無限なる時間と消えてゆく時間

輝かしき時間の流れの中に一瞬、暗黒の時間が交差することによって過去の因縁は消えてゆく。横軸の時間が縦軸の時間に交差しようとも、それらは必ず消え去るのであるから、決してそのものを掴んではならない。  白光誌96年

すごい♪ こんな内容の法話があったなんて!
これをピタゴラスさんが、神性の視点から解説し、
神性の視点から人生をとらえることの重要性を書かれてたので転載しました☆

(●^o^●)ほくほく♪
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無限なる時間と消えてゆく時間

 『無限なる時間と消えてゆく時間』(白光誌1996-1)という法話がある。
この表題の意味は次のようになる。

 時間には垂直的な縦軸の時間と水平的な横軸の時間がある。縦は輝かしい無限なる時間であり、永遠にして、天と地を貫き通している真理そのもの、法則そのものである。人間は一生を通じて輝かしき時間によって満たされ、貫かれているのだという真理を知らなければならない。

 横は現象界の人、場所、時間、物、出来事から成るもので、一時的なもの、瞬間的なものであって、決して永遠なるものではない。
 輝かしき時間の流れの中に一瞬、暗黒の時間が交差することによって過去の因縁は消えてゆく。横軸の時間が縦軸の時間に交差しようとも、それらは必ず消え去るのであるから、決してそのものを掴んではならない。
 一瞬の時が過ぎ去れば、また再び縦軸の無限なる輝かしき時間が流れてゆく。人間の一生を貫いている時間は無限なる輝かしきものであるということを、心の中にぜひ刻みつけておかなければならない。

 
この文章は次のように言い換えることができる。
すべての人の人生の生地は我即神也の人生である。そこに、過去の因縁性の消えてゆく姿として、一時的に凡夫の姿が、人・場所・時間・物・出来事を通じて現われてくる。それは、「あくまで一時的なもの」であって、『人生とは輝かしきもの。人生とは無限なる幸せ。人生とは自分の思う通りに築き上げてゆくもの。人生とは永遠なるもの』(注1)である。

 西園寺会長の力強い光明思想のひびきが伝わってくる。しかし、大方の人は、横軸の人生が自分の人生であると信じ込んでいる。縦軸の人生は「あくまで彼岸」に見えるのである。多くの人にとっては、一時的な因縁因果の人生が続いているように見える。
 何故、そんなギャップが生じるのか。どうすればそのギャップを越えることができるのか。我々が心すべき問題はどこにあるのか。

横軸の現象界は三次元世界なのである。縦軸の実在界・神界は四次元世界なのである。三次元世界に別の次元を足せば四次元になるのではないことは重要である。三次元世界と四次元世界の交差するところは何か?自己意識としての『私』である。
『私』がどちらを向いているのか。『私』がどちらの姿を自分として認識しているのか。『私』がどちらの姿を自分として同一化しているのか。そこが問題なのである。そこが、光明思想家である西園寺会長と一般的人との違いである。

 一般の人の『私』は現象界と言う時間の流れの中で、親から生まれ、ままならぬ人生を過ごし、土に帰る自我のことを自分であると夢見ているのである。光明思想家の『私』は永遠の時間の中で、宇宙神から生まれ、自由自在な人生を完うし、神の生命として生きつづける神我のことを自分であると知っているのである。
 では、どうすればよいのか。いつものことながら、消えてゆく姿で世界平和の祈り。印と呼吸法と神語の言霊である。
『私は神だから、人生とは輝かしきもの。人生とは無限なる幸せ。人生とは自分の思う通りに築き上げてゆくもの。人生とは永遠なるものである』。この神語を唱えつづければいいのである。

 なるほど、「こういう人生であればいいな」と想う人は多い。しかし、「こうだ」と口にする人は少ない。「我即神也、我即愛也、我即真理也、我即光也、我即道也、我即生命也、、、」であるならば、「私の人生とは輝かしきもの。私の人生とは幸せそのもの。私の人生とは喜びに満ち溢れている」となる。神界の人と同じように、『私は欠けたるものなし、すべてが幸せ。私の目的は人類が平和で幸せになり、生きとし生けるものすべてと人類が大調和して、素晴らしい世界を築き上げていくことのみ』(注2)と口に出しつづけることが肝要である。
 
