カテゴリ:真理について思ったこと( 301 )

これは本来の私ではないのだから・・・

これは本来の私ではないのだから・・・

と、自分に言い聞かせて、我即神也へと意識を転換する。
眼に入る現実に没頭してしまい、形だけの現実世界に生きる自分がすべてだと誤解してしまう。そして目に入ったものを評価してしまう・・・
そんなとき、ふと「私」自身に還ってみる。
 
これは本当の私ではない! 私はこんなちっぽけな存在ではない。こんなつまらない感情想念を抱えて生きる存在ではない。
私は本来、神の分御霊。宇宙と繋がる光、創造者。「私」という認識が世界を宇宙を創造している。 私は私を愛します。

人間はともすれば現実世界に浸かりこみ評価、非難批判を繰り返す、人類的には紛争と災害が絶えない二元対立の世界に入り込んでしまっている。この世の生活の世界から超然とすることは容易なことではない。問題が起これば、解決に取り組むのは人情である。そのために祈りに入るのはよしとするにせよ、そこで止まってはいけないということである。

問題解決は守護の神霊に手放した後、問題の無い世界に直入する意識が重要なのである。

<祈りと問題解決 から>


五井先生の消えてゆく姿の教えの深さを感じます。
消えてゆく姿で世界平和の祈り それを更に発展させた、 我即神也、人類即神也、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就

問題を消えてゆく姿にして、祈りでもって神様の世界に入る、 それはつまり
我即神也、人類即神也、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就

二元対立を越え、因果説を越え、果因説の思考に自分の意識を置く努力をする。
そのために、消えてゆく姿に徹し自分を赦し、“我即神也”で、自分を認め、愛する。

本来の私は、こんな小さな存在ではない。こんなつまらない感情想念に流される存在ではない。
私は 我即神也なのだ。 宇宙と繋がる創造者。 世界を創造する創造者。
私が在るから私は世界を創造し、創造した物を体験し、感じることができる。
ありがとうございます。 
「私」いつもここに在る。ありがとう「私」。

祈りと問題解決

『祈りや印は、問題解決策ではなく、自らを“我即神也”そのものに至らせるための道しるべである。
自らを輝かし、自らを尊び、敬い、愛し、慈しみ、また自らに感謝するための方法なのである。』(04-02)

『宇宙神は“これらのマイナスの現象を一つ一つ解決する必要はない。これらの現象はすべて人類即神也を顕わすためのプロセスなり”と述べておられるのである。』(00-09)

『一気に真理の極みから臨んでゆくことである。今自分に生じている不幸や困難に対して、100パーセントの意識を集中し、その解決に向け奔走するのを一旦止めるのである。
そして、自分の意識を高い真理にまで引き上げ、そこから自分を導いてゆくことである。』(01-11)

『さまざまな問題解決のための一生ではなく、それすらを超えてゆく生き方を求めることが先決なのである。
それが即ち自分自身を知ることであり、人間神の子について深く深く極めてゆく生き方こそ、真実の生なのである。』(91-12)

 問題解決は祈りの入口である。だが、目的ではない。
祈りの根本は「我即神也」に目覚めることである。
表面的な解決に取り組むだけで、根本解決がなければ、新たな問題が生じるだけである。
『神示によれば、“徹底的に二元対立を超えたところで生きよ”ということである』(01-03)。
二元対立を超えるとは「我即神也、人類即神也、すべては完璧、世界人類即平和也」に徹するということである。そこに意識を集中させよということである。

 人間はともすれば現実世界に浸かりこみ評価、非難批判を繰り返す、人類的には紛争と災害が絶えない二元対立の世界に入り込んでしまっている。この世の生活の世界から超然とすることは容易なことではない。
問題が起これば、解決に取り組むのは人情である。
そのために祈りに入るのはよしとするにせよ、そこで止まってはいけないということである。

