突然ですが、カモメの話

次は我即神也、人類即神也 のことを書いてみようと啓示録をと読み直しているところです。
が、昨日
昌美先生がよく言われる、 ”リーダーのリーダー”  ということについて考えていたら、
ひょっこり ”かもめのジョナサン” という本のことを思い出しました。

もうこの本を知っている人は少ないだろうなー。30年以上前の本だから。。。
 知っておられる方は たぶん~
中高年以上の方。 
私が学生の頃に、この本が話題になってました。

詳しい内容は、どっこいしょっ と、横に置かせていただいて、書き進めます。

「重要なのは食べることではなくて、飛ぶことだ」という、
異端のカモメ、ジョナサンが、 自分の限界を超えて飛翔し、次元上昇していく・・・ というお話です。

次元上昇して
新しい世界で新たに学びを始めるジョナサンは、そこで長老のカモメに出会い、
次の段階の境地を学びます。 その長老の言葉が面白かったです♪

「天国とは、場所ではない。時間でもない。天国とはすなわち、完全なる境地のことなのだから」

「お前が真に完全なるスピードに達しえた時には、お前はまさに天国にとどこうとしておるのだ。
そして完全なるスピードというものは、時速数千キロで飛ぶことでも、百万キロで飛ぶことでも、また光の
速さで飛ぶことでもない。なぜかといえば、どんなに数字が大きくなってもそこには限りがあるからだ。
だが、完全なるものは、限界をもたぬ。完全なるスピードとは、それはすなわち、即そこに在る、
とういことなのだ。」

ジョナサンは長老に 瞬間移動の秘訣をたずねます。

”長老の語るところによれば、瞬間移動の秘訣は、まずジョナサン自身が自分の事を、限られた能力しかもたぬ肉体の中にとじこめられている哀れな存在と考えるのをやめることにあった。

本来の自己は、まだ書かれていない数字が限界をもたぬごとくに、限りなく完全なるものであり、
時間と空間を超えて、いかなる場所にも直ちに到達しうるのだと知れ・・・”
 と長老は説きます。

その後 ジョナサンと長老は共に みどり色の空の、双子星惑星に瞬間移動します。 うおおおぉお~♪

ってことは、著者の リチャード・バックも似たような体験したってことですよねー。いいなぁ~!

つづく
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by mppoe-light | 2009-10-31 21:02 | 真理について思ったこと

果因説は素晴らしい♪

富士聖地では人類の歴史を浄める“歴史の浄め祭”が、2006年から
“地球黎明祭”に進化しました。 第一回目のテーマは
「輝かしい未来の“地球黎明の息吹き”を地球に注ぎ込む」というものでした。

同じ年の「新年祝賀祭」 では、五井先生より
“もはや、人類の過去の業を浄めるために、世界各国、一国一国の祈りをする
必要はない、“
“これからは、過去を浄めるのではなく、人類の未来の輝かしき姿に意識を集中し、
素晴らしきことのみ、輝かしきことのみに意識を集中してゆくのだ“
 というメッセージがありました。

それまでは 人類を目覚めさせながら、人類のカルマを浄化することが、
(つまり過去を浄めることが)、私たちの世界平和の働き と思っていたので、
このメッセージに少々戸惑いました。
でも
「五井先生がそう言われるのだから、そうなんだ」と分からないまま納得しました。 安易な私・・・(^_^;) 
これを素直と言えばいいのか、単純と言えばいいのか・・・
ま、女性ってだいたいこんなもんですわねー(^_^;)
とりあえず納得しておけば、そのうち理解できるだろー って感じでね(笑)

浄化から顕現へ

白光の祈りにはいつも三つの働きがある。
①カルマを浄化し、消す働き。
②自己の神性顕現の働き。
③人類を真理に目覚めさせる働き、
である。
個人人類同時成道であるから、白光の祈りには常に三要素が含まれている。

しかしながら、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」では
①の個人的な救われに軸足があった。
ある時、そのカルマの浄化から神性顕現の方に、時代が求める重心が地球的規模で移動したのであっ
た。それは2006年9月24日第一回黎明祭のことであった。

西園寺昌美先生は説かれて曰く。
(黎明祭では)彼ら(神人)は過去の歴史を浄めるのではなく、
輝かしい未来の一点のみを見つめ、それを現実に引きつけたのである。
その輝かしい未来とは、対立のない、すべてが大調和した平和な世界
である。(白光誌2006年12月)