彼岸を彼岸として意識している内は、その彼岸は達成されない。チャクラが開いた人が、成就の姿を神語として語るとき、それは現実化し始める。
注1  1996-1
注2  2010-5 P.52 4月4日の法話



『私』がどちらを向いているのか。『私』がどちらの姿を自分として認識しているのか。『私』がどちらの姿を自分として同一化しているのか。そこが問題なのである。そこが、光明思想家である西園寺会長と一般的人との違いである。

今月の法話にもありました。
「過去の自分か? 神の自分か?」

私などは、実際に表現しているかは横に置いといて、心の中で自分は「神」、またはそのつながりを受け入れています。我即神也と言葉にすると、心が軽くなり幸せです。

日常生活では、頻繁に横の自分になります。横の自分の方が多い?(無限なる光!)
横の自分の中にすっかり入り込んで、否定的な感情に流されて凹みます。
そして、祈ったり印を組んでは 自分を取り戻しています。
それでも私は、我即神也 です。 まずはそれを受け入れることが大切と思うから。

ただ・・・最近、大反省しているのは・・・
語る自分を意識していない・・・ところです。
語る自分を我即神也と意識していないのです。 ちゃんと意識できれば、もっと立派になれるのに・・・・、否定的な感情に呑み込まれないのに・・・と思う。

「我即神也 我即愛也、我即真理也、我即光也 」
 と、繰り返すように、

「語る自分を意識する、語る自分を意識する、語る自分を意識する・・・」、
これも繰り返し言い聞かせて忘れないようにしたい・・・ うー。。。
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by mppoe-light | 2010-05-31 21:34 | ピタゴラスさん啓示録から

状況は中立、中はからっぽ☆

幸せがもともと自分の中にあるのなら、外側のどのような状況に置かれても、
自分は常に喜びと幸せでいられるはず・・・
言い換えれば、自分が目覚めてさえいれば、外側にどんなことがあっても
私は幸せで喜びいっぱいのはず。

では、そうなるためにはどうしたらいいのだろう?
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そのためには自分を立派に、高くしてゆくしかない・・・そして、
自分の意識が高くなれば、それに比例して外側の状況も高くなる、
次元上昇する、 そうなれば私は更に幸せになる・・・・
と、思いながら 長い間、祈り、印を組んできました。 

自分の外側で何か嫌なことがあると、
「自分の中の何を修正していけばいいのだろう、ここで何を学べばいいのだろう・・・」
と考えた時期もありました。
おかげで精神分析気味になり(笑) ちょっと疲れた時もあったけど・・(^_^;)、
でも疲れたおかげで?やっと消えてゆく姿の良さがわかってきたのだと思う☆☆☆
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現象(消えてゆく姿)とは、もともと過去の自分の想念が創り上げたものなのだから、
消えてゆく姿 を、自分に降りかかる否定的な出来事、状況
(つまり形・結果として)と捉えるよりも、自分の習慣になっている否定的想念(想いのくせ)として退ける・・・
と考えるべき。
そして、自分の想いの癖は、 分析して修正するのではなく、消えてゆくものである と知ること。
修正しようとして、精神分析していると疲れる(笑)・・・そんな必要はない。
 
もともと消えてゆく姿を創った自分は偽者の自分であって、本物の自分は本心であり、 
同じ「私」だけれど別のもの。

やっと“消えてゆく姿”の教えの深さを感じられるようになった・・・うれしいー☆

さらに、
昨年マイミクのピタゴラスさんの啓示録に出会い、消えてゆく姿についての、するどーい解説から学んで、自分の神性を信じる気持ちが深まりました。
あいまいだった果因説、祈り、印、呼吸法の働きを理解することで
それらを行うモチベーションがアップしました♪
いい時に啓示録に出会えた。(●^o^●) らっきー♪

c0074000_17353435.gif無限なる感謝 ☆ ピタゴラスさん即神也 


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Mixiの祈りの仲間のコミュニティに、昌美先生の 以前の(1998)講師向けの法話が公開されました。 
この日記に転載することは出来ませんが、その法話を読みながら・・・
バシャールの言葉をおもいだしました☆

バシャール① ② から

■すべての状況、すべての象徴というものは、本当は中立です。そして中はからっぽです。
それが あなたの目にどんなふうに映るとしても、ものの意味というのは関係ありません。あなたがそれに意味を与えています。あなた自身がこれを見たらこういうものだと信じろと言われてきたことを、自動的に受け入れているのです。