因果説は二元対立の世界の法則である。それに対し、
『果因説はすべての対立をすでに超えてしまっているところから始まる』(01-11)。

果因説の真理はすべての不調和、不完全さが初めから無いところで確立している。
祈って、その神の世界に入り込むのが果因説である。問題を解決しようとする意識は、問題が初めから無い神の世界に入り込む意識とは全く異なる。前者は因果説の意識であり、後者は果因説の意識である。つまり、問題解決は守護の神霊に手放した後、問題の無い世界に直入する意識が重要なのである。

 『今あなたがたとえ不幸の最中にあって喘いでいたとしても』(01-11)、『我即神也』を前提にして語り、念じ、行為する選択をすることが果因説の生き方である。
不完全な自分、あらゆる苦悩、、、、何があろうとなかろうと、現象界のことは守護の神霊に預けて、神に成り切るのである。
新たに神に成るわけではない。『私』は元々神であり、神そのものであり、神以外のものにはなり得ない。その神の姿を思い浮かべるのである。イメージを描くのが苦手ならば、神の言葉を語ってみればいい。
 『私は、常に宇宙神から流れくる無限なる生命力に満たされ、周囲に愛と赦しと感謝の光を放ちつづけるのである。』(07-07) 

<ピタゴラスさん>   




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by mppoe-light | 2016-03-20 21:51 | 真理について思ったこと

「生きる」こと「命を生かす」こと


「私」 が在る、ここに! 「私」は宇宙神の光の子。
70億の人類の「私」、 70億の「私」がある。そのすべてが宇宙神の光の子。

「私」があるから、私は世界を創造し、体験することができる。 
私は、見て、触れて、感じて、想って、行動して、  
「私」があるから、大自然の美しさ、壮大さに感動し、
天象の不思議さに感動することができる。 
そして、「私」がここにいる・・・という 内側から少しずつ湧き出る喜びと感謝。

だから 特別な理由はなく、 ただ 在るだけの「私」が、
大切な「私」 尊い「私」 に 今、少しずつ気づいてきました。

私の中に、無限なるものが常に、宇宙神から送られている。贈られている。
だから、私は私の意思で、贈られている無限なるものを肉体を通して自由に表現できるはず。私の神性はいつも私の奥で輝いているはず。
それを証明したい。証明するために顕現しなければならない。顕現するためにはどうするのか。

ただ一人一人の責任は、自分の何を摑むか。
神性を摑んだら間違いない。

自分の思ったことは成る。あなた方が成れば、世界の三分の一の人たちも成るのです。
(2月号 法話から)

責任を持って、自分の神性を摑む。
このことが、五井先生が言われる、「生きる」「命を活かす」ということなのだと思います。

真に「生きる」 とは、自分の神性を摑み、顕現すること。


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by mppoe-light | 2016-01-29 22:27 | 真理について思ったこと

“今”を見つける “今の私”を見つめる 

“今”を見つける “今の私”を見つめて、

私は私です。  私は“今”に在ります!
 「私」は“今”にいる 今、「私」はここにいる!

“今”の「私」は純粋な世界  そこはどんなカルマも踏み込むことは出来ない高い世界。“今”「私」には過去はなく、カルマもない。 
なぜなら、カルマは「私」には決して指一本触れることもできないから。

だから大丈夫、絶対大丈夫。 いつも私の内には光り輝く「私」が在る。光に満ちた世界がある。だから大丈夫、安心して自信を持って進んで。 

目の前に どんなに汚れた光景が現われても、どんなカルマの姿を見ても、
その姿の奥には光明が在ることを知っている「私」でいたいです。
すべては完璧 欠けたるものなし 大成就
だから、 批判、非難、評価も下さず、何ら一切関知せず 
私は光り輝く神そのもの 私は高貴で気高い 

私は私をもっと愛さなければ。。

我即神也 人類即神也 


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by mppoe-light | 2015-10-31 21:26 | 真理について思ったこと

