カテゴリ:真理について思ったこと( 304 )

「天と地をつなぐ者」 から (1)

十数年ぶり・・・? いえ、20年ぶりかも
五井先生の「天と地をつなぐ者」を読みました。

五井先生の言葉が心に響きます。

本文から

「私にとって世界はすべて美しいのである。病気も、貧乏も、闘争も、すべては迷いの影であって、実際はないのであった。こうして生きている、ということだけで、ありがたくてありがたくて仕方がないのである。

“神様、ありがとうございます。ありがとうございます”こうした感謝に明け暮れている私だったのであったから、いつも明るい昂揚した様子をしていた。」

世界人類が平和でありますように

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by mppoe-light | 2016-12-01 22:09 | 真理について思ったこと

「私」の世界を成立させる☆

地球上の現象、出来事、常識、価値観、それが全部 人類の創造の産物。
その創造の基準は、
目に見える形のあるものが全てで、時間は過去、現在、未来と流れ、
正・負、善・悪で物事は判断され、評価される  というもの。

こんな基準、判断で、小さな地球から宇宙を眺めてみても、きっとそれは間違った宇宙像なんだろうな。。。なんて思いました。

「私」が、宇宙を大きく創造し発展させるために宇宙神から分かれた光の一筋の存在なのだから、私は自分を受け入れ、自分の価値を認めて行かなければならない と思いました。

自分自身を認め、愛してこそ、自分の真の世界が成立する気がします。私が認めたものが存在するのだから。 
自分の価値を認めず、愛さないと、心は“横取り”をし始めます。

自分の存在を、外部の評価、判断で委ねてしまい、自分自身の内側はどんどん空白になってしまう。空白になれば更に不安になり、ますます外側に自分を委ねてしまう。。。

自己否定をしてはいけない!  

否定すれば、自分の存在がなくなり、自分本来の真の世界もなくなり、ずっと因縁因果の回転の中に居続けることになってしまう。

無条件で自分を愛すること。無条件で自分の存在価値を認めること。 
それが「私」という意識を持っている者の本来の姿。

自分の世界を成立させ、広げていくために、
神性復活 をする。

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by mppoe-light | 2016-11-23 21:20 | 真理について思ったこと

私は何にでもなれるのかもしれない

 
本来、私は何にでもなれるのかもしれない。何にでもなっていくのかもしれない。

置かれた場に応じて、さまざまな「私」になれたらいいな、、と思いました。
大切なのは、その場が調和していて、美しい場になること。
究極の私の存在目的は、置かれた場を神聖な場にすること。(あくまでも究極の私ね(^_^;)
だから、突然上座に行く必要があるなら上座に、その直後、必要があるなら速やかに下座にも行く。

たとえば、
調和、平和と言う種を蒔き、それを育てるために、私は水になったり、太陽の日差しになったり、風にもなったり、雨にもなったり、
時には嫌な事、苦手な事にぶち当たって、エゴが不満を言うかもしれないけれど、
それは消えてゆく姿として処理し、
やがて調和、平和と言う果実が実ったら、みんなで分かち合い、みんな笑顔いっぱいで喜び合って祝福しあって・・・・(*^_^*)

故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、神の存在そのものなり。

今、疲れていても、悩んでいても、本来の私=我即神也はそんなこととは一切関係なく、
今ここに在る神性=私は、疲れることもなく悩むこともなく、ただただ神の扉を開放しつつ、無限なるものを地上へ降ろすことを願っている。
扉はいつも開いている。



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2016.8.長崎
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by mppoe-light | 2016-09-13 21:11 | 真理について思ったこと

私という生命。

私という生命はいつもここに在ります。
だから安心して。私は光り輝く生命にいつも繋がっている。
私はいつも無限なるものに繋がっているから。 
生命は高貴で偉大で美しい。生命は宇宙神と繋がっていて、いつもいつも愛され、祝福されている。

私はすべてに満たされ、愛され、祝福され、燦然と輝く宇宙神とまったく一つに融け合う。

私が光り輝くと、世界も光輝いて見える。私が愛され祝福されていると信じると、世界も愛いっぱいであるんだ、、と思う。

本心の私は、地球上のすべての人を赦し愛してるはず。 私は本来、神の分霊だから。我即神也 だから。私は私の内奥で、すべての人を受け入れ、愛しているはず。

だから、置かれた場では、光り輝くような気持ちで物事にあたりたい。創造したい。
そう努力してやってみよう・・・と思いました。

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by mppoe-light | 2016-08-22 17:05 | 真理について思ったこと

20%の中に飛び込む


私の目は、意識は、想いは、何を摑んでいるのか。。。
批判、非難、評価をしている時、私の意識は肉体人間側の観念に偏っている時。

本体の、神性の私は消えてゆく姿を理解しているので、相手の、どのような様相を見ても、
相手の神性を認め、人類即神也を顕すためのプロセスとして受け入れます。

批判、非難、評価をするとき、私は私を愛していません。 私を信じていません。
それは自分の神性を疑っている時。光を見落としているとき。

心して、自分を磨き高め上げること。 
つまり、自分の内に神性があること、自分はもともと我即神也。宇宙神の光の子であると自覚すること。 
宇宙神の直系であることを認め、信じること。 
五井先生の言われる20%の中に飛び込むこと。

