果因説・因果説の祈りかた・・・☆

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自分の身近な人が問題を抱えた時、困難な状態にいる時、
私たちはお祈りで応援をしています。

少し前から気になる人がいて、その人のために祈っていました。

○○さんの守護霊さま守護神さまありがとうございます。
○○さんの天命がまっとうされますように。 ○○さん即神也

または、
○○さん即無限なる能力 ○○さん即無限なる可能性・・・・などなどです。

その時の、私の気持ちは、、、
 
私は今、困っている○○さんに、欠けてるものを補ってあげなくちゃ。。。
○○さんに無限なるものの光を送り、抱える問題の解決をしてあげたい。

あらら、、、これでいいのかなー?
これって、ちょっと私の思い上がりなのかも・・・。。(笑)

私は○○さんのことを どう思って祈っているのか、
ちゃんと○○さんのこと即神 と認めて祈ってるのかな。。。

と思いました。


もしかして、今までの祈り方は、因果説の思考の祈りだったのかも・・・・?
(――;)。。。。 が~んっ!


○○さんのために祈る私は、、、、我即神也 の私。そうでなければならない。
(そう信じなければならない。)
我即神也の私が見る○○さんは、もちろん私と同じく即神也。
ならば、 
○○さんは、不完全で欠けているのではない、無限なるものが無いのではない。 
○○さんも、私と同様に、本来は無限なるものすべてが調っている。
○○さんも、すべて完璧、欠けたるものなし、大成就。 


まずこのことを認める。
 
私は○○さんが即神であることを知っている。
○○さんの内側に無限なるものがあることを分かっている。
だから
その私が祈って、その無限なる神性が表に顕れることを応援する。
○○さんに欠けたるものがない姿を創造する。

欠けているものを補うために祈るのは、因果説なのかも。
 
○○さんはすべて調っていることを認める。それが形の世界に顕れるように祈る。
そんな風に祈りをするべきじゃないのかな。

完璧、大調和から始めるのが果因説・・・・と、
そんなことを思いました。 


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by mppoe-light | 2014-05-02 19:57 | 真理について思ったこと