カテゴリ:真理について思ったこと( 318 )

過去を選ばず、「今」の自分を信じる

過去を選ばない。

選ばなければ、過去はない。あるのは「今」だけ。

過去を選んでしまうことで、自分の尊厳を下げないこと。

自分の美しさ、偉大さ、気高さを下げないこと。

私は本来、神の分霊、

我即神也 私はもともと大いなる源からの分けられた光=私

もともと気高く、偉大で、無限なる存在。



自分を信じること

まず第一にあなた方が神性を現わし、完璧な姿を見せてこそ、

多くの人たちがそれを切っ掛けに目覚めていくのです。

<7月号 昌美先生のお話から>



私はどこまで自分を信じているのだろうか・・・と思いました。

自分の可能性、能力、完全性をどこまで自分のものとしているか。

今、この瞬間、自分を支えている形あるものを失った時、

私はどう生きようとするだろうか。

どう自分が自分を導いて生きていくだろうか。

私は、もっともっと自分を信じ、何にも依存しないで自分を支えられるようにならなければ・・・と今、痛感しています。

今の私では、まだ足りない。自分の能力、自分の素晴らしさをもっと自覚して、

確信して行かなければ・・・そう思いました。



自分の意識を上昇させ、磨き高め上げれば上げるほど、人を愛せる自分になっていくのだと思っています。

なぜなら、高い次元では、「私」=「あなた」だから。


[PR]

by mppoe-light | 2017-07-14 17:09 | 真理について思ったこと

自立すること・愛すること・ラダーとなること

真の自立した時、どんな人も愛せるようになるのかもしれない。

そして、ラダーとなって、縁のある人を神性復活へと導いていけるのだ・・・と思いました。



昌美先生が法話で、

これからはリーダーではなく、天と地に梯子をかける人“ラダー”と言う

ことにする

と聞いて、

とても古い本ですが・・・、なぜか

「かもめのジョナサン」のラスト場面を思い出しました。



以下は、ジョナサンの教え子 フレッチャーとジョナサンのやりとりです。




「ジョナサン、あなたはずいぶん前にご自分で言われたことを憶えていらっしゃいますか? あなたは群れに戻って彼らの学習を手助けすることこそ、群れを愛することなのだ、とおっしゃった。

もう少しで自分を殺しかねないほど暴徒化した鳥たちを、どうして愛せるのか、ぼくには分かりませんね」



「フレッチャー、きみはああいうことが嫌いなんだろう!それは当然だ、憎しみや悪意を愛せないのはな。きみはみずからをきたえ、そしてカモメ本来の姿、つまりそれぞれの中にある良いものを発見するようにつとめなくちゃならん。彼らが自分自身を見出す手助けをするのだ。わたしのいう愛とはそういうことなんだよ。


私は荒っぽい若いカモメのことを憶えている。名前は、そうだな、まあ、フレッチャー・リンドでもいい。追放刑になったばかりで、死ぬまで群れと戦う覚悟を固め、<遥かなる壁>に自分のつらい地獄を築き上げようとしていた。

それが今ここではどうだ。地獄のかわりに自分の天国をつくりかけていて、その方向に群れを導いているのだからな」



「ぼくが導いている、ですって? それはどういう意味ですか。ぼくが導いているっていうのは。ここでの教師はあなたなんです。あなたはここから発たれてはいけません!」

「もうきみには私は必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。きみに必要なのは、その師の言葉を理解し、その命ずるところを行うことなのだ。」






≪こういって、ジョナサンはフレッチャーを残し、輝きながら高次の世界へ向かって消え去ってしまいます。


突然に師を失くしたフレッチャー、


そして、師、ジョナサンに代わって、若いカモメたちを指導する立場に置かれたフレッチャーは、≫







しばらくして、フレッチャーは、重い心でようやく空に舞い上がり、最初の授業を待ち望んでいる、新入生の印をつけた生徒たちのグループと向かい合った。


「まずはじめに…………」 彼は重々しく言った。

「カモメとは、自由という無限の思想であり、また<偉大なカモメ>のいわば化身であって、体全体が翼の端から端まで、きみらがそれと考えているもの以外の何ものでもないことを理解しなければならん」