■まわりに見ているものが嫌だとしたら、自分の中で そういうものを信じているんだということが分かって、それを変えるチャンスが目に前にあるのです。

■加害者は、自分はパワーを持っているということを最も信じてない人です。
本当に自分のパワーを信じている人たちは、この考えを誰にも押し付ける必要がありません。

■それがどんな方法であれ、あなたの創造主との関係を学んでいる時、あなたは真実の道を歩んでいることになります。
道というものは、あなたが今通っているところではなくて、あなた自身だということを覚えておいてください。あなたの外で起こっている変化というものは、本当はあなたの意識の中で起こっている変化なのです。


■観念というのは、ちょうど現実の青写真のようなものです。
そして感情が青写真を活性化し、思考パターンが、その設計図に従って、現実に実現化します。ですから、観念が一番最初の概念です。

■感情の部分が、それらを実現化するためのほとんどのエネルギーをその中に含んでいます。
感情表現とは、自分が無限のものとつながっている、ということを知ることです。
そして自分自身でつくりあげた自分という存在を どの一部も抑圧することなく、
フルに表現することです。

■無意識のうちに、ただ反応として生きるのではなく、意識的に行動を起こしてください。

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by mppoe-light | 2010-05-30 17:57 | 真理について思ったこと

切り離す・切り離されない

はじめに、自己意識としての『私』についてc0074000_19153920.gif
ピタゴラスさんの啓示録の一番初めの部分から・・・
 
四次元世界とは、三次元世界に意識次元を付加したものである。
意識とは自己意識である。つまり「自分が自己を何である」と認識するかの意識が次元として意味を持つ。


4次元は3次元に意識を付け加えたもので、意識―「私」。

4次元は、この「私」という座標軸が加わったもの。
(見たことないから、それなりに想像するしかないけど・・・)

座標軸と言うからには上下します。
下は凡夫、上に上昇すれば神。 (五井先生の「神と人間」2,3図をイメージしつつ。)

三次元世界に四次元世界の意識次元を加えると、同じ三次元世界が幾通りにも変化する。それは、平面の二次元世界に縦の三次元世界を加えると、同じ平面座標が縦の座標によって幾通りにも変化するが如くである。

これは・・・
断層写真を撮るようなイメージをすればいいのかも。
MRIに入ると、体を輪切り状にカットしたような写真が出来上がる・・・そんな感じ?(ものすごく無理のある説明か(^_^;)

印は三次元の因縁因果の世界に意識次元の変換(上昇)を使って、
「我即神也」の世界を顕現させる科学である。
印を使うと、因縁因果の流れとは関係なく、「我即神也」という意識がその意識に相応しい現象を三次元世界に顕現させていく、この顕現も想念の法則を使って成就される。 それは果因説と言われる。(2008)


(今は呼吸法、神語を語る・・・も加わってさらにパワーアップ♪)
「自分が自己を何である」と認識する自己意識「私」が、消えてゆく姿の自分を掴んでいる時は凡夫、でも消えてゆく姿を手放した時には神に統一。
 そして、

因縁因果の流れとは関係なく、「我即神也」という意識がその意識に相応しい現象を三次元世界に顕現させていく


我即神也 人類即神也
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切り離す・切り離されない

 『自らを知るということは、自らの神性を自覚することである』。自らの神性を自覚することは、自らの神性を宣言することである。神性の宣言こそ、真の祈りであり、神語である。それは、現象界・過去から切り離された『私』の神性宣言である。生命の宣言である。

 自己意識としての『私』は現象界・過去と切り離してよい存在である。「現象と切り離してよい」とは「無条件の赦し」ということである。 『私』は『宇宙神と切り離されている存在では決してない』 。『私』は 『本来、宇宙神の大生命エネルギーそのもの』 である。『私』そのものは、『すでに宇宙神、宇宙の真理に貫かれている』。「宇宙神と切り離されない」とは「無条件の愛」ということである。

 現象と過去に『私』を結びつけるのは自我である。『私』が愚かなのではない。幼いわけでもない。ただ、無知なだけだ。眠気が取れないだけだ。思い込みが激しいだけだ。現象も過去もなければ、自我もパーソナリティーもない。パーソナリティーがなければ、『私』からは神性が溢れ出るだけだ。