「私」が存在することの喜び

今日、気が付きました。。私は自分を愛するために条件をつけている・・・ということに。
(T_T)。。。。

私は本来 神の分御霊であり、業性ではなく

ならば無条件で私は神の分御霊。
今どんな業想念に振り回されていたとしても、それは消えてゆく姿。本物の姿ではない。
不完全な自分を消えてゆく姿にして、神性を認めた時には、 
我は神也! 我即神也

「そんな簡単なことでいいのか・・・安易すぎるんじゃないか・・?」 
と、きっと因縁因果の世界が本物だと信じる人は、そう言うと思います。 
でも真実は果因説。すべては完璧 欠けたるものなし 大成就です。

油断すると つい因縁因果の思考に戻ってしまいます。 
現象に現われた自分の姿を見ているうちに、
自分を認めること、受け入れうること、愛することを躊躇っていました。
無意識に、自分自身を評価、判断して 自分を愛することを忘れていました。

無条件で自分を認め、無条件で自分を愛していく。
愛することで、私の中の気高く、崇高で、美しい精神の力が蘇る。
その神聖なる精神の力があるから、
完璧で欠けたるもののない神の姿を顕現することができる。

「私は、自らに内在せる神聖なる精神の力、即ち無限なる能力を自由自在に駆使し、肉体のまま光り輝く神の姿を顕現してまいります。大成就」


「私」という意識は永遠に存る。 「私」は、つねに、気高く崇高で優雅で美しく、温かく、光り輝く存在。

「私」が存在することに、もっと喜びと感謝の気持ちを持ちたいです。 
いつも、どんな時も喜びと感謝の気持ちを持ち続けたいです。
もっともっと無条件に自分を赦し、愛せるように心掛けたいと思いました。

(そう思ってから、 
鏡の中の自分の姿を見て、久しぶりに「目がきれいだなぁ・・」・・・と感じました。) うれしー♪


真の「私」はどんな世界なんだろう・・・・
「私」という存在が、一番奥深く、一番不思議な世界なのかもしれません。(なんちゃって・・)

神性顕現 大成就!


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by mppoe-light | 2015-10-16 22:30 | 真理について思ったこと

自分の意志で輝くこと

5月のSOPPに参加した時に、販売ブースで「神性復活」の冊子 を5冊買って帰りました。
そして、
帰ってから、この人なら分かってくれる・・・・と思う 友人・知人の5人に手渡しました。その他に、昌美先生の著書や富士聖地の紹介なども渡してみました。

が・・・しかし残念ながら 5人とも何も感じなかったのか・・・

ぜんぜんっ まったくっ 反応がないっっ!(;一_一) 


さ、さびしい~ぃよ~(T_T)

もしかして 私自身がもっと光り輝いていたなら、5人は何かを感じ、魂が光をキャッチして真理への扉が開いていたかもしれない。

“人が自分を見て「吾は神を見たる」と、思わず思わせるだけの 自分を磨き高め上げ、
神そのものとなるのである”


そう思うと、みんなの反応がなかったことに 少々責任を感じました。
自分の周りの人が目覚めないのは、私自身の輝きがまだ少ないのだと思いました。

我即神也  

私がもっともっと神性顕現すれば、周りの人たちは真理の響きを感じとり、
目覚め始めるはず、 究極の真理へ導かれるはず。

「私は、自らに内在せる神聖なる精神の力、即ち無限なる能力を自由自在に駆使し、肉体のまま光り輝く神の姿を顕現してまいります。 大成就」

「我即神也の真理に目覚めた私は、今生にて神の姿そのものを自らの肉体に顕現し、世界の人々に示してゆくのである。大成就。」     
<ピタゴラスさんのコミットメントから>