若いカモメたちは、呆れたように彼を眺めた。おやおや、どうやらこいつは宙返りの法則とはちょいと違うようだぜ、と彼らは思った。



フレッチャーはため息をつき、もう一度繰り返した。

「ふむ。いや……まあ、よろしい」
彼はそう言うと、彼らの能力を推し量るような目つきで生徒たちを眺めた。

「では水平飛行から始めるとしよう」

そう言った時、彼は即座にあの友が(ジョナサン)が、今の自分と同じように、まさしく聖者なんぞではなかったことを悟ったのだった。



無限なんですね、ジョナサン?彼は心の中でつぶやいた。そうか、それなら僕がいつか すっとそっち側の海岸に姿を現わし、何か目新しい飛び方でも披露できるようになるのも、そう遠い日ではありませんね!

フレッチャーは自分の生徒たちに、厳しい教師と見られるように振る舞おうと努めたが、しかし、彼は突然、ほんの一瞬にしろ、生徒たち全員の本来の姿を見たのだった。そして彼は自分が見抜いた真の彼らの姿に、好意どころか、愛さえ覚えたのだった。無限なんですね、
ジョナサン。そうでしょう?彼は思った。そして微笑した。完全なるものへの彼の歩みは、すでにはじまっていたのだった。



<新潮文庫 かもめのジョナサン リチャード・バック 五木寛之訳 から>





真の自立した時、どんな人も愛せるようになるのだと思いました。

そして、ラダーとして、縁ある愛する人を神性復活へと導いていけるのだと思いました。



真の自立。 

『もうきみには私は必要じゃないんだよ。きみに必要なのは、毎日少しずつ、自分が真の、無限なるフレッチャーであると発見しつづけることだ。そのフレッチャーがきみの教師だ。』



自分を信じること、

自分が本来は何者であるか、何のためにここに存在しているのか。

これを疎かにしていてはいけない。



我即神也、神性復活、神性顕現。



自立とは自分の中の神性を信じ、すべては完璧、大成就を信じること、

自分で自分を導けるまで、自分を信頼し続けること。

そうなった時、いつでも縁ある人々を愛することができようになり、そしてその愛を持ってラダーとして働けるんだ・・・・



そう思いました。


[PR]

by mppoe-light | 2017-07-11 23:04 | 真理について思ったこと

ルーミー「真理は我らの裡に」「神化」

真理は我らの裡に 1



木立は繁り枝には果実あふれ
蔓草は曲線を描いて緑に光り
スーフィは一人、木陰に座す
瞼は閉ざされ、頭は膝の上に
瞑想の海深く沈んで動かない


何ゆえに、と、問う者がある


何ゆえに目を閉じているのか
慈愛に満ちた神の御しるしを
探し求めていたのではないか
目を開け、汝の周囲を見渡せ
これぞまさしく神の御しるし


それなら、と、その人は言う


御しるしなら常にここに在る
これ、という形や印も無しに
我が体内の奥深く、心の中に


巡る季節を映して梢が揺れる
世の美とは姿や形に宿るもの
次から次へと移り変わるもの


唯ひとつ、完璧なる人の胸に
永遠に輝ける果樹園を除いて





1. 『精神的マスナヴィー』4-1358. 初期の神秘主義者ラービア・アル=アダウィーヤの伝説として語られる寓話。ある春の日に、彼女は家の中に引きこもり頭を垂れていた。「外へお出かけになりませんか」、彼女の女召使いが話しかけた。「神の造りたもう美をご覧になってはいかがですか」。ラービアは答えた、「中へ入って、美を造りたもう御方をこそご覧なさい」。