 『私』が現象界や過去から切り離されるや、神の力が溢れ始める。そのとき、『私』のエネルギーは自由だ。エネルギーは渇望、感情、不安、自己を憐れむことから解放され、神性そのものとして溢れ出る。そのとき、『私』に残されたものは「神そのもの」しかない。

 『私』は三次元から解放され、四次元世界で「もう一人の自分、神我、真我」を思い出す。思い出すことが神我一体である。それは、特例的なことではなく、単に思い出すことである。それには、思い出すべき事象を口に唱えることが一番である。それが神語の祈りであり、印であり、呼吸法である。言霊・印・呼吸法があれば万全である。先ずは、現象界とは関係なく、自分ひとりの世界で、思い出すべきことを口にしながら「神の楼閣」を築くのである。これが現実世界の創造である。人生を築き上げることである。
内側の真理、つまり「我即神也、我即愛也、我即真理也、我即光也」という神意識によって、外側が整い、完璧になってゆくのである(注1)。これが果因説の順序である。外側を整えつつも、不完全な外側はさておき、先ずは、内側で真理そのものとなるのである。
 
「現象界・過去から切り離してよい」とは「一切空・色即是空」ということである。現象界・過去は自我が創ったものであるが、『私』とは別物である。『私』が現象界・過去から切り離されるや、『私』は宇宙神と切り離されることができない存在として蘇る。『私』は自分が神そのものであることを思い出し、現象界に神の姿を顕現するのである。そのために、『私』は神の印を組み、神語を語り、神の呼吸をするのである。

『 』の文章は白光誌2005-11
注1  白光誌1999-1P.17
 『内側の真理により、光により、高次元レベルの意識により、初めて外側の完璧性が成り立つのです。』

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by mppoe-light | 2010-05-28 19:40 | ピタゴラスさん啓示録から

「もう一つの世界」

もう一つの世界・別世界

一般の人は『私は神そのものだ』とはなかなか言えないものである。『神そのものだ』とまで行かないにせよ、自分自身を『神聖だ、偉大だ、崇高だ』と言うことは、「100年早い」「そんな資格はない」「そんなこと言ええた立場でない」「傲慢、偽善は許せない」と感じるのが一般的だ。
しかし、真理は『即』なのである。一人の例外もなく、『我即神也』なのである。
この『即』は、無条件に、時間的経過は不要、この世の立場には無関係に、現象世界とは関係なく、過去はないからと言う意味である。
真理を認めれば、即その真理の姿が溢れ出すのである。つまり因縁因果と「本来因果である果因説の神性顕現」は別世界なのである。
因縁因果を浄めない限り、神性顕現はないと考えるのは因果律の発想にすぎない。『前生の因縁と神人の顕現とは、これまた一切関係ないことです。因縁とは別に、自らを真理の光で輝かせることは出来るのである』(注1)。

現象の自分と切り離された「もう一人の自分」、つまり「神そのものの自分」「我即神也」を認めることである。真に自分を赦し、愛したとき、そこに因縁因果の自分はいない。因縁因果を浄めたのではない。真に自分を赦し、愛したとき、そこは別世界なのである。そこは因縁因果とは無関係な神我の世界なのである。何が別世界を呼び出すのか。意識である。自己意識である。自己意識が異次元世界を呼び出すのである。「もう一人の自分」がいれば、「もう一つの世界」があるのは当然である。

自分の本心を認め、愛し、讃えるのに積極的であれ。
自分の本心を認める人は、人類の本心を認め、愛し、讃えることが出来る。

一人一人が「もう一人の自分」に目覚めるとき、世界は「もう一つの世界」になる。
一人一人が「我即神也」を思い出すとき、世界人類は平和になる。

それでも、あなたは自分を神と讃えるのに躊躇するのか。
では、何度でも維摩詰のメッセージを伝えよう。
『我々、人類はすべて赦されている。
 我々、人類は宇宙神の創造の賜物であり、宇宙神そのものである。
 我々、人類一人一人は宇宙神にこよなく愛されている。
 その栄光を讃えよ。自分自身で讃えよ。お互いに讃えよ。
 そこに真理がある。』

 煩悩を抱えながら、前生の因縁を抱え込みながら、神の姿を顕わすところに真理がある。
煩悩を抱えずして、天下った御使いが、神の姿を顕わしたからといって、珍しいことではない。人類の見本となるのは、煩悩を断ぜずして涅槃を得る生き方である。
未だ外面的な現象が整わずして、自らを神と認める。そして、神性顕現を成就して行く。そのとき我々は人に、「吾は神を見た」と思わず思わせることができるのである。
人は、「自らを神と認める人」を神と見るのである。