五井先生は人間は誕生した時から運命は80%決まっている。
あとの20%で運命を変えていく、と説いておられます。

その20%といのはどういうことかというと、20%の未知の世界がある、これから作り上げていく世界がある、というわけです。

 80%まっくらだけど、20%光がさすところがある。それを窓口として、跳躍台として、無限に自由自在の世界に出る、ということなのです。つまり、自分の生命体が自由自在になる、そういう窓口が20%開いていて、あとの80%はもう決まっているのだ、というわけです。その窓口から出ていけば、自由自在の世界に出られるのです。

因縁因果をこえた人というのは、因縁とはなんの関係もなく、自由自在に生命を生かしていける。そういう人間になる道が20%の光の道としてあるわけです。20%の自由性がある。

 その因縁因果の波をこえた自由性の20%のところにつながれば、悪い運命であったとしても、それをこえて自由自在の世界に出られるんだ、ということなのです。
「悠々とした生き方」より

五井先生は因縁因果のカルマを浄めて自由自在なる・・・とは仰っていません。
因縁因果をこえる・・・と言われています。

20%へむかって、祈りで飛び込む。 
そして、光の窓口が見つかり開いてきたので、
次はいよいよその窓口を使って、天から光を降ろす。
それは神性を顕現すること、因縁因果の過去を超えた、新しい世界、神性世界を地上に創造すること。

光を通すことで、どんどんそれは広がる。 どんどん強い光が降りる。
光の道をつかみさえすれば、過去もない、カルマもない。

五井先生、昌美先生 ありがとうございます。
我即神也 人類即神也


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by mppoe-light | 2016-08-20 17:00 | 真理について思ったこと

人類即神也の宣言文

人類即神也の宣言文を読み、終わりの部分を読みながら思いました。
これって、創造する事を宣言しているのだな…と。

いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず

なぜなら、それらはすべて消えてゆく姿だから。だから関知しない、認めない。
それらは本物の姿ではない、実在ではない。

創造力を持つ私たちの意識は、消えてゆく姿を掴んではいけない、本物と認めてはいけない。
認めるべきは、我即神也、人類即神也
そうすれば、私たちの意識は、神性顕現へと創造力を使っていることになる

人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組み続けるのである

それは地上天国のための創造、浄めてカルマを一掃してから地上天国がやって来るのではなく、
カルマは消えてゆく姿として処理し、私たちは天から頂き直す。
神の世界を地上に創造する。

そう思って宣言文を読みました。

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by mppoe-light | 2016-07-23 21:21 | 真理について思ったこと

本来の生き方

今まで、私達は偽の自分を生きていて、偽物の人生を生きながら、偽物の世界を創り上げてきました。
それがこの世界のすべてだと思い込んで。
偽物の世界で生きることが最も重要だと思い込んでいるから、心はいつも現象世界の動きにとらわれる。
いつも過去、未来へ流れていく。

でも、真実は、今の世界は色即是空 ということ。 
実は、本物ではなく、偽物の世界であって、
本当に私たちが“生きること” とは、
今の現実は幻だと気づき、そこから目覚めること。
そして自分が何者であるのかを正しく認識すること。 
そして認識したら、本来の生き方に修正すること。
本来の生き方は、空即是色 の生き方。
神性復活、神性顕現の生き方。

先日の富士の行事で5次元が開いたとのこと。
神性復活からいよいよ神性顕現の道が本格的に開かれた・・・それが、5次元が開いた、ということなのか。。。。 まだ私達にはわからないけれど、
いよいよ人類の、地上天国への扉が開いたんだ ・・・と思いました。
人類即神也


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by mppoe-light | 2016-07-06 15:40 | 真理について思ったこと

相手の奥を観る

因果律の思考ってやっかいなものだなぁ・・・と思いました。
どうしても二元対立の視方になってしまうからです。
正しいと間違い 正か負か 上か下か 善か悪か・・・☆

消えてゆく姿で世界平和の祈り とは、“消えてゆく姿”という方法で、二元対立の因縁世界を抜け出して、果因説の神様の世界に心を投入する・・・と思っています。
そこは光一元の世界

因果律の思考では、物事の表面だけを見て判断しがちになります。相手の振る舞い、発言、行動を二元対立で判断し、評価する。すると それがまた因となり縁を作り、同じ場をぐるぐる回転しているだけになってしまいます。

果因説で世界を観ることとは、消えてゆく姿が大前提のような気がします。 つまり 本物とは我即神也 人類即神也 それ以外は消えてゆく姿 ということ。
それは、
眼に入る様相ではなく、その奥を見る。 相手の奥に内在する神性を認めること。