あとはいよいよ、人類の未来に輝かしき神の世界を顕わしてゆくことのみである。
地球上かつてない輝かしき未来を創造していくことに全力を注いでいくのである。

『もうこれ以上過去を浄める必要はない、ほとんど浄め去った。
白光の大天命とは、種々さまざまなるマイナスの現象を祓い浄めることではない。
苦悩や悲惨さを浄める必要はない。汝らは人類一人一人を究極の真理に目覚めさせ、地球人類を救済するという任に当たるのである』 (宇宙神の神示)。
(白光誌2007年3月) 

今、やっとこの宇宙神の神示が理解できるようになりました。

この時代の変化に、我々の思考回路を意識して合わせる必要がある。
現われた現象については、徹底した「消えてゆく姿」を行じるものの、
自分から何かを浄めると言う発想を止めることだ。
業を光に対抗、拮抗する力と見ないことだ。

我々の意識をフォーカスするポイントは『自己の神性と人類の神性を見つめること』のみである。
このポイントにエネルギーを集中することによって、我即神也は顕現を始める。

『煩悩を断ぜずして涅槃に入る』と言われるように、四次元的果因説では、因果の世界は汚れることも浄化されることもない(「不垢不浄」)ので『放っておいてよい』(同上、宇宙神の神示)。

我即神也の自己イメージに意識を集中するだけでいい。
光明燦然たる神なる本心を呼び続ければよい。
自分の直霊より愛、英知、歓喜、幸せ、、、、、、が無限に溢れ出て、人類に光明を放つ姿を思い描けばいい。
『見つめること。想うこと』だ。それが印であり、神事であり、祈りである。

自分から何かを浄めると言う発想を止めることだ。業を光に対抗、拮抗する力と見ないことだ。
我々の意識をフォーカスするポイントは『自己の神性と人類の神性を見つめること』のみである
<ピタゴラスさん啓示録から>

果因説は素晴らしい!
宇宙神と五井先生の50年計画 は、すごい!!
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by mppoe-light | 2009-10-27 17:35 | ピタゴラスさん啓示録から

神性顕現の原理

先月だったでしょうか 少しだけハートのチャクラが開いたようで、
自分と人類が愛しい気持ちが広がりました。 ま、あっという間に閉じて元にもどるんだけど(笑)

嫌いな人がとても愛しくなる感覚、これって本心の心だな、、と思います。
「人を嫌うより、愛するほうがずっと簡単」 という気持ちが湧いてきます。
本心さんは、相手の “消えてゆく姿” などは まったく問題にしてなくて、
ただただ相手の生命を愛しておられるんだな・・・と思いました。
本心はいつも相手の“存在”を喜んで、祝福している。 

あなたの存在が、嬉しい!あなたの生命を祝福します。 おめでとう!

維摩詰の悟り

『煩悩を断ぜずして涅槃に入る、これを宴座となす』

煩悩などというものは、断ずるも断ぜないもない。はじめから実際にあるものではない。
人間が真実、実際に自己としてあるのは、本心、み仏の心があるだけなのだ。
そういうところがわからぬ統一では、分別心の統一であって、真実のものではない。

と維摩詰はいうわけです。全く恐れ入った大悟徹底ぶりです。

五井先生は三十年以上も前に、この聖句を解説された。その解釈は今日も新鮮である。
だが、さらに二十一世紀的な意義を探ってみよう。

この聖句は「我即神也」「人類即神也」とどう関連しているのか。
先ず、この聖句は「業想念を浄めずして、神性を顕現する」と言い換えることができる。

「我即神也」の聖句的意味は次のようになる。
「私は、因縁因果とは関係なく直霊の世界に直入し、自由自在に神性を取り出し、善なるもののみを引き付け、光明の世界をこの肉体に顕現する。」

「人類即神也」の聖句的意味は次のようになる。
「私は、自らの因縁因果はさておき、直霊をこの肉体に招き入れ、肉体を発信用アンテナとして使い、人類が真理に目覚めるよう促す光明波動を放射する。」

業を浄めるのは三次元の行為である。
三次元内のエネルギーの保存則は事実ではあるが、宗教的に深い真理ではない。
と維摩詰は言う。

エネルギー保存の法則に捉われている限り、四次元世界に入れない。
四次元世界に入るには、「我即神也」の自己意識を高めるしかない。
浄め、徳を積む行為は重要ではあるものの、三次元世界の行為である。