「自らを神と認める人」は、他から神と認められるのである。
 人は、「自らを凡夫と認める人」を凡夫と見るのである。
「自らを凡夫と認める人」は、他から凡夫と認められるのである。
 外面的な現象とは別に、『自分自身を神として認識することからすべては始まる』(注1)のである。
注1  白光誌1997-10


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何が別世界を呼び出すのか。意識である。自己意識である。自己意識が異次元世界を呼び出すのである。「もう一人の自分」がいれば、「もう一つの世界」があるのは当然である。
どちらの「私」を選択しているか・・・・
慣れ親しんでしまった現象世界に呑まれ、消えてゆく姿の「私」を選んでいて・・・重かった・・・
そう、先ほどまで凹んでおりました。。(T T)うううぅ。

自己意識「私」がすっかり業想念の波の中を放浪してしまい行方不明?状態。
うー、ここから抜け出したい。。。
とにかく過去は「守護霊さま守護神さま、あとはよろしく。」って感じでお願いして、それから「私」探し。 
で、やっと“今の「私」”にたどり着きました。

なんか軽くなった。。。 良かった。。。(涙

自己意識は、業想念の波の中が好き、(過去世から慣れてるところだから仕方ないけど)
でももうそれは終わりにして、はやく家に(神性)に帰ろう。

私はすべてに充たされ、すべてに愛され、すべてに抱擁され、すべてに祝福されている

我即愛也 人類即愛也

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by mppoe-light | 2010-05-19 23:17 | ピタゴラスさん啓示録から

自分の神さまイメージ・・・

昌美先生は以前、”黄金の天使像のイメージを持ちなさい”といったお話をされたことがありました。
それとは別に、
以前から思っていたことなのですが、、、
自分の中には 自分が画く神さまイメージがあるようです。(漠然としたもので)
神とはこうあるべきだ、神とはこんな感じで、こんな風な表情でこんな話し方で、、、などなど・・

それって本当のイメージだろうか偽者だろうか・・・?
そんな先入観に左右されず、
我即神也は、もっと自由でいいのではないかな・・・と
昨日、SOPPの帰りに新幹線の中で そんなことを考えていました。

過去の自分の想いの中に、勝手に創り上げた神さまイメージがあって
それが自分を抑えてるような・・・
それがなければ、もっと自分が解放できるのかもしれない・・・?

あまりに呑気で甘い考え方、軽すぎるかなぁ・・(笑)

自分を抑えているものは恐れ、罪悪感、それが一番やっかい・・・
自分を解放するのが一番難しい。(;一_一)

だからコツコツと日々、祈り、印、呼吸法、神語 を続けるのでした。
それが最も良い道だから。

て・・・
あれこれ考えても、やっぱり振り出しに戻ってしまった(笑)


我即神也 我即愛也 我即真理也 我即光也 成就!

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昨日のSOPPで、昌美先生の講話CD1を買いました♪
「一瞬一瞬を意識的に生きる」 です。 
クリストファー・カレル氏の新しいCDメディテーションも♪♪(嬉しい!)

じっくり聞きたいと思います。
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by mppoe-light | 2010-05-17 14:38 | どってことない話☆

「もう一人の自分」 を信じること

「もう一人の自分」

自分自身についての信じたことはすべて現実化する。これは『空の約束事』であった。
何を信じようと『神なる自分』はすべてを思いのままに創造することができる。神に備わった無限なる創造力と自由、供給である。その力は生命の働きそのものである。

 そこで、何も確たる信念がなければどうなるのか。平々凡々たる人類の平均値の人生が現れてくるわけではない。余計な自我の信念が、全くなければ、人は神の姿を顕わすばかりなのである。これは本来因果であり、果因律であり『空即是色』である。絶対力、神力の世界である。

 しかし、自我をなくすのではない。自我と格闘し、自我を滅却することは自力の道である。この道は困難を極める。自我は無限なる創造力を利用し、『空の約束事』を利用して、自分は神ではないという信念を現実化させている。人類はその自己の信念を体験しながら、軌道修正をしているのである。人生の中では、「消えてゆく姿」も「神性顕現」も自分で起こさない限り、何も起こらない。自分で起こしたことを体験する。これも『空の約束事』だ。