***********************

「神化」1


蠅が蜜に落ちる。
体のどこもかしこも、部位の別なく
蜜に絡めとられて動かなくなる。


「イスティグラーク」、すなわち
忘我の境地というのは、このような状態を指す。
自意識を消滅せしめ主導権の全てを放棄した者。


その者より生じるいかなるものも、
全てその原因はその者には属さない。


水に溺れてもがいている者、あがいている者、
「溺れてしまう、沈んでしまう」と助けを求めて叫ぶ者、
そうした者は未だ「イスティグラーク」に至ってはいない。


『アナー・アル・ハック』


すなわち「われは真理(神)なり」という言は、2
この境地を象徴するのにまさしく的を得ている。

人びとは考える、何という暴言、何という傲慢、と。

人びとは考える、『アナー・アル・アブド』、
すなわち「われは神のしもべなり」、
という言こそ真の謙譲を表わすのにふさわしい、と。


断じて違う。


『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」こそが、
真の謙譲を表わす言である。


『アナー・アル・アブド』


「われは神のしもべなり」と言うとき、
その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。
しもべ、などと上辺では卑しみつつも、
しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。
自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。


『アナー・アル・ハック』


「われは真理なり(神なり)」と言うとき、
その者は自己を消滅し尽くしている。
そのとき、そこに自己などというものは存在しない。
ただ神のみが存在する。


これこそが真の謙譲、最大の奉仕である。




*1 『フィーヒ・マーフィーヒ』49.

*2 「われは真理(神)なり」については、『イブリースの告白』注釈を参照のこと。


[PR]

by mppoe-light | 2017-07-08 13:54 | 真理について思ったこと

ジャラール・ウッディーン・ルーミー

『あなたは大海の一滴ではなく、一滴の大海なのだ』

今月白光誌に載っていた、ルーミーという13世紀の詩人の言葉が素晴らしく、

さっそく調べてみました。

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

http://levha.net/rumi/147238/

「時の宇宙」1

ありとあらゆる瞬間に、あなたは死と再生を繰り返す。
預言者も言った通り、「この世はほんの一瞬に過ぎない」。
われらの思考は御方により、御方の宙へ向かって放たれた矢。
どうして宙にとどまり続けていられようか?
どうして御方の許へと戻されずにいられようか?

ありとあらゆる瞬間に、世界は新たに創造される。
われらは、永久に繰り返されるこの変化を知らない。
生命の水が刻一刻、新たに注ぎ込まれれば、
肉体は河のように、連続する流れの痕跡を残す。2



火花を素早く回転させれば、一筋につながる光の線に見える。
時も、時の経過も、絶え間なき神の御業のもたらす不思議の現われ。
巧みに回転させた松明の火が、ひとつの環に見えるかのように。





1. 『精神的マスナヴィー』1-1142. 存在という環の始まりも終わりも、神の本質という単一の点にある。これは我々の目には拡張という形式をとって認知される。しかしながら神秘主義者たちにとり世界は「瞬間に過ぎない」。それは神の光明により明かされる一即多・多即一のきらめきである。スーフィーその他のムスリム形而上学者の論に従えば、宇宙のあらゆる原子は神のエナジーの連続的な顕現であり、絶えず消滅しては再生される。

2. ヘラクレイトスの言「同じ川に二度入ることはできない。流れも変われば、水も変わっている」と比較せよ。


[PR]

by mppoe-light | 2017-07-08 13:26 | 真理について思ったこと

二度とない「今」

昨日はお祈りの会でした。 いつもと同じメンバーで同じプログラムでお祈り、印、宣言などを行いました。 
2週間後の木曜日にまた同じように集まり、同じプラグラムでお祈りします。


昨日のお祈りの会と2週間後の会は、今まで通り同じメンバーで同じことをするのですが、

でも、違う。 昨日の祈りの会はもう二度とないのです。

2週間後におとずれる祈りの会は、新しい別の祈りの会なっているはずです。



毎回同じことをするのだから、、結局は同じことじゃないか・・・
同じでいいじゃないか、と思われますが、 そうではない気がします。


「今」というと分かりにくいから、「場」にします。

人類の創造力によって、瞬間、瞬間、「場」が創られています。

「場」でも分かりにくいなら、「世界」にします。


「世界」は点滅するように顕れては滅し・・を繰り返し、その連続が

私達には物質として、そして連続する現象として見えている。
(と思っています。)

だから、

本当の「今」はこの瞬間だけ。 次の瞬間は別の新しい「今」がやってくる。

だから、

この瞬間を大切にしなくては、この貴重な今を大切にしたい・・・と思いました。


「今」をつかまえれば、過去を振り返ることは出来ません。過去から解放されます。過去から自分を切り離すことができます。



「今」は神性につながる道、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就に繋がる道だと思っています。