私自身が、周りの人の心や魂を感動させなくてどうする、
なんのために究極の真理の行を続けているんだ。(`´)っっ

私は私の世界の決定者である。
私は私の世界の創造主である。
神性復活 大成就
神性顕現 大成就

昌美先生や神様が輝かせてくれるのではない、
待っていれば時代が輝かせてくれる、のではない、
先ず、自分の意志で自分自身から輝くこと☆


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by mppoe-light | 2015-10-07 22:03 | 真理について思ったこと

「一瞬一瞬の意志こそが選択の原点」

真実の「今」

変化変滅し、消え去ってゆく、この人生を唯一と信じて生きている愚かさから、脱却して、改めてこの人生を見直さなければいけません。神のみ心とつながっている一瞬一瞬が、過去、現在、未来という、業性の現象社会を超えた、真実の「今」でありまして、その今を生かしきってゆくことによって、人類は真に地上天国を現出することができるのであります。

真実の今、宗教的にいう今というのは、一瞬一瞬で消え去ってしまう今ではなく、神のみ心と縦につながって、永遠の今として、光を放っている今なのです。今が一瞬ではなく、神につながった一瞬から、永遠の今として、宇宙にひびきを放ちつづける今となるのです。

過去、現在、未来の想念が、過去の想念行為が現在の運命の根幹になり、現在は未来の運命の基となるというように、輪廻してゆきますので、どこかで、この輪廻を断たなければ、人類は自由自在に神のみ心を現わすことができないのです。
そこで、普通いわれる現在とか今とかいう消えてゆく姿的な見方ではなく、永遠の生命につながる、現象の変化変滅にかかわりない、神のみ心の中にある今、実在そのものの今を生かすことを知らなければならないのです。

神霊の世界に通ずる永遠の今を生きるか、業性世界の消えてゆく姿的今を生きるかによって、その人の運命も、人類の運命も大きく変わってくるのであります。神霊の世界に通ずる今を生きるためには、愛と調和の心を一瞬一瞬の間にももっていなければならないのですが、その愛と調和の心を最も具体的に光明波動としてひびかせ得るのが、祈りなのです。

<五井先生 『愛すること』 より>

*********************************************************************

宇宙の真理は
それが善であれ悪であれ  それが誰であれ何であれ
過去の記録は一切問題にしない

それを重大に問題視しているのは
本人(貴方自身)以外の何ものでもない

過去の失敗、挫折、罪、汚れは
自らが犯した過ちではない
ただ選択を誤っていただけなのだ
これからはよりよい選択が出来るよう
真理を極めてゆくだけでよいのだ

そして決して自分を責め裁かず
常に自分を愛し 赦し 抱きしめ
輝かしい未来にむかって
歩みを進めることだ

<インフィニット・ワーズ 『過去を放す』 から>


真実の私は、「今」の中にあって、その私は神とつながり、光り輝いている

無駄な、無意味な生き方をしないようにしたい。。。
変化変滅する輪廻の世界を超え
神性につながる「永遠の今」 を生きるためには 
意識して神性を復活させることを生活の中で選択していくこと 

一瞬一瞬の意志こそが、「選択」の原点なのです。< 「人生と選択」 から> 
 
 
今、ここにいる「私」。  この「私」は何なのか。
何のためにここにいるのか。 今、ここでなにをすべきなのか。
「私」は私の世界の唯一の決定者、創造主である。
「私」は、我即神也 そして人類も即神也  
だから本来、 すべては完璧 欠けたるものなし 大成就


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by mppoe-light | 2015-09-26 22:25 | 真理について思ったこと

「成就の強く硬い決心」


肉体が媒体となって、現象界に光を放つ のだから、
この現象界を進化させるには、現象界で活動できる媒体の神人が必要。

なぜ神人?  肉体という器を動かしているのは 「私」、 私と言う意識
私と言う意識が神性を認め、顕現しようとすることで、意識を通して宇宙神の光が流れ、現象界の私に降りている。その私が肉体を通して、人類に光を放射する。
その時、私には過去はない。宇宙神の光の中で私は生きているから。

そう考えています。 だから・・、

“私”という意識がなければ、光は流れないし、ここに届かない。
“私”は、天の光を地に降ろす人。すごい、素晴らしい存在!
私は宇宙神と直に繋がっている!

