2016年 12月 02日 ( 1 )

「天と地をつなぐ者」 から (2)

本文から

「自分だけが救われて、それでよいのなら、その頃の私の心境でも救われていた感じである。いわゆる仏教でいう往相の悟りになっていたのではなかろうか。
なぜならば、私自身としては、すべてに対して、なんの不足も不満もなく、天地宇宙に対して、ただただ感謝感謝の日々であったからである。神にまかせきった自由な心境であったのだ、
自己のための自己はもうすでにない気やすさは、そのまま還相として、人類世界の苦難、小さくは日本の苦悩を真正面に受けて立つ環境に自らをおかずにはいられない。
日本の苦しみは自分の苦しみであり、人類の悩みは、やはり自己につづいているのを、はっきりと感じるのである。
 自己はない。ない自己のおかれた立場は、日本であり、人類世界である。」


五井先生の気高さ、偉大さ!

自分を極め、内奥に入れば入るほど、「私」という意識は、大きくなり、日本・世界人類=「私」と感じるようになる・・・


日本のため、人類のため 自分の命を投げ出す・・・、としても、
そのためにその場限りで一度に命を投げ出し死ぬのはたいしたことではないのかも・・・と思いました。
それよりも、
この世界で肉体を器に生き、(肉体を持つということは、痛み苦しみを感じるということ。)どんな困難な状況になっても、人類を救うために(人間は本来神の分霊であることを知らせるために)全責任を持って働き続けて行くこと・・・
これは並大抵のことではない、と思います。

五井先生が神我一体され、神界にて釈迦牟尼世尊、イエスキリストと会われた時の五井先生の言葉から、責任の大きさ、重さが感じられ、心に突き刺さるようでした。

「光り輝く中から金色の十字架を背負ったイエスキリストが現われたとみるまに、私の体中に真向から突入してきて消えた。その時、“汝はキリストと同体なり”という声が、激しく耳に残った。
私のその朝の瞑想は、その声を耳底に残したまま終わってしまった。
私は深い感動というより、痛いほどの使命観を胸底深く感じていた。
そのことが単なる幻想でないことを私の魂が、はっきり知っていた。
“汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし” という内奥の声を、はっきり聞いていたからである。」

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by mppoe-light | 2016-12-02 22:25 | 真理について思ったこと