[PR]

by mppoe-light | 2017-06-23 22:28 | 真理について思ったこと

シュタイナーの本を読んで。。


c0074000_20411688.jpg
本文から・・・

修行者は自分の思考と感情が世界に対して自分の行為と同じ意味を持つ、という立場に立てなければならない。誰かを憎むなら、すでにそれだけで、なぐるのと同じ被害をその人に与えている。このことが認識できるなら、

私が自分自身を完成させようとする努力が、私ひとりのためではなく、世界のためでもある、という認識に到るであろう。

世界は私の純粋な感情や思考から、私の善行からと同じ利益を受けとるだろう。



個人の内面世界の、この世界的意味を信じることができぬ間は、神秘修行者となる資格がない。

自分の魂に対して、それが外界の事象と同じ現実的な力を持っているという前提のもとに修行を続けるとき、私は自分の内なる魂が何を意味しているかを、はじめて真に確信できるのである。私は自分の感情が手の働きと同じ効力を持つことを認めざるをえなくなる。




法友Kさんに借りて読んでいます。読み始めは、分かりにくくてすぐ眠くなりましたが(笑)、読み進むうちに徐々に読めるようになってきました。



「私が自分自身を完成させようとする努力が、私ひとりのためではなく、世界のためでもある、という認識に到るであろう。」


神性復活・顕現は、個人人類同時成道! 

<思わず思わせるだけの自分を磨き高め上げ(自己認識・意識を上げ)、神そのものとなるのである。>
 


そのためのツールは充分与えられています。 祈り、印、呼吸法、マンダラ・・・で。
やはり五井先生、昌美先生のご指導は素晴らしい!




[PR]

by mppoe-light | 2017-06-20 20:59 | 真理について思ったこと

一旦 離れる

一旦 離れる

心がざわざわ・・・気持ちが我即神也に絞れない、焦点が合わず、ピンボケしたような状態。

そんな時は、一旦、離れること。

何から離れるのかというと............

現実の生活、日常の出来事、さらには世界の状況に向けられている心を静止して、形の世界から一旦離れる。そして今の「私」戻る。



戻るとほっとします。 

心が安定し、穏やかで平安で幸せな気持ちが広がります。

そうやって新しい自分を頂き直して、現実生活、日常の出来事を改めて取り組めばいいのだと思います。



祈り、印、言霊は有り難いです。 自分で自分の荷物や汚れを払い、新しい命(私)を頂き直せます。 

もちろん常に瞬旬刻々、天から新しい生命が注がれているのですが、長い間、形の世界こそが本物だと思う習慣が、本来の自分を忘れさせてしまいます。

だから、祈り、印、言霊はありがたいです。 守護霊、守護神さまを呼べることもありがたいです。


その、休みなく天から送られる生命(私)には、無限なるものすべてが含まれているのですが、固定観念に阻まれ、受け取りそこなっています。

ボーダーを超えなければ。

すべては完璧、欠けたるものなし、大成就



私達は大成就を受け取るに相応しい存在。受け取るのは当然のこと。

なぜなら私たちは神の分霊、宇宙神とつながる純粋な神の子。


[PR]

by mppoe-light | 2017-05-28 16:29 | 真理について思ったこと

相手の「今」を観る

相手の「今」を観る

そう心掛けたい・・・と思います。

「我即神也 人類即神也」 そう宣言しているのだから、どんな人の奥にも神性がある、その神性を見つめ、認め、相手を受け入れるようになりたい。

そう思っています。

けれど、実際には難しいものです。 特に、身近な相手となると・・

難しいです。

過去に見た相手の嫌な部分、苦手な部分、嫌な想いをした経験が、今、神性を見つめ、受け入れようとするのを邪魔します。

昨日の事でした、スーパーから帰り、台所で買ったばかりの食材を整理しながら、Aさんのことが思い浮かびました。 どうやったらAさんのことを愛せるのだろうか。。。そう思った瞬間、 心の中に 「Aさんは神だ」という言葉が飛び込んできました。 

