本物を掴むこと☆

「悠々とした生き方」

宗教の一番の根本は、環境に把われないで、いかなる環境においても、心が常に豊かであり、明るく美しく生きるということです。それが一番大事なんです。

(お釈迦さまが) どういうふうに悟ったかというと、悟ったから環境がすぐ直るというんじゃないんです。
お釈迦さまの悟りというのは、悟ってすぐ病気が治り、貧乏が直せる、すぐ地位が上がるというのではないんです。
いかに病身であろうとも、いかに貧乏な環境にあろうとも、いかに追い詰められた環境にあろうとも、地位が低かろうとも、心がそういうことに把われないで、そういう外界の想念波動を超越して、心がいつも豊かで明るく美しく生きられる方法を悟られたわけです。

 仏教を煎じつめれば、肉体生活の喜怒哀楽、五感六感に感じる苦しみや悩みを超えて、本当の生命、真実の世界、本心から来る喜び、美しさ、平和、調和を肉体に現わそうということです。
それを現象的にいいますと、心が本当に豊かになり、解脱して、美しくなり明るくなれば、貧乏でなくなってくるし、病気は治るでしょうし、地位も上がるでしょう。いろんなことが現象的にも効果が現われてくるのは必定なんです。

<五井先生>


自分の外側の現象にばかり捉われて、 自分の内面を置き去りにしないこと。
私の心が変われば、私の住む環境も変わるはず。
祈っていても、住む環境が改善されないのは、自分の心を置き去りにしているから。
外側の変化ばかり期待し、依存している幼い心は、自分を正しく内観していこうとしない。
それでは消えてゆく姿の“私”を摑んでしまっているだけ。

自分を突き詰める。
幼い心の私は、消えてゆく姿として赦されているのだから、消えてゆく姿で世界平和の祈りで本心と繋がり、
さらに
出来るだけ、高い「私」を認識し、信じること。

仏教を煎じつめれば、肉体生活の喜怒哀楽、五感六感に感じる苦しみや悩みを超えて、本当の生命、真実の世界、本心から来る喜び、美しさ、平和、調和を肉体に現わそうということです。


我即神也  すべては完璧、欠けてるものなし、大成就

自分自身を置き去りにしていては、神性の私に申し訳ないです。。。。
だから、
本当の生命、真実の世界、真実の「私」をまず摑むこと。
消えてゆくだけの偽ものを摑むのではなく、本物を摑むこと。

我即神也 人類即神也


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by mppoe-light | 2015-07-26 16:29 | 真理について思ったこと