たとえ相手が、神とは程遠い消えてゆく姿を現わしていたとしても、真実は相手も神。

たとえ 相手(法友)が、世界平和を祈り、印を組んでいながら、それ以外で神とは思えない姿を現わしていても、祈り、印を組むその行為があるのだから、それは素晴らしいことではないか、
それを認めるべきではないか。 それ以外は消えてゆく姿なのだから、大した問題ではないのではないか。 
相手は、祈りや印で命を生かしているのだから。

今月の五井先生の 詩 「小さな魂 大きな魂」  から

小さな魂も大きな魂も
今はもう全く一つになって
世界平和の祈りの白光波動を
世界中にひゞかせているのである

人間にとって大切なのは、生命を生かしているのかどうか。
そう思うと、相手の(法友の)批判、非難、評価したくなる姿など、大したことではないのだな・・・と思うようになってきました。
五井先生、昌美先生が見ておられるのは、人が生命を生かしているかどうか。
どんなに未熟な人で至らない人でも、祈り、印を組む姿は素晴らしいことなんだ・・・と思うようになりました。






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by mppoe-light | 2016-06-24 01:01 | 真理について思ったこと

神さまの作品



私の選択、決定によって決められ発せられる言葉、想念、行為。それが今の私の姿、容姿になって表現されている。
今、自分はどんな姿を表現しているのだろうか。 純粋で、清らかで、美しく輝いた姿を表現しているのだろうか。 調和した言動を表現しているだろうか。。。

私の姿は神さまの作品 と言ってもいいのかも。 神さまの作品ではあるけども、
決めるのは私自身。 すべて私に任されている。
私が私自身のことを 神性はなく、ただの肉体だけの人間と想い、選択・決定した言葉、想念、行為ならば、その時の私は 愛薄い輝きの無い神さまの作品。
私が私自身の神性を信じ、それを顕そうと思い、選択・決定したならば、その時の私は 愛深く光り輝く本来の神さまの作品。
私は、神さまの無限の可能性を使って、自由に自分自身を創造している。

今はもう、
自分の神性を信じることに、喜びと、平和と、幸せを感じていて、神性の中に至福があることに気づき始めているから、 もう後戻りはしません。 
私は我即神也 人類即神也、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就を選択し創造します。 その結果、顕れる、「私」という個性を持った聖なる姿。

私はこれから どんな「私」を(作品を)創造していこうか。
私の姿は常に私自身が決めています。 だから、いつも真理を想い、求め、真理とともに生きることを忘れないようにしたい と思いました。


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by mppoe-light | 2016-05-31 21:34 | 真理について思ったこと

「愛すること」から

  
 『愛すること』 から

<真実に自分を愛する人は・・・>
真実に自分を愛する人は、人間の本性を探究してゆく心の強い人です。あらゆる欲望感情に把われず、正しい真理の道を自己のものにしようとして努力するものです。

<真実の「今」>
変化変滅し、消え去ってゆく、この人生を唯一と信じて生きている愚かさから、脱却して、改めてこの人生を見直さなければいけません。 神のみ心とつながっている一瞬一瞬が、過去、現在、未来という、業性の現象社会を超えた、真実の「今」でありまして、その今を生かしきってゆくことによって、人類は真に地上天国を現出することができるのであります。
真実の今、宗教的にいう今というのは、一瞬一瞬で消え去ってしまう今ではなく、神のみ心と縦につながって、永遠の今として、光を放っている今なのです。今が一瞬ではなく、神につながった一瞬から、永遠の今として、宇宙にひびきを放ちつづける今となるのです。

<永遠の今を生かす>
今人間が自らの想念行為によってつくっている運命は、それは未来に現われるべき運命なのです。こうして過去、現在、未来の想念が、過去の想念行為が現在の運命の根幹になり、現在は未来の運命の基となるというように、輪廻してゆきますので、どこかで、この輪廻を断たなければ、人類は自由自在に神のみ心を現わすことができないのです。

<祈りの生活>
祈るということは、常に神との交流をしているということで、常に神の子である本心を開いているということなのであります。


神のみ心とつながること。 
自分は神ではないという想念行為から生じた輪廻から抜け出し、神さまとつながる。
人間は本来神の分御霊であり、神性であると認め、信じること。
そのための消えてゆく姿の行であり、我即神也 人類即神也の宣言、印、そして、「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」という言霊。

毎日欠かさず祈り、印を組むことが大切だと思います。 
祈り心で生活することが大切だと思います。
なぜなら、真理を常に身近に、自分の中に置いておかなければ、業想念の波から抜け出し神性とつながることが難しくなるから。  祈り心が本来の人間の生き方だから。。
自分の神性を強く信じればこそ、日常の業想念の中で、消えてゆく姿を行じることが出来ます。

業想念を消し去ってから神性が顕れるのではない。もともと私たちは神そのもの。
それを認めることで、業想念の輪廻から離れ、神さまと縦につながる。
神とつながった一瞬から、永遠の今として、世界に光を放ちつづけることができる。

毎日、祈り、印を継続しているものの、五井先生の教えの 祈りの生活には到っていません。(p_-)シクシク。。。
いつもいつも心の中に、片時も離さず神さまをおいておけるようになりたいです。



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by mppoe-light | 2016-05-21 22:05 | 真理について思ったこと