では、いかにして、絶対力、神力が働く状況を顕わしてゆくのか。神性を顕現してゆくのか。それは「我即神也」の信念をもって、「我即神也」を思い出してゆくのである。「我即神也」に目覚めてゆくのである。気づいてゆくのである。自我の業を浄めるのではなく、『もう一人の自分』に焦点を合わせてゆくのである。我々が真理に基づき、自分が誰であるか、『もう一人の自分』が何であるかを宣言しつづけるとき、『空』の原理は「空即是色」として機能する。我々は「我即神也」の真理、神性を現実世界で体験するのである。
 
真理に基づく『もう一人の自分』は『神界に厳然として存在する神としての自分自身』 である。『自分の中にまぎれもなく厳然と存在しつづけている我即神也の自分』である。
この現象界の姿によって汚れもしない「自分の本質」には本来我、古代我、本心、本体、神我、真我、神意識、神バージョンの自分、直霊神、久遠実成の仏、生命と多くの異名が与えられている。五井先生は呼び名はともかく、「ひたすら本心を想い続けよ」と説かれていた。
 
「ひたすら本心を想い続ける」ことが祈りであり、言葉で宣言したものが神語である。祈りも、神語も肉体側が神霊のパワーを利用して、願望成就を遂げるものではない。祈りも、神語も『もう一人の自分』が、肉体を使って神性を現象世界に顕現するためのものである。肉体側は自分の感情想念とは関係なく、『もう一人の自分』が語りそうなことを、語ればいいのである。それは真の祈り、果因説の祈り、神語である。『もう一人の自分』がしそうな仕草をすればいいのである。それは印である。

 現象界を見る限り、「凡夫の自分」と「もう一人の自分」「本心」は別物に見える。しかし、意識の世界は四次元軸の世界であるから、「我」と「神性」を同一視してゆけば、その通りになるのである。それを現実世界で体験できるのである。
我即神也。我即愛也。我即真理也。我即光也。成就。

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余計な自我の信念が、全くなければ、人は神の姿を顕わすばかりなのである。これは本来因果であり、果因律であり『空即是色』である。絶対力、神力の世界である。
自己意識「私」は、そもそも神で、本来因果=果因律。 心強い。

「我即神也」の信念をもって、「我即神也」を思い出してゆくのである。「我即神也」に目覚めてゆくのである。気づいてゆくのである。自我の業を浄めるのではなく、『もう一人の自分』に焦点を合わせてゆくのである。

消えてゆく姿で世界平和の祈り  つまり業想念から本心へ祈りを通して意識を置き換える、
我即神也 「もう一人の自分」に意識の焦点を合わせる。
そしてそれが本来の自分 神の分御霊、「我即神也」であると信じる。

自分が「神」であると信じる、強く信じればそれだけ

『空』の原理は「空即是色」として機能する。我々は「我即神也」の真理、神性を現実世界で体験するのである。
のだと思います。

そのために、昌美先生は、「過去はない」、私たちは本来は「神」である、 と繰り返し説かれ、「我即神也」と信じる気持ち、信念を強くするために 私たちは、繰り返し祈り、印を組み、呼吸法を行い、神語を語り続けて、自分自身に何度も言い聞かせる。・・・。

自分を信じる、疑わない。

我即神也 我即愛也 我即真理也 我即光也
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by mppoe-light | 2010-05-14 22:04 | ピタゴラスさん啓示録から

私はSOPPで姪はGIFT

いよいよSOPP☆ 5月16日(日)富士聖地♪
今年は私独りで参加です。 昨年、大雨のSOPPに参加した姪は
(初めてのSOPPが嵐のSOPPになるとは・・・(^_^;)
今回は都内で18日に開催される「GIFT」 に出席することになりました。
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留学前で忙しそうだったけど、 都内での開催だから
行けるんじゃないかなーと声をかけたところ、
「行くっ、行きたい!」と、のりのり。
さっそく本部にメールをしてチケットを手配しました。
夜は予定が入ったようで、学校を休んで昼の部に行くことになりました。

「楽しみ♪」と言って喜んでいたけど・・・
留学までに卒業単位を取れるだけ取りたいと言って、
毎日びっしり授業を受けてるようで、
その授業を休んでまで行くとは・・・ いったい彼女の何がそうさせるんだろ???

