カテゴリ:真理について思ったこと( 304 )

私に任せられていること

創造的思考こそ、常に自分の意識を高次元へと導き、ワクワクドキドキさせつつ遂に目的を成就させてしまう。 
<8月号 指針から>

真剣に意識を集中するならば、すべてが可能になるのです。自らの内部の中心核、神性につながるからであります。
<神性復活 精神文明へのパラダイム>から



宗教に限らず、 何かを真剣に探究していことは、それは真理の探究と同じことなのでは と思います。

世界や人類は、神さまのエネルギーで生まれ、包まれ育まれ、 
世界や人類は、神さま(宇宙)の中に在り、世界や人類の中に神さま(宇宙)がある。
だから、すべてのすべてはみなつながっている。

芸術、自然科学、医学・・・ どの分野でも、真摯に探求していくことは、真理を掘り下げて行くことと同じ、
分野は違っても、目的地はみな同じ、 
神さまの真の世界に到達するためのもの。

そう思っています。


だから、目の前の物事と真剣に向き合い、意識を集中するならばそれは“常に自分の意識を高次元へと導き” 
自らの内部の中心核、神性につながる
だから、
ワクワクドキドキさせつつ遂に目的を成就させてしまう



運命とは、まさに自分の信念の投影なのです。信念はパワーであり、エネルギーです。

それゆえ、自らのエネルギーの正しい使い方により、いくらでも運命を方向転換することが出来るのです。
感情想念の赴くままに衝動的に行動に移さず、いったん心を鎮ませ、内なるエネルギーの正しい方向性を定め、配分に心がければよいのです。

 一瞬、一瞬の自分の言葉や想念、思考、行為を善なるほうへ、素晴らしいほうへ、希望溢れるほうへと選択しつづけ、決定してゆくのです。完璧なもののみ、健康のみ、繁栄のみ、成功のみを未来に刻みつづけ、明るく調和した輝かしい未来を受け取るのであります。

<神性復活 精神文明へのパラダイム>から



ただ なんとなく惰性で生きていてはいけない。 もったいない、残念なこと。

我即神也 「私」は今ここにいる。

今置かれた立場できちんと生きる。惰性ではなく、 
一瞬、一瞬の自分の言葉や想念、思考、行為を善なるほうへ、素晴らしいほうへ、希望溢れるほうへと選択しつづけ、決定してゆくのです。
それが自分を極めることに繋がり、“常に自分の意識を高次元へと導き、ワクワクドキドキさせつつ遂に目的を成就させてしまう”



一瞬、一瞬の選択が未来を決めてゆく。  
一瞬、一瞬・・・(汗  (@_@;)厳しい。。 そこまで意識を集中して行けるか・・・
でも五井先生は仰いました。 倦まずたゆまず祈る 祈り心で生活する

すべては私しだい。 私に任せられている。 そのことをもっと自覚しないといけないな・・

そう思いました。。。


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by mppoe-light | 2015-08-08 17:20 | 真理について思ったこと

本物を掴むこと☆

「悠々とした生き方」

宗教の一番の根本は、環境に把われないで、いかなる環境においても、心が常に豊かであり、明るく美しく生きるということです。それが一番大事なんです。

(お釈迦さまが) どういうふうに悟ったかというと、悟ったから環境がすぐ直るというんじゃないんです。
お釈迦さまの悟りというのは、悟ってすぐ病気が治り、貧乏が直せる、すぐ地位が上がるというのではないんです。
いかに病身であろうとも、いかに貧乏な環境にあろうとも、いかに追い詰められた環境にあろうとも、地位が低かろうとも、心がそういうことに把われないで、そういう外界の想念波動を超越して、心がいつも豊かで明るく美しく生きられる方法を悟られたわけです。

