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消えてゆく姿で世界平和の祈り


毎日、世界平和を祈るうえで、大切なのは
消えてゆく姿で 世界平和の祈り  ということ。

  真の祈り

 「00が治りますように。++が無くなりますように。**が起こりませんように。癒されますように」という祈りは本物ではない。そもそも「、、、でありますように。 、、、になりますように」の祈りは数年前から禁止されている。
一度は現象を認めて「消えてゆく姿」を実行するものの、次の瞬間には「消えてゆく姿」に意識を注いではいけないのである。
瞬々、意識がどちらを向いているのか、自分で責任を持って選択するしかないのである。
 

 『苦境そのものに心を向けないで、人間本来神の子であるという神そのものの姿に心を向け、今まで見失っていた、未だ現われていなかった本来の神の子の姿を、光り輝く完全円満なる姿を呼び起こし、目覚めさすために祈りを捧げればよいのである。』

 消えてゆく姿の段階では、不完全な現象を仮に認める。しかし、祈りの段階では、不完全な現象は認めない。つまり、祈りの段階では、「すべては完璧 欠けたるものなし」の世界に飛び込むのである。
「飛び込む」とは肉体頭脳で考えないということである。それは四次元的アプローチなのである。

また、現象だけではなく因縁因果も同様である。消えてゆく姿の段階では、因縁因果も仮に認める。
しかし、祈りの段階では、因縁因果は認めない。そこでは、果因説の世界に飛び込んでゆく。
この切り替えを意識的にしているか否かが大きなポイントである。
何故なら、因縁因果説の中に留まったまま祈る人は少なくないからである。
 
 「因縁因果はない。輪廻転生はない」というのが究極の真理である。
現象の処理、解決、罪の赦しを神に祈るのではない。現象を超えた『神そのものの姿、光り輝く完全円満なる姿』は厳然と成就しているのである。暗雲の背後に隠れた太陽のように、『本来の神の子の姿』は存在しているのである。その『神の姿』に思いを馳せ、イメージし、『呼び起こし、目覚めさす』のが祈りである。この真の祈りであれば、必ず祈ったことは現実化するのである。真の祈りは必ず物質化する。
 
 『本来の祈りとは、ポジティブな祈りでなければならない。
   真の祈りとは、神の無限なるものに焦点を合わせるものである。
   真の祈りとは、人間神の子であるという真理に目覚めさせるものである。』

  我々は赦しを乞う以前に赦され、不足したものを希う以前に与えられているのである。その完全性、無限なる神性、神聖なる精神が本来の働きを開始することを祈ればいいのである。
  『完全なる健康体が現われますように。至福や繁栄がもたらされますように』という祈り方もある。「ように」という表現を避けるならば、「完全なる健康体が現われる。至福や繁栄がもたらされる」と祈ればいい。
肝心なことは何度も繰り返し繰り返し唱えることである。

注 『』はすべて(白光1992-11)より引用    


一度は現象を認めて「消えてゆく姿」を実行するものの、次の瞬間には「消えてゆく姿」に意識を注いではいけないのである。
瞬々、意識がどちらを向いているのか、自分で責任を持って選択するしかないのである。

消えてゆく姿の段階では、因縁因果も仮に認める。
しかし、祈りの段階では、因縁因果は認めない。そこでは、果因説の世界に飛び込んでゆく。
この切り替えを意識的にしているか否かが大きなポイントである。
何故なら、因縁因果説の中に留まったまま祈る人は少なくないからである。



自分の中の、本心と業想念とは別もの・・・と、知識ではなく心の中から認識していれば、

<・意識がどちらに向いているか、 ・意識的に切り替えをしているか・・・>
このことは神性顕現には重要な事であって・・・、
とはいっても、、、現実生活の中でこのことを日々繰り返すことは難しいことだけれど、
それでもそれを続けて行かなければならない・・・・
ということを実感してもらえるはず。

    
因縁因果説の中に留まったまま祈る人は少なくないからである。

私もそう思います。
自分は“我即神也”であると、自分の神性をつかむことは、そう容易なことではないと思います。 (そのために様々な行、神行を繰り返していますが)

我即神也、人類即神也 の宣言の言葉を、自分の中からの言葉として、つまり神性の私の言霊として宣言できるようになるまでに、私は何年もかかりました。
(※2012年12月の中ごろ・・・呼吸法の印を組んだあとで、ふいに
「自分は我即神也でいいのだ、そうなんだ」・・・と納得しました。 
それ以来、宣言文を読むのが好きになりました。)

消えてゆく姿は、実行すればするほど、その深さを感じます。
私も、ずいぶん消えてゆく姿が実行きるようになったな~・・・と、ちょっと満足したとたん、
“消えてゆく姿で世界平和の祈り”の教えが さらにもっともっと深いことを思い知らされたりしました。


肝心なことは何度も繰り返し繰り返し唱えること

以前、mixiでピタゴラスさんが紹介して下さった昌美先生の法話の言葉や、
ピタゴラスさん自身が薦めて下さった神語など4~5種類を、今でもほぼ毎日唱えています。(もう5年以上やってるかな) どれも私にとっては大切な言霊です。
もちろん、我即神也の宣言文、祈り、印、も実行しています。
それらの行が、心底自分の言葉、自分の行為になるように、
意識して行っているところです。 (たまに脱線?するけど、、、がんばりま~す(^_^;)

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by mppoe-light | 2014-12-12 15:04 | ピタゴラスさん啓示録から