、白光を人類に放射する天命がある。
白光を人類に放射する人は、人類を正しく神と観ることができる。
白光を人類に放射する人は、人類に正しく自分を神と観るように促す。

この理由で、『個人人類同時成道』と説かれたのである。

神の光、白光、愛の光は肉体組織、肉体細胞に直接働きかけるものではない。
白光は自分=肉体という意識から自分=神という意識に上昇させるエネルギーである。
「肉体なる自分がエネルギーを神からもらう」という観念が強いと、真のエネルギーの流れを妨げてしまうのである。肉体は光の経路ではあるが、自分=本心は白光の発信機そのものである。

「人類即神也」の印を組もうとするや、あなたは既に、白光・光明波動を人類に放射する神なのである。
あなたは肉体ではなく、霊妙な神なのである、光を発する者なのである。肉体にまつわる因果は、その瞬間、完全に消滅しているのである。
あなたは宇宙神から放射された光の束である。その神なるあなたが肉体を操って白光を人類に放射しているのである。
その白光のエネルギーは無限である、無限なる平和、無限なる繁栄、無限なる健康、、、を人類にもたらしてくれる聖なる力である。 素晴らしき哉。今日も「人類即神也」の印を組む神人。

2008/10/30
注1 マタイ伝17 ― 1,2,3

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こっちも心構えのためにいいな☆

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我即神也・人類即神也の印

印は、真の印であろうとなかろうと、直霊神(真我)が組むもの。
印は、「因縁因果の時間軸上にある今」の自分の波動調整や、自分の改善のための印ではない。印は、因縁因果の時間軸上の印ではない。印はゼロ次元の『今』の印である。ゼロ次元の『今』とは真我であり、印は真我の印である。印は永遠なる者の印である。

印を組むときは、『我即肉体也』という無意識を意識して否定する。
宇宙神から分かれたままの直霊神の自分、『我即神也』を強く宣言する。
真我は自己を宇宙神から分かれたままの直霊神と観ている。
意識を変える者は現象を変える。真我の印は現象世界を変えてしまう。
真我に相応しい言葉・想念・行為、肉体に変えてしまう。

印は『空即是色』の印(しるし)である。
印は『世の光り』である。印は神の光り、白光の放射である。
印を組む『私』は世の光りである。
「我即神也」を識る者は「人類即神也」を観る。
神の光は「人類即神也」の信念である。「人類即神也」の信念、神の光りは人類に伝わり、「我即神也」を思い出させる。
印は因縁因果の印ではない。肉体人間が神に進化する印ではない。
印は果因説の印である。神が肉体身に顕れる印である。
印を組む者が、現象界で誰であろうと、いかに不完全であろうと問題にならない。
印を組み始めるや否や、印を組む者は神である。神が肉体身を使って印を組むのである。
印は真理の顕現であり、癒しであり、神の慶びである。
印は癒しであり、赦しの印である。
印には神の審判はなく、神の祝福のみがある。
2008/11/02

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by mppoe-light | 2010-06-18 21:33 | ピタゴラスさん啓示録から

ピースグッズ♪

を作ることになりました。
8月広島に今年もいくちゃんが参加します。その時に持っていってもらいます♪

まだ見本ですが しおりです。 (いくちゃん作)
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裏はこんなふう・・・
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裏は、友達、知人に頼んで 一枚一枚お祈りを書いてもらいます、
それをラミネートで包んでリボンをつけて しおりに☆ 
いいアイデアだと思う! 

和紙で小さなお人形を折って、貼り付けても可愛いかも(●^o^●)
なので、千代紙のセットを買いました。  
クラフトパンチでサクラや蝶を型抜きし、貼り付けるのもいいと思う。
c0074000_2152561.gif わくわく♪ これから作るのが楽しみです。

で、これは プレゼントで私がもらった しおり ☆ センスいい♪
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by mppoe-light | 2010-06-16 22:04 | 真理について思ったこと

厳然と存在している・・・!