昨年、富士聖地には感動していたけど、
五井先生、昌美先生の著書を読んではいないし、 
何処から見ても、今風の普通の女子大生で、・・・世界平和のために働きたいという
雰囲気はどこにも感じられない・・・(;一_一)
不思議な子だな~。。。。 
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by mppoe-light | 2010-05-12 22:18 | どってことない話☆

「神と人間」を読みながら・・・

人間の本来性には善も悪もない。人間はただ無限の光(神)の創造性を行動に移し、神の姿を客観的に現そうとしている者であって、悪といい善というも、
全面的に神が現象界に現われるまでに織り成す光と影の交叉・・・・

しかし、かかる過程にあって苦悩している分霊を救い、肉体界を浄め、宇宙神の意志そのものの世界とすることが、直霊の最初からの計画であった。

しかし現在はまだあくまで過程であって、この段階をすぎた未来において、肉体人間の世界が、神の計画通りの、完全調和せる光明世界になることは必至である。
各人はひたすら自己の本分を全うしていさえすれば、必ず、自己も救われ、世界も救われる日が来るのである。

<因縁因果を超える法>
いかにしたら一日も早く、業因縁の波を解脱し得るかを説くこととする。

-------神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているんだ。しかも守護霊さんに守られながら生きているんだ。過去はない。過去は消えてゆく。どんな苦しみも必ず消えてゆくんだ-------
と、過去の心の誤りなぞ、穿り返さずに、ただただ、光明のほうに、心を向けていることが、自分を救い、人を救う、一番大切なことなのである。

愛と許しの世界をみんなで創ることが大切だ。
自分を愛し、人を愛し、
自分を赦し、人を赦す、
これが業(カルマ)を超える最大の道

「神と人間」から


自分を愛し、人を愛し、
(我即神也、人類即神也)
自分を赦し、人を赦す、(「過去」は消えてゆく姿として退け、手放す)
愛と許しの世界をみんなで創ることが大切だ。(祈り、印を組み、神語を語り、愛と許しの世界をみんなで創る)
これが業(カルマ)を超える最大の道(これが因果律の世界を解脱し、完全調和の果因律の世界を拓く、最大の道)

・・・・なんて、
五井先生の「神と人間」を読みながら思っていました。

我即神也 我即愛也 我即真理也 我即光也
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by mppoe-light | 2010-05-11 21:58 | 真理について思ったこと

うわっ MAX体重をたたきだしてしまった・・・。。。

びっくり!
体重計が壊れたのを期待したけど、そんなこともなく、、、

この世に生まれて一番重い体重になっていた。。。。。( ̄▽ ̄;)
想定外だわ・・・・ 
いえ、思い当たることもありました
この頃、お腹まわりがきつかった。

ゴムの入ったスカートやデニムに油断してはいかん!
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by mppoe-light | 2010-05-07 17:25 | どってことない話☆

お祈りはありがたい・・・・しみじみ。。。

お祈りというのは有り難いです。
昨年の指針で 
「・・・さらに祈りを通して、あなたの本心と語り合う時間を大切にしてください」とあってのだけど、
祈っていると いろんなことに気づかされます。
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昨日の日記の続きになりますが、
今日、
神性を認める宣言&印&それからお祈り・・・
祈りながら、、、
“自分の名前即神也”が、どうして好きになれないのかな・・と思っていましたら、 本心はとっくに・・・いえ始めから、今の私も過去の私も、過去世の私も全部赦し、愛してくれているんだ・・・と思い出しました。


そうでした☆ どんな時でも 私は愛されていた、今も愛されている。
私は、”名前○○即神也”でいいのです。

おおおぉ~っ、自分好き♪
あっという間に、すっきり、爽やか(笑
本心さん有難うございます。

 私の本心は、すべての人を愛しています。もちろん私も愛されてます♪ 嬉しい♪

一瞬で気持ちがガラリと変わるなんて、、、
我ながら単純すぎかいな? 
(本心から遠ざかるとまた凹んだりするけど(笑)
気にしないもんねー(●^o^●) その時はその時だ。

指針に書かれていたように、やっぱり祈る時は、本心さんと対話している状態になっているのでしょうか。
ま、その辺も私らしく(?)深くは考えるのやめヨ。
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by mppoe-light | 2010-05-01 20:04 | どってことない話☆