もっと自分に誇りを持って、そして宇宙神に愛されていることを信じて、
もっと自分を愛し、自分を信じて生きていきたい、
そして、神性顕現をするために、天命成就の強く硬い決心を維持していかなければ・・・と思いました。

我即神也 すべては完璧 欠けたるものなし 大成就


真理の証人

 『我即神也』の宣言文に『自分を磨き高め上げ』と言う文言がある。そのためには何が重要なのだろうか?
『自分を磨き、高め上げ、進化させてゆくために一番大切なことは、何について意識するかである。いかに自分の願望の成就について、強く深く意識してゆくか否かである。』

何を意識すべきか?『我即神也』であると会長は言う。自分の存在についてである。
それは何をしてきたかではない。過去の実績ではない。過去の善悪の想念行為ではない。過去や現象、実績には関係ない自分そのもののことである。

 『強く深く意識する』とは、『自分の意識がどれだけ長く続いたか』『どのくらいの頻度で同じことを意識するか』ということである。
想念の法則では、『必ず意識することは成る。成就する。繰り返し繰り返し、意識を深く強く集中したことは必ず起こる』。(以上2001-12)

 真理を認識すること、意識することに続いて、重要なのが真理を顕そう、つまり天命を完うしようと言う強い意志である。
過去とは切り離された神なる自分は何をすべきなのか。何をしようとするのか。何をしたいのか。
それは『“我即神也”を現わすこと』(2000-01)である。神性顕現こそ人間の天命である。それは自己実現であると同時に、人類を救済することでもある。

『(神人たちは)ついには自らが欲するものはすべて手にするという真理の法則の証人として、世に立ってゆくのである。』(2004-04)

 神人にとって、この姿は遥か彼方にある理想ではない。切なる願望であって、今生で果たさねばならない大天命である。
この姿を成就することを、自分の意識で強く深く長く、頻繁に繰り返すことである。
重要なのは、この天命成就の強く硬い決心である。
真の祈りとは、この決意の宣言である。真の祈りとは、神の立場での決意表明、意志表明である。それはまた、印で表現され、マンダラに書き刻まれることによって、ますます成就するようになる。
 
神人は真理を学ぶだけではなく、真理を顕して、『真理の法則の証人』になるよう定められている。
定められているからこそ、そうなるよう宣言し続けなければならない。これに最適の宣言文がある。呼吸法の息を止めるときにも使えるので、ご紹介しておきます。

宣言文: 『自らの内にある神秘なる力、遺伝子一つ一つに組み込まれている我即神也の真理、無限なる叡智、無限なる直観力を引き出し、人類に先駆けて、本来の神そのものの神々しい姿を顕現し、人類に証してゆくのだ。』(2001-05)



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by mppoe-light | 2015-08-30 10:37 | 真理について思ったこと

私に任せられていること

創造的思考こそ、常に自分の意識を高次元へと導き、ワクワクドキドキさせつつ遂に目的を成就させてしまう。 
<8月号 指針から>

真剣に意識を集中するならば、すべてが可能になるのです。自らの内部の中心核、神性につながるからであります。
<神性復活 精神文明へのパラダイム>から



宗教に限らず、 何かを真剣に探究していことは、それは真理の探究と同じことなのでは と思います。

世界や人類は、神さまのエネルギーで生まれ、包まれ育まれ、 
世界や人類は、神さま(宇宙)の中に在り、世界や人類の中に神さま(宇宙)がある。
だから、すべてのすべてはみなつながっている。