今回は、読みやすく判りやすく、 消えてゆく姿で世界平和の祈り から 
我即神也 (の認識、顕現)に至るまでを、まっすぐ解説してある・・・って感じ
ハートにストレートに届きました。
爽快感♪(●^o^●)♪
久しぶりに印刷して何度も読みました☆ 
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厳然たるもの

 肉体界だけでなく、幽界にも自己の想念がある。霊界にも自分自身が存在する。『神界には、神としての自己自身が厳然として存在している。』(「霊性の開発」)
 
 『本心はあなたの否定的想念および言動とは全く無縁です。本心は神そのもので厳然として侵しがたく、ただただ神の無限なる愛、エネルギー、パワー、赦しを発しつづけているだけです。』98-5 P.11

 『宇宙神と全く一つに結ばれている自己を見出します。それこそ本来の自己です。我即神也そのものの自分が厳然とそこに存在していたのです。  本来の自分とは、まぎれもなく自分の内部に厳然と存在しつづけている「我即神也」の自分であることに、気づくのです。』97-3 P.15-16

 『無限なる能力をどのようにして引き出してゆくのか。それは、自らの内に厳然として存在する神そのものを認めることによって、成り立つのです。』99-1 P.10
 『生きるとは。自らの内奥に厳然と存在する神意識「我即神也」へと目覚めてゆくことである』。2008-2 P12

 五井先生がよく言われたことは、「本心と業想念を区別する」ことであった。その方法は「消えてゆく姿で世界平和の祈り」であった。それは『本来の自己を認識し、今までの否定的、習慣的自己意識を徹底的に覆し、変えてゆく方法』(2001-7)であった。
 この自己認識=自己意識というものが宗教の本質なのである。この自己認識は一般科学、一般常識が通用しない領域なのである。科学でも未踏の領域なのである。ところが、この世界の特殊なロジックを理解できずに、常識論で宗教を理解しようとする。自分の常識で理解できない真理を改ざんする。そんな論法が一人歩きしがちなのである。

 肉体、幽体、霊体、神体にそれぞれ自分自身がいる。同時に様々な自分が存在しているということだ。自己意識にはこの多種多様な自分自身が、次から次へと写ってくる。自己意識は訳も分らず、写ってきた自分の姿を自分だと想いつづける。この無節操な自己意識に、「我即人間也」を手放すよう仕向けて、『我即神也』を思い出させるのが宗教の本質である。
 ところが、この「肉体人間観」を抜け出すには、一般的に多大な抵抗がある。習慣の想いを改革しようとすると、抵抗が生じる。視覚が訴える現象は、人間にとって強烈な事実に想えるからである。
このような抵抗する妄念を吹き飛ばすには、さらに強力な言葉が必要になる。それが「厳然として」という言葉である。
一人のはずの自分が、同時に何種類も存在している。しかも、今まで自分と想ってきた自分とは、似ても似つかない『神我』の自分だけが本物で、残りは幻影に過ぎない。幻影でない『神我』は「厳然として存在している」。これらの真理は深遠で、人間知では納得しずらいものである。

釈尊の「久遠実成の仏」は法華経のテーマであった。釈尊のことなら観念的に理解できる。しかし、自分の「久遠実成の神(仏)」となると、困惑が生じる。今まで、微かにも感じることのなった存在である。見たこともない存在である。ところが、西園寺会長は、その『神我』を、認めるよう要求しておられる。

生年月日、性別、国籍、本籍地、親類縁者、年齢、あらゆる経歴、癖、罪業、善徳、過去世。これらのパーソナリティそのものが「消えてゆく姿」である。残るもの、消えざるものは『神我』のみである。厳然と存在しているのは『神我』のみである。ところが、パーソナリティの自我を神我に近づけようとするから、宗教はアヘンのようになる。自我はいくら鍛えても、神我になることはないのである。この二つは、別世界にある別物なのである。自己意識が錯覚を起こしているから、真理が見えてこない。

 この『神我』を観念論でとどめることなく、現実世界に引き出すには何が必要なのか。自我と神我が対立するような関係になれば観念論の域を脱することはない。自己意識の世界に二元論はない。同時に様々な自分が並存していても、真実の自分は唯一つなのである。自我と神我は別世界のものである。『神我』に印を組ませ、呼吸をさせ、神語を語らせるのである。これが、別世界を呼び出す有効な方法である。これが、別世界のスイッチをオンにする方法である。

 『私は愛深く、慈しみに溢れている。私はすべてを赦し、すべてを創造することができる。私は神聖で、純粋で、欲がなく、崇高である。私は高貴に輝き偉大である。』
 神になったつもりで、このような神語を口にするのである。神になったつもりで、印を組むのである。神になったつもりで、呼吸法をするのである。この果因説は必ず成就する。この言霊は必ず成就する。神語によって真理を思い出すのである。

 人の言動が「厳然と存在するもう一人の自分」を忘れさせるのか。否である。自分がしっかり「厳然と存在する神我」を掴んでいないだけだ。自分がこの「厳然さ」を意識すればするほど、自分は現象界から解放される。さらに、現象界に「厳然たる神我」を顕現しようと言う気持ちが涌いてくる。


