我即神也と成就

外の世界に私なく、私の外に神はいない。
神は私の内に在り。外の世界が存在する基盤を与えたのは『私』であり、それは私を通して働いた神である。

今、私は私自身を現象の世界に探さない。今、私は私自身を想いの世界に探さない。現象の世界も想いの世界も、すべて赦されて消えていったのだから。

 私は『私』。『私』は外の世界にいない。『私』は宇宙神の心のままに外の世界を創る者。『私』は外の世界にいないから、『私』に過去はない。
『私』にあるのは、宇宙神から贈られた神性のすべて。だから、「我即神也」。


<ピタゴラスさん “だから、「我即神也」” から>

********************************


始まり~終わり 過去⇒未来・・・などなど、直線的な思考にとっては不可解? な内容かも。
でも、繰り返し読んでいると、意識が展開する不思議な“環”の世界が感じられて、私は好きです。

外の世界が存在する基盤を与えたのは『私』であり、それは私を通して働いた神である。
いいなぁ~。(●^o^●)わくわく・・・♪ 



1秒前の凡夫の姿も、1秒の「消えてゆく姿」で無である。それが無ならば、あるものはすべての神性だけ。だから、「我即神也」。

失敗して「消えてゆく姿」を行じたならば、次にできるか否かは考えなくてもいい。繰り返して失敗してもいい。状況がどうであれ、私は『私』。『私』は神。神は私。だから、「我即神也」。

神の姿を顕せなくても、私は『私』。『私』は神。神は私。だから、「我即神也」。
神の姿を顕せなくても、「我即神也」を宣言するからこそ、神性が顕われ始める。だから、「我即神也」を今日も宣言しつづける。

神の姿を顕せなくても、大切なことは、私が誰であるのかという問題。現象は二の次。
大切なことは、私が私をどう思っているのか。
私は私を赦して赦して、愛して愛する。私は私を神として愛して、愛する。私は私を生命として称えて称える。私はこの事実を宇宙神に感謝し感謝する。
宇宙神も私を愛して愛して、称えて称えて、感謝し感謝して下さっている。だから、「我即神也」。

<だから、「我即神也」 から>

************************


私は神だから、愛深く、神聖で純粋で、崇高で偉大である。 
と、自分に宣言する時、 同時に この事実を宇宙神に感謝する。
その時、宇宙神も私を愛して愛して、称えて称えて、感謝し感謝して下さっている。だから、「我即神也」。
素敵だっ!!!

c0074000_224659.jpg

最近、気になっているの言葉があります。 まず、一つは指針で指導された「感謝」
そして、昌美先生が繰り返し説かれ、私たちに体験を促している「成就」。

今回の “だから、「我即神也」 を読んで、
「成就」については、どうとらえたらいいのか、ピタゴラスさんに直接質問しました。
そのお返事がこちら。↓

神人が調った美しい姿を見せることで、人類の目覚めが始まると言われています。
人間の姿と神の姿を繋ぐものはなにか。
難行苦行に非ず。進化にあらず。
先ずは
自己意識にあり、です。
我即神也です。
これを力強く宣言できればできるほど、神性顕現が始まる。
それを見た人類の目覚めも始まる。

何か特別なことをしないと、我即神也と宣言できないと考えるのは人間の世界の考え方です。神の世界に入れない。

順序を間違えるとうまく行かない。
先ず第一に我即神也を宣言することからすべてが始まる。
成就もそこから始まる。

成就ができてから、我即神也では成就しない。
我即神也が成就をもたらす。

************************************


これを読んで、すっきりっ。 納得できました。 v(^-^)v 
余計な言葉、余分な説明なく、簡潔で解りやすい。 
たくさんの人に読んでもらいたいなーと思いました。


c0074000_21591596.jpg

[PR]

by mppoe-light | 2014-04-10 22:05 | ピタゴラスさん啓示録から