 仏教を煎じつめれば、肉体生活の喜怒哀楽、五感六感に感じる苦しみや悩みを超えて、本当の生命、真実の世界、本心から来る喜び、美しさ、平和、調和を肉体に現わそうということです。
それを現象的にいいますと、心が本当に豊かになり、解脱して、美しくなり明るくなれば、貧乏でなくなってくるし、病気は治るでしょうし、地位も上がるでしょう。いろんなことが現象的にも効果が現われてくるのは必定なんです。

<五井先生>


自分の外側の現象にばかり捉われて、 自分の内面を置き去りにしないこと。
私の心が変われば、私の住む環境も変わるはず。
祈っていても、住む環境が改善されないのは、自分の心を置き去りにしているから。
外側の変化ばかり期待し、依存している幼い心は、自分を正しく内観していこうとしない。
それでは消えてゆく姿の“私”を摑んでしまっているだけ。

自分を突き詰める。
幼い心の私は、消えてゆく姿として赦されているのだから、消えてゆく姿で世界平和の祈りで本心と繋がり、
さらに
出来るだけ、高い「私」を認識し、信じること。

仏教を煎じつめれば、肉体生活の喜怒哀楽、五感六感に感じる苦しみや悩みを超えて、本当の生命、真実の世界、本心から来る喜び、美しさ、平和、調和を肉体に現わそうということです。


我即神也  すべては完璧、欠けてるものなし、大成就

自分自身を置き去りにしていては、神性の私に申し訳ないです。。。。
だから、
本当の生命、真実の世界、真実の「私」をまず摑むこと。
消えてゆくだけの偽ものを摑むのではなく、本物を摑むこと。

我即神也 人類即神也


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by mppoe-light | 2015-07-26 16:29 | 真理について思ったこと

私が私の意志で選択すること

今月掲載の昌美先生の講演会のお話がとても良くて、
繰り返し読んでいます。


一番大事なのは、自分自身が、人類一人一人が責任を持って自分を変えることなのです。

神性復活という本当のゴールを目の前に突き出しましょう。

生命の尊厳、自らの尊厳を高めることが人生の目的なのです。


もっとしっかりと、自分の意志で、果因説の生き方を選んでいくことが大切なのだと思いました。神性という本当のゴールは、すでに・・と言うより、もともと私の中に在る。
本来、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就の「私」であり「世界」である。
本来の神性を顕現する生き方=果因説の生き方を選んでいく



人は言葉によって健康、そして病気をつくり出す。どんな言葉を選ぶかです。言葉によって戦争をつくり出すことも出来る。これも事実です。しかし、誰も自分の責任とは思っていない。
自分に世の中を変えられるとは思っていない。 待ちの体制です。

今、神性と共鳴する言葉を語れば未来は変わるのです。


ここで一番心に残ったのが、 “待ちの体制” という言葉でした。

「いつかそのうち、次元上昇して、神性が顕現できるようになるかなぁ
いつか成就ができるようになる・・・ いつかそのうち・・・・☆ 」
なんて、そんな想いが心の中に潜んでいます。(>_<)  そのうちなんとかなるさ~と言う
待ちの体制っ! まるで自分の神性を無視した、無責任な想い。  うううぅう。。。

もっと主体性を持って、自分の意志を明確に持って、神性顕現に向かうべきではないか・・・と、最近(やっと。。。(^_^;) 思うようになりました。
そうでなければ、曖昧な、ぼやけた意志のままでは、神性復活・顕現まで到達できない・・・。

あっ・・・
自分が主体性をもって、意志を持って、神性顕現する と聞くと、
「五井先生のみ教えの 御心のままに・・・ おまかせ と反するのじゃないか・・・」と言われる方がおられますが、
五井先生の“消えてゆく姿で世界平和の祈りや、本心と業想念” について、正しく向き合っていれば、理解してもらえると思います。。。。

私は私の世界の唯一の決定者である。
私は私の世界の唯一の創造主である。
私は今ここに 宇宙神の光を降ろします。
私は宇宙神の御心を私の世界に顕します。
私は神の姿を私の世界に顕します。
私はすべての神性を私の世界に顕します。
それは、私だけのためではありません。
人類が真理に目覚めるためであります。