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肉体、幽体、霊体、神体にそれぞれ自分自身がいる。同時に様々な自分が存在しているということだ。自己意識にはこの多種多様な自分自身が、次から次へと写ってくる。自己意識は訳も分らず、写ってきた自分の姿を自分だと想いつづける。

肉体、幽体、霊体、神体、にそれぞれの自分がいる・・・ ということが今までピンとこなかったのだけど、「次から次へと写ってくる」 この言葉で、なるほど~ 
 
この無節操な自己意識に、「我即人間也」を手放すよう仕向けて、『我即神也』を思い出させるのが宗教の本質である。 
分かり易いな~ 嬉しい♪


この『神我』を観念論でとどめることなく、現実世界に引き出すには何が必要なのか。

『神我』に印を組ませ、呼吸をさせ、神語を語らせるのである。これが、別世界を呼び出す有効な方法である。これが、別世界のスイッチをオンにする方法である。
さらに、神になったつもりで行なう。 そうすれば

この果因説は必ず成就する。この言霊は必ず成就する。

自分がこの「厳然さ」を意識すればするほど、自分は現象界から解放される。さらに、現象界に「厳然たる神我」を顕現しようと言う気持ちが涌いてくる。
あとは、毎日繰り返すこと。
印を組む前に、車の中、お風呂の中で、部屋で一人で・・・難しいことではない。

私は神だから、すべての赦し、すべてを創造することができる。今も創造している。
私は神だから、神聖で純粋で、欲がなく、光り輝いている。

私は神が顕現できるかも・・・・そんな気持ちが涌いてきます おおぉ

私は光そのもの、真理そのもの、愛そのもの、叡智そのもの。
私はすべてに充たされ、すべてに愛され、すべてに抱擁され、すべてに祝福され、
燦然と光り輝く宇宙神とまったく一つに融けあう。


自分が充たされてるからこそ、人を赦し、愛せる・・・つまり人に与えることができる
今、そう思っています。

神界には、神としての自己自身が厳然と存在している
自らの内奥に厳然と存在する神意識

我即神也 人類即神也
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by mppoe-light | 2010-06-13 22:35 | ピタゴラスさん啓示録から

肉体への感謝+α


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思うに・・
肉体は、そのままなら完璧に働けるはずなのだけど、私の潜在意識が
曇っているため じゃまして、
完璧な状態を現すことが出来ないでいる。(無限なる光!)
そう考えると 時々、肉体に申し訳ないなー・・・なんて思います。

本心からの光を、真っ直ぐ純粋な状態で私が通していれば、
パーフェクトの肉体を現せるのに。
肉体さんは きっと残念に思ってるかもしれない・・?(^_^;)

ということで・・・・、

昌美先生の法話を読んで、
今まで言っていた 我即健康也 に、
「肉体を構成している60兆の細胞さんありがとうございます、
その中のすべてのDNAさんありがとうございます」 と
付け足すことにしよう。(●^o^●)v イエ~イ♪
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by mppoe-light | 2010-06-10 00:28 | どってことない話☆

それでも私は無限なる健康

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今日は、予約してあった診察日、医大に薬をもらいに行きました。ま、恒例のことなんですが・・・、
今の薬に出会ってやっと日常生活に支障なく生活できるようになり、
(祝!富士にも行けるようになった!)現在の医療には問題もあるものの、
私にとっては今の薬は有り難い♪
それまでの20年間は「生きること」 に正面から向き合うことが多かったので、
普通の人よりは、 自分の存在の意味を考えることが多かったかも・・・。 
でも、
まあ、どんな人も 人生にはいろいろなことが起こり、さまざまな体験をするもの。
みな、自分と向き合うように、不可のかかる人生設計がされてるのだから、同じかな。 
人間、ぬるま湯の中ではなかなか目覚めないから。(^_^;)
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で、こんな私ではございますが、
今、ためらいなく  「私は無限なる健康である 」と言えマス。

一年くらい前だったか、 私は無限なる健康でいいんだ と思うようになりました。
(それまでは思えなかったのですが・・・)
今の姿がたとえ病んで見えても、無限なる健康 なんです。
なぜなら私は 我即神也 だから。
そう思えたときは、ちょっと不思議でした。いつの間にこんな気持ちになったのだろう・・・と思いました。
そして、
順調に消えてゆく姿+果因説を体得しつつあるんだ・・・・と嬉しくなりました。

我即神也 我即愛也、我即真理也、我即光也
そして、我即健康也!
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by mppoe-light | 2010-06-08 22:09 | どってことない話☆

なんか癒されます・・・

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      なんでプールに・・・?


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              「遊ぼ!」

mixiコミュで拾った写真です♪
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by mppoe-light | 2010-06-01 21:50 | どってことない話☆