したがって、それでは四次元の世界に入れない。一歩一歩歩む行為は重要ではあるが、四次元世界に入るには更に一歩進んだ、印・果因説つまり自己意識を上昇させると言う四次元軸が必要になる。

四次元軸を上昇するには、「我即神也」と「人類即神也」の二つが必要である。
「我即神也」なくして「人類即神也」には入れない。「人類即神也」なくして「我即神也」は完成しない。

自分一人では3.9 …次元まで行っても四次元には届かない。
我即神也を極めるには、自分のことはさておき、人類を真理に目覚めさせる使命を完うしなければ
ならない。
十万人の神人を作り、共磁場を創らなければならない。勿論、十万人で使命は完了するのではなく、使命はすべての人が救われるまで続く。
これはまさに、法蔵菩薩の神話(仏典)のテーマである。

法蔵菩薩は自分の悟りはさておき、すべての人が救われるまで光明波動を送り
続けると決意した時、阿弥陀如来となったのである。
この神話はある個人の体験ではなく、人類全体の過去の成功体験なのである。

我々はこの成功体験を思い出し、現在に活用する事ができるのである。
それは呼吸法の人類即神也の印を組む事である。この印を組もうとする時、あなたは法蔵菩薩であって、印を組んでいる時はアミダ如来なのである。阿弥陀如来たる本心が肉体を使って印を組んでいるのである。

凡夫―菩薩―如来の三段階は三次元世界の階段状の変化ではない。
この三段階は四次元軸上の変化である。テレビの放送局の変化のようなものである。

テレビと言う受信機は三次元の肉体である。放送局の変化は波動=周波数の変化のことであり、自己意識という波動=周波数の変化である。
自己意識の周波数を変化させるチャンネルは「私は、、、Iam,,,」である。

自分が自分をどう定義するのか。これが四次元軸上の上昇のチャンネルである。
その実施方法が、宣言文・印・呼吸法である。

会員はたとえ5分の間であっても、凡夫―菩薩(神人)-如来(神)を行き来する。
四次元とはそいうものだ。
会員は、印の経験を積み、やがて四次元軸上で「我即神也」を固定させ、更にもっともっと高めることによっ
て、肉体に神を顕現していく。これがやがて会員が体験するであろう
神性顕現の原理である
(以下省略)
<ピタゴラスさんの啓示録1から>

続きは来週に☆
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by mppoe-light | 2009-10-21 22:10 | ピタゴラスさん啓示録から

消えてゆく姿の次に顕れるもの

色即是空の次に顕われるもの

一切の余分な自己定義を無くすよう空の教えは言う。その後に残るものは在りて在るもの。
不空なる存在。直霊、如来、我即神也そのものだけである。
「闇が無くなると、そこに残るものは、初めからあった光しかない。
生地なる神なる自分しかない」という四次元的果因説のロジックだ。

(省略)<啓示録1>から
 色即是空の次に顕れるもの 
つまり 消えてゆく姿の次に何が顕れるのか・・・・
「闇が無くなると、そこに残るものは、初めからあった
光しかない。生地なる神なる自分しかない」

生地なる神なる自分、我即神也 です。

もう少し時代が進むと、消えてゆく姿という教えは少しずつ役目が終わりそうな気がする・・・。 
果因説の時代になると、光だけ、一元論だし・・・
と言っても、ぜんぜん必要が無くなる・・・訳ではないかな。

 “消えてゆく姿” という言葉はすごいと思います。
“すべては空” と言われても 現実に3次元世界は、目に見え、触れることの出来るリアリティの世界。
いきなり 空になれ と言われたら もーお手上げです。(^_^;)  

その点、消えてゆく姿 という言葉は、現象世界の迷いを受け入れてくれながら、、
その現実とぶつかることないように、想いを神さまへと運んでくれる。
いい言葉だなー、神さまの計らいはすごいなーと思います。


 四次元世界・印・果因説
四次元世界とは、三次元世界に意識次元を付加したものである。意識とは自己意識である。
つまり、「自分が自己を何である」と認識するかの意識が次元としての意味を持つ。

