忘れてはいけないこと


五井先生 「愛すること」 から

それはあくまで今生のその人の現われでありまして、生命の本質そのものではないのですから、人をさげすむ想いとか、嫌悪の想いが心に浮かんだら、それをそのまま持続して想っていないで、すぐに消えてゆく姿として、神のみ心の中に祈り心をもって投入してしまうことが大事なのです。

そういう方法がとれるようになるためには、やはり、すべての人間の生命の尊厳さ、神の子の相を認める心にならなければならないのです。

しかしながら、人間の想いというものははなはだ厄介なもので、自分にくらべて劣っていると思う者を、どうしても下目に見がちになりますし、権力のあるもの、地位の上の者には頭が自然と下がったり、あるいは逆にわざと反抗してみたりして、生命の平等観で動けぬことが多いのです。

 そういう時に神という中心がありませんと、不平等心のままこの世を過ごしてしまいまして、
神という中心を常に心に抱いて、その中心の心に照らしてみて、自らを反省する意識がありますと、ああこれはいけないことだったな、と想いかえし、祈り心になってきます。

この世は自己の想いの置き場所によって、どんなにでも幸せになり得るのです。
常に常に世界平和の祈りによって、自己の想念を神の大光明世界に置いておくことを、日々瞬々行じていて下さい。




五井先生の「愛すること」を読んでいます。何年振りでしょうか。

お祈りに繋がったばかりのころ、五井先生の著書を繰り返し読んでいました。
この「愛すること」も大好きで、読んでいた著書のひとつです。
今思うと、、、
初めて読んだとき、消えてゆく姿の実践はおろか、意味まで深く理解できていなかったのですが、・・(笑) 
それでも一つ一つの言葉の響きが、私の心を感動させ、繰り返し読んでいました。

久しぶりに読んで、教えの基本である、“消えてゆく姿で世界平和の祈り”について、気付かされること、学ぶことがありました。

今は、 
我即神也 人類即神也 果因説 という究極の真理が昌美先生から出されていますが、改めて五井先生の説かれた “消えてゆく姿で世界平和の祈り”という教えが、まず基本中の基本であり、基本であるけれど、それは進むほど深く高く、これからも続いていくものなのだな・・・と思いました。



・ そういう方法がとれるようになるためには、やはり、すべての人間の生命の尊厳さ、神の子の相を認める心にならなければならない

・ 神という中心がなければ、不平等心のままこの世を過ごしてしまう

・ 神という中心を常に心に抱いて、その中心の心に照らしてみて、自らを反省する意識があると、ああこれはいけないことだったな、と想いかえし、祈り心になる。

・ 自己の想念を神の大光明世界に置いておくこと


今、究極の真理と果因説を知り、学び、五井先生の伝えたかったことが判るようになってきました。

我即神也 という、“神という中心”をいだたいて、
すべては完璧、欠けたるものなし、大成就 という言霊で、自分の想念を神の大光明世界に置いておくことを指導してもらっています。

五井先生、昌美先生の、み教え、指導をもっと大切に真剣に実践していかなければ・・・と反省しているところです。

肉体を器として現象界に生きる上で、忘れてはならないこと、

消えてゆく姿で世界平和の祈り=我即神也・人類即神也 大成就



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by mppoe-light | 2016-04-23 22:04 | 真理について思ったこと