もう長い間、繰り返し読み続けていながら、最近になってやっと、
この宣言文と本気で向き合う気持ちが湧いてきました。(遅っ☆)
やはり積み重ねって大切なんだ~。。(^_^;)


誰かが顕していくんじゃない、私がやらなきゃ。
私が私の意志で神性を顕現する。
私が成就していく。

この頃、また、真理に向かってやる気が出てきたところです。 ほっ。。。


人間は何のために生きているのでしょうか。 神性復活するためです。
遺伝子をオンにするためです。

その選択をするのは自分です。



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by mppoe-light | 2015-07-07 16:56 | 真理について思ったこと

自分の意志で果因説の生き方を選ぶ ☆


意志力を強化するというのは、自我ではなく本心(神我)の思いを前面に出すことである。自我ではなく、神としての自分が宇宙神の意志を受け継いで、この世に神性顕現の意志を宣言するのが呼吸法である。

完全完璧な姿は宇宙神が定めた通りに既に出来上がっている。
その姿を如何に物質化するのか。如何なる形にするのか。それは個々人の意志次第である。それは個々の自由意志の領域なのである。自由意志は神我の領域なのである。
そこには宇宙神すら介入できない。こちらの領域を強調するのが呼吸法なのである。

現実世界を創造する主体は本心の自由意志である。神としての自己である。
本心の自由意志が選択、決定、決行し責任を取るのである。
但し、自己及び一切の完全性、完璧性を保証しているのは宇宙神なのである。


アメリカ大陸の発見の喩から、当時の人々の気持ちを想像してみました。
コロンブスの時代は、多くの人はアメリカ大陸が本当に存在するとは、
証拠がないうちは信じられない と思っていたはず。 でも、
始めっからアメリカ大陸は存在してた。 もともと在った。それなのに、
無い無い・・・ と多くの人は無い方を選んでいた。

今、この瞬間もこの場にも究極の真理が厳然とあり、究極の真理の中で自分は生き、
自分の内にも 究極の真理が在る。 
在るのに、無い、無い と、いまだに多くの人が誤解しています。(T_T)

私自身も、信じているといっても、現実生活に関わる 不安、恐れ、執着が手離せず、
”消えてゆく姿”を全うする・・・というところまで行っていません。

無限なるものは在るのに、在るはずなのに、選択の優先順位は、不安、恐れの方を先に選んでしまいます。 
「色即是空」 を実行するのは、本当に厳しい、難しい! 命懸け!
昔の宗教者の行は厳しくて凄かったんだろうな・・・と思います。

でも、今は祈り、印、そして呼吸法 がある!  有難いです。

意志の方向が、ぶれないようにチェックしつつ、意志力を強め、これからも日々、祈り、印、呼吸法を積み重ねていく。 
五井先生、昌美先生 ありがとうございます。

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神性復活の宣言はアメリカ大陸発見の宣言だったのである。

今までは、個人の神性復活宣言 でした。それが5月17日 とうとう、人類規模、地球規模での神性復活宣言を達成しました。

神人とは、すでに原因・結果(輪廻転生)という、固定観念から卒業し、果因説の次元に生きはじめている人である。 <日めくり 日々の指針 から>

“アメリカ大陸は初めから存在している” と、全人類、全世界に発信されました。
いよいよ本格的な果因説の生き方の時代に入るのだなぁ・・・と思っているところです。


意志力と全託

 『我々は、この生命素を吸い、体内で物質エネルギーに変え、そして自らの意志に従って物事を為してゆくことが出来る。この生命素の取り方が少ないと、物事を為す力が弱くなるのである。』(04-11)

 『我が想いではなく、御心のままになさしめ給え。』(ルカ伝22-42)