三次元世界とは因縁因果の世界である。想念の法則により現れ、消える。しかし、
自己=肉体、幽体という意識がある限り、結果としての現象は次なる原因となる。

その因縁因果は限りなく経巡る。凡夫の意識は凡夫の世界を創りだす。

しかし、「我即神也」の意識は厳然として存在する。三次元世界の凡夫であろうと、
「我即神也」を宣言したところには、時間の経過はあるものの、神なる姿が顕現する。

この神意識は三次元世界のものではない。神意識は四次元世界の意識である。
しかし、神意識は「私は、、、」と言う意識の座標軸を使って三次元世界と接点を持つ事ができる。

三次元世界に四次元目の意識次元を加えると、同じ三次元世界が幾通りにも変化する。

それは、平面の二次元世界に縦の三次元世界を加えると、同じ平面座標が縦の座標によって
幾通りにも変化するが如くである。

印は三次元の因縁因果の世界に意識次元の変換(上昇)を使って、「我即神也」の世界を顕現させる科学である。印を使うと、因縁因果の流れとは関係なく、「我即神也」という意識がその意識に相応しい
現象を三次元世界に顕現させてゆく。

この顕現も想念の法則を使って成就される。それは果印説と言われる。

因縁因果の意識次元では、凡夫―菩薩―如来という峻別された三様の変化を無限の努力によって勝ち取ってゆくことになる。
0点から100点まで努力によって積み上げてゆくことに価値が与えられる。
三次元の常識では、釈尊は出家して、悟って仏となられたのである。

しかし、法華経では、釈尊は出家して悟ったのではなく、久遠実成の仏が真実の実在と説かれる。
さらに法華経によると、常不軽と言う名前の菩薩は、相手が誰であろうと「わたしはあなたがたを軽蔑しません。
あなたがたは、みな、求道者の修行をしたまえ。そうなさるならば、あなたがたは完全な悟りに到達した如来になられるでしょう」と言い続けていた。その常不軽菩薩は釈尊の過去世であった。

三次元的な仏典解釈では仏典は釈尊の個人的な悟りへの来歴を語ったものである。
しかし、仏典は神話と同様に人類の真理の記憶を語ったものである。

久遠実成の仏とは「我即神也」のことである。常不軽菩薩の経歴は人類のDNAに記録された記憶である。
未だ「我即神也」を完成せずとも、「人類即神也、人類よ、汝ら皆即神也」と宣言し、人類を目覚めに導いてゆく我々会員のこれからの天命を示していると共に、我々一人一人の過去の記憶を物語っているのである。

四次元の理論の果因説では「大初に我即神也ありきとなる。
ことの初めに、100点の神なる自分がいた。それを思い出しなさい。
そうすれば、100点の姿がこの世に顕われるのだよ。それを成就する手段が印に他ならない。」と説かれる
。< ピタゴラスさん啓示録1から>

つづく☆
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by mppoe-light | 2009-10-20 19:36 | ピタゴラスさん啓示録から

消えてゆく姿☆

消えてゆく姿の教え

どんな業想念が渦巻こうが、『こんなものは自分ではない、消えてゆくものなのだ、と否定すること。
これが宗教の根本なのです』。
そして、『人間は光そのもの、光明燦然たる生命なのだ!とつねに想い、内なる神を呼ぶのです。
ただひたすらに光明燦然たる神、直霊を見つめること、想うことです。これが根本です』(注1 )。

これは五井先生が根本と説かれる「消えてゆく姿の」教えのポイント。
一般的に、一気に「すべては空」と観じることなど困難なため、
五井先生は一歩一歩、消えてゆく姿を行じる道を説かれた。
注目すべき点が一つある。消えてゆく姿の教えは、自己意識、自己イメージの
修正を根本としている、ということだ。

注1「生命光り輝け」P.10-15
<マイミク・ピタゴラスさん 啓示録1から>

世界平和の祈りには、まず始めに 消えてゆく姿の教えがあります。
始めは、「世界人類が平和でありますように」だけでもいい。
でも
本来は、 消えてゆく姿で世界平和の祈り でなければならない。
祈りを続けていけば、
「業想念と本心が別れてくる、そうなったらしめたもの。」←これ五井先生の言葉です。

意識が本心の場にあることで、 業想念は本物ではなく消えてゆく姿(すべては空)だと
認めることができるのに、消えてゆく姿といいながら、意識は業想念の中に居る。
消えてゆく姿を理解するのに 始めは四苦八苦したものです。 