芸術、自然科学、医学・・・ どの分野でも、真摯に探求していくことは、真理を掘り下げて行くことと同じ、
分野は違っても、目的地はみな同じ、 
神さまの真の世界に到達するためのもの。

そう思っています。


だから、目の前の物事と真剣に向き合い、意識を集中するならばそれは“常に自分の意識を高次元へと導き” 
自らの内部の中心核、神性につながる
だから、
ワクワクドキドキさせつつ遂に目的を成就させてしまう



運命とは、まさに自分の信念の投影なのです。信念はパワーであり、エネルギーです。

それゆえ、自らのエネルギーの正しい使い方により、いくらでも運命を方向転換することが出来るのです。
感情想念の赴くままに衝動的に行動に移さず、いったん心を鎮ませ、内なるエネルギーの正しい方向性を定め、配分に心がければよいのです。

 一瞬、一瞬の自分の言葉や想念、思考、行為を善なるほうへ、素晴らしいほうへ、希望溢れるほうへと選択しつづけ、決定してゆくのです。完璧なもののみ、健康のみ、繁栄のみ、成功のみを未来に刻みつづけ、明るく調和した輝かしい未来を受け取るのであります。

<神性復活 精神文明へのパラダイム>から



ただ なんとなく惰性で生きていてはいけない。 もったいない、残念なこと。

我即神也 「私」は今ここにいる。

今置かれた立場できちんと生きる。惰性ではなく、 
一瞬、一瞬の自分の言葉や想念、思考、行為を善なるほうへ、素晴らしいほうへ、希望溢れるほうへと選択しつづけ、決定してゆくのです。
それが自分を極めることに繋がり、“常に自分の意識を高次元へと導き、ワクワクドキドキさせつつ遂に目的を成就させてしまう”



一瞬、一瞬の選択が未来を決めてゆく。  
一瞬、一瞬・・・(汗  (@_@;)厳しい。。 そこまで意識を集中して行けるか・・・
でも五井先生は仰いました。 倦まずたゆまず祈る 祈り心で生活する

すべては私しだい。 私に任せられている。 そのことをもっと自覚しないといけないな・・

そう思いました。。。


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by mppoe-light | 2015-08-08 17:20 | 真理について思ったこと

本物を掴むこと☆

「悠々とした生き方」

宗教の一番の根本は、環境に把われないで、いかなる環境においても、心が常に豊かであり、明るく美しく生きるということです。それが一番大事なんです。

(お釈迦さまが) どういうふうに悟ったかというと、悟ったから環境がすぐ直るというんじゃないんです。
お釈迦さまの悟りというのは、悟ってすぐ病気が治り、貧乏が直せる、すぐ地位が上がるというのではないんです。
いかに病身であろうとも、いかに貧乏な環境にあろうとも、いかに追い詰められた環境にあろうとも、地位が低かろうとも、心がそういうことに把われないで、そういう外界の想念波動を超越して、心がいつも豊かで明るく美しく生きられる方法を悟られたわけです。

 仏教を煎じつめれば、肉体生活の喜怒哀楽、五感六感に感じる苦しみや悩みを超えて、本当の生命、真実の世界、本心から来る喜び、美しさ、平和、調和を肉体に現わそうということです。
それを現象的にいいますと、心が本当に豊かになり、解脱して、美しくなり明るくなれば、貧乏でなくなってくるし、病気は治るでしょうし、地位も上がるでしょう。いろんなことが現象的にも効果が現われてくるのは必定なんです。

<五井先生>


自分の外側の現象にばかり捉われて、 自分の内面を置き去りにしないこと。
私の心が変われば、私の住む環境も変わるはず。
祈っていても、住む環境が改善されないのは、自分の心を置き去りにしているから。
外側の変化ばかり期待し、依存している幼い心は、自分を正しく内観していこうとしない。
それでは消えてゆく姿の“私”を摑んでしまっているだけ。