 呼吸法によって意志力を強化する道とイエスが説かれた全託の道は真逆なのだろうか?
答えは否である。
意志力を強化するというのは、自我ではなく本心(神我)の思いを前面に出すことである。
自我ではなく、神としての自分が宇宙神の意志を受け継いで、この世に神性顕現の意志を宣言するのが呼吸法である。
全託とは、自我の想いを退けて、宇宙神が意図された姿がそのままこの世に顕現することを意志することである。この二つに違いはない。

 創造は二層構造である。宇宙神の創造と個々による現実世界の創造である。
完全完璧な姿は宇宙神が定めた通りに既に出来上がっている。
その姿は宇宙神の創造の結果である。そこには自我は介入できない。この領域を強調しているのが全託である。
その姿を如何に物質化するのか。如何なる形にするのか。それは個々人の意志次第である。
それは個々の自由意志の領域なのである。自由意志は神我の領域なのである。そこには宇宙神すら介入できない。こちらの領域を強調するのが呼吸法なのである。

 宇宙神の天地創造とは形無き理念の世界の創造である。現実世界の創造とは『空即是色』のことである。

現実世界を創造する主体は本心の自由意志である。神としての自己である。本心の自由意志が選択、決定、決行し責任を取るのである。
但し、自己及び一切の完全性、完璧性を保証しているのは宇宙神なのである。何人も海を埋め立ててアメリカ大陸を創ろうとしてはいけない。
同様に何人も完全になろうとしてはいけない。神に成ろうとしてはいけない。アメリカ大陸は初めから存在しているのである。
初めからあなたは完全なのである。元々、あなたは神そのものなのである。

 元々の存在に自我は介入出来るものではない。にもかかわらず、介入しようとする自我を退けるのが全託である。
自我が退くならば、神我が顕われる。神我が意志を明確にし、自らの創造力で意志を成就させてゆく。それが呼吸法である。全託すれば、自我の自力で海を埋め立てようなどとはしない。海を恐れることもない。大陸は目には見えずとも、大陸があることに変わりはない。
呼吸法の意志力を強化するとは、アメリカ大陸に船を出すことである。たとえ海図に大陸の記載がなくとも、船を出すのである。大陸から無限の資源を持ち帰り、自ら豊かになり、人類に豊かな富をもたらすことが出来るのである。
 たとえて言えば、アメリカ大陸があるのは宇宙神の創造の結果である。アメリカ大陸に向かって船を出し、アメリカ大陸の豊富な資源を生活に顕わしてゆく行為が呼吸法なのである。
豊富な資源とは宇宙子である。
神性復活の宣言はアメリカ大陸発見の宣言だったのである。 


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by mppoe-light | 2015-06-26 09:36 | 真理について思ったこと

明確かつ神聖な意志を持って生きる


意識的に生きるとは・・・・・明確かつ神聖な意志をしっかり持って生きるということである。

明確かつ神聖な意志・・・・ 我即神也 すべては完璧、欠けたるものなし、大成就を自覚する。


『意志こそが、その人の人生を創造してゆく原動力なのである』(04-04)。
なぜなら
選択・決定・決行するのは意志である

日々、現実の日常に生きていると、 自分の想いをダラダラと漫然と流しっぱなしにしてしまいます。 目の前の出来事に反応したまま、無意識に生きてしまいがちになります。
(とっても反省・・・。)
だから、自分自身をチェックしていくことが大切。
チェックしようと気づくためにも、 日々、自分の明確な意志を確認することが必要。

究極の真理 我即神也 人類即神也 すべては完璧、欠けたるものなし、大成就
が、私たちの本来の姿。 ならば、肉体を持った生活の良しあしは二次的なこと・・・と思えます。

今の自分の人生がどうあろうと、 究極の真理を信じ、意志を持ち続け生きることで、
現生活、現人生は 自ずと調って、平和で豊かなものなるはず。
どちらに強く意識を置くかといえば、 当然、
形の世界の状況・消えてゆく姿 よりも、人類は本来何であるか、と言う事。
本来の世界は、完璧、欠けたるものない、大成就の世界、ということ。
日々の生活は、真理を顕すための場。現実生活はそのためにある。。。