本心と業想念を分ける事、そして・・・
「注目すべき点が一つある。消えてゆく姿の教えは、自己意識、自己イメージの
修正を根本としている、ということだ。」


これがとても大切なことだ・・・と理解できるようになったのは、
やはり 我即神也、人類即神也の印のおかげだと思います。


凡夫は本来的に空なる現象界を見て、条件反射的に反応しながら言葉・想念・行為を現わす(注2 )。
凡夫はその世界の中で自己を定義する。
その自己イメージはプロジェクターにセットし直される。そして、不調和な世界が再生産される。色即是空とは、それらのすべての現象、知覚、反応、言葉・想念・行為、自己定義(イメージ)は無であると言う意味。

この空の教えも『どんな想念が渦巻こうと、こんなもの自分ではない。
空なるものを根拠に自分を定義することはできない。』という自己認識・自己定義の教えなのであった。

つまり、「自分は神以外の存在である」と定義するあらゆる事象、証拠らしきものはすべて空である。
本来性のものではない。無である。すべては赦されている、と言う教えである。


注2 三次元的因果説の凡夫は、外なる現象に対して条件反射的に反応しながら、
言葉・想念・行為を現わす。
四次元果因説の「我即神也」は内なる無限なる神性を、外なる現象界の言葉・想念・行為に顕現する
< 啓示録1から>


ごちゃごちゃしたノイズのような想念に意識を置いていると、
駄目な自分を本当の自分と想いこんでしまう。
そのため 我即神也 という言葉に抵抗感が出るのだと思います。
(業想念の中の罪悪感が「自分が神だとは思えない・・・」と足を引っ張る・・・)

業想念の自分は、3次元世界で創造された錯覚のような幻の自分、
だから、所詮は消え去るだけのもの。

人間と真実の生き方 では、
人間は本来、神の分霊であって、業性ではなく、  
と、はっきり書かれています。

古い過去の自分は、どんどん流して、本来の自分(神の分霊)を思い出さねば・・・です。

だから自分自身に呼びかけています。
我即神也! と。
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by mppoe-light | 2009-10-19 19:43 | ピタゴラスさん啓示録から

果因説のいわれ☆

果因説の謂われ(いわれ)

そもそも、何故「果因説」と言われるのか。西園寺昌美会長によると、
結果はすでに心の中に存在している「無限なる愛、健康、繁栄、幸福、、、、」である。
こういった無限なるものに心を合わせていけば、自然に原因はそれについてまわってくる。

『自分の意識を自分の目指す最終目標(我即神也)に合わせるのである。
要するに、意識を目指す結果に集中させて行けばよいのである。』(注1)

会長にとって無限なる神性は結果であり、その神性に意識を集中
させることによって、それを顕現してゆくが故に「果因説」と説かれる。

会長は因果説とは異なる生き方を強調するために果因説と命名された。
伝統的な解釈では、神を「第一原因」とも呼んでいるので、イメージする神性を原因(因縁因果の原因とは異なる)として、現象界に顕われた姿を結果と呼んでも同じことである。

果因説とは空即実相・本来因果・縦取りの生き方(注2)・実相顕現(注3)のことである。
会員の神性意識の土壌が出来るまで、五井先生は果因説を封印なさっていたのである。
地に足の着かない観念論、偽善、実相を説きながら想念の法則で人を裁く矛盾をご覧になった五井先生は、あえて封印されたかのようであった。

注1 白光誌2003/6
注2 空即実相・本来因果・縦取り、いずれも「神と人間」
注3 白光誌2001/9

<ミクシィ、マイミクのピタゴラスさんの啓示録2から>


この日記に、頻繁に使ってる 果因説 という言葉があります。
本来なら因果説が普通なのですが、 今 私ども
世界平和&印、呼吸法を実践しているメンバーは
果因説という生き方を行なっています。

「果因説」・・・始めは意味を深く考えていなかった私ですが、
ピタゴラスさんの啓示録を読み とても深い意味があることに気づきました。
さらに今は、因果説から果因説に移行するのは当然のことで、
次元上昇には必要なものだ・・・と思っています。