自分を突き詰める。
幼い心の私は、消えてゆく姿として赦されているのだから、消えてゆく姿で世界平和の祈りで本心と繋がり、
さらに
出来るだけ、高い「私」を認識し、信じること。

仏教を煎じつめれば、肉体生活の喜怒哀楽、五感六感に感じる苦しみや悩みを超えて、本当の生命、真実の世界、本心から来る喜び、美しさ、平和、調和を肉体に現わそうということです。


我即神也  すべては完璧、欠けてるものなし、大成就

自分自身を置き去りにしていては、神性の私に申し訳ないです。。。。
だから、
本当の生命、真実の世界、真実の「私」をまず摑むこと。
消えてゆくだけの偽ものを摑むのではなく、本物を摑むこと。

我即神也 人類即神也


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by mppoe-light | 2015-07-26 16:29 | 真理について思ったこと

私が私の意志で選択すること

今月掲載の昌美先生の講演会のお話がとても良くて、
繰り返し読んでいます。


一番大事なのは、自分自身が、人類一人一人が責任を持って自分を変えることなのです。

神性復活という本当のゴールを目の前に突き出しましょう。

生命の尊厳、自らの尊厳を高めることが人生の目的なのです。


もっとしっかりと、自分の意志で、果因説の生き方を選んでいくことが大切なのだと思いました。神性という本当のゴールは、すでに・・と言うより、もともと私の中に在る。
本来、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就の「私」であり「世界」である。
本来の神性を顕現する生き方=果因説の生き方を選んでいく



人は言葉によって健康、そして病気をつくり出す。どんな言葉を選ぶかです。言葉によって戦争をつくり出すことも出来る。これも事実です。しかし、誰も自分の責任とは思っていない。
自分に世の中を変えられるとは思っていない。 待ちの体制です。

今、神性と共鳴する言葉を語れば未来は変わるのです。


ここで一番心に残ったのが、 “待ちの体制” という言葉でした。

「いつかそのうち、次元上昇して、神性が顕現できるようになるかなぁ
いつか成就ができるようになる・・・ いつかそのうち・・・・☆ 」
なんて、そんな想いが心の中に潜んでいます。(>_<)  そのうちなんとかなるさ~と言う
待ちの体制っ! まるで自分の神性を無視した、無責任な想い。  うううぅう。。。

もっと主体性を持って、自分の意志を明確に持って、神性顕現に向かうべきではないか・・・と、最近(やっと。。。(^_^;) 思うようになりました。
そうでなければ、曖昧な、ぼやけた意志のままでは、神性復活・顕現まで到達できない・・・。

あっ・・・
自分が主体性をもって、意志を持って、神性顕現する と聞くと、
「五井先生のみ教えの 御心のままに・・・ おまかせ と反するのじゃないか・・・」と言われる方がおられますが、
五井先生の“消えてゆく姿で世界平和の祈りや、本心と業想念” について、正しく向き合っていれば、理解してもらえると思います。。。。

私は私の世界の唯一の決定者である。
私は私の世界の唯一の創造主である。
私は今ここに 宇宙神の光を降ろします。
私は宇宙神の御心を私の世界に顕します。
私は神の姿を私の世界に顕します。
私はすべての神性を私の世界に顕します。
それは、私だけのためではありません。
人類が真理に目覚めるためであります。

もう長い間、繰り返し読み続けていながら、最近になってやっと、
この宣言文と本気で向き合う気持ちが湧いてきました。(遅っ☆)
やはり積み重ねって大切なんだ~。。(^_^;)


誰かが顕していくんじゃない、私がやらなきゃ。
私が私の意志で神性を顕現する。
私が成就していく。

この頃、また、真理に向かってやる気が出てきたところです。 ほっ。。。


人間は何のために生きているのでしょうか。 神性復活するためです。
遺伝子をオンにするためです。

その選択をするのは自分です。



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by mppoe-light | 2015-07-07 16:56 | 真理について思ったこと