「祈っていることと現われてくることとは別問題」


現われてくる貧乏や不調和というのは、過去世の因縁の消えてゆく姿なんです。
現在、祈っていることとは関係ないのです。

現在祈っているということは、自分の想いが現在、神様の中に入っていることなんです。
世界人類が平和でありますように、と祈っていて、神様と一体感が出来ていましょう。
けれども、今、現われている病気や不幸というものは、過去世から今までたまっていた想いが、つまりさんざん録音しておいたものが、そこに現われてくるわけです。
だから、今、祈っていることと、現われていることとは別問題。

統一をしている。すると雑念が起こってきますね。
雑念というのは過去の蓄積されたいろんな想いで、それが現れてくる。祈っているのは今なんです。
今は、世界人類が平和でありますように、神様有難うございます、という想いが神様の中にピシリと入っている。

だから、いかに雑念が出ようと、坐って統一していることと雑念とは別なのです。
これがわかると一番いいですよね。
今、どんな雑念が出ようと、あるいはどんな悪い運命が現れようと、それは今の責任ではない。
今の自分は、世界平和の祈りを祈って、神様のみ心の中に入っている自分なのです。神との一体化をなしとげている自分なのです。

<五井先生 7月号法話から>
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今、祈っていることと、現われていることとは別問題。
いかに雑念が出ようと、坐って統一していることと雑念とは別なのです。
これがわかると一番いいですよね。

このことが心底わかるようになりたいです。 いつも自分の内側から確信できるようになりたいです。
そのためにも 積極的に、意識的に
「我即神也 人類即神也  すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」を認めること。
過去はない。 今、我即神也が本当の自分だと信じること。

我即神也 を認めるためには、消えてゆく姿の実践が欠かせない。
消えてゆく姿をさらに深く実践するために、
「我即神也 すべては完璧 」を認める続けることが大事。

今、祈っていることと(我即神也 神との一体化)と、現われていること(消えてゆく姿)とは別問題。
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根源世界から来る神性の流れ、生命の躍動は肉体頭脳で顕そうとしても顕われない。むしろ、肉体頭脳を静かにしたところに顕われる。
元の神の姿は完璧に存在している。
その顕現をブロックしているのは人間の思考回路だけである。
ならば、そのブロックの解体に専念すればいいと覚者たちは説かれた。

 重要なことは、神性顕現をブロックしている思考回路の解体に励むものの、神性の構築は不要と言うことである。
『私』という意識が解体されるべき自我のレベルにあると、「凡夫が神になる道のりは遥かに遠い」と感じてしまう。
足元はこの地にあっても、『私』という意識を「我即神也」に向ける努力は肝要である。神性を顕わす兆候すらなくても、自分の元の姿である神の姿を想像してみるのである。
自分が神であることは、宇宙神が定めて下さったことなのである。

現実の世界は「消えてゆく姿」としてさておき、意識の世界で「我即神也 人類即神也 すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」を想像するのである。
果因説の大きな特徴は「神意識の中に積極的に入って行っていいですよ」と言うところにある。

<ピタゴラスさん>


今、祈っていることと(我即神也 神との一体化)と、現われていること(消えてゆく姿)とは別問題。
だから、
現実の世界は「消えてゆく姿」としてさておき、意識の世界で「我即神也 人類即神也 すべては完璧 欠けたるものなし 大成就」を想像するのである。


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by mppoe-light | 2014-07-09 21:13 | 真理について思ったこと