「ダラダラと鈍で生きていても意味がない。」 と言ったことを
五井先生が言われたような気がします。

目的意識を持って生きる、 明確な意志を持って生きる。 誰かが、神様が成就してくれる訳ではない。 
祈って、ただ待っていれば、すべてが良くなるのではなく、成就させるのは自分自身。世界を平和にするのも、豊かに幸せにするのも、自分自身。

目的意識を持って、 明確な意志を持って。

呼吸法を通して、『意志力はさらに高められ、強められ、確固たるものになり、(神人は)ついには自らが欲するものはすべて手にするという真理の法則の証人として、世に立ってゆくのである』(04-04)


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毎日、祈り、印、呼吸法など繰り返していますが、、、最近ちょっと意識は下降気味かなぁ・・・
(;一_一)あらまっっ

昨年から、何度も強く講師になるように勧められています。講師になるというより、
自分を鍛え直すために、富士聖地には通いたいな とは思うのだけど、、、。 う~ん。。。。
どうしよう????  ピラミッドにもまだ入ってないし、7月や9月の大きな行事にも参加したことがありません。 もともと私はゆるい人。。。(笑)


呼吸法と意志力

 意識から更に一歩踏み込むと、意志という領域がある。意志は意識の中核をなす。
個々の意志は宇宙神の光の一筋という天命を担っている。
個々の意志は宇宙神直伝の完全な自由意志である。
意識的に生きるとは、自由自在に、意志のままに、自己の望む姿を現実世界に顕わしてゆくという神の生き方である。
それは明確かつ神聖な意志をしっかり持って生きるということである。

『意志こそが、その人の人生を創造してゆく原動力なのである』(04-04)。

意志は絵筆の如く、人生というキャンバスに自らの欲する姿を描いているのである。選択・決定・決行するのは意志である。その結果が現われるのは、自らの創造力によるものである。それは因果という宇宙法則によるものと言うのと同じことである。

呼吸法を通して、『意志力はさらに高められ、強められ、確固たるものになり、(神人は)ついには自らが欲するものはすべて手にするという真理の法則の証人として、世に立ってゆくのである』(04-04)。

呼吸法は無意識に否定的想念に流される生き方を止めて、神としての天命に生きるように方向転換する場である。同時に、人類全体に光明波動を遍く行き渡らせているのだから、呼吸法は素晴らしい。

呼吸には①吸う、②止める、③吐くの三つの動きがある。それらにはそれぞれ、
①宇宙神の光を肉体に収める(降ろす)こと。
②宇宙神の光を自分の望む姿に変換すること(神性顕現)。眼に見えず形無き光を物質化すること。
③その宇宙神の光と肉体波動をブレンドして人類に贈る(人類救済)という機能がある。

どの働きも、人の意識的、意志による行為である。また、それぞれに①「我即神也」、②「成就」、③「人類即神也」という神霊言(しんれいげん)が指定されている。

 呼吸は普段は無意識的なものである。しかし、呼吸法は意志的な行為である。呼吸によって、それぞれの三つの意志が効果的に実現するようになっている。

とりわけ重要なのは、呼吸を止めるときである。自分がこの世で何を実現するのかを明確に意志する必要がある。それは個人的なものであって、自我のものではない。
呼吸を止めるときは、天降った神としての自分の意志を宣言するのである。
つまり、それこそが生命の宣言、祈りなのでる。この祈りの道は意志を成就させる道である。
祈りは現実世界の創造であり、宇宙神の光の物質化である。
言い方を変えれば、宇宙神の光である宇宙子は呼吸と意志を通して物質化し、同時に人類に遍く浸透してゆくのである。

 呼吸法は神の息である。神の意志の言葉は神語である。神の意志の言葉は祈りである。
神語も祈りも宇宙神の意志を成就させる言霊である。その意志は既に神の世界では成就している。すべては整っているのである。大成就。            