「ああそうだっ Aさんは神なんだ!」

と思ったら、あっという間に心いっぱいにAさんを愛する気持ちが湧き上がってきました。

それは以前、ハートのチャクラが開いた時に感じた気持ちと同じでした。



私はAさんが神そのものであることを分かっている、

私はAさんを愛しています。



しばらくするとその気持ちは収まってしまいましたが(笑)



でも、気が付いたことがありました。 

本物のAさんは過去にはいない、

本当のAさんは「今」にいる。 我即神也のAさんは「今」にいる。


と言う事です。



「過去はない、本来の姿は『今』にある。」と言いながら、、私は過去をつかんでいました。

「今」を見つめ、「今」に生きることの難しさを感じます。



毎日、私の思考は過去の中をさまよい、因果の創造を無意識にしている。

なんと無意味な創造をしていることか。。。

あ~真理を日常で実践することの難しさ・・・・(+_+)



過去はない、 毎瞬、毎瞬、宇宙神からの新しい生命が「私」としてここに降りている。 もちろんすべての人にも。


たとえ、過去に何があったとしても、

過去は、今の「私」には何の作用も起すことは出来ない。

今「私」は、完璧、欠けたるもののなく、大成就している。

今「私」は何も傷つかない、汚れない。

だから、過去にあったことを恐れることはない。

本物は「今」しかないのだから。



毎瞬、毎瞬、私たちの意識は、新しい状態、新しい場で生きていることを信じて、過去を思考に挟まず、相手の「今」を見つめなければならない・・・と思いました。

我即神也 人類即神也


[PR]

by mppoe-light | 2017-05-19 21:41 | 真理について思ったこと

信じることで変わる 選択・決断・決行

浄めるだけでは人類は救われないと思っています。

浄めることで、雲が晴れて明るくなり、相手に(人類に)真理への気づきが

起こった時、その気づきを究極の真理へと向かわせてあげなければならない、と思います。 

目覚めようとする人類の意識を受け止める場が 「神性復活」なのだ・・・と思っています。

2015年に富士聖地で神性復活が宣言されました。

これで、地球上で初めて、迷う人類の意識を受けとめ、究極の真理へ向かわせる場が刻印できたのだ・・・と、その時感じました。(もちろん私の個人的な感想ですが・・・。)


真の救いは、究極の真理 我即神也 に目覚めること。

因縁因果の原因結果の横つながりだけの輪廻の回転から、縦に(天に)つながる真理=世界平和の祈り・「我即神也」 に目覚めること。 

それは、『人間と真実の生き方』で五井先生が冒頭で説かれた真理、

「人間は本来神の分霊であって、業性ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。」 ということ。

現象世界で、神性復活するためには、守護霊、守護神のサポート、指導が欠かせないと思っています。

私自身、自分の感情が高まり上手くコントロールできないと、「守護霊さま守護神さまありがとうございます。」と、意識が縦(天に)に繋がるようにサポートを求めます。

人は、自身が何を信じているかで普段の言葉、想念、行為が決まります。

究極の真理を頭では判っていても、現実世界の只中にいると、

いつの間にか過去に生きる凡夫の自分になってしまいます。




本当に真理が分かったなら、本当に信じたなら、

自分から発する、言葉、想念、行為は 自ずと神性を顕しているはずです。
そして神性世界を創造しているはずです。

だから日々、意識的に生きるのだと思います。 

自分は本来何者か、何のためにここにいるのか・・を確認しながら。
真の世界を創造するために。



***************************************************************

絶対なる真理4   信じること  選択・決断・決行


 『(絶対なる)真理を一口で判りやすく述べると、あなたの人生の中で何が起ころうと、それはすべて、あなたが信じていることそれ自体が、あなたの人生に現れているのだということである。
あなたが信じているその意志に反して起こることは、何もないのである。信じていないことが起こる可能性はゼロである。

