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意識のシフトは認識のシフト

真理とは現象の変化ではなく、認識のシフトなのである。

現象が変われば、認識を変えればいいのではない。認識を変えると、現象も変わってくるのである。

現象よりも認識を先に変える。これが果因説である。  

それでも、感情が追い付かない。認識よりも現象が気にかかる。だからこそ、『祈れ、祈れ、祈りこめ。祈り、祈り、祈りこむのだ』(2014-03 infinite words161)。  

祈ると言っても神にお願いするのではない。現象が浄化されるよう神に頼むのでもない。我は神です。人類も神です。地球は安寧です。すべては完璧です。  

そのように成就しているのだから、成就している姿を宣言してゆくのである。

<ピタゴラスさん 即の理2 から>


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浄化が進んで意識がシフトしていく・・というのは因果説。
命は永遠、そして我は即神也であり、創造する者。 そのことを知ったのだから、
いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、
いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。

消えてゆく姿なのだから、それらにはとらわれない。

祈りと印によって、「私」はカルマや自我、現象界から切り離される。
神である「私」には過去はなく、カルマもない。
『私』は光だけで、すべてを描き切る。
『私』が描く世界が、五井先生の説かれた平和の世界。

『私』は神。創造主。
どんな場であろうと、『私』が「消えてゆく姿」と宣言した瞬間、小さい私は消え去り、『私』が蘇る。
『私』の言葉は言霊。言霊はすべてを創造する威力


過去を浄化していく、という因果説の思考を、究極の真理、果因説に
かえていく。 それには、認識を我即神也 すべては完璧、大成就である へと変えてゆく。
それを意識的に繰り返し、自分に言い聞かせ、確認作業を続ける。
それによって、無意識に 神性を顕現し、創造する立場で生きるようになる。
このことを今 私たちは求められている・・・

と、・・・・・こんな風に思いました。

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by mppoe-light | 2014-03-05 22:18