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by mppoe-light | 2015-06-23 09:27 | 真理について思ったこと

宣言文を読んで思うこと

生きる とは創造すること・・・と言うより 常に創造している と言うこと。

自分が、意識している、いないに関わらず、私は常に創造活動をしています。
どんな創造をするのかは 私に任されています。
もちろん私だけでなく、人類すべての人に任されている。 
世界は、任された私達のそれぞれの自由意思で選択、決定されたことが創造され現われている。

私の創造は、私の住む世界。私が自由意思で選択、決定した世界。
 私だけでなく、
Aさんの自由意思で選択、決定して創造したAさんの世界。
Bさんの自由意思で選択、決定して創造したBさんの世界・・・。
人それぞれの世界があります。 
どの世界も、天から与えられた創造力を使って、
天から任された自由意思によって選択、決定し創られた世界。

どの世界が正しくて、どの世界が間違っている とは言えないと思います。
なぜなら、
どんな人の世界も、宇宙神から与えられた能力を使って創造活動したものだから。 

ただ、違いがあるのは、  
神性意識から創られた、愛溢れる世界なのか、
それとも、 非神意識から創られた愛の乏しい世界か、、、と言うこと。

非神意識によって創造された世界は、宇宙神と人を切り離した思考から生まれたものだから、いずれは滅びゆく世界。 
非神意識で創造された世界は、本来の目的の創造とは言えない、
それは消えてゆく姿として処理されるもの。

宇宙の創造は、自由意思、自由選択、そして 自己責任。

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人類即神也 の宣言文を読んでいて、こんなことを思いました。

 宣言文の内容は、「人類は神であるのだから、 人類よ目覚めよ」 というのではなく、
人類の今の姿を、神である「私」はどう見るべきか、どのように対処すべきか
人類に 「○○しなさい」  というのではなく、
神である「私」は、どういうスタンスで今の人類や世界を見詰めていくべきか・・・・という内容になっています。
それは、我即神也を宣言し、顕現しようとしている者の宣言だと思います。
 
私が、語ること、思う事、表すことは、 人類が真理の目覚めることのみ。
故に、私は 神の存在そのものなり。
いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。
人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組み続ける

人類を真理に目覚めさせるためには、 まず 神性を復活させた者が、
今の人類、世界の様相をどう認識して、何を表して行くのか。

私たちは宇宙神の子として生まれているのだから、
みな意識の深い部分ではつながっているのだから、個人の意思の響きが全体に波及しているはずです。
だから、一人一人が、我即神也を強く自覚して、神性顕現していくことが、人類の神性復活につながるのだ、・・・と思っています。

カルマを浄化して人類をサポートしながら、 でもそれだけではなく、
さらに 個々人がより高い神性意識を持つことが人類の目覚めに繋がるのだ・・・と思います。

人類即神也

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by mppoe-light | 2015-06-11 15:50 | 真理について思ったこと

越えたところにある真実の「私」


今、現実の世界を動かしているのは二元対立の考え方。それは有限の世界観、人間は非神であると言う誤った認識から創造されている世界。
本当は、それを越えたところに真理があるのに、人間は心を閉ざして、目に見える世界、有限の世界にばかり意識を集中して、すっかり本来の自分の姿(我即神也)を忘れてしまっている。。。 
そんな今の世界で生きながら、 今の世界を越えたところにある本物の真理を認め続けて生きるのは、やはりそれなりの努力、継続して意識的に生きることが必要なんだ・・・・と思います。
でもどんなに努力が必要だとしても、自分の本来の場所、自分のとっての安住の場、やすらぎ、癒し、平和の世界はそこにしかないのだから、 
だから求めます。我即神也 の「私」の場を。

我即神也の「私」の場は、すべて完璧、欠けたるものなし、大成就の場。
そしてそこでは「私」は、すべての人と繋がり、大自然とも一体となり、
世界が「私」そのもので、「私」が世界そのもの。