一体何を信じているのか。それは固定観念である。』(07-12




この真理は「心の法則」「想念の法則」である。信じることが固定観念であれば因縁因果となる。それが究極の真理「我即神也」であれば果因説の生き方になる。

我々はそのどちらでも選択できるのである。今までのことを言うと、『あなたの人生に繰り広げられてゆく善も悪も、幸せも不幸せも、病気も、事故も、、、あなたが死ぬ瞬間に至るまで、その因は、すべてあなた自身の信念そのものに起因しているのである。』(07-12


何があろうが、無かろうが不平不満、怒りで受け止めるのではなく、「愛と赦しと消えてゆく姿」で受け止めなさいということである。一朝一夕で出来ることではない。しかし、出来るまで努力する価値のある真理である。
それに加えて、果因説の生き方があることを忘れてはならない。果因説があれば、借財をすべて返済するまで待つことはない。大難は小難に、小難は無難に、大難すら無難にし、なおかつ、神性を顕現する道が示されているのである。その道は『進化創造』とも言われる。


現代版十二因縁ではないが、信念に続く要因についても繰り返し説かれる。

『(潜在意識の)一番の働きは、自分が何を信じているかを基準にして、選択、決断、決定が行われるのである。この選択こそが、人生を大きく二分するのである。』
(07-12)

これは『選択、決断、決行の真理』(07-02)とも言われる。

現象の受け止め方だけではない、いかに望ましい姿を顕わしてゆくのか。同じ原理、法則が使われるのである。


『自らの人生は選択により創造され、選択により滅びてゆく。その選択の基準こそが、何を信ずるかなのである。』
(06-10)

『自らのの結果を受け取る、というのが真理の法則であるから、ゆえに我即神也を信ずる神人には神の世界のそのものが顕現されてくる。

神人は未来の輝かしい神の世界を地上に顕現するために祈り、印を組んでいるのである。』(06-10


因縁因果説が絶対ならば、そして過去によって未来まで決定されているならば、『人間としての創造力、個の尊厳、個の自由意志が全く無視されることになる。過去の因果で未来は決まらないのである。自分の現在も未来も、自分の自由意志と創造力によって、いかようにもつくり出してゆくことが出来るのである。』(07-06


因縁因果説だけでは人類は救われない。果因説は人類にとって有難い生き方である。


<白光ノート から>


[PR]

by mppoe-light | 2017-04-30 21:06 | 真理について思ったこと

復活そして顕現

我即神也 人類即神也の宣言文を読むとき、

私は、自分の中にある神性「私」が、肉体を通して現象世界に向けて宣言している

 と思って宣言しています。 

宣言文は、私の本体からの言葉、私自身の言葉 と思ってます。

呼吸法の印を組むとき、 

私は、心の中で、「神である私が印を組む、我は神なり」と思い、組むように

心掛けています。

2015年に神性復活が発足し、昨年は、「ソウル・オブ・ウィメン(SOW)神聖なる女性性の復活」が発足しました。

“多様でありながらワンネス”

富士宣言の中の言葉です。

私達は別々の個に分かれた存在ですが、それぞれ個人の自己意識が高まれば「私」という意識は大きく広がり、その広がった「私」の中に相手も含まれる、

だから相手=私。 別々に分かれていても一つ。ワンネス。

その時、私たちの心は自然に繋がり、当然のように分かち合い、赦しあい、称え合う。 そして恒久平和へ・・・

 

だから今、 

恒久平和は人類の神性復活、顕現にかかっている・・・

と思っています。

今年は今後の地球、人類の将来を左右する大切な時。伸るか反るかの時。

でも同時に ついに来るべき時が来た、時来たれり! と言える年ではないでしょうか。

2015年神性復活、2017年神聖なる女性性の復活、そしていよいよ2017年本格的に神性顕現が始動する・・・ そんな気がしています。

(そのために昌美先生は毎日命懸けで人類を支えておられるのだと思います。)


私達一人一人の意識が上昇すれば、富士ではさらに高い印や神事が降りてくるはずです。 そうなれば、さらに強い大いなる光を人類に向けて発信できるのではないでしょうか。


これから神性顕現を目指したいと思います。




私の直観は、ぶれてはいなかった!

我即神也! すべては完璧、欠けてるものなし、大成就!



[PR]

by mppoe-light | 2017-04-17 21:37 | 真理について思ったこと