先日、この日記でも書きましたが・・・
 導師Kさんとの会話をしたことで、また啓示録を読み直しています。
最初に送って頂いて読んだ時には 深く考えないままサラリと読んでいた部分が
今は 頬をパシッと平手打ちするようなインパクトで 目に飛び込んできます。

同様に、五井先生の 「神と人間」も
「人間と真実の生き方」も 今は新しい段階で心に入ってきます。

人間の理解の仕方には段階があって、面白いものだなぁ・・・と思います。 
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by mppoe-light | 2009-10-18 19:38 | ピタゴラスさん啓示録から

講話会&Kさんとの会話♪

10日に、Kさんをお迎えして 講話会が行なわれました。
質疑応答という形で、3時間お話をして頂きました。

講話会の後は、主催者の方に依頼され、
私たちの仲間の車でKさんを空港までお送りすることになりました。

帰路の途中 ミニピースポールを1本埋設して、全員で呼吸法の印を組んで、
そのあと Kさんにお願いして次元上昇の印を組んで頂きました。
よかった、嬉しい♪ (^_^)

その後、祈りのメンバーはそれぞれ所用があったので、
結局 私の車で空港までお送りすることになりました。


Kさんと二人で空港に向かいながら、
 
「こういった機会はめったにないぞ! チャンスかも♪」と思い、
思ってたことをどんどん話してみることにしました。(@^_^@)


<私>  「”我即神也” そのものが、果因説ですよね。」
     「”人間と真実の生き方” が、もう既に果因説のための準備ですよね。」
     「当時はまだ 我即神也 とストレートに言えない時代だったからですね。」
 
<Kさん> 「そうですよ!、 それを講話のとき質問してほしかったなー!」
       「次の祈りの会の時に みんなにそのことを話して下さいよ」

<私> 「自分を愛し、人を愛す、は我即神也、人類即神也で
     自分を赦し、人を赦す とは消えてゆく姿ってことですね?」

<Kさん> 「そう、どうして”赦す” と言えると思いますか?」

<私>  「人間は本来神の分御霊ですから、だから消えてゆく姿が成り立ちます。」


<Kさん> 「昌美先生の教えは五井先生とはちがう・・と言う方がおられるけど、
        じっくり 人間と真実の生き方 を読めば 同じことが分かりますよ。
        五井先生は 100年と言う長いスパンで教えておられた。 昌美先生は
       ”人間と真実・・・・”の教えを 具体的に光明思想、感謝行、我即、人類・・・の印という行で
        私達が実践して体得できる方法を降ろして下さった。」
 


その後も
人間と真実の生き方の教えの深さ、 はじめから果因説に至るために計画されていた
神さまの大きな計らいに感動しつつ、
空港に到着しました。

最後は Kさんと しっかり握手をしてお別れしました♪♪♪

深い内容のお話をすることができて とても楽しかったです。

無限なる感謝! 無限なる喜び!
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by mppoe-light | 2009-10-11 19:33 | 真理について思ったこと

上手く説明できないけど・・

世界平和のために、人類のために行なっている、祈りや印。 
これらを行なうことは人類だけでなく、同時に自分自身も救ってくれているんだなぁ・・・と
気がつきました。 
自分以外の何かのために自分のエネルギーを注ぐことで、同時に自分が癒され、
救われている。 喜びと幸福な気持ち。


想念が重くのしかかってきて、そこから抜け出せないことがあります。
(だいたいパターン化していて、似たような状況で起こります。)
頭では判っているけど、心が納得してくれません。。。。
わかっちゃいるけど、同じ想いが止まらない~~~(T T)
心が塞がれた感じ。 意識が縮小して固まった感じです。

そんな時、何も考えずに 自分以外の人の為に祈り、印を組むと
すーっと爽やかな気持ちが訪れます。 意識が広がって
自由になった感じで、良かった~・・・とほっとします。

私達は、人類のために祈り、人類のために印を組みますが、 でも本当は
祈らせてもらっている、印を組ませてもらっているのだなぁ・・・と思いました。

祈りや印を組むことは ただ徳を積むということではないです。
私たちは、与えられ頂いています。

私と人類は、互いに赦し、赦され、
互いに救い、救われていく という感覚。
私がいるから人類がいる。 人類がいるから私もいる という感覚。

まだ良く分からないので上手く説明できないけど。
自由で広がりのある感覚・・・・です。
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by mppoe-light | 2009-10-05 23:15 | 真理について思ったこと