そんな「私」でありたくて、そんな美しい世界に住みたくて、 毎日の生活の
中で浮上してくるカルマ側の自分を、
消えてゆく姿として捨てて、意識を切り替えて、
その現実の上を見つめよう、そのカルマの上へ越えて行こう・・と、もがきながら、
自分自身と闘っている私です。 我即神也 人類即神也
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2015年 SOPP おめでとうございました。(●^o^●)
今年のSOPPは、プログラムの一つ一つが上手く繋がっていて、間延びせず最後まで流れるように進んでとても良かった・・・と思いました。その分、スタッフの方、裏方の方々の努力は大変だったのでは・・・と感じました。  素晴らしいSOPPだったと思います。
ありがとうございました。 
そして、昌美先生はSOPPを迎えるまで、きっと、とても厳しい(私たちの想像を超えるような)神事、神行を重ねてこられたのだと、由佳先生の閉会の涙ながらの挨拶から感じました。  
昌美先生が大指導者として先頭に立って下さるから、私たちは安心して、毎月富士で行われる様々な神事を行じていけるのだと思います。

あんな小さなお体で・・・世界平和の実現を担っている  
由佳先生の涙・・・家族として、娘として昌美先生を想う気持ちが溢れ出ているように感じられました。   月並みな言葉しか出てこないのですが・・・、
昌美先生、本当に本当にありがとうございます。

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by mppoe-light | 2015-05-25 22:54 | 真理について思ったこと

私の世界の唯一の決定者

「私」は私の世界の唯一の決定者である
「私」は私の世界の唯一の創造主である

「私」は宇宙神の御心を私の世界に顕します。

→”神性復活”

毎日、印を組む前に宣言をしています。 
この頃、宣言するたびに、この決定者であり、創造主という部分を
自分に言い聞かせています。

私は 本当の意味で、きちんと真理に基づいた決定をしているだろうか。。。

「私」は、私の世界のただ一人の決定者・・・それなのに、私ではなく、
世の中の常識、または、周囲の目 に自分の心が揺れ、左右された決定をしているのではないか・・と思いました。 それだけ “想いのクセ”“想いの習慣”は因縁因果のカルマに大きく傾いている・・・・という事なのですが・・。

たとえて言うなら  絵を描くとき・・・、 
「上手く描きたい、完成したら周りの評価が待っているから良い作品にしたい・・・・」
「高く評価されたら 売れるかも♪」

などなど・・ 「絵を描きたい」 と思う気持ちに、余計な思惑が重なってきます。

純粋に絵を描きたい 絵を描く というこの気持ちがいつの間にか、自分の気持ちではなく、周りの目に左右された気持ちで絵を描くことになってしまう。。。 

いったい、私は何のために生きているのか。過去のカルマを引き継ぎ、カルマを延長させた世界を創造するために私は此処に居るわけではないのに。

私の心は今、起こっている現実の何をとらえて、どう反応しているか・・・・それも選択。
怖れず、振り回されず、自分自身を信じて、真の決定をして行くべきなのだと思いました。 そのためにも もっと自分を赦し、自分を愛すること!

創造主として、選択・決定はつねに私に任されている。
なんてすごい能力を私たちは与えられているのか と思います。
神性復活 神性顕現
自分自身に誇りをもって 決定・創造していくべきなんだ・・・と思いました。


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by mppoe-light | 2015-04-28 00:12 | 真理について思ったこと

「こころ」

過去はない 消えてゆく姿だから。 
だから捉われてはいけない。摑んでしまってはいけない。放さなくては。
では・・・、
放した後、心は何処へ向けたらいいのか、 
現われた消えてゆく姿に、捉われず、摑まないようにした後も、心には、様々な想いが絶え間なく湧き上がってきます。

五井先生は 人間の、捉われた想いを放した後の、心の行き先を用意して下さいました。
「世界平和の祈り」 を用意して下さいました。
それは真の心(神性)と繋がる方法でした。

世界平和は神さまの御心。 その御心と一つになる、祈り。

本心に辿り着くこと、自我の私をすべて神さまにお返しして、本体そのものとなることは容易ではありませんが、 
世界平和の祈り 印 によって
本心とつながることが出来ます。
今どんなカルマの中にあっても、 消えてゆく姿で世界平和の祈りを実行することで、自分の内にある神性と繋がり、顕すことができます。

完全にカルマを浄め切らなくても、完全に「空」を体得していなくても、
本来は 我即神也 なのだから、神性とつながり、顕すことができる。

祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのものなり。

 
本心・・・本当の“こころ”   まだ “まことのこころ”の在り場所を知ることは出来ていないけど、 祈ること、印を組むことで、私は まことのこころと繋がり、顕すことが出来ている・・・・そう思うと、 世界平和の祈りの奥深さ、果因説の素晴らしさに感動する私です。

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“こころよ こころよ どこにいる
まことのこころよ どこにいる
探し求めて幾転生“

“私はこころの在り場所を
はじめてしっかり知りました
こころは天にありました
いのちの中にありました
光の中にありました
私の中にありました“

“こころは私でありました
 こころはいのちでありました
 こころは光でありました
 人と人をまんまろく
 天と地とをまっすぐに
 つなぐ光の波でした“


五井先生の 「こころ」  から





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by mppoe-light | 2015-04-10 22:30 | 真理について思ったこと

「意識即創造力」

今、いのちがここに届いている。
『私』と言う“いのち”が、この現象界の肉体の私のところまで光を降ろして、来ている
・・と思いました。 

今、『私』は、ここにいる。 
『私』の内には、創造するためのすべての要素、あふれ出る源泉があって、『私』という意識は、意思の力、信じる力を使って、自由に現象世界に神の完全性を顕すことができる。 

『私』は、ここにいる。
『私』は、素晴らしい。  『私』は世界を創造する者。

これは、あなたも、すべての人類も皆同じこと。 
人類の存在は、“いのち”が届いている証。
人類一人一人は、素晴らしく、気高く、 世界を創造する創造主。

<2013 白光誌6月号 法話 「意識は現実を創造する力」> から


意識は創造する力です。 意識は現実なのです。これをよく覚えていてください。
意識は現実なのです。自分が思ったことは必ず現実に映されるのです。これは宇宙子科学で証明されつつあります。

意識即創造力です。意識は創る力であり、自分が意識したものが現実に現われる。そして自分が創造したものは、必ず自分が体験することになるのです。

私たちは宇宙神の光の一筋です。宇宙神そのものが創造者であるならば、私たちも創造者なのです。
私たちは傍観者ではありません。受容者でもありません。創られる人でもありません。言いなりになる人でもないのです。
自らが創っていくのです。世の中を変えていくのです。自分で自分の人生を変え、病気を癒していくのです。
そのような創造者であるということです。


意識は素粒子レベルで伝わっているのです。 意識が素粒子に影響を与えるのです。


最後にもう一度申し上げます。 
皆様はまだ自分自身を本当に信じておらず、自分自身の力をまだ発揮されていません。私に後押しされて、こうして大勢でやると発揮できるのに、自分の部屋に帰り、家族や会社のネガティブな状況に触れると、その力があまり発揮できなくなる。
その無限なる力を発揮してください。すべては波動なのですから、あなた方の周りに全部届くのですから。

最後に自分に言い聞かせましょう。
 私は創造者! 私は宇宙神の一筋の光! 故に、
無限なる愛、無限なる創造、無限なる叡智、無限なる幸せ、無限なるエネルギー、
無限なる能力、無限なる可能性、無限なる成功、無限なる供給、無限なる健康、
無限なる治癒力、無限なる成就、 その創造者である。

 それらのエネルギーを通して創造者としての自分を発揮する。発揮する。


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by mppoe-light | 2015-03-28 11:45